公式ブログ

青い鳥-文芸作品を神秘学的に読み解く8

2017年12月8日


 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

寒くなりましたね。朝、自転車のハンドルを握る手が、かじかみます。

 

いかがお過ごしでしょうか。

 

早いもので、クリスマスまであと2週間ほどです。

 

札幌で当会の公認インストラクターをされている、私の友人から、この時期にふさわしい文章をお寄せいただいたので、ご紹介させていただきます。

 

▽ ▽ ▽

 

文芸作品を神秘学的に読み解く(8)

『青い鳥』(L’Oiseau bleu)

モーリス・メーテルリンク

 

森和久のポートレート

森 和久

 

「幸せ」と言えば「青い鳥」が引き合いに出されるように世界的に有名な戯曲作品です。「幸せの象徴である青い鳥を探しに行きますが、実は自分の部屋に元々あったんだ」というたとえとして語られたりします。

 

では、物語の内容を見てみましょう。主人公は貧しいきこりを父に持つ子どもたちで、兄のチルチル(Tyltyl)と妹のミチル(Mytyl)です。

クリスマスの夜(※1)に突然部屋にやってきた仙女(魔法使い)ベリリュネに「青い鳥を探している」と言われます。娘のために必要だと言うのです。チルチルの飼っている鳥を見て「全然青くないからこの鳥ではだめ」と仙女に言われ、彼女の頼みで二人は、幸せを求める娘のために青い鳥を探しに行くことになります。

 

その時にダイヤモンドの付いた緑の帽子をもらいます。これを使うと普段は見えなかったものが見えるようになるというものです。たとえばパンの魂、ワインの魂、砂糖の魂…すべての魂が見えるようになります。さらにダイヤモンドを回すと過去にも未来にも行けます。

こうしてチルチルとミチルは、光、犬、猫、火、水、パン、ミルク、砂糖を連れて旅に出ます。ただし、お供をするものは皆、旅が終わったら死んでしまいます。

 

Maurice Maeterlinck 2

モーリス・メーテルリンク (See page for author [Public domain], via Wikimedia Commons)

 

一行が訪れるのは、次の7つの世界です。『思い出の国』、『夜の宮殿』と『森』、『幸せの宮殿』、『墓地』と『未来の王国』、そして7番目に『チルチルとミチルの元の部屋』。出かけてから戻ってくるまで丸1年かかりました。

でも、元の部屋は出かけた時よりもずっと新鮮で幸せそうに見えるのでした。いくつかの世界では青い鳥を見つけられたのですが、色が変わったり、死んでしまったり、逃げられたりしてしまいます。しかし、チルチルとミチルはしっかりと知恵と知識を身につけていました。そして、すべてものが大切で愛おしいものに感じられるようになりました。

 

翌朝(現実世界では一夜の出来事なのです)、仙女ベリリュネに似た隣のベルランゴおばさんがやってきます。そして「病気の娘がチルチルの飼っている鳥をどうしても欲しがっているの」と語ります。

チルチルは自分の鳥が以前に比べて、ちょっと青く変わっているのに気づきます。旅の途中で見た真っ青な鳥ほどではないのですが、確かに青い鳥になっています。チルチルは躊躇なく、その鳥を隣のおばさんに渡します。

その日しばらくして、隣のベルランゴおばさんと、その娘である可愛い女の子が、青い鳥を抱いてやってきます。娘はすっかり元気になっていました。この娘は、チルチルが一緒に旅をした「光」にそっくりです。

 

鳥の頭をなでながらチルチルは言います「このくらい青ければ良いかな?」

娘は答えます「十分よ。嬉しいわ」

チルチル「僕はもっと青いのを見たんだ、でも真っ青なのは掴まえられなかったんだ」

娘「大丈夫よ。この鳥はとても綺麗だわ」

 

そして、チルチルが餌の与え方を教えてあげようとした時、娘は本能的に渡すまいとしてしまい、二人がためらっている隙に青い鳥は飛び去ってしまいます。

娘が悲嘆に泣き崩れると、チルチルは言葉をかけます、「大丈夫だよ、泣かないで。僕がまた掴まえてあげるよ」と。

そして観客に向かって語りかけます、「どなたかあの鳥を見つけたら僕たちに返してください。今後僕らが幸せになるためには、あの鳥が必要なんです…」。そして幕が下ります。

木の枝に止まっている青い鳥のイラスト

 

そうです、何もしなくても自分の元に幸せがあったわけではありません。6つの世界を巡り、多くの出会いや別れを経験し、7つめに元の部屋に戻ってきたことでこの兄妹は内面的に成長し、鳥を少しだけ青くすることができたのです。その鳥を隣の娘にあげることで、娘は健康を取り戻し幸せになりました。

飛び去った青い鳥があなたの元へ舞い降りるかもしれません。そうしてあなたが幸せになったら、このチルチルと隣の娘のようにさらなる幸せを求める誰かに渡してあげてください。

 

『幸福論』で有名なアランは述べています、「『幸せ』というものはあるものではない。あるのは『幸せ』であろうとする意志である」。つまり、『幸せ』とは帰着するゴール(目標)ではなく、それを求める行為、求め続ける行動です。

『幸せ』の基準というものが存在しているわけではなく、大切なのは、そうあろうとする自分自身です。

 

さて、この作品を象徴劇として見たとき、一種の入門儀式と読み取ることができます。何らかの入門儀式を経験なさったことのある方は、以前読んだにしても、この作品をもう一度手に取ってみてください。より深い感銘を呼び起こすことでしょう。

 

この作品は、日本ではもっぱら子供向けとされており、多くの翻訳が抄訳であったり意訳だったりしています。今回、何種類か確認してみましたが、「これだ」というものには出会えませんでした。そこで、フランス語原文と英語訳のサイトをお知らせしておきます。

 

フランス語版 http://www.gutenberg.org/files/38849/38849-h/38849-h.htm

英語版 http://www.gutenberg.org/ebooks/8606

 

※1 本来、クリスマスは12月24日の夕方(日没)に始まり、25日の夕方(日没)に終わります。ですからこの物語はクリスマスの一日の間に起こった出来事です。

 

△ △ △

 

ふたたび本庄です。「入門儀式」という言葉が出てきました。ちょっと耳慣れない言葉かもしれませんので補足します。

 

入門儀式は人類学の用語で、ある段階から次の段階へと進むということを象徴する式典です。通過儀礼と呼ばれることもあり、古代文化では特に、世界中で盛んに行われていました。日本でも、七五三、入学式、成人式、還暦祝いなどに、その名残がみられます。

 

西洋の古代の神秘学派は、この慣習に新たな内容を付け加えました。集団に加わって学ぶことを望んでいる人がいると、儀式に参加させて、誠実さや動機の純粋さを確かめる試験を行ない、それに合格した人だけを受け入れました。

加わったメンバーは、この式典によって学ぶことへの決意を新たにすることができました。

 

では、今日はこのあたりで。

 

追伸:メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」に、こちらから登録すると、このブログに掲載される記事を、無料で定期購読することができます(いつでも配信解除できます)。

参考記事(前回の寄稿):

怒りの葡萄 -文芸作品を神秘学的に読み解く7

 


このページのTOPへ