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あやつり人形だという思い込み

2015年2月6日


 

こんにちは。バラ十字会日本本部の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

東京板橋では、昨日まで降っていたみぞれも止み、今日はふたたび陽射しに恵まれています。梅も咲き始めましたが、まだ寒く、今朝は道ばたの植え込みには、立派な霜柱が立っていました。

そちらはいかがでしょうか。

 

今回は、私たち人間の多くが共通して持っている、ある思い込みを話題にさせていただきたいと思います。この思い込みによって、私たちの多くが、自由に創造的に生きることを邪魔されていると聞いたら、あなたは、どのようにお感じになるでしょうか。

それは、人類学者の調査から分かったことです。

 

ホモ・ハビリスという最初のヒト属が現れたのは約200万年前、ホモ・サピエンスといわれる現代人が現れたのたのは、約25万年前のことだとされています。

そして、その後の長い期間、人類の歴史全体から考えると、ごく最近まで、私たちの祖先は、自分たちに不利な、変化の多い環境の中で暮らしていました。

氷河期が何度もあり、それは生き残るか滅ぶか、ぎりぎりの状況でした。ホモ・サピエンス以外の種は実際に絶滅しましたし、インドネシアのスマトラ島のトバ山の噴火をきっかけにして、7万年ほど前に起こったヴュルム氷期では、現代人(ホモ・サピエンス)の人口は1万人ほどにまで減ったと言われています。

 

氷河期ではなくても、飢えや気候の変動や肉食獣の脅威に常に悩まされていました。特に飢えは、いつも深刻な問題でした。虫や果物を取ったり、簡単な釣りや狩りをしたりするのが主で、規模の大きい農業はまだ行われていなかったからです。

洞窟や、自然にできた隠れ場所で、獣を避けていましたが、自分を守るための技術はほとんどありませんでした。少しでも食べ物が多く得られる場所、安全な場所、暑さ寒さをしのげる場所を求めて、住みかをひんぱんに変えていました。

安定した暮らしや豊かさや心の余裕などは、どこにもありませんでした。

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このような状況は、農業が大々的に行われ、定住生活が一般的になるまで続きました。地域によって異なりますが、メソポタミアなどのもっとも早くに農業が進歩した地域でも、それは、1万年ほど前に起こったできごとです。

ですから、人類の歴史の大部分の期間、私たちの祖先は、自然に激しく翻弄され、いつも不安感、無力感につきまとわれ、自分のことを取るに足らない存在だと思わざるを得なかったのです。

 

このような環境の中で、ある考え方が、原始人に植え付けられました。それは専門家が機械論(machanicalism)と呼んでいるものです。自然界は、自分たちをはるかに超える、何か大きな意図に支配されていて、自分たちが何を考えるか、何を語ったり行ったりするかに関係なく、この意図からは決して逃れることができないと原始人たちは考えたのです。

あなたに、想像してみていただきたいのです。それはまるで、自分のことを、大海原に浮かんでいるコーヒーカップのようであると感じ、少しでも大きい波が来れば、今すぐにでも沈んでしまうはかない命だと考えるのと同じことです。あるいは、人生とは、木の葉が嵐にまきこまれているような状況だと考えることです。

このような心の暗黒状態から、人類が何とか脱して、先に進むことができたのは、ほんとうに奇跡的なことだという感じがします。

 

しかし、この機械論という考え方が完全になくなったわけではありません。それは、機械論それ自体としても残っていますし、機械論によく似た、運命論(fatalism)という考え方に発展していきました。運命論とは、私たち人間が人生で経験するすべてのことは、あらかじめ定められているという考えです。ですから、この考え方を信じている人たちは、自分が運命にもてあそばれる、単なるあやつり人形のようだと考えることになります。

このような考え方は、原始人だけのものではありません。機械論と運命論は、私たちの多くにも、哲学や宗教や現代の科学にも、いまだに強い影響を与えていることが分かっています。ここで、詳細に立ち入ることはできませんが、ご興味がおありでしたら、「決定論」、「理神論」などの言葉と一緒に調べてみてください。

 

インターネット上の、ある掲示板で、こんな書き込みを見たことがあります。

「人間に自由意志がないことぐらい、中学生ぐらいになれば気づくと思うけどな。」

おそらく10代後半か20代ぐらい人だと思うのですが、学校の影響なのか、友人や読書の影響なのか分かりませんが、不確かな情報をうのみにしてしまうことの恐ろしさをつくづく感じます。

 

機械論と運命論に影響され、人に自由意志がないと考える人は、どのような生き方を選ぶでしょうか。現在という瞬間の快楽を、特に重視するようになる人が多いのではないでしょうか。人生全体にわたる長期的な目標を立てたり、その実現のために努力したり、能力を高めようとしたりは、あまりしないのではないでしょうか。また、さまざまな学びによって、視野を広げたり、内面を磨いたりすることも少ないのではないでしょうか。

 

ちなみに、機械論と運命論は、政治や宗教の権力者にとって、とても都合の良い考えです。政治がうまくいっていなかったり、平等でなかったりしても、あるいは、宗教の教義につじつまの合わないところがあっても、このような考えを持っている人たちは、何も文句を言わずに従順なままであり続けることが多いからです。

つまり、原始人が自然の驚異にもて遊ばれることに甘んじて、身をひそめてやりすごそうとしていたのと同じ様に、外部の力の怒りを買わないように、周囲の人と同じ考え、同じ行動、同じ服装を選び、周囲の空気を読んで、目立つことなくひっそりと生きていくことが多いからです。

そのため、歴史を見ても、現在の状況を見ても、さまざまな権力によって、教育や宗教が本来の姿から歪められ、機械論や運命論に近づけられてしまっていることは少なくありません。

 

以上、少し長くなりました。

短くまとめますと、長い歴史の中で、かつては適切だった考え方、あるいは、それ以外に選択肢がなかった考え方が、状況が変わった後にも、私たちの中に残り続けていることがあります。そして、機械論と運命論はその一例であり、私たちの行動の自由を妨げています。

 

私たちには、この正反対の考え方を選び、人間には自由意志があると考えることができます。つまり、自分の考えと発言と行動を、自分の意志で自由に選ぶことによって、未来を変えることができると考えることができます。そもそも、自由意志が存在するということは、考え方の問題ではなく、誰もが直接経験できる事実だと私は考えています。

そして、このことは生き方にも深く関わってきます。

 

将来の状況を作り出すのは、自分の責任であると考えると、多くの人は、周囲からさまざまな情報を手に入れても、自分でよく考えて納得ができるまでは、受け入れることをしないようになります。

また、自然界と人生に働いている法則について検討し、自分たちのためにどのように役立てたらよいかを計画します。

自分にはどのような力があるのか、それは、どのようにしたら高めることができるのかを検討します。

目先の喜びだけでなく、長期的な視点で自身の内面を磨き、それを自分と周囲の人の幸せ、豊さに反映させる道を探ります。

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もちろん、私たちは、人生で出くわす可能性のある、さまざまな事故や事件や災害のすべてを防ぐことができるわけではありません。しかし、現代社会という比較的安定した状況の中では、周囲の状況をコントロールする力をある程度高めれば、それが、自分と親しい人たちの幸せの役に立つということには間違いがないのではないでしょうか。

 

人類の歴史を振り返って、その中で育まれてきた、自分に影響しているネガティブな要素に気づき、それを排除する。このことの重要さについて、今回はご説明させていただきました。

いかがでしたでしょうか。参考になったとあなたにお感じいただける点が少しでもあったなら、心から嬉しく思います。

 

それでは、また。

 

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