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イソップ物語「北風と太陽」について

2014年4月11日


 

こんにちは、バラ十字会日本本部の本庄です。

東京板橋では、ソメイヨシノもすっかりと葉桜になりました。遠目には色が混じって、ぱっとしませんが、近づいて見ると、緑の若葉が新鮮で春の力にあふれているように感じます。

いかがお過ごしでしょうか。

札幌で当会のインストラクターを行なっている森和久さんから、興味深い文章をお寄せいただいたので、今日はそれをご紹介させていただきたく思います。

▽ ▽ ▽

『北風と太陽』について

森和久のポートレート

森 和久

紀元前600年ごろのアイソーポス(Aïσωπος, Aisōpos)、日本ではイソップ(Aesop)として知られる古代ギリシアの寓話作家による『北風と太陽』という話があります。今回はこれについて考えてみましょう。

 

①この話は何を言っているのでしょうか?

②なぜ服を脱がせるのでしょうか?

Ⅰなぜ判断基準がこれなのでしょうか?
Ⅱなぜ服を脱がせることが〈力〉の証なのでしょうか?

③北風が愚かなのでしょうか? 太陽があざといのでしょうか? それとも・・・?

 

ではあらためて『北風と太陽』の話を見てみましょう。

北風と太陽が、「どちらがより強いか」を議論していました。その時、1人の旅人が暖かい外套で身を包みやって来ました。北風と太陽は、最初に旅人の外套を脱がせるのに成功した方が、もう片方より強いと考えられるべきであることに同意しました。

そこで、北風は彼ができる最高の強さで吹き付けました。しかし、さらに吹けば吹くほど旅人は、よりしっかりと彼の纏った外套を押さえ込みました。そして、ついに北風は試みをやめました。 次に、太陽が暖かく明るく輝きました。するとすぐに、旅人は彼の外套を脱ぎました。それによって、北風は、2人のうちで太陽の方がより強いことを認めざるを得ませんでした。(正書法版より翻訳)

「北風と太陽」の挿し絵

「北風と太陽」の挿し絵

 

①について、『イソップ寓話集』の訳者山本光雄氏は、「この話は、言ってきかせる方が、無理強いするよりも、ききめの多いことがしばしばある、ということを明らかにしています。」と記しています。

また「太陽政策」という大韓民国政府の朝鮮民主主義人民共和国に対する友好的外交政策の通称の原典ともされます。

 

②については、「ルール」の在り方を考えさせられます。自分に都合の良いルールを作ることができれば勝利を手にすることができます。これは多くのことに当てはまります。

オリンピックも選挙も国際関係もルール作りの時点で勝利を手にできるものは決まってきます。私たちに必要とされるのは、勝者を称えることだけではなく、そのルールの正当性も検証すべきことではないでしょうか。

 

③については、いかがでしょうか? 判断は皆さんにお任せしますが、別の視点で考えてみてください。例えば、この旅人にとっては、どうなのでしょうか? 自分には全くあずかり知らないことで弄ばれているようなものです。

これは国政や企業の運営にも言えますし、身近な物事においても大人の都合で子どもが犠牲になってしまう場合があります。

プラトンが『国家』の中で述べているように、「ディアレクティケ(哲学的問答法)を習得すべきである。そうでないと、実在について夢見ているけれども、醒めた目で実在を見ることは不可能なのだ」、つまりエピステーメー(確かな理性的認識)とはならないということです。

私はこのような生き方を探求したいと思います。

 

補記:北風の名誉のために一首、載せさせてください。

天津風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ  をとめの姿 しばしとどめむ -僧正遍照

(あまつかぜ、くものかよひじ、ふきとぢよ、をとめのすがた、しばしとどめむ)

(空の風よ、雲の中の天女の通う道を吹き閉ざしておくれ。この美しい天女のような舞姫の姿を、もう暫く留めて眺めていたいから)

△ △ △

 

いかがでしょうか。お楽しみいただけたなら、心から嬉しく思います。

それでは、また。

 

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