投稿日: 2017/01/06
最終更新日: 2023/09/20

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

新年明けましておめでとうございます。

年末年始は、どのようにお過ごしでしたでしょうか。

さて、神秘学(mysticism:神秘主義)は、「自分探し」の旅だと言われることがあります。

ところがこの言葉には、微妙に誤解を受けやすいところがあり、説明が必要です。

通常「自分探し」というと、自分の個性として際立っていて、望ましいと自分が感じる部分を見つけ出して、その部分を磨くことによって、自身を成長させ、社会に貢献するというようなことを、多くの場合意味するのではないでしょうか。

このような行いは人生の輝かしい一面であり素晴しい取り組みですが、これから説明するように、神秘学でいうところの自分探しは、それとはやや異なる意味を持っています。

日常私たちは、「自分」とは何だと考えているでしょうか。まず体があって、背が高かったり低かったり、太っていたりやせていたり、肌の色が白かったり黒かったり黄色だったりします。また体には、暑さ寒さに強かったり、そうでなかったり、運動が得意だったり不得手だったりなど、多くの特徴があります。

私たちには喜怒哀楽などの感情もあります。そして、どのようなときにいずれの感情を感じるかという傾向があります。たとえば、ある人はお気に入りのジャズを聴いたときにはいつでも深い喜びを感じることでしょうが、他の人はロックに感動したり、音楽にはあまり心を動かされないけれども、森の中を歩きながら新鮮な空気を呼吸しているときの自然との一体感に深い喜びを感じるという人もいることでしょう。

また、感覚や体験よりも思考を好み、哲学的な思索や、数学などの研究に深い喜びを見いだす傾向を持つ人もいます。

森の中を歩く人

このような身体や感情、思考の特徴の組み合わせが、多くの場合、私たちが「自分」と呼んでいるものにあたるのではないでしょうか。

一方で神秘学では、身体や感情、思考に表れている特徴・傾向のことを「外的な自己」(outer self)と呼んでいます。エゴと呼ぶこともあります。そして、心の奥深くにある「内的な自己」(Inner Self)と区別して考えています。

私たちの心には、時々刻々と、さまざまなものが生じては消えていきます。外界のイメージ、記憶、想像、思考、そして、それに刺激されて生じる感情などです。川の流れのように次々と心に生じるこれらのものを、映画館でスクリーンに投影されている映画にたとえるとすると、私たちの心の奥深くにある内的な自己は、それらが映し出されているスクリーンのようなものだということができます。

生まれてから今までの自分は、常に同じ自分自身です。ですから自分自身とは、変化する外的な自己ではなく、変化しない内的な自己にあたると考えることができます。

しかし、通常私たちはこの2つの自己を区別することなく、漠然とどちらも全体として自分だと感じています。しかし、バラ十字会の神秘学や現代の心理学では、この2つの区別がとても重要だということが知られています。

なぜでしょうか。

説明が少し難しくなりますが、私たち人間の心には、自分自身と同一化しているものに支配されてしまい、自分自身とは別のものだと感じているものだけを、支配しコントロールすることができるという性質があるからです。

自分自身と同一化するとは、あるものと自分自身のことを心理的に同じものだと感じるということです。

具体的にはどのようなことでしょうか。

たとえば、2歳ぐらいの子供のことを思い浮かべてみましょう。通常この時期の子供は、体や体の感覚と自分自身を同一化しています。

そして、お腹が空けば、その状態から生じる不快さに支配され、反対に、おいしい物を食べたときには、そこから生じる快感に支配されます。

ですから、精神のこのような発達段階にある子供の喜びは、さまざまな生理的な快さと不快さに完全に左右されます。このぐらいの年の子供が食事をしているときには、食事をすることに完全にとらわれている様子を見てとることができます。

別の例を挙げましょう。AさんとBさんが会議で議論しているとしましょう。Aさんがある意見を言い、Bさんがその意見に反論したとします。議論なのですから、このようなことは当然あり得ることです。

ところが、もしAさんが自分自身と自分の意見を心理的に同じものだと見なして(同一化して)いると、Bさんの反論によって自分自身が傷つけられたと感じ、強い反発が生じて冷静な議論の妨げになることがあります。

Aさんは同一化が原因で、自分の意見への執着に支配されてしまっていると言うことができます。

人は精神的な発達を遂げるにつれて、体の状態や思考や感情と自分自身を区別(脱同一化)できるようになり、それとともに、生理的な快さと不快さ、欲望や感情などをコントロールできるようになり、意志の自由を発揮することができるようになります。

