公式ブログ

花という象徴

2017年9月1日

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

東京板橋では、朝晩がとても過ごしやすくなりました。

いかがお過ごしでしょうか。

 

さて、イースター島にある巨石の遺物や、ストーンヘンジ、日本でいえば、縄文時代の火焔土器、土偶などを見て、次のようにお感じになったことはないでしょうか。このような太古の時代の人たちの世界のとらえ方は、現代の私たちとは、とても異なっていたのではないだろうか。

ストーンヘンジ

ストーンヘンジ

 

ミルチャ・エリアーデというルーマニアの民俗学者の説によれば、現代人は、観念を操作して理性によって世界を理解しているのに対して、太古の時代の人たちは、イメージ(ものの具体的な姿)とその象徴的意味を用いて、世界をとらえていました。

 

やや分かりにくいでしょうか。ご説明のために夢を例にとります。

とても意味深長に感じられる夢を見た経験が、あなたにも、おありではないでしょうか。何か、とても奇妙な事物が登場した夢です。

 

たとえば、私が以前に見た夢では、黄金に輝くホルンを演奏する3匹の不気味なタヌキが、暗い道端に並んでいました。酒瓶をぶら下げた例の置物のような色と姿をしたタヌキなのですが、生きているし、輝くホルンを抱えているのです。

こう書くとユーモラスに思えてしまうかもしれませんが、歩いている道は暗くすさんだ感じで、恐ろしい夢でした。目が覚めたとき、このタヌキはどのような象徴的な意味を帯びているのだろうと、とてもいぶかしく思いました。

 

これは単なるつまらない一例ですが、おそらくこの夢と同じように、古代人が周囲の世界に見たあらゆる事物は、現実の事物でありながら同時に象徴であり、古代人の心の中は、象徴の意味に満ち満ちていたのだと思われます。

そのため、現代に生きる私たちにも、夢を見ているときなどに、先祖返りのように古代人の心の働き方が再現されることがあるのでしょう。

 

スイスの心理学者カール・ユングは、このような象徴の多くが、地域や文化にかかわらず、人類全体で共通していることを発見し、普遍的無意識という考え方を提唱しました。

つまり、すべての人に共通する潜在意識があり、この潜在意識は、人類の長い歳月の体験の積み重ねによって作り上げられて、世代を通じて伝え続けられていると考えたわけです。

 

話がやや難しくなりましたが、要するに、人類の歴史では観念や理性によってものごとをとらえるようになる以前は、イメージ(物や生物の具体的な姿)や象徴によって世界を理解してきたわけです。

そのため、私たち現代人でも、心の奥深くはいまだに、言葉や論理よりも、イメージや象徴によく反応します。

 

ちなみに、バラ十字会が提供している神秘学の通信講座では、イメージや象徴を用いるさまざまな実習が紹介されます。それは、直感などの心の奥深くの働きを刺激するためです。

現代人の多くは、心の奥深くの部分があまりうまく働いておらず、それが、人生という貴重な機会を生き生きと体験する妨げになっています。

 

縄文文化を深く研究したドイツの民族学者ネリー・ナウマンによれば、古代人にとって極めて重要だった象徴のいくつかは、死と再生を表しています。

現代人と同じように、古代の人たちにとっても死への恐れは切実な問題だったことでしょう。

彼女は世界中の遺跡、遺物を研究した結果、古代の人たちは、死と再生を表す象徴を崇拝することでこの恐れから逃れようとし、それが原始宗教の発生につながったと考えています。

このような象徴の代表的なものに、月、ヘビ、カエルがあります。月は満ち欠けをし、ヘビとカエルは脱皮をするので死と再生の象徴になりました。

日本の縄文時代の遺物には、直接間接に、この3つを表したものが多く含まれることが知られています。

 

月、ヘビ、カエルという3つの象徴に付きまとうのは、暗い夜のような印象でしょうか。一方で、死と再生を表しているけれども、昼の明るい印象を持つ象徴もあります。

その代表例は花です。世界各地で古代の人々は、花に象徴としての意味を与えてきました。以下にそのうちの3つをご紹介したいと思います。

 

