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親切とお人好しについて

2017年11月10日


 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

立冬も過ぎましたね。東京板橋では、もう何回目かの木枯らしが吹いています。夕方帰宅するときに耳が冷たく感じます。

 

そちらはいかがでしょうか。

 

もう4、5年前の冬のことです。バラ十字会の事務所から帰宅しようとしているときに、道端の暗がりに倒れている男の人がいたのです。泥酔しているようなので、関わりにならずに、そそくさと通り過ぎようとしたのです。

 

そのとき、地元の商店街でカレーの店を開いている、おそらくインドから来ている方が通りかかったのです。そして、怪訝な目を私に向けました。彼が実際に何を思ったのかはわかりませんが、私には、同国人をなぜ助けないのかと問いかけているように思えました。急に恥ずかしくなった私は、その男性のところに戻りました。

話しかけたのですが、彼は受け答えができず、危険なほど酔っていることがわかったので、警察を呼んで保護してもらいました。

 

言い訳ではありませんが、日本、特に東京のような都市部では、最近、私だけでなく多くの人が、できるだけ他人との面倒な関わり合いを避けたいという思いが強くなっているように思います。

この傾向は日本だけではないようです。バラ十字会AMORCのフランス代表が、自身のブログにこのことについての記事を書いていますので、今日は、その翻訳をご紹介させていただきたいと思います。

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バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサンのブログ

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

Serge Toussaint

記事「親切について」

 

私の考えでは、親切であるということは、謙虚であること、寛大であること、忍耐強くあることと同じように、人間の大切な長所です。しかし残念なことに、最近の社会全体には、親切であることが、欠点とまでは言えないまでも、少なくともその人の弱点であると考える傾向が見られます。

親切が、お人好しであることだと考えられたり、ひどい場合には、愚かであることと同じだと考えられたりしているからでしょう。多くの人が、親切であることを疑いの目とは言わないまでも、変わっているとさえ思うようになってしまいました。

このような傾向は、ここ数十年の間に、人と人との関係が“冷たく”なってしまったことの反映であるように思われます。

 

親切とは何でしょうか。おおまかにいえば、他の人との関係において、うわべからでなく心の底から、優しく思いやりを持って行動することでしょう。さらにいえば親切とは、他の人の状況に気を配って、必要があれば助けを送ることでしょう。

つまり、他の人たちに対して無関心にならず注目を払うことが親切には必要とされます。ですから、まさに親切という人の資質には、社会を心地よく楽しいものにする働きがあります。

想像してみていただきたいのです。あらゆる人が互いに親切であるだけで、世界はどれほど変わることでしょうか。

バスに乗る高齢の女性を助ける、親切な小学生の女の子

 

年々、社会が不安定になり、個人主義が勢いを増しているため、親切には疑いの目さえ向けられるようになっています。

誰かの親切によって何らかの利益を得た人は、そのことに好ましい感情を持ち、その価値を評価する一方、親切に対して、敵意とは言わないまでも猜疑心を抱き、気を許さない人が増えています。親切に出会うと、何か“疑わしいこと”が背後に隠されているのではないかと思い不審に感じる人が多いのです。

そしてその人のことを、単なるお人好しでないのであれば偽善者であろうと考えたり、背後に何らかの利害関係があるのではないかと疑ったりします。

 

「お人好し」ということについていえば、私はこのことを、知的な能力が劣っていることの表れだとは考えません。多くの場合、お人好しだと言われる人は、他の人の欠点をあえて見ないように、他の人をあえて疑わないようにしているのです。

お人好しだと他の人から言われるような人は、おおむね自信に溢れており、本来世話好きであり、これらのことは好ましいことです。

その結果、このような人たちは、親しい人だけに対してではなく、誰に対しても親切である傾向があり、良き隣人、良き同僚、良き友人になります。バラ十字会員の多くが、まさにこのような人になろうと日々努力をしています。

女性の2人連れに道を教える若い親切な男性

 

もちろん、親切であるということは、何でも受け入れ、あらゆることを我慢することを意味しているのではありません。受け入れるべきではなく、耐えるべきではない行為というものが存在するからです。このことは特に、人の誠実さや威厳を踏みにじるような行為にあてはまります。

親切ということは、「右の頬を殴られたら、左の頬を差し出す」ことではなく、何らかの人間関係が強制されることでもなく、反対に、暴力に暴力で応じることでもありません。

親切であるということが社会で再び高く評価され、人間関係の基礎になったとしたら、どれほど素晴らしいことでしょうか。

 

バラ十字会AMORCフランス本部代表
セルジュ・ツーサン

 

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

本稿はそのブログからの一記事。

 

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ふたたび、本庄です。この記事を読んでいて思ったのですが、多くの人が親切に対して猜疑心を持つようになったのは、親切心につけこむような詐欺が増えたせいもあるように思います。

 

このような人たちは、その方法でお金を得たとしても、決して幸せにはならないということに、どうして気づかないのでしょうか。

悲しいことです。

 

カルマの法則について教えている学校はないようなので、当会が頑張らなければなりません。

 

参考記事:『カルマの法則とは』(こちらもセルジュ・ツーサンの記事です)

 

参考記事:『生まれ変わりにおけるカルマの働き

 

最後は少し暗い話題になりました。今日はこの辺で。

また、お付き合いください。

 

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