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アンドロイドと2045年問題

2015年5月8日


 

こんにちは、バラ十字会日本本部の本庄です。東京板橋では、木々がみずみずしい新緑を見せてくれています。この数日、晴れた朝がとてもさわやかです。

そちらはいかがでしょうか。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

最近放映されているあるテレビドラマでの話なのですが、主人公の女性宇宙飛行士は、人間性を持つロボットを開発している夫の作ったヒューマノイド(人造人間)を子供として育てています。

人間を模擬した学習する人工知能が、最先端のテクノロジーで作られた人間そっくりの体に搭載されています。良い環境で、限りない愛情を持って育てれば、彼は、人間と同じように素晴らしい性格に育つはずなのですが、徐々に危険な兆候が現れてきます。

 

これは単なるSFの話ですが、アンドロイドは、すでに夢物語ではないようです。

人工知能を搭載したロボットとしては、円盤形のお掃除用ロボットや愛犬代わりのロボットが実用化されていることが有名ですし、コマ回しなどの大道芸を行なうロボットのコンテストも開かれているようです。

 

そして、アンドロイドの実現に必要なコンピュータの性能は、この数十年にわたって、急速に進歩しています。

たとえば、今から50年ほど前にNASAは人類初の有人月面着陸をなし遂げましたが、このときコンピュータで行われたすべての計算が、今はたった一台のiPhoneでまかなえるのだそうです。

人工知能のゲームでの実力の進歩はすさまじく、チェスではもう、世界の誰一人としてコンピュータに勝つことはできませんし、将棋でも、ほぼプロに追いつくようになりました。

3D word communication background

 

一方でロボット技術の進歩もめざましく、人間の血管に入るような超小型のマシンを使って、癌や動脈硬化の治療を行うことが実際に検討されているということです。また、人工皮膚も先端医療で実際に使われていますし、3次元プリンターを使って人工臓器を作る研究も行われています。

これらの技術が結びついて、精巧なアンドロイドを作ることができるようになるのは、それほど遠い未来ではないように思われます。

 

米国の発明家で、未来予想学者のレイ・カーツワイルという人は、自分の書いた本で『2045年問題』というテーマを取り上げています。

コンピュータ技術が現在のペースで進歩すると、2045年の時点で、地球の全人類の脳の情報処理能力よりも、地球上のコンピュータすべての処理能力のほうが大きくなるのだそうです。そして、おそらく大部分がネットワーク接続されているこの高性能のコンピュータ上に搭載された人工知能は、コンピュータ技術自体の進歩を、さらに加速させるように働くと考えられます。

そして、アンドロイドは、アンドロイド自体や他のコンピュータを作る、優秀な工作ロボットとしての役割を果たすと予想されています。

 

レイ・カーツワイルによれば、人工知能によって技術革新が爆発的に加速するこの時点は、いわゆる技術的特異点(technological singularity)になり、その後の社会がどのような姿に変わるのかがまったく予測できなくなるというのです。

アンドロイドに征服されて人類は滅亡すると予想する人もいるようですし、まったく反対に、人類にとってユートピア(理想郷)が実現すると考える人もいるようです。

とても恐ろしいようにも感じますし、何とかそこまで長生きして、実際に何が起こるかを見てみたいというワクワクとした感じもします。将来の世代のために、最悪の事態への備えが必要だという意見も、考えすぎだと済ませられることではないように思えます。

 

人工知能について考えると、私は、人間とは何だろうかと疑問を思い起こさずにはいられません。そして、まさに哲学の出番だとも感じます。

より具体的にいうと、唯物論という哲学が正しいのかどうかということが、このテーマに深く関連しています。

 

唯物論とは、この宇宙に実際に存在しているのは、物質の世界と物質の世界が心の中に作り出す感覚だけだと考える説です。

この説に沿って考えると、人間の意識とは、脳の中で起こっている電気や化学物質の動きこそが、その正体であることになります。

そうすると、人間とは、物理や化学の反応によって命が与えられている、細胞と呼ばれる単なる物質の集まりであるということになります。

 

このような電気や化学物質の動きと同等のことを、システムとしてコンピュータの回路の中で再現するのはそれほど難しくはありません。

ですから、唯物論哲学に沿って考えるならば、コンピュータ技術が進歩すれば、人工知能はいずれ意識と意志を持ち、人間のように自発的に行動したり、自体を進歩させたり、もしかしたら地球を征服することを望むようになるのではないかと推測するのも、馬鹿げたことではなくなります。

 

唯物論に対立する考え方に唯心論と呼ばれる説があります。唯心論では、この世界に独立して存在しているのは、物質よりもむしろ心であると考えます。

唯心論はどうもピンとこないという方が多いようですが、たとえば、次のように考えてみてください。

 

目の前にある椅子や机や、あるいは風景は、ほんとうに、あなたの外に存在しているのでしょうか。あなたの感覚器官に与えられた光の刺激によって、あなたの心の生じた変化なのではないでしょうか。

その光が発したと思われる物自体を知ることはできません。届いた光によって、自分の心の中に生じた変化を知ることができるだけです。もし手で触れることができたとしても、感じられるのはその物体から発している振動や反発力だけであり、その物自体を知ることはできません。どうしても物を知覚する場合には、感覚器官を用いるという間接的な方法を使わざるを得ないからです。

視覚でも触覚でも、その結果生じているのは、心の中の変化です。

 

こう考えると、私たちが知ることのできるのは自分の心の中のことだけであり、物質からなる外界が存在するということは、原理的に確認できない不確かなことに思えてこないでしょうか。

 

心の千変万化こそがこの世界の実体であり、物質の世界とは、人間がこの変化に与えた解釈であると考えるのは、それほど不合理なことではありません。物質の世界は実際には存在しないと考える人までいます。

多少極端ですが、これは唯心論の一種です。唯心論には、その他にもさまざまなタイプがあります。

 

唯物論と唯心論のどちらが正しいのかという疑問は、古代ギリシャ時代からありました。ですから、3,000年近くも人類が追究していて、いまだに解決されていない大問題だということができます。

 

バラ十字会の哲学では、人間のことを「身体」という物質と「心」という非物質の2つの要素からなると考えています。

そして、長くなるのでここで詳しくご説明することはできないのですが、この2つの要素を統一する原理がなければなりません。つまり、見方によって、物質ということができ、心ということもできる何かがなければ、体が心に影響を及ぼしたり、心が体を動かしたりすることができないように思われるのです。

 

いずれにせよ、人間が2つの要素からなるというこの考え方を採用すると、コンピュータがいくら発達したとしても、それは単なる物質であり、そこに非物質的な「心」が宿らない限り、人間のような意識や意志を持つことはないと言うことができます。

このように考えると、コンピュータが独自の意志を持って、人間を奴隷にしたり、絶滅させたりすることは、おそらく考えられないので少しは安心することができます。一方で、コンピュータが自発的に人間のことを幸せにしようと意図することもないため、やはり人間は、自分たちの力で、自分たちが幸せになる未来を創造しなければならないことになります。

 

今日ご紹介したのは、最先端技術が垣間見せてくれる近未来には、アンドロイドの出現のような、人間の本質を考えるよい機会になる、興味深いできごとが生じるという一例でした。

 

いかがでしょうか。少しでも興味深い点があったと感じていただけたなら、心から嬉しく思います。

ではまた

 

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