1.ハス

桃色のハスの花

 

私は見たことがありませんが、ハスの花は日の出とともに開き、日没とともに閉じるのだそうです。そのため古代エジプトでは、ハスが太陽を象徴するようになりました。「昇る太陽」すなわち復活のシンボルであるホルス神が、ハスの花の中から生まれ出てくる図案を、古代エジプトの遺物の多くに見ることができます。

エジプトは、古くはナイル川の上流と下流で別々の国でした。そのうちの上エジプトの象徴がハスで、下エジプトの象徴はパピルス草でした。この2つの国が統一されると、この2つの植物が組み合わされた図案を統治者が用いるようになりました。

 

ハスは汚い泥と汚水の中から出ていても、影響されることなく、水面上に汚れなく清らかな花を咲かせることから、インドでは原初の混沌の暗闇から創造された秩序ある宇宙を表しています。

 

古代インドの「ブラーフマナ」という書物には、創造者とともに、宇宙を象徴するハスが、この世に最初に現れたとされています。

その影響だと思われますが、インドでも日本でも仏陀の像の多くは、ハスの台座の上に立ったり座ったりしている姿で表されています。

 

2.ユリ

ユリの花

 

ヘブライのカバラの書『ゾーハル』(光輝の書)には、ユリの花を取り巻いている13枚の葉が、神の持つ13の性質にあたると書かれています。

ヘレニズム時代のエジプトのある文献には、「私は〈光〉のユリから生まれた純粋なユリである。私は啓示の源であり、永遠の美へと通じる生命である」と書かれています。

ギリシャ神話では、ゼウスの妻であるヘラの母乳から白いユリが生じたとされています。

 

このように、ユリは純粋さの象徴でした。

その影響だと思われますが、キリスト教では、聖母マリアに受胎を告知する天使は多くの場合に、ユリを手に持った姿で描かれます。

 

フランス王室の紋章は「フルール・ド・リス」と呼ばれるユリの花の図案ですが、その起源は古代エジプトのアンサタ・クロスだと言われています。

フルール・ド・リスとアンサタ・クロス

フルール・ド・リス(左)とアンサタ・クロス(右)

 

アンサタ・クロスとは上部が輪になった十字で、自然界のエネルギーにはプラスとマイナスという2つの極性のものがあるということを象徴しています。

 

3.バラ

ピンク色のバラの花

 

古代エジプトで、バラは母なる大地の神イシスの花だとされ、再生の象徴でした。

古代ユダヤ教の文書「ハッガーダー」には、人間が堕落する以前、バラにはとげがなかったという物語が書かれています。

ヘブライ人は、バラが楽園を象徴していると考えていました。

 

ギリシャ神話では、バラは女神アフロディーテの花だとされています。

また、神々の饗宴でエロスが酒杯をひっくり返したため、不死の酒ネクタルがかかって、それまでは白かったバラの花が、赤色になったとされています。

赤いバラの花

 

英語で「バラの下で」(under the rose)という慣用句は「内緒で」を意味しています。その元になったのはラテン語の「スブ・ロサ」(sub rosa)ですが、中世のさまざまな神秘学派で、バラが長い間沈黙の象徴だったことに由来しています。

神秘学派の秘密の集まりでは、会合が秘密であることを出席者に思い起こさせるために、天井からバラの花がつり下げられていたのだそうです。

 

バラ十字会の哲学では、その名の通り、バラが重要な象徴になっています。たとえば、16世紀にドイツのバラ十字会の代表であったミヒャエル・マイヤーは自身の本に「『哲学の庭』にはバラが咲き乱れている」と書いています。

 

バラ十字会を表す象徴は、開きつつあるバラが中央に配置された十字ですが、この十字は人体と人生での経験を象徴し、バラは、人生経験によって進歩していく人のソウル(魂)を表しています。バラの花が開きつつあることは内面的な進歩を象徴し、バラの花の香りは、進歩し洗練された人格から周囲に広がる喜びを表しています。

バラ十字会の象徴が中心にあしらわれた装身具

バラ十字会の象徴が中央にあしらわれた図案

 