イタリア人の心理学者ロベルト・アサジョーリは、脱同一化というこの原理を用いて、自由と意志の力を育むためのテクニックを作りました。

まず、ひとりきりになれる静かな場所に行きます。そしてリラックスをして、次のように心の中で、あるいは声に出して唱えます。

「わたしにはからだがあるが、わたしはからだそのものではない。わたしのからだは健康や病気のいろいろな状態にあるかもしれない、くつろいでいるかも疲れているかもしれない。しかし、それは、わたしの自己、わたしのほんとうの『わたし』をどうすることもできない。わたしのからだは、外の世界での経験と行動の大切な道具であるが、しかし単なる道具だ。わたしは、それを大切に扱う。それを健康に保つように努力する。しかし、それはわたし自身ではない。わたしには、からだがある。しかし、わたしはからだそのものではない。」(『トランスパーソナル心理学』、岡野守也、青土社、P126-127)

同じように、自分の感情や欲望についても、「わたし」ではないという脱同一化を行なうことができます。実際に試していただけると、このテクニック特有のすがすがしさと、なんともいえない自由が感じられることと思います。

このような練習を繰り返すことで、私たちは「内的な自己」を明確にして、自身の自由と意志の力を強めていくことができます。

以前に話題にしたことがありますが、生まれたときに始まる個人の意識のレベルの発達は、歴史上での人類の意識のレベルの発達段階を繰り返すように進んでいくことが知られています。

そして、アメリカの心理学者ケン・ウィルバーによれば、現代では成人の多くが次の2つの段階のいずれかにあります。

Level 4:神話的伝統主義(Mythic Tradition)

Level 5:理性的現代(Rational Modern)

参考記事:「人類と子供の心の進歩の段階

このうちの神話的伝統主義の段階にある人は、自分の属する集団、民族、神話、伝統などに自分自身を同一化する傾向があります。そのため、自分の属する集団とは異なる慣習を持つ人たちの行ないが、たとえ利害関係がなくても自分たちを否定しているように感じ、過激な対立が生じてしまうことがあります。

また、理性的現代の段階にある人は、自分の優れた点、自分の達成したことなどと自分自身を同一化していることが多いといわれています。このような人たちには、競争に勝つことへの執着に支配されて、競争に負けた人や、そもそも競争に参加していない人たち(や動物たち)への共感や思いやりを欠くことが見受けられます。

これらの同一化は多くの人の行動に影響を与え、大きくいえばそこから、宗教原理主義、過度の個人主義、環境破壊、先進国と途上国の格差などの現代の深刻な問題が生じています。

大部分の人が、世界の現状を憂いていますが、それを変えるために何をしたら良いかは、簡単に分かることではないように思えます。

しかし、「世界に変化を望むのであれば、自身がその変化になりなさい」というマハトマ・ガンジーの素晴しいアドバイスがあり、私たちはそれに従うことができます。

マハトマ・ガンジー
マハトマ・ガンジー

そのためには、自分が何かと自己を同一視していると感じたら、先ほどのような脱同一化を試してみてください。

たとえば、「わたしには**についての知識があるが、わたしはわたしの知識ではない」、「わたしには**をよく理解する能力があるが、わたしはわたしの知性ではない」、「わたしは**の社員であり(**の家族であり)、その人間関係、利害関係、しきたりの中で生きているが、そのような所属やしきたりは、わたしの自己、わたしのほんとうの『わたし』をどうすることもできない」と心の中で唱えるか、実際に口に出して、この言葉の意味と、そこから生じてくる感覚を味わいます。

このようにすることは、会社や家庭への愛や、他の人たちに対する誠実さを捨てることを意味しているのではありません。単に、それらと自分自身が異なるものだということをはっきりさせることを意味します。

そしてそれによって、会社や家庭やその人間関係に振り回されるのではなく、それらと主体的にかかわり、状況に重大な変化が生じた場合にも、冷静に望ましい対処ができるようになります。

バラ十字会の神秘学でも心理学でも共通して教えられていることですが、すべての人の心は、奥底でつながっています。ですから、外面的な自己(エゴ)から自由になるという変化は、他のすべての人に微妙な影響を与え、ひいては、徐々に世界を変化させることに役立ちます。

さて、疑問がひとつ残っているように思います。このようにさまざまな脱同一化を進めていったとき、最後に残る「わたし」は、いったい何なのでしょうか。じっくりと調べてみてください。ここには、神秘学の核心ともいうことができる真の冒険があります。

インドの音楽家ハズラト・イナーヤト・ハーン(1882-1927)は次の言葉を残しています。

「とうとう、あなたを見つけた。私の心の殻の中に、ひとつぶの真珠のように隠れているあなたを。」

今回は話題がやや大きくなりました。それでは、この辺で。

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

ではまた。

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