投稿日: 2015/02/27
最終更新日: 2022/11/03

こんにちは。バラ十字会日本本部の本庄です。いかがお過ごしでしょうか。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

東京板橋では、数日前に河津桜が開花しました。緑色をしたメジロが花に集まっていました。これからの数ヵ月は、趣味のカメラを構えるのが一年の中でもっとも楽しい時期に感じます。

話は変わりますが、当会のフランス代表のセルジュ・ツーサンが「動物のみなさんへのお手紙」という奇妙な題の文章を発表しました。多くの方々にとても好評ですので、今回はこのお手紙をあなたにご紹介させていただきたいと思います。

▽ ▽ ▽

「国家の偉大さは、そこで動物たちが
どう扱われているかで分かる。」
マハトマ・ガンジー(1869-1948)

動物のみなさんへのお手紙
Open Letter to Animals

セルジュ・トゥーサン
バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン
Serge Toussaint

動物のみなさんへのお手紙だって? 文字が読めるわけがないではないか! 馬鹿げた思いつきだ! しかし、ほんとうにそのように言い切れるでしょうか。ひょっとしたら動物たちには、私たち人間が彼らについて考えたり話したりしていることを、言葉を通さずに理解する能力が備わっているかもしれません。それに、人間自身も動物であるとお考えになるならば、多少風変わりであることは確かですが、この手紙は、あなたを通して動物たちの心と、あなたの心の両方に届くのではないでしょうか。どうぞ自由な精神でお読みになり、じっくりとお考えいただきたいのです。

人間は、他のどの動物よりも自分たちが優れていると考えているため、地球は人間の所有物であり、自然界は人間が好きなように使って構わないのだと考えがちです。その上、‘下等’呼ばわりしている生きものに対して、一切責任を負おうとしません。人間が忘れがちな事実があります。ヒト科に属する動物が最初に地球上に出現したのは、今からおよそ1千万年前である一方、他の動物たちが地球に暮らし始めてから、すでに数億年もが経っているということです。つまり、動物たちこそがこの星の住人であり、地球という惑星を人間に適した環境に作り上げたのは、植物と動物たちなのです。ですから、動物たちが人類の誕生を準備してくれたのであって、私たちがこの星で生きていられるのは、動物たちのおかげだと言えます。

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お話を続ける前に、地球上の生物の進化で起こった主なできごとを、手短に思い起こしておくことが役に立つと思います。科学的な調査によれば、生物は単細胞生物として、40億年ほど前に海で誕生しました。その後、生物は少しずつ進化して、しだいに複雑な姿へと変わっていきました。両生類から爬虫類へ、さらに鳥類、哺乳類へ、そして、約1千年前に最初のヒト科であるラマピテクス属が現れた後に、クロマニヨン人、ネアンデルタール人などを経て、30万年前に、現在の私たちが属するホモ・サピエンスが出現しました。このように人類は、長い進化の道のりの結果として生じました。そして、この道を進むことができたのは動物たちのおかげであり、動物という言葉が持つ最も高貴な意味で言えば、人類が動物であることは言うまでもありません。ですから、受精卵が胎児へと育っていく過程で、ヒトは、生命が進化の中でたどってきた主なできごとを繰り返します。

人類は、初めて地球に出現してからずっと、すでにそこで暮らしていた動物のお世話になってきました。まずは食料と衣服を得る手段としてでした。その後、家畜として飼い慣らすようになると、移動したり、物を運んだり、田畑を耕す手段として動物を頼っていました。動物がいなければ、人間は生き残ることも、人類史の全体を通してなし遂げてきたような生活の改善も、かなえることができなかったでしょう。それにもかかわらず、人間は、動物に感謝し敬意を払うどころか、自然界もしくは神自体が、好きなように利用してかまわないと認めた「物」であると考えるようになってしまったのです。こうした態度が、一部の礼儀知らずの人たちや、教育をほとんど受けていない人たちに特有のものではない点に注意してください。あらゆる時代の思想家たちが、このような傾向を持っていたのです。動物が人間に劣っているという考え方の根深さが、このことからお分かりいただけると思います。

