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『芋粥』-文芸作品を神秘学的に読み解く3

2017年3月3日


 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

今日はひな祭りですね。ちらし寿司と白酒のとりあわせ、色が華やかで、考えただけで気分が上がります。

いかがお過ごしでしょうか。

 

当会の公認インストラクターの森和久さんから、芥川龍之介の『芋粥』についての文章をお寄せいただきましたので、ご紹介させていただきます。

 

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文芸作品を神秘学的に読み解く(3) 『芋粥』

森和久のポートレート

森 和久

 

今回は、取り上げてほしいとリクエストのあった『芋粥』についてです。芥川龍之介が『今昔物語集』より材をとり、大正5年に発表した短編小説です。

物語の時代は平安。主人公はどんな人物かというと、摂政藤原基経に仕える某五位(ここでは貴族の最下層位階)。風采がはなはだ上がらない男。だらしない外貌。周囲の人たちからはハエほどの注意も払われない男。5~6年前に離縁。誰からも軽蔑されています。

望みは芋粥をあきれるほど飲んでみたい。こういう人です。

Akutagawa.ryunosuke

芥川龍之介の肖像 By Yokohama045 (Own work) [CC BY-SA 4.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)], via Wikimedia Commons

 

あるとき、無位の利仁という同僚に、あきれるほど芋粥をご馳走しようと言われ受け入れます。すぐ近くと思っていたら行程2日かけて敦賀まで連れていかれます。着いた村では2~3千本の山芋が集められ、芋粥を作ろうとしています。

 

それを見た五位は、まったく食欲がなくなります。朝食に山のように出された芋粥をいやいやながらどうにか一杯飲み干します。しかし、利仁と利仁の義父は、さかんにもっと飲めとはやし立ててきます。だが五位にはもう一口も芋粥を飲み込むことはできません。

彼は芋粥を飽きるほど飲みたいという欲望を忠実に守っていたころの幸福な自分を懐かしく思い出すのでした。

 

さて、バラ十字会の通信講座では、望んでいる状況を現実化するための「視覚化」というテクニックを学びます。この方法で最も重要なのは、「最終状態を明確に思い描く」ということです。「お金がほしい」とか「外国語をペラペラ話したい」、「幸せになりたい」と想像するのでは、うまくいかないということです。

心の底から本当に必要とする最終形を望まなくてはならないのです。そうしないと、望んでいることが永久にかなわなかったり、望んでいないことがかなったりしてしまいます。

平安貴族 牛車

 

『芋粥』の主人公某五位は、立身出世の象徴として芋粥を飽きるほど飲みたいと願っていました。本来なら、偉い地位に就き人々に尊敬されている自分を明確にイメージすべきだったのでしょうが、彼は、そうなるつもりも努力する気構えもなかったのです。

ですから偉い人の盛大な御膳につきものの「芋粥」をあきれるほど飲みたいと公言していたのでした。言ってみれば歪んだ願望です。しかし、その願望がかなってしまい、見果てぬ夢を見ていることで幸福を感じていることももう終わりを告げました。今はもう、そんな昔を懐かしむだけです。

 

私たちに必要なことは、まず自分でやれるだけのことをやることです。その上で、どうしても手助けが必要になったら、視覚化の方法などを用いて、宇宙に応援を求めることができます。安定を求めるあまり、新たな世界を切り開くことをあきらめてはいませんか。

「しょうがない」、「これでいいのだ」、「まだましだ」と言って、この五位のように現状に甘んじているのでは、自分の可能性を埋もれさせてしまうことになりかねません。さあ、一歩踏み出しましょう!

 

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芥川龍之介! ひさしぶりに耳にした名前です。恐ろしい作品や奇っ怪な作品の数々を、昔、夢中になって読んだ覚えがあります。映画『三丁目の夕日』に出ていた、駄菓子屋さんの茶川竜之介も懐かしく思い出しました。

それでは、またお付き合いください。

 

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