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善と悪について

2016年3月4日


 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

今シーズン最大の寒波も過ぎ去ったようです。多少気が早いとは思いますが、桜の開花が待ち遠しく感じます。

いかがお過ごしでしょうか。

 

先週はメルヘンのことを話題にしました。そして、初期のグリム童話が、残忍なシーンや不道徳のオンパレードで、それにもかかわらず、とても魅力的なことをご紹介しました。ドラマや映画でも、悪者がいかに際立っているかで、ストーリーの面白さが決まるような気がします。

(「メルヘンとシュタイナー」: http://www.amorc.jp/blog/?p=1044

 

一方、神秘学の視点から考えると、善と悪とはいったい何なのかを、以前にご紹介したことがあります。学校の道徳の時間よりは多少面白いと思いますので、ご興味のある方はお読みください。

(「学校の道徳の時間は退屈でしたか」: http://www.amorc.jp/blog/?p=164

 

下記は、バラ十字会のフランス本部代表のセルジュ・ツーサンが、善と悪について書いた文章です。日本語訳を以下にご紹介させていただきたいと思います。

 

▽ ▽ ▽

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサンのブログ

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

Serge Toussaint

 

記事「善と悪について」

数千年とまでは言えないでしょうが、長い歳月にわたってさまざまな宗教が、人間のどのような振る舞いが正しく、どのような振る舞いが正しくないのかということを、戒律という形で規定してきました。

そこには、道徳として完全に一致する部分もありますし(殺してはいけない、嘘を言ってはいけない、盗んではいけないなど)、教義によって違いが見られるものもあります。

たとえばキリスト教では、キリストが十字架にかけられたとされる金曜日には肉を食べることが間違いだとされている一方、ユダヤ教徒では安息日の土曜日に多くの仕事を行なうことが間違いだとされ、イスラム教の一部では、豚肉を食べるのが間違いだとされています。

ですから、“悪”とされている事柄は、ある宗教と他の宗教では異なり、全体的にあてはまる基準はありません。ですから、善と悪という事柄は、固定的な宗教的教義によって定められる性質のものではなく、倫理という分野に属すると考えられます。

 

倫理学とは、善と悪についての学問だとされていますが、「学問」という語は、この場合は行き過ぎた呼び方であるように私には思えます。というのも、何が善で何が悪かを、疑問の余地なく正確に定めることはできないからです。

とはいっても、基本的に望ましくない有害な行動がある一方、基本的に望ましい有益な行動があるということを否定することはできません。たとえば寛容、親切、愛は、人間の最良の性質であり、いわゆる“善”にあたります。反対に不寛容、敵意、憎しみは、いわゆる“悪”の例だと考えられるでしょう。

能のイラスト-善と悪の2面

 

これら2つのタイプの行ないの間に、何の違いもないと見なすのは異常なことです。そのような異常な主張をする人は、おそらくはこのことについて良く考えたことがないか、そうでなければ、何らかの理由で倫理観が失われた気の毒な状態にあるのでしょう。

 

バラ十字会の会員の大部分と同じように、私は善い行いと悪い行いというものがあると考えていますし、ほとんどの場合は、良心という心の働きを用いて、この2つの違いを判別することができると考えています。

小さな子供を見ているとわかりますが、子供は自分が“何か間違ったこと”をした場合には、直観的にそのことを知り、難なく理解することができます。何か悪いことをした場合には、内面的な不快を感じていることが子供の態度に表れますし、逆に何か善いことをした場合には、心に喜びを感じていることが、さまざまな形で表れます。

 

私の考えでは、人の行動において、基本的に何が善で何が悪なのかということに気づく子供の能力を育むことは、教育の大切な目標です。

残念なことに、多くの親がこの義務を果たすことに失敗しています。道徳心を育むことがどれほど重要かを理解していないことが失敗の理由である場合もありますし、親自身が、何を基準に教育をしたら良いかが分かっていない場合もあります。

他の人を尊敬すること、正直であること、親切であること、忍耐強くあること、寛容であることなど、最も基本的な道徳観(倫理観)が、現在の社会に欠けている主な理由は、子供の教育の失敗であるように思われます。

 

学校教育の目的が、子供を訓練することではなく導くことであるとすれば、特に小学校には、道徳的なセンスを目覚めさせることを目指す授業が設けられるべきです。

よく企画されたそのような授業が定期的に子供に提供されるならば、社会的な価値観を折々に伝えるよりも、子供の道徳観を向上させる優れた方法であり、その子が将来、指導者や尊敬される大人になるために役立ち、ひいては、社会の状況の改善に寄与することになります。

バラ十字会AMORCフランス本部代表
セルジュ・ツーサン

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。本稿はそのブログからの一記事。

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いかがでしたでしょうか。何が善で何が悪なのかということに気づく子供の能力は、思考というよりは、人に本来備わる直観だという個所を読んで、仏教の次の言葉を思い出しました。

諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教。

(諸々の悪を行なわず、諸々の善を行い、自ら自身の心を浄める、それが仏陀たちの教えのすべてである。)

 

今回は、ちょっと固くなりました。次は、あまり肩ひじの張らない話題をお伝えしたいと思います。

それでは、また。

 

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