公式ブログ

自然のリズムについて

2017年5月11日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

東京板橋はちょうど、バラの花の盛りです。いたるところでモッコウバラ、つるバラなどが目を楽しませてくれています。

そちらはいかがでしょうか。

 

親しい友人の勧めで、フィンランドの作家トーベ・ヤンソンさんの小説「たのしいムーミン一家」を読みました。アニメ化されたムーミンを子供の頃にテレビ番組で見たことがありましたが、原作の小説は初めてでした。

 

主人公のムーミントロール(アニメではムーミン)と彼の父や母は、トロールと呼ばれる想像上の生き物です。カバに似た愛らしい姿を、漫画やアニメでご存じの方も多いと思います。

作者自身がその姿を小説の挿絵として描いたのがオリジナルですが、北欧の民間伝承に出てくる妖精が発想の元になっているとのことです。

 

「たのしいムーミン一家」は、フィンランドの美しい四季を思わせる、ムーミンたちが住む谷が舞台になっています。さまざまな個性的なキャラクターが登場し、人間の長所短所を映し出しながら、明るい雰囲気でストーリーが展開していきます。

フィンランドのテーマパーク『ムーミンワールド』に再現されたムーミン一家の家

 

最初の章は、ムーミン谷に初雪が降る場面から始まります。フィンランドのように厳しい寒さのこの地で、ムーミンたちは100日の間冬眠をします。

ムーミンがいいます。

「いやだなあ、ぼくたち、時間をうんとむだにしちまうんじゃない?」

親友のスナフキンが答えます。

「心配するなよ。きっとぼくたち、すばらしいゆめを見るぜ。そうして、こんど目がさめたときには、もう春になっているんだからね」

(『たのしいムーミン一家』、講談社文庫、2011年)

 

スナフキンは、孤独と旅を愛し、自由気ままに生きるキャラクターです。時として、世を知り尽くした哲学者のような言葉を発します。

テレビアニメではギターを弾いていました。原作小説ではハーモニカを吹いています。

50歳代半ばの人たちの中には、当時のアニメを見て、スナフキンのようになりたいと思った方々も多いのではないかと思います。私もその一人でした。

 

これからお読みになる方もいらっしゃると思いますので、詳しいストーリーについてはご紹介しませんが、原題の「Trollkarlens Hatt」は、作中では「飛行おにの帽子」と訳されています。「飛行おに」と呼ばれる魔法使いの妖精の、不思議な力を持つ帽子がムーミン谷で発見され、さまざまな騒動が起こります。

 

最終章では、スナフキンが、ムーミン谷から旅に出発します。そして、秋の訪れとともに話が終わります。

フィンランドの秋の風景

 

ストーリーの始まり方と終わり方にも示されているように感じるのですが、この小説のテーマのひとつは、自然界のリズムということのようです。

つまり、ムーミンも私たち人間も、自然界の一部であり、自然の法則(Law)を尊重する生き方をすることによってこそ幸せが得られるという主張が感じられます。

 

自然の法則というと、何か物理の授業がイメージされてしまうかもしれません。ですから、「自然の摂理」とか「自然のならわし」という言葉の方がふさわしいでしょうか。

 

具体的には、「自然のならわし」のひとつとして「リズム」を挙げることができます。この場合のリズムとは、自然界のあらゆるものが活動と休息を周期的に繰り返していることを意味します。

 

たとえば、一日には昼と夜があります。温帯の国々には、一年を周期とする四季の変化があり、私たちの目を楽しませてくれます。春と夏が活動期に当たり、秋と冬が休息期にあたります。

 

人間は生まれ変わって何度も人生を繰り返すと、もし考えるならば(私個人は、ほぼ確実だと感じていますが)、ここにもリズムがあります。生が活動期にあたり、死が休息期にあたるのでしょう。

 

また、これは私の単なる想像ですが、何百億年もかけて、宇宙も膨張期と収縮期をリズミカルに繰り返しているのではないでしょうか。

137億年前のビッグバンで始まった膨張の期間が活動期であり、収縮期は休息の期間でしょうか。このリズムは何のためなのでしょうか。想像は膨らむばかりです。

NGC 4414 (NASA-med)

かみのけ座にある渦巻銀河 By The Hubble Heritage Team (AURA/STScI/NASA) NASA Headquarters – Greatest Images of NASA (NASA-HQ-GRIN) [Public domain], via Wikimedia Commons

 

