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『赤毛のアン』-文芸作品を神秘学的に読み解く4

2017年4月28日


 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

 

東京板橋では、ツツジの花が見頃になりました。

そちらの季節の進み具合は、いかがでしょうか。

 

先日、朝のテレビ番組で、『赤毛のアン』が30年ぶりに映画化されたことが紹介されていました。原作の著者L・M・モンゴメリさんのお孫さんのケイト・マクドナルド・バトラーさんが映画の制作総指揮で、日本語字幕版は5月6日から全国でロードショーが始まるそうです。

 

この機会に、当会の公認インストラクターの森和久さんから、原作『赤毛のアン』についての文章をお寄せいただきました。

 

▽ ▽ ▽

文芸作品を神秘学的に読み解く(4)

『赤毛のアン』(Anne of Green Gables:グリーン・ゲイブルズのアン)

ルーシー・モード・モンゴメリ著

森和久のポートレート

森 和久

 

孤児院から手違いで貰われて来た11歳の女の子アン・シャーリーの物語です。『赤毛のアン』という邦題が一般化していますが、原題の『グリーン・ゲイブルズ』(緑の切妻屋根)とは、アンが貰われてきた家の屋号です(もちろんちゃんと緑の切妻屋根になっています)。

グリーン・ゲイブルズに住むのは2人とも未婚の老兄妹マシューとマリラ・カスバートです。周りには「輝く湖水」や「歓喜の白い道」とアンが名付けた場所のある、豊かな自然に囲まれたプリンス・エドワード島のアボンリー村です。

 

作者のモンゴメリは名前にもこだわっています。「マシュー」はイエスの12使徒のひとりマタイ。嫌われ者の徴税人であったそれまでの自分を捨て、イエスの弟子として人生をやり直したとされる人です。「マリラ」は聖母マリアの変形。「アン」は聖母マリアの母、そしてシェイクスピアの妻と妹の名(作中アンがこだわっている最後に「e」の付くアン)です。

LMM signed photo

ルーシー・モード・モンゴメリ(1935年) See page for author [Public domain], via Wikimedia Commons

 

女の子では農作業ができないからと、マリラはアンを孤児院に戻して男の子と取り替えるつもりでした。しかし、アンは持ち前の明るさと何ごとにも前向きな姿勢で、マシューとマリラに受け入れられ引き取られることになります。さらには村中の人々に温かく迎えられるようになります。

 

貰われてきたばかりの頃は、お姫様になるとか悲劇のヒロインになるという空想にふけるアンでしたが、負けず嫌いな性格も手伝ってライバルを打ち負かそうと勉学に励み認められ、教員の資格も大学の奨学金も獲得します。

この物語は少女アンの成長の話であり、内向的だった老齢のマシューとマリラの内面的な成長の話でもあります。ですからもともと児童文学作品ではありません。しっかりと大人向けに書かれたものです。

 

この作品の冒頭に一片の詩が置かれています。

 

あなたは良き星々が天空で巡り会うもとに生まれ、

スピリットと火と露より造られた

The good stars met in your horoscope,

Made you of spirit, fire and dew.

 

これはロバート・ブラウニングの『エヴリン・ホープ』からの引用です。この一片の詩からアンという少女の気質が読者に示されているわけです。そして神秘学を学んでいる人たちには、秘伝哲学の香りがアロマのように立ち上るのがわかります。

 

Robert Browning by Herbert Rose Barraud c1888

ロバート・ブラウニング(1888年ごろ) By Herbert Rose Barraud (1845 – ca.1896) (Bonhams) [Public domain], via Wikimedia Commons

 

これ以外にも作品中には、旧約・新約聖書、ウィリアム・シェイクスピア、マザーグース、チャールズ・ディケンズ、ジョン・キーツ、ジョージ・ゴードン・バイロン、ウィリアム・ワーズワースなどからの引用がたくさん散りばめられています。まるで輝く星々のように。

 

マリラがどういう人間かというと、「背が高く痩せこけており、ごつごつして、見るからに見聞の狭い頑固者で、何年も笑ったことなどない堅物だった」。

マシューの方も、「体つきは不格好で、白髪交じりの鉄っぽい髪を猫背の肩にかかるほど長くして、褐色のあごひげを伸ばし風変わりな容貌をしている。また女性を恐れ、影で笑いものにされていると思い込んで、妹と隣のリンド夫人以外とは一切口をきけない、内気な老人」という具合です。