ルドルフ・シュタイナーは、内的な目覚めを引き起こすために、バラ十字の象徴をできるだけ生き生きと思い浮かべる実習を自身の著作で勧めています。

 

椅子に座って、背筋を伸ばし、何回か深呼吸してリラックスした後に、これらの花と、その象徴的な意味をひとつずつ思い浮かべてみてください。

これらのイメージと象徴的意味によって、心の奥深くが刺激されるのが感じ取れることと思います。もしかしたら、遠い過去の思い出などが、よみがえってくるかもしれません。

 

今日は、この辺りで。

またお付き合いください。

 

参考記事:『人類と子供の心の進歩の段階

 

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笛の世界(番外編2)

2017年8月25日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

 

東京板橋では、先週の土曜日に雷と大雨があり、その後、一昨日より暑さがぶり返しています。ほんとうに今年は天候が極端ですね。

いかがお過ごしでしょうか。

 

私の親しい友人で山形県村山市にお住まいの山下さんからは、祭りの笛の話で、今までに3回ほど寄稿いただいています。今回は今までとは少し異なる、ちょっとしんみりとする話です。お楽しみください。

 

過去記事:

『笛の世界』(その1): http://www.amorc.jp/blog/?p=1430

『笛の世界』(その2): http://www.amorc.jp/blog/?p=1454

『笛の世界』(番外編1): http://www.amorc.jp/blog/?p=1496

 

▽ ▽ ▽

『笛の世界』(番外編2)

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下勝悦

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下 勝悦

 

「祭りは参加する人たちにはもちろんのこと、観客の方たちにも活力と元気を与えることができる」。これが私の所属する祭り連の信条です。

このことを、身をもって経験したことがあります。私の住んでいる村山市から車で50分位の山形市で毎年行われている『山形花笠まつり』のプレイベントに『村山徳内祭り』として参加させてもらった時のことです。

祭り囃子を演奏する人たち

 

プレイベントでは県内の特産品・民芸品の販売、更に県内各地の祭り・伝統芸能の披露といった数々のイベントが行われました。当日は平日にも関わらず大勢の人が来てくれました。

そんな中で村山徳内祭り一回目の演舞が終了。すぐに場所を移して二回目の演舞です。踊りのメンバーが定位置に着き、私らお囃子もセット完了。

そのとき、何気なく観客の方たちに目を向けました、すると電動車椅子に乗った男性の方が目に留まりました、年のころ、三十代ぐらいでしょうか、右手を電動車椅子のコントロールスイッチの上に乗せ、しっかりと私たちを見つめています。

 

やがて演舞が始まりました。見ると車椅子の男性は微動だにしません、ほとんどの身体機能が失われているようでした。

でも、眼だけはしっかりと私等の演舞を見つめてくれています。きっと心の内では私らと一緒に思いっきり身体を動かしておられたのではないでしょうか。しばらくして演舞終了。

私はこの方に声を掛けたかったのですが、スケジュールは分刻み(秒刻み?)での進行です。すぐに次の場所に移動です。

祭り囃子で太鼓を叩く女性

 

すると今度はちょうど向かい側に八十歳は越えているだろうと思える老夫婦の方が。見れば、おじいさんは立っているだけでも辛そうな雰囲気です。左隣に立つおばあさんが「おじいさん大丈夫ですか?」と支えている様に見えます。

やがて演舞が始まりました。するとおじいさん、右手をちょっと持ち上げ、片足を前に出し、前屈みになり、両眼を大きく見開き、今にも踊りの輪の中に飛び入りするのではないか……と思える様な形相です。隣に立つおばあさん、必死の思いで腕を掴んでいます(私には、その様に見えました)。

「おじいさん駄目ですよ、私たちは観客なんですからね」という声が聞こえてきそうでした。それからしばらくして、最後の演舞も終了して、帰ろうとした時です、杖を突いたおじいさん(かなりな高齢とお見受けしました)から話し掛けられました。

 