現代では忘れられがちですが、私たちの体も自然界の一部であり、そのあらゆる働きがリズムに従っています。

生命を支える最も重要な働きである呼吸は、吸気と呼気というリズムの繰り返しになっています。

胃や腸は、食物が届いたときに活動し、通過すると休息期に入ります。

 

人間の心臓は高性能のポンプですが、収縮して血液を送り出す活動期と、拡張する休息期をリズミカルに繰り返しています。一秒よりも短いこの休息期のおかげで、心臓は一生の間休むことなく働き続けることができているのだそうです。

参考記事:『常識を乗り越えること

 

先ほどのせりふでムーミンがスナフキンに問いかけていましたが、休息はもちろん無駄な時間ではなく、自然の法則に従うために必要な時間です。

ところが現代人は、狂ったように速いペースの生活の中で、休息をおろそかにして、自分の体を痛めてしまうことがあります。

親しくお付き合いさせていただている漢方医の方から聞いたことがあります。少なくとも3日に一度は、午後11時より前に就寝するということが、大病をせずに健康に生きていくための重要な目安なのだそうです。

 

現代では大切さが忘れられかけているリズムもあります。月の満ち欠けの周期です。

この周期は、生殖や出産だけでなく、病気のときの発熱や、自律神経系の働きに影響を及ぼしていることが知られています。

 

これらのことにご興味をお持ちの方は、次の電子書籍で詳しく知ることができます。

ライフ・マップ-宇宙バイオリズム活用法』(Kindle版)

 

今回は、自然のリズムについて感じることを書きました、ややまとまりのない話になってしまったかもしれません。

少しでもご参考になる点があったと感じていただけたなら、嬉しく思います。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

では、また。

 

追伸:メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」に、こちらから登録すると、このブログに掲載される記事を、無料で定期購読することができます(いつでも配信解除できます)。

 


『赤毛のアン』-文芸作品を神秘学的に読み解く4

2017年4月28日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

 

東京板橋では、ツツジの花が見頃になりました。

そちらの季節の進み具合は、いかがでしょうか。

 

先日、朝のテレビ番組で、『赤毛のアン』が30年ぶりに映画化されたことが紹介されていました。原作の著者L・M・モンゴメリさんのお孫さんのケイト・マクドナルド・バトラーさんが映画の制作総指揮で、日本語字幕版は5月6日から全国でロードショーが始まるそうです。

 

この機会に、当会の公認インストラクターの森和久さんから、原作『赤毛のアン』についての文章をお寄せいただきました。

 

▽ ▽ ▽

文芸作品を神秘学的に読み解く(4)

『赤毛のアン』(Anne of Green Gables:グリーン・ゲイブルズのアン)

ルーシー・モード・モンゴメリ著

森和久のポートレート

森 和久

 

孤児院から手違いで貰われて来た11歳の女の子アン・シャーリーの物語です。『赤毛のアン』という邦題が一般化していますが、原題の『グリーン・ゲイブルズ』(緑の切妻屋根)とは、アンが貰われてきた家の屋号です(もちろんちゃんと緑の切妻屋根になっています)。

グリーン・ゲイブルズに住むのは2人とも未婚の老兄妹マシューとマリラ・カスバートです。周りには「輝く湖水」や「歓喜の白い道」とアンが名付けた場所のある、豊かな自然に囲まれたプリンス・エドワード島のアボンリー村です。

 

作者のモンゴメリは名前にもこだわっています。「マシュー」はイエスの12使徒のひとりマタイ。嫌われ者の徴税人であったそれまでの自分を捨て、イエスの弟子として人生をやり直したとされる人です。「マリラ」は聖母マリアの変形。「アン」は聖母マリアの母、そしてシェイクスピアの妻と妹の名(作中アンがこだわっている最後に「e」の付くアン)です。

LMM signed photo

ルーシー・モード・モンゴメリ(1935年) See page for author [Public domain], via Wikimedia Commons

 

女の子では農作業ができないからと、マリラはアンを孤児院に戻して男の子と取り替えるつもりでした。しかし、アンは持ち前の明るさと何ごとにも前向きな姿勢で、マシューとマリラに受け入れられ引き取られることになります。さらには村中の人々に温かく迎えられるようになります。

 

貰われてきたばかりの頃は、お姫様になるとか悲劇のヒロインになるという空想にふけるアンでしたが、負けず嫌いな性格も手伝ってライバルを打ち負かそうと勉学に励み認められ、教員の資格も大学の奨学金も獲得します。

この物語は少女アンの成長の話であり、内向的だった老齢のマシューとマリラの内面的な成長の話でもあります。ですからもともと児童文学作品ではありません。しっかりと大人向けに書かれたものです。

 

この作品の冒頭に一片の詩が置かれています。

 

あなたは良き星々が天空で巡り会うもとに生まれ、

スピリットと火と露より造られた

The good stars met in your horoscope,

Made you of spirit, fire and dew.