動物が直接に、もしくは間接的に、食料として私たちを支えてくれているという事実は別にしても、人類に恩恵をもたらしてくれる発明品の多くが、動物からヒントを得たものです。たとえば、船や潜水艦、飛行機やヘリコプター、パラシュート、レーダー、水中音波探知機、さらには機織り機などです。動物の特殊な能力を観察し、それを真似てみることで、人間が空を飛んだり、水中を泳いだり、海底にもぐったりできるようになったなどの例は珍しいことではありません。また、科学技術の分野で人類が発展を遂げるために必要だった、さまざまな機械や器具、道具を作り出す上でも、私たちは動物たちのお世話になってきました。こうした角度から見ると、動物こそ私たちの師であり、私たちは動物から学ぶべきことがまだまだたくさんあると言えます。

紛れもない事実であり、しかもありがたいことに、どのような民族にも国にも、社会的地位に関わらず、動物に敬意を表し、そして愛する人々が常に存在してきました。このことは、家畜だけでなく野生動物にもあてはまります。そして、いつの時代も、このような人々の一部は、動物を保護し、世話をし、動物についてもっと良く知ってもらうために力を尽くしています。1978年にユネスコで発表された「動物の権利の世界宣言」や、ここ数十年の間に次々に設立された動物保護団体のことを思い起こしてください。言うまでもなく、私たちはこうした運動を支持しなければなりません。バラ十字会AMORCは、そのような支持のひとつとして、『人間の義務に関するバラ十字宣言書』を2005年に発行しました。「動物を尊重し、動物が単に生きているだけの存在でなく、意識と感受性を持っていると考えることは、すべての人間の義務です」とその中では指摘されています。

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ご存じの通り、人間の愚かさと無知と残忍さに、動物は苦しめられ続けてきましたし、現在でも苦しんでいます。毛皮を手に入れたり、ぜいたくな宝飾品を作るために撃ち殺される苦痛は言うに及ばず、迷信に基づく魔術や宗教的行為として与えられる苦痛から、科学に名を借りた古臭い考えに基づいて動物に課される苦痛に至るまで、日々、何百万頭という数の動物が、残忍極まりないあり様で命を落としているのです。動物の特定の種が増えすぎてしまうのを防ぐために、動物界のバランスに人間が介入することが許されるということを仮に認めるとしても、狩りの直前に野生に“解放”するための獲物を飼育してまで、趣味として狩猟を行う権利が人間にあると考えることは、私には理解できません。猟犬を使った狩猟についても同じことが言えます。

先ほど魔術や宗教的行為に触れましたが、そのような行いでは、死に至るまで動物を出血させるような儀式が行われます。そして、呪文を唱えて悪霊を退散させたり、逆に引き寄せたりして、邪悪な力の助けを借りたり退けようとします。また、神の加護を求めるために生けにえにされる動物もいます。しかし、どのような種類の神を想定するとしても、こうした犠牲によって神を喜ばせることなど決してできないことは、誰の目にも明らかなのではないでしょうか。同様に、無用な苦痛を動物に課すことに神が同意しないことも明らかです。

無用な苦痛と述べましたが、それでは、有用な苦痛があるのでしょうか。答は「いいえ」だと私は思います。動物を殺すことには、許される場合とそうでない場合があると、ただ単に言うべきでしょう。驚かれるかもしれませんが、食物を得るために動物たちを犠牲にすることに対して、私が怒りを覚えることはありません。それは必要に応じてのことですし、自然の秩序の一部であると思うからです。野生の世界では、他の動物を殺して、それを食物にしている動物はたくさんいます。このことを残念に思うことはできますが、それは現実です。特定の種が増えすぎるのを防ぐことも、それによって食物が不足したり生活の場が脅かされたりする恐れがあるとしたら、必要な処置のひとつです。動物が他の動物を食べることは、自然界がコントロールされ再生されるための、自然の摂理のひとつです。そうであるならば、人間もまた、食べるために動物を殺すとしても、それは理解できることではないでしょうか。