「良いもの見せていただきました、元気をいただきました、皆さん方、どこの市の祭りでしょうか、明日の本祭りにも来ていただけるんでしょうか」と。

そこで私が、「村山市の祭りですよ、今日だけの演舞ですよ」と説明。そして「おじいさん、よかったら村山市の祭り見に来てください、もうすぐですよ」。

 

すると、ちょっと寂しそうな顔になり「この歳、この身体では、村山市まで行くのは無理というものですよ…」。

そこで私が「おじいさん、私たち、来年も来ますからね、元気で長生きしてくださいね」。すると、ちょっと笑顔になり「うん、うん」とうなずいてくれました。(完)

 

△ △ △

 

私たちが働いている日本本部の事務所の目と鼻の先にも、氷川神社という神社があり、毎年、地元仲宿の商店街ではお神輿による練り歩きが行われます。

祭り囃子が遠くからかすかに聞こえてくると、浮き浮きとした気持ちになります。

 

今回は、この辺りで。

では、また。

 

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私たちは自由でしょうか

2017年8月18日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

東京では雨が続いています。今日降れば18日連続だそうです。涼しくて良いのですが、こうも長く続くと、農家の方々のことが心配になります。

 

いかがお過ごしでしょうか。

 

さて、今日の話題は自由についてです。

人は自分の行動を自由に選べるかどうかということを考えるために、「じゃんけん」を例にしてみます。

 

まず、右手を前に出してください。これから、あなたと私はじゃんけんをします。

グーかチョキかパーのどれかを出すかを決めて、それから、この文章の先を読んでください。

 

私はチョキでした。どちらの勝ちでしたでしょうか。

 

私たちは実際に、手をどれかの形にして出すことができますから、人が自分の行動を自由に選べること、つまり、人に自由意志があるのは明らかなことであるように思えます。

 

ところがよく考えると、事情はそう簡単ではありません。

自分の心を振り返って、先ほどグーとチョキとパーのどれかを選んだ本当の理由を、完全にはっきりとさせてみてください。難しいですよね。

ですから、私たちは完全に自由であるわけではなく、何か自分では気づいていない理由に影響されて、たとえばチョキを選んだという可能性があることになります。

 

今後機会があったときに試していただきたいのですが、多くの人数でジャンケンをしていて、なかなか決着がつかないときに、ひと呼吸を置いて、あなたが大きな声でゆっくりと音頭を取ってみてください。多くの人がパーを出すことが知られています。

 

じゃんけんのような、たわいのない例もありますが、私たちは日常的に、時には深刻な、さまざまな選択を行っています。

そしてその選択のいくつかによっては、大げさに言えば、人生のありさまや、自分と周囲の人の幸せの程度が、時々刻々と変化していきます。

2つの選択肢を迷っている人

 

あなたの友人に、ちょっと面倒くさい頼みごとをされたことが、おありではないでしょうか。そのようなときのことを思い出してみてください。断ったにせよ応じたにせよ、あなたがその決断をした理由は、どのようなものだったでしょうか。

 

その人に喜んでもらいたいと感じたとか、忙しかったとか、頼まれたことが理不尽に思えたとか、行わなければならない別のことがあったとか、さまざまな要素が関係していたに違いありません。

 

そして、よく思われたいと感じたとか、面倒なことはしたくないと感じたとか、さらに突き詰めれば、人間関係を大切にしたいとか、時間の余裕を楽しみたいとか、大切なことの優先順位とか、意識していたかどうかは別として、欲求や価値観というものに基づいて、行動を決めたことでしょう。

 

このような欲求や価値観は、その人の生まれつきの性格と、その後の体験や教育や思考によってできあがっています。

 

私たちは、自分がどのような性格に生まれつくかを自分で決めることはできません。また、どのような体験をするか、どのような教育を受けるかというも、何を考えるかということも、特に小さなときのことを考えれば、自分の自由になることは、ほとんどないのではないでしょうか。

 

すると、子供のときに、自分の欲求や価値観を自由に作ることができないのですから、その後の体験や教育や思考も、その大部分は、自分で自由に選んでいるわけではないと考えるのは論理的なことです。

そうすると、大人になったとしても、欲求や価値観の多くは自分が自由に作り上げたものではないとすれば、それに基づいて行動や思考が行われるのですから、大人にも自由意志は、ほとんどないということにはならないでしょうか。