 

これはロバート・ブラウニングの『エヴリン・ホープ』からの引用です。この一片の詩からアンという少女の気質が読者に示されているわけです。そして神秘学を学んでいる人たちには、秘伝哲学の香りがアロマのように立ち上るのがわかります。

 

Robert Browning by Herbert Rose Barraud c1888

ロバート・ブラウニング(1888年ごろ) By Herbert Rose Barraud (1845 – ca.1896) (Bonhams) [Public domain], via Wikimedia Commons

 

これ以外にも作品中には、旧約・新約聖書、ウィリアム・シェイクスピア、マザーグース、チャールズ・ディケンズ、ジョン・キーツ、ジョージ・ゴードン・バイロン、ウィリアム・ワーズワースなどからの引用がたくさん散りばめられています。まるで輝く星々のように。

 

マリラがどういう人間かというと、「背が高く痩せこけており、ごつごつして、見るからに見聞の狭い頑固者で、何年も笑ったことなどない堅物だった」。

マシューの方も、「体つきは不格好で、白髪交じりの鉄っぽい髪を猫背の肩にかかるほど長くして、褐色のあごひげを伸ばし風変わりな容貌をしている。また女性を恐れ、影で笑いものにされていると思い込んで、妹と隣のリンド夫人以外とは一切口をきけない、内気な老人」という具合です。

まるで前回の『芋粥』の主人公「五位」のような男なのです。しかしこのマシューと芋粥の五位との違いは、マシューにはアンという子供を受け入れる前向きさが備わっていたということです。

参考記事:「『芋粥』-文芸作品を神秘学的に読み解く3

 

アンと暮らすことで心豊かに生きたマシューですが、死は突然に、とても無残に訪れます。彼の死に心を痛める間もなく、私たち読者は、マリラとアンと、そしてグリーン・ゲイブルズの危機を突き付けられます。

もしかしたら未読の方もいらっしゃるでしょうから、詳しくは述べないことにしますが、物語の終盤、ついには『グリーン・ゲイブルズのアン』という原題の意味を読者は噛み締めることになるのです。

 

一年では春、一日では朝、

朝では七時、丘の斜面に真珠の露が降り、

ひばりが空に舞い、かたつむりは、サンザシの枝に這い、

神は天に有りて、この世はすべて良し

The year’s at the spring. And day’s at the morn;

Morning’s at seven; The hill-side’s dew-pearled;

The lark’s on the wing; The snail’s on the thorn:

God’s in his heaven, All’s right with the world!

 

これもロバート・ブラウニングの詩で、『ピッパが通る』の「春の朝」からの引用です。最後の一節、「神は天に有りて、この世はすべて良し」が、この物語の最後に、アンによってそっと囁かれます。

天(宇宙)にある〈絶対なるもの〉が、生きとし生けるものを守り、うまく取りはからってくださるという信頼と未来への希望に満ちて、『グリーン・ゲイブルズのアン』は幕を閉じます。

 

どちらにも「露」を用いたブラウニングの詩で始まり、終わるこの物語は、終わりは始まりにつながっていくこと(生まれ変わり)をモチーフにし、その中で人間は学び進歩していくということを伝えています。そしてすべては変化していくのです。

 

「グリーン・ゲイブルズのアン」は15種以上の翻訳本が日本で発行されています。どれを読んだらいいか、迷ってしまうかもしれません。語調や訳語の好みもありますでしょう。

 

その中でも最も代表的なのは、この作品を日本に紹介した村岡花子氏の訳です。先駆者としての功績には計り知れないものがありますが、この版には、いくつかの問題点もあります。

まず、抄訳であることです。読みやすさを重要視したのかもしれません。特に終盤、マリラがアンに告白する重要な場面がそっくり抜け落ちています。また、冒頭に前記のブラウニングの詩が載っていません(他にもこの詩を載せていない翻訳本がいくつもあります)。

 

なお、村岡花子氏の孫の村岡美枝氏が改訂した2008年版からは、マリラの告白部分も訳出されていますし、冒頭にブラウニングの詩も載っています。

もう一つ付け加えておくと、村岡花子氏は1952年の新潮社初版のあとがきでも1954年版のあとがきでも、愛情をこめてこの作品を「グリーン・ゲイブルズのアン」と呼んでいます。