しかし不幸なことに、皆さんもご存じの通り、人間の食料として殺される動物は、残忍な屠殺(とさつ)処理をされることがしばしばあります。その結果、動物は「無用な」苦痛を味わうことになります。彼らにストレスを与えないこと、苦痛があるにしても、せめて最小限に抑えてやることは、道義的にも法律に照らしてみても、果たさなくてはならない義務であるべきです。さらに、食肉用の動物を飼育する場合は、なるべく自然に近い形で行うこと、そして、最期の時を迎えさせる際には、できるだけ最良の状況で屠畜場まで連れて行くことは絶対に必要なことでしょう。こうしたことが世界中で行われれば、動物の命を尊重するという点で、とても大きな前進だということに、きっとあなたも同意していただけることと思います。また、このように屠殺処理をされた動物のうちの約25パーセントが、人の口に届かないまま焼却場へ運ばれていくという現実を知れば、私たちはショックを受けずにはいられません。

先ほど、「科学に名を借りた古臭い考えに基づいて」加えられる動物の苦痛について触れました。このことには、化粧品の毒性検査のための動物実験を始めとして、「動物実験」とか「生体解剖」などの名のもとで行われている事柄が関連しています。こうした行いは無益かつ野蛮です。無益であるという理由は、犠牲となる動物の示す反応は、ほとんどの場合、人間に当てはめることができないからです。野蛮であるという理由は、行われる実験が、動物にストレスと耐え難い苦痛を与えていることに対して、人間はとことんまで恥じ入るべきだからです。しかしやはり、私たちは現実に目を向けなければなりません。ある種の施術を人間に行う前に、動物で試してみることが必要な場合も時にはあります。しかしそうした場合でも、実験は特例措置でなくてはならず、苦痛を最小限にとどめることが絶対に必要です。病院で人間の手術を行う際に順守すべき事柄と同じです。

同じことが、世界中で殺されたり傷つけられたりしている動物にも言えます。彼らを殺す口実として、肉や鰭(ひれ)、角や骨、尻尾、胆のうや、他の体のさまざまな部位が、性欲亢進や体力増進、ダイエット、長寿、ガンやエイズをはじめとする体の異変の治癒に効くとされています。いまだにそのような迷信を信じて、その結果、動物の大量殺戮や、珍しい種や絶滅危惧種の捕獲に手を貸している人が無数に多くいるのを知ると、悲しく、胸がつぶれる思いがします。こうした人々に、そんなものを信じても何の得にもならないことや、その言い伝えが根も葉もない作り話であることを理解させるには、残念ながら、かなりの時間を要するのでしょう。同じように、闘牛や闘鶏などの様々な野蛮な慣習については、もはや言葉もありません。

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「バラ十字会員はベジタリアンなのですか」という質問を、とりわけ講演を行う際に、よく尋ねられることがあります。それに対し、「会員それぞれです」というのが私の答えです。このことは個人の自由に関わる問題ですから、バラ十字会AMORCとしては、完全に会員の自由意思に任されるべきだと考えています。肉を食べる人もいれば、食べない人もいます。一言付け加えるならば、精神の探究を実践するにあたって菜食主義である必要はありませんし、それが精神的な進歩の尺度となるわけでもありません。この点こそが、次の言葉によって、イエスが律法学者に向かって言おうとしたことです。「口に入るものは人を汚しません。(言葉を通して)口から出て行くものが人を汚すのです」。私の知っているベジタリアンの多くが、そのことを選んでいる理由は、その方がその人の健康に合っているからか、動物への不当な扱いに対して断固反対する立場を明確に示すためです。私たちは、ただ、この行いを好意的に傍観しています。私は菜食主義を必ずしも支持しませんが、環境保護が理由で、肉の消費を減らすことが、人類全体の利益にかなっているとは考えています。