 

ちょっと前のことになりますが、ある親しい人と会話をしていて教えてもらったことがあります。最近の大学生のうち、哲学や心理学に興味がある人の多くが、自由意志があるということは、人間の思い違いだと思っているのだそうです。

正直に言えば、びっくりしました。私自身は、ある事柄に意欲を燃やすとか、道徳的に生きようと努力するということには、人に自由意志があると考えることが欠かせないと思っているからです。

 

人間には自由意志などないと多くの大学生が思っているのは、おおむね、次の3つのことから導き出されているようです。

1.意志のような心の働きは脳によって作り出される

2.脳は物質からできている。

3.物質は、数式で書き表せるような物理法則に従うので、過去が決まれば未来は決まっている。

 

一方で、バラ十字会の哲学では、人間には自由意志があるということが決定的に重要な役割を果たしています。

私たちは、自由意志を正しい方法や間違った方法で用いて、その影響を体験し、そこから教訓を得ることによって、内面的に進歩していきます。このことこそが、人生にある最大の意義だとバラ十字会の哲学は考えています。

 

もちろん、この哲学は固定したものではなく、日々進歩していきますので、100年後にも同じ考え方をしているかどうかは分かりません。しかし、もし人間には自由意志がないということになれば、すぐに全面的な修正を迫られることになるでしょう。

 

ちなみに、バラ十字会の哲学では、先ほどの3つのうちの1番目が正しくないと考えています。人間の心が成立するためには、物質の脳だけでなく、ソウル(soul:魂)という“宇宙”のエネルギーも必要であり、このエネルギーは数式には従わないと考えています。

ですから、どんな高性能の人工知能を作ったとしても、その機械に魂という宇宙のエネルギーが宿らなければ、そこには心(意識)が生じることはないと考えているわけです。

人工知能(イメージ図)

 

今まで説明してきたことに深く関連している実習がありますので、ご紹介させてください。

 

まず椅子に座って、肩の力を抜いて、背筋を軽く伸ばし、十回ほど深呼吸をしてみてください。

次に、思考を静めて、次のことを思い浮かべていただきたいのです。

 

通常私たちは、自分があり、その外に世界がひろがっていると考えています。

空間があり、物がある場所と、物がない場所があると考えています。

時間があり、過去と未来があると考えています。

上があれば下があり、善があれば悪があり、原因があれば結果があると考えています。

枯山水-2つの石と砂紋

 

このような対立する要素についての考え(概念)を、すべて捨てたとしたらどうなるでしょうか。

私でもなく外界でもない、ただ、振動の大海が広がっているのではないでしょうか。

 

そこで、この振動の大海である“宇宙”とひとつになってください。言い換えれば、五感によって知るのではなく、心の奥深くの働きによって、直接すべてを体験するようにします。“宇宙”以外には、あなたも他の何もない、ふたつがないひとつを感じてください。

 

自分の頭であった場所に、無限の宇宙を感じることができないでしょうか。そこに、涼しい風がそよいでいるような自由を感じ取ることができないでしょうか。

 

このように感じることを、何回か練習してみてください。

 

以上の実習は、瞑想のひとつの方法にあたりますが、このちょっとした瞑想からだけでも、忙しく回転する思考と概念から解放されさえすれば、あらゆる理屈を超えて、人は限りなく自由だとは感じられないでしょうか。

人は対立する概念に縛られている結果、竹筒に落ちたヘビのように不自由だと、ある禅師が言っています。そうすると、やや難しくなりますが、私たちが自由を得られるのは、宇宙と同調しているときだけだと言うこともできます。

 

バラ十字会の通信講座で学ばれていない方々は、以上の説明を読んでいて、なぜ心の奥深くと宇宙には関連があるのだろうか、対立する概念から解放されることと宇宙にはどのような関係があるのだろうかと、疑問をお持ちになるかもしれません。

いずれ、改めてご説明する機会もあると思いますが、次の記事がヒントになります。

参考記事:『心の構造について

 