まるで前回の『芋粥』の主人公「五位」のような男なのです。しかしこのマシューと芋粥の五位との違いは、マシューにはアンという子供を受け入れる前向きさが備わっていたということです。

参考記事:「『芋粥』-文芸作品を神秘学的に読み解く3

 

アンと暮らすことで心豊かに生きたマシューですが、死は突然に、とても無残に訪れます。彼の死に心を痛める間もなく、私たち読者は、マリラとアンと、そしてグリーン・ゲイブルズの危機を突き付けられます。

もしかしたら未読の方もいらっしゃるでしょうから、詳しくは述べないことにしますが、物語の終盤、ついには『グリーン・ゲイブルズのアン』という原題の意味を読者は噛み締めることになるのです。

 

一年では春、一日では朝、

朝では七時、丘の斜面に真珠の露が降り、

ひばりが空に舞い、かたつむりは、サンザシの枝に這い、

神は天に有りて、この世はすべて良し

The year’s at the spring. And day’s at the morn;

Morning’s at seven; The hill-side’s dew-pearled;

The lark’s on the wing; The snail’s on the thorn:

God’s in his heaven, All’s right with the world!

 

これもロバート・ブラウニングの詩で、『ピッパが通る』の「春の朝」からの引用です。最後の一節、「神は天に有りて、この世はすべて良し」が、この物語の最後に、アンによってそっと囁かれます。

天(宇宙)にある〈絶対なるもの〉が、生きとし生けるものを守り、うまく取りはからってくださるという信頼と未来への希望に満ちて、『グリーン・ゲイブルズのアン』は幕を閉じます。

 

どちらにも「露」を用いたブラウニングの詩で始まり、終わるこの物語は、終わりは始まりにつながっていくこと(生まれ変わり)をモチーフにし、その中で人間は学び進歩していくということを伝えています。そしてすべては変化していくのです。

 

「グリーン・ゲイブルズのアン」は15種以上の翻訳本が日本で発行されています。どれを読んだらいいか、迷ってしまうかもしれません。語調や訳語の好みもありますでしょう。

 

その中でも最も代表的なのは、この作品を日本に紹介した村岡花子氏の訳です。先駆者としての功績には計り知れないものがありますが、この版には、いくつかの問題点もあります。

まず、抄訳であることです。読みやすさを重要視したのかもしれません。特に終盤、マリラがアンに告白する重要な場面がそっくり抜け落ちています。また、冒頭に前記のブラウニングの詩が載っていません(他にもこの詩を載せていない翻訳本がいくつもあります)。

 

なお、村岡花子氏の孫の村岡美枝氏が改訂した2008年版からは、マリラの告白部分も訳出されていますし、冒頭にブラウニングの詩も載っています。

もう一つ付け加えておくと、村岡花子氏は1952年の新潮社初版のあとがきでも1954年版のあとがきでも、愛情をこめてこの作品を「グリーン・ゲイブルズのアン」と呼んでいます。

 

まだ読んでいない人はもちろん、若い頃に読んだことのある人は再び、今度はマシューやマリラの視点で読んでみてはいかがでしょうか。

 

△ △ △

 

いかがでしたでしょうか。私は、ブラウニングの詩の神秘的な香りに惹かれました。

ちょっと調べてみたのですが、ブラウニングの『ピッパが通る』は、さきほどの明るい雰囲気の詩からは想像もつかないような、壮絶なストーリーです。

愛人と共謀して夫を殺した女性が、この劇には登場するのですが、この2人の前を通り過ぎるときに、ピッパという少女が、まったく事情を知らずに屈託なくこの詩を歌い、その歌声に心を動かされて、その男は罪を悔やむことになります。

 

人を含め、生きとし生けるものの存在は限りなく尊く、どのような行いをしたとしてもそれは変わらないという意味が、この詩の最後の一節には込められているように感じます。

欲望と謀略に満ちた世界で、子供の口から真実が語られるというのは、古代のさまざまな伝承で取り上げられているモチーフで、神秘学とも深く関わっています。

 

では、今回はこの辺で。

ゴールデンウィーク明けに、またお付き合いください。

 

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