一般的な考察は以上にして、ここからは、動物という存在に神秘学的な立場から目を向けてみたいと思います。動物が大好きで、敬意すら払っている人も含めた大多数の人の考え方とは反対に、動物界は人間界と完全に区別される領域ではありません。バラ十字会の立場で言えば、動物も人間と同じように、宇宙の魂と、その主な性質である宇宙意識の乗り物なのです。宇宙意識は、あらゆる生き物を通して、この地球上に表現されています。ですから、程度と種類は様々に異なってはいますが、あらゆる生き物が、意識の性質である感受性と知性を備えています。このことを納得するためには、動物たちが敵からの身を守る方法や食物を見つける方法、獲物を捕らえる方法、巣やねぐらを作る方法、子育てをする方法などについて考えてみてください。ややもすれば、私たちはこれらを本能という言葉で片付けてしまいがちです。しかし実際のところ、「本能」とは、動物たちを通して表現された宇宙意識に他なりません。

一般的に高等だと言われる動物に関して言えば、彼らには、時の経過とともに個性を備えるようになった魂があると私は確信しています。このことは、イヌやネコ、ロバや他の家畜などの、人間の身近で暮らす動物に限らず、サルやゾウ、クジラや他の野生動物たちにも当てはまります。これらの動物はすべて、周囲の環境に対してだけでなく、自分自身に対する意識を持っています。ですから、自己意識は人間だけにあるのではありません。しかし、一部の動物では、自己意識が特に著しく目覚めているということは否定できません。いわゆる高等動物に限られると思いますが、このような動物は、思考することもできれば、分析することもできますし、想像することも、未来を予測することだってできます。そればかりか、さらに重要なことに、自分自身について、また自分が置かれている状況について深く考えることもできます。

あなたが、イヌやネコやその他の、いわゆる“相棒”を飼っているならば、「この子は自分のことが分かっている」とか、くだけた言い方をすれば、「言葉が話せないだけ」という確信を抱いたことがあるに違いありません。それどころか、この相棒には“第六感”があり、一緒に暮らしている人の気分や精神状態を感じ取ることができることに、気づいていらっしゃるかもしれません。私が子供だった頃に、我が家には犬が一匹いました。私は彼のことが大好きでしたし、彼も私のことが大好きであることがはっきり分かりました。私がたまたま悲しんでいたり暗い気持ちでいると、私のそばに来て、私を慰めでもするようにじっと私の目を覗き込んでいました。このことが心の奥底での交流であり、魂と魂の会話だったことを私は信じて疑いません。

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自己意識と同様に、愛情も、決して人間に特有の感情ではありません。たった今お話ししたような個人的な例は別にしても、このことを裏付けるような実話を、誰もが読んだり聞いたことがあると思います。犬が主人のお墓から離れないまま息絶える話とか、猫が自分の飼い主の家族を探して何千キロも旅をした話とか、怪我を負った飼い主を出発地点まで連れ帰った馬などの話です。これらが家畜に限った話だと思うのは誤りです。オオカミが人間の子供を育てたり(この話は伝説ではありません)、ゴリラが人間と友情を育んだり(動物学者のダイアン・フォッシーもその一人です)、イルカが海に落ちた船乗りを助けたなどという話もあります。間違いなく、動物は愛情や共感を示すことができます。さらに、動物が同情心さえ持っていることを私は確信しています。

時として、特に野生の世界で、一部の動物に見られる残忍さについて語られることがあります。しかし、これはナンセンスな話です。なぜかと言えば、他の動物を苦しめることが目的で攻撃する動物など、捕食性の動物の中には一頭たりとも存在しないからです。他の動物を攻撃する場合には、食物を得るためとか、わが身や縄張りを守るといったような、自分や子供の生存に関わる理由が必ずあります。同様に、サメやワニやクマやヘビなどが、人間にひどい危害を加えたり死に至らしめることがあっても、それは、捕食や護身という本能によるものです。ですから、こうした動物に表れているのは、残忍さではなく危険性なのです。実際のところ、人間だけが、同じ人間や他の動物に対して、残忍さを発揮することがあります。なぜならそれは、人間には自由意志があり、それを望ましくない方法で使うこともできるからです。そして、人間としての地位にふさわしくない行動を取ることさえあります。