また次の記事は、当会のフランス代表が自由意志について書いた文章の紹介です。

参考記事:『自由意志がもたらす幸運と不幸

 

最後はかなり、立ち入った話になりました。

今日は、この辺りで。

またお付き合いください。

 

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耳を傾けるということ

2017年8月14日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。お盆ですね。

いかがお過ごしでしょうか。

 

私は生まれてからこのかた、ずっと東京に住んでいます。そして、周囲に会社勤めの方が多いため、近所付き合いがやや薄くなります。最近では、特にその傾向が強いと感じています。

 

当会のフランス本部代表のセルジュ・ツーサンが、自身の人気のブログに、このことに関連する耳の痛い話を書いていました。今回はその翻訳をご紹介します。

 

▽ ▽ ▽

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサンのブログ

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

Serge Toussaint

記事「耳を傾けるということ」

ローマの哲学者エピクトテスは、自分の本に次のように書いています。「人には、口は1つしか与えられてないが、耳は2つあるのだから、しゃべるよりも2倍は多く、人の話に耳を傾けるべきだ」。

しかし実際には、人の話に耳を傾けるよりも自分が語ることのほうが好きな人が大部分であるように思われます。なぜなのでしょうか。自分のエゴ、つまり自己中心的な感情に影響されて、他の人たちと会話しているときでも、話題を独占したいと思ってしまうからのようです。

話を交わしている人と意見が一致しないときには、言い争いに勝利して、相手が間違っていることを示さなければと強く感じ、エゴの悪い影響がひどくなってしまうことが、しばしばあるようです。

 

人の話に耳を傾け、相手が意見を語り終えるまで十分に待つことができる人は、それほど多くはいません。相手の話が長くなりそうに思えると、突然さえぎって、自分の話を再び始める人が少なくありません。

このような状況では、どちらの人も自分の論点に相手を引き込もうとするあまり、相手の意見を理解しようとする態度がおろそかになり、十分に意見を交換することが、かなり難しくなってしまいます。

極端な場合には、意見の交換などなされずに、荒々しい言葉や非難の応酬になります。毎日の何気ない場面でも、ラジオやテレビやインターネット上の討論でも、私たちの誰もが、このような状況を目にすることがあるのではないでしょうか。

 

他の人たちの意見に耳を傾けるということは、議論において自分のエゴをコントロールできるということの表れです。このことは簡単なことではありません。自分の思いを表現したい、自分の意見を相手に押しつけたい、自分が正しいと思っていることを相手にも納得させたい、人の注意を惹きつけたい等々の欲求が、どんな人にもあるからです。

人の話に耳を傾けるということは、謙虚さと密接に関連しており、謙虚な人たちの多くには、慎み深く、礼儀正しく、他の人たちを尊重するという特長があります。謙虚さという道徳的美点が十分に発達した人とお付き合いすると、そのような人は、自分が話すよりも相手に耳を傾け、話題を独占しようとしたりしないのがわかります。

このような人は、ほんとうの意味の議論のために心の準備ができている人であり、対話や意見の交換を促す傾向があります。

女性3人の井戸端会議

 

人の話に耳を傾けることができる人は、多くの場合、定期的に時間を取って内省を行い、自分の心の奥の声にも耳を傾けている人です。このような人の多くは、思慮分別に富んだ話し方をしようと心がけていて、沈黙は時として言葉に勝るという考えを持っています。

バラ十字会には次のような格言が伝えられています。「あなたの語ろうとしていることが、沈黙よりも美しくないのであれば、それはとどめておきなさい」。

この格言は、他の人の言葉に耳を傾けて理解しようと努力しなさいと捉えることもできますし、最小限度の行動基準として、何かを語るときには、前もって、自分が何を言おうとしているかを考えなさいという意味に捉えることもできます。

テーブルを囲んで打ち合わせをしている3人の人

 

しかし、耳を傾けるということを、単に他の人の言葉を聞くということに限定せずに、さらに広く、相手の人に配慮を払うという意味に捉えた方が素晴らしいと私は思います。謙虚さと同じく、思いやりということもまた重要な道徳的美点です。

