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陰陽思想と一元論について

2016年11月4日


 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

東京板橋では、2日ほど秋晴れが続いています。昼間はちょうどよい陽気ですが、朝晩はめっきり寒くなりました。

そちらはいかがでしょうか。

 

さて、日常会話でなにげなく使われる、天気とか陽気という言葉ですが、そのおおもとは古代中国の陰陽思想にあります。

次の詩を読んだとき、あなたはどのようにお感じになるでしょうか。

 

「世界に美しいとされるものがあれば、その美しいものを通じて、醜いものが現れる。

世界に善であるとされるものがあれば、その善を通じて、悪が現れる。

存在と非存在は、互いに他を生じ、止むことがない。

難しいことも簡単なことも、互いに他を通じてなし遂げられる。

長いものと短いものは、互いに他を補っている。

高さと深さは、互いに寄り添って存在している。

音と静寂は、調和を作り出す。

以前と以後は互いに付き従う。

万物と無は同じ顔をしている。」

 

これは、紀元前6世紀の中国の伝説の哲学者、老子が書いたとされる『道徳経』の一節です。あらゆるものの根本には、正反対の2つの性質のものがあるという陰陽思想を表わしています。このことについては、以前にも一度、健康と病気に関するバラ十字会の考え方との関連で、ご紹介させていただいたことがあります。

参考記事:『陰陽とプラスマイナスについて

 

陰陽思想では、陰と陽とは正反対の性質を持った2つの気(エネルギー)であり、万物の変化は、この2つの気によって起こるとされます。また、この2つの気は、「太極」と呼ばれる宇宙の根源から生じたものだとされています。

Yin yang

太極図 by Gregory Maxwell [Public domain], via Wikimedia Commons

 

この陰陽思想が一例ですが、世界中の古代思想で、原初のただひとつの要素から、プラスとマイナスの性質を持つ正反対の2つのものが分かれ出たということが語られています。世界の根本原理を2つの要素だと見なすこれらの考え方は、二元論と呼ばれています。

ちなみにこの場合、プラスとマイナスという言葉は優劣をあらわしているのではありません。反対の性質を持ち、しかも互いを補い合っている関係にあることを示しています。このような関係は相補性(complementarity)と呼ばれています。

 

二元論の例としては次のようなものがあります。

古代イランの神話では、宇宙の第一原理であるズルヴァン神からアフラ=マズダという双子の神が生じ、そこから光と善を象徴するオズマルド神、闇と悪を象徴するアーリマン神が生じたとされています。

ヒンズー教では、宇宙の根本原理がブラフマーだとされ、戦いの神シヴァと平和の神ヴィシュヌは、ブラフマーが別の現れ方をしたものだと考えられています。

モーセ五書(トーラー)の最初の書である『創世記』では、神が創造の第一日目に、混沌から光と闇を分けたとされています。

日本神話では、男性原理を表わすイザナギと、女性原理を表わすイザナミの結婚によって国土が生じたとされています。

古代ローマのヤヌス神には2つの顔があり、過去と未来を見ているとされています。1月を表わす英単語の「January」の語源はこのヤヌス神です。1月は、去年と今年の間にある月だという意味だと思われます。

 

ギリシャの哲学者ピュタゴラスは、正反対の2つのものの組をダイアドと呼んでいました。左と右、男性と女性、物質的なものと抽象的なものなどです。また、数が宇宙の根本原理であるとし、2以上の数を奇数と偶数に分けて考えていました。興味深いことにピュタゴラスは、1のことを奇数かつ偶数であると考えていました。

 

二元論は、宇宙の創造や根本原理についての理論ですが、それよりも身近なところでも、ある何かが分かれて、正反対の2つの性質のものが生じる、あるいは逆に、正反対の性質の2つのものが結びついた結果として、第3の新しいものが生じるということが多くの場合に見られます。このことをバラ十字会では「三角形の法則」と呼んでいます。

 

たとえば、プラスの電気を帯びた原子核とマイナスの電気を帯びた電子が結びつくと原子が生じます。

子供は、男性と女性が結ばれた結果として生まれます。

電流は、電池や発電機のプラス極とマイナス極をつなぐと流れます。

ドイツの哲学者ヘーゲル(1770-1831)は、ある命題(テーゼ)とそれを否定する反対の命題(アンチテーゼ)が統合されると、その2つを含みつつ超越した、新しい命題(ジンテーゼ)ができるという弁証法を唱えました。

 

さて、先ほどの二元論の話に戻りますが、私たち人間が、最も身近に感じている2つの根本要素は、心と物ではないでしょうか。

つまり私たちは、自分の体の中には「心」と呼ばれる何かがあって、体の外には物体からできている外界があると常識的には考えています。

 

ところが仏教の唯識思想では、この考え方は間違いだと教えられています。

つまり、「識」(認識もしくは体験)が、ただ唯一この世に実在しているのであって、物と心という2つの要素は、凡夫(世界の真実を見ることがまだできない人たち)が、この「識」から考え出した妄想のような観念だとされています。

唯識思想は、法相宗という宗派で教えられています。興福寺と、薬師三尊像で有名な薬師寺が法相宗の本山です。

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薬師如来像(国宝) by Bigjap (Own work) [CC BY-SA 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons

 

薬師寺の元管主だった橋本凝胤(ぎょういん)長老(1897-1978)は、

「心内の影像を心外の実境と見るな」と述べています。

 

このように仏教の唯識思想では、物と心という2つのものがあるのではなくて、識というひとつのものが、2つに見えているだけだと考えています。

このような見方を一元論といいます。

 

バラ十字会の神秘学では、すべての生きものに共通する潜在意識があると考え、それを宇宙意識と呼んでいます。この考え方も一元論に似たところがあります。

そして、宇宙意識と同調することによって、主観と客観が分かれていない状態を体験する実習が、カリキュラムのさまざまな箇所で紹介されます。その目的は、宇宙意識との同調から得られる情報によって、より望ましい生き方を実現することです。

 

これは私の勝手な想像で、もしかしたら間違っているかもしれませんが、前回ご紹介した良寛禅師(1758-1831)の次の辞世の句も、二元論と一元論に関連しているように思われてならないのです。

「うらを見せ、おもてを見せて、ちるもみじ」

主観と客観が分かれていない状態を見てみませんかという、さりげないお誘いに感じるのです。

散るもみじ

 

今回の話は以上です。参考になる点が少しでもあったと感じていただけたなら、とても嬉しく思います。

ではまた。

 

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