大半のバラ十字会員と同じく私も、「生まれ変わり」(reincarnation)があるという意見に同意しています。つまり、すべての人には魂があり、この魂は定期的に体に宿り、ついには、精神的な進歩の究極の目的である、英知に満ちた状態にたどり着くのだと考えています。しかし、「輪廻転生」(metempsychosis)と呼ばれる別の考え方もあります。この考え方では、人間が自身の犯したさまざまな罪をつぐなうために、その魂が動物の体に宿ることもあるとされています。しかし、地球や宇宙全体を支配している「進化」という法則と相容れないという、このことひとつだけから見ても、「輪廻転生」はまったく事実に基づかない説のように私には思えます。反対に、十分に魂が進化した動物は、ある時点で、動物界と人間界の境界線を超えて、人間として初めてこの世で生きるという経験をして、その後は人間界で生まれ変わりを繰り返すというのが私の考えです。この考え方を受け入れるならば、あなたととても親しい猫や犬も、現在、人間になりつつある途中である可能性があります。

人間が気づいていようといまいと、すべての生き物は、生物学的にも、カルマという点から見ても相互に依存しています。カルマという神秘学の法則は、「反作用の法則」や「つぐないの法則」という名前でも知られていますが、現在の思考・発言・行為の善悪によって、将来の幸・不幸が影響されるということです。この法則によれば、人類の幸福は、動物への接し方を通して、他者との関係の中で決まります。ピュタゴラスは、この法則を完全に理解していました。その証拠に、彼はこう述べています。「人間が、下位の生物界に対して、無慈悲な破壊を続ける限り、人間は、健康も平和も得ることはない。人間が、動物を大量に殺しているならば、互いにも殺し合う。まさに、殺しと苦痛という種をまく者は、喜びと愛を収穫することはできない」。

この見解に関係していますが、私は次のことを確信しています。動物を尊敬して愛する人が増えれば増えるだけ、人間のことを愛し尊敬してくれる動物も増えます。なぜなら多くの神秘家や、特にバラ十字会員が「普遍的な愛」と呼んでいるものに対して、動物が心を開くからです。それと並行して、内科や外科の技術が大きく発展して、この2つの分野の、洗練されたより良い協力関係が築かれ、人類に襲いかかる病気の大部分を克服することができるようになることでしょう。まさに、カルマの法則に従えば、この場合はそのプラスの面が働くのですが、人間が動物を苦しめないよう努めれば、それだけ人間自身を苦しめることもなくなります。

この手紙を結ぶにあたって、あなたにご提案があります。この手紙への返事として、『人間のみなさんへのお手紙』を動物が書くことができると想像してみていただきたいのです。あなたの意見では、私たち人間に向かって、動物たちはどんなことを言うでしょうか。彼らに対する私たちの態度に対して、彼らはどのような意見を持つでしょうか。彼らは私たちに何を求めるでしょうか。動物は自分たちのために、そして人間のために、何をすることを望むでしょうか。こういった疑問に思いを巡らせながら、心に留めておいていただきたいことは、私たち人間が、いつの日か動物たちに、きちんと申し開きをしなければならなくなるということです。私たち人間には個性を持つ魂があり、地球上に表現されている宇宙意識の進化に、最も大きな責任を持っているのですから、なおさらそうなのです。

動物たちが私たち人間に見いだす愛という絆において、
心を込めて、あなたのご多幸をお祈りします

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表
セルジュ・ツーサン

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

(この記事のPDFファイルをご用意しました。興味を持っていただけそうなお知り合いに、どうぞご自由に配布してください。)

https://www.amorc.jp/pdf/OpenLetterToAnimalsJP.pdf

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いかがでしたでしょうか。あなたの心に琴線にふれる部分が少しでもあったなら、この文章を苦労して翻訳した担当者も私も、ほんとうに嬉しく思います。

それでは、また(^^)/~

追伸:もしあなたが、今回話題になった「生まれ変わり」や人生に働いている法則にご興味をお持ちでしたら、神秘学通信講座「人生を支配する」で詳しく学ぶことができます。下記のページから一ヵ月無料体験を申し込んでください。

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