他の人のことを考え、他の人が楽しくしているかどうかに心を配り、必要とされているときには助け、手を差し伸べるということなど、他の人にあなたが感心を示しているということを表す方法がたくさんあります。

誰かの手伝いを申し出れば、そのことによって人と人の距離は近づき、反対に無関心であれば、人と人の距離は遠ざかります。そして、人と人との距離があまりにも遠くなれば、排斥ということが生じ、ひいては社会という織物がばらばらになってしまうのではないでしょうか。

バラ十字会AMORCフランス本部代表
セルジュ・ツーサン

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。本稿はそのブログからの一記事。

△ △ △

 

いかがでしたでしょうか。私はずいぶんと反省させられました。

 

今日は、この辺りで。

また、お付き合いください。

 

参考記事:『人工知能について』(セルジュ・ツーさんの前回の記事)

 

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星の王子さま -文芸作品を神秘学的に読み解く6

2017年8月4日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

 

台風5号が近づいていますね。国際宇宙ステーションから撮られた画像に度肝を抜かれました。地球に張り付くように広がって、“眼”をむき出しにしています。

皆さま、くれぐれもお気をつけください。

 

今回は、私の親しい友人であり、当会の公認インストラクターをされている森和久さんのシリーズ記事『文芸作品を神秘学的に読み解く』のその6をお届けします。

 

参考記事(前回):『朝雲

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文芸作品を神秘学的に読み解く(6)

『星の王子さま(小さな王子)』(Le Petit Prince)

森和久のポートレート

森 和久

 

フランス人のパイロットでもある作家、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリが第2次世界大戦中の1943年に発表した作品です。

以前、私の英会話スクールで働いていたフランス人講師が強く勧めてくれたので、子どもの時以来、数十年ぶりに読んだ作品でした。

 

主人公のパイロットである「ぼく」はエンジンの故障で誰もいないサハラ砂漠に不時着します。飲み水は一週間分しかありません。ひとりぼっち、砂漠の中でエンジンを自分で直さなくてはなりません。

不時着した翌朝、ぼくは一人の少年の声で目覚めます。それが「小さな王子」です。話すうちにぼくは王子の身の上を知ることになります。

 

王子はとても小さな星に住んでいました。その星には3つの火山や一輪の赤いバラの花が咲いていました。その花はとても美しく、王子は大切に育てました。

しかし、王子はその花と喧嘩してしまい、そのまま旅に出ました。そして7番目に訪れた星が地球です。神秘学的に「7」というのは、ミクロコズム(小宇宙=人間)に深く関わる数字です。

 

王子は地球でとても高い火山と5,000本の咲き誇る赤いバラの花に出会い、自分の星の火山とバラの花がありきたりのつまらないものだったと思い、泣き崩れます。

そこへ一匹のキツネが現れたので、寂しさを紛らわしたく思い、王子は一緒に遊んでほしいと言います。すると、「君に懐(なず)けられていないので遊べない」とキツネは言います。キツネが言うには、「懐かせる」とは「絆をつくる」こと。

 

「おいらにとって君は他の男の子10万人と、何の変わりもない。君が居なきゃダメだってこともない。君だって、おいらが居なきゃダメだってことも、たぶん無い。君にしてみりゃ、おいらは他のキツネ10万匹と、何の変わりもないから。でも、君がおいらを懐けたら、おいらたちはおたがい、相手にいてほしいって思うようになる。君はおいらにとって、世界に一人だけになる。おいらも君にとって、世界で一匹だけになる……」。

 

こう言われた王子は、自分の星のバラの花が一番大切で愛おしいことを悟ります。

 

キツネと別れる時になって、王子はキツネを懐けていたことが分かり、別れが辛くなります。

そして「あの向こうの小麦畑、見える? おいらはパンを食べないから、小麦ってどうでもいいものなんだ。小麦畑を見ても何にも感じない。それって、なんだか切ない。でも、君の髪の毛って黄金色。だから、小麦畑は、すっごくいいものに変わるんだ、君がおいらを懐けたらのことだけど。小麦は黄金色だから、おいらは君のことを思い出すよ。そうやって、おいらは小麦に囲まれて、風の音をよく聞くようになる……」とキツネに言われたことの意味を理解します。

 

そうです、王子に会うまでは、キツネにとって麦畑は何の意味もなかったのですが、王子との絆が出来てからは、特別なものになったのです。

多くの人には何でもないこと、何の意味も持たないことも、その人にとっては特別なものであり得るのです。

翻って考えれば、私にとって無価値で意味のない物事でもあなたにとっては、特別な物事かもしれません。ですからその物事を私は侮蔑すべきではないでしょう。

 

 

別れ際、王子はキツネに大切な秘密を教えられます、「本質は目では見えない、心じゃないと見えない」と。ぼくが子どもの頃に書いたボアに丸飲みされたゾウの絵(*2)も王子にヒツジを描いてと言われて描いた絵(*3)もそのことを表していました。

王子がぼくにこの話をしているときに、ぼくは最後の水を飲み尽くしてしまいます。王子は、じゃ、井戸を探しに行こうと言います。砂漠で井戸を探すなんてぼくには信じられません。

でも王子はこう言います、「水は心にもいいんだよ」、「星が綺麗なのは見えない花があるから…」、「砂漠が美しいのはどこかに井戸を隠しているから…」。そしてぼくは悟ります、「そう、何かを美しくするものは目に見えないんだ!」と。

 

夜明けになって、ぼくは井戸を見つけます。「ぼくは水を飲んだ。深呼吸する。砂漠は夜明けで蜂蜜色だった。」その水はただの飲み物とはまったく別の物でした。心から望んだ物事は与えられるんです。

 

次の日は王子が地球に来てちょうど1年になる日。星の配置が同じになるのです。その時に王子は蛇に咬まれ、身体を置いて、魂は自分の星に帰るのです。王子は言っていました、「夜、空を眺めたとき、そのどれかにぼくが住んでるんだから、そのどれかでぼくが笑ってるんだから、きみにとっては、まるで星みんなが笑ってるみたいになる。きみには、笑ってくれる星空があるんだよ!」と。

星の王子さま -挿絵

星から出るのに、その子はわたり鳥をつかったんだとおもう

 

件(くだん)のフランス人講師は言っていました、「この物語のテーマは美しさ。関係性、繋がりの美しさ」だと。

今、彼のことを考えれば、なるほどなと思います。遠いフランスからたまたま札幌にやってきて、たまたまうちで働き、たまたまフランス語や英語を教える生徒たちに出会い、そして、それらの人たちと美しい絆ができたんだと、彼は伝えたかったのでしょう。

だって偶然は必然ですから。すべての物事は起こるべくして起こるのです。

 

神秘学的命題『汝自身を知れ』を考えたときに、自分自身との繋がりの重要性を思い起こされます。

ですから「王子」は「ぼく」の「内的な自己」もしくは「下意識精神」(sub-consciousness)なのです。困難に直面した時に、下意識精神を通して宇宙精神が手助けしてくれます。そのためにも自分自身を懐ける、つまり自分自身との絆を強める必要があるのです。

 

改めて冒頭の挿絵(*1)を見てください。「これは、ぼくにとって、世界で一番綺麗で、一番切ない景色です。」とぼくは言っています。王子が地上に現れて、そして消えた場所の絵です。

皆さんもぼくや私のように、ここが特別な場所に思えてきませんか?

 

※挿絵と本文の多くは「青空文庫」版「あのときの王子くん」によりました(一部改変)。

 

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この作品は、日本では1953年3月に内藤濯(あろう)訳により岩波書店から『星の王子さま』のタイトルで出版されました。

岩波書店が翻訳権を保持していたので2005年までは内藤濯版のみが流通していました。その後、20種類以上の翻訳が出版されています。ぜひ、本屋や図書館で手に取り読み比べてみてください。

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ふたたび本庄です。名前は知っていましたが、私はこの本を通しで読んだことがありません。ボアに丸飲みされたゾウは分かるのですが、なぜ3番目の挿絵がヒツジなのでしょうか。夏休みの宿題が増えました。

 

では、今日はこの辺で。

 

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