 

まだ読んでいない人はもちろん、若い頃に読んだことのある人は再び、今度はマシューやマリラの視点で読んでみてはいかがでしょうか。

 

△ △ △

 

いかがでしたでしょうか。私は、ブラウニングの詩の神秘的な香りに惹かれました。

ちょっと調べてみたのですが、ブラウニングの『ピッパが通る』は、さきほどの明るい雰囲気の詩からは想像もつかないような、壮絶なストーリーです。

愛人と共謀して夫を殺した女性が、この劇には登場するのですが、この2人の前を通り過ぎるときに、ピッパという少女が、まったく事情を知らずに屈託なくこの詩を歌い、その歌声に心を動かされて、その男は罪を悔やむことになります。

 

人を含め、生きとし生けるものの存在は限りなく尊く、どのような行いをしたとしてもそれは変わらないという意味が、この詩の最後の一節には込められているように感じます。

欲望と謀略に満ちた世界で、子供の口から真実が語られるというのは、古代のさまざまな伝承で取り上げられているモチーフで、神秘学とも深く関わっています。

 

では、今回はこの辺で。

ゴールデンウィーク明けに、またお付き合いください。

 

追伸:メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」に、こちらから登録すると、このブログに掲載される記事を、無料で定期購読することができます(いつでも配信解除できます)。

 


笛の世界(その1)

2017年4月21日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

 

東京板橋は春も盛りで、ハナミズキやヤマブキ、八重桜の花が道ばたを飾っています。

そちらはいかがでしょうか。

 

このブログでは、この何回か、やや重たい話題が続いたので、読者の皆さんに気分転換をしていただこうと考えました。

 

私の友人に、山形にお住まいで当会の理事をされている、三度の飯よりもお祭りが好きという陽気な方がいます。

この方にお寄せいただいた、笛にまつわる体験記をご紹介させていただきます。

 

▽ ▽ ▽

『笛の世界』(その1)

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下勝悦

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下勝悦

 

突然ですが、人類史上最古の楽器とは何なのかご存知でしょうか?

 

それは『打楽器』だと言われています。ではどのような形の楽器だったのでしょうか?

それは音楽用語でボディーパーカッション、早い話が、自分自身の身体を叩いて音を出すことです。

これが、人類が最初に手に入れた(知った)楽器と言われています。

 

では、息を吹き込んで音を出す、いわゆる「笛」といわれるたぐいの楽器は、どうやって考え出されたのでしょうか?

 

一説には、茎が中空となっている植物(竹や葦など)が立ち枯れ、あるいは刈り取られた場所に強い風が吹き込んで、「ヒュー」とか「ピュー」といった音(ビンの縁に息を吹き込んで音を出すのと同じ原理ですね)が出るのにヒントを得て、笛の原型が作られたと言われています。

 

 

さて今回は、ふとしたことから、そんな笛の世界に入り込んだ(引きずり込まれた?)不器用な男の、汗と涙と感動と、ちょっぴり笑いの入り交じった体験談を始めようと思います。

 

* * *

 

時は平成七年六月。私の住んでいる村山市で新しい祭りが誕生しようとしていました。我が村山市と友好都市の関係にある北海道は厚岸(あっけし)町の港祭りをそっくりそのまま、ここ村山市で、私ら村山市民の手で開催する了承を得たのです。

これには私も参加したかったのですが、つい数日前に父親をあの世に見送ったばかり、いわゆる喪中です。ところが突然に『山下さん、祭りに参加してくれませんか、お囃子の笛のメンバーが足りないんです、山下さん楽器できるでしょう』。

そりゃ多少はフルートが吹けました、祭り笛も何とかなるかもしれません、でも世間的には喪中です、丁重に断わりました。それでも勧誘は続きました。

そこで仕方なく母に相談しました。すると、『祭りの好きな人だったからね~。これも供養と思って参加したら……』。

 

この一言で祭りに参加することに。それからしばらくして、四十九日の法要の終わった翌日からお囃子の笛の練習に参加させてもらうことに。使用するのは、明笛(みんてき)と呼ばれる中国をルーツ(?)とする、派手な飾りの付いた横笛でした。

私も初めて見る笛でしたが、音の出る原理はフルートと全く同じのはず……でしたが。お囃子の笛とフルートは似て非なる全くの別物ということを、思いっきり知らされました。

音はほとんど出ません(出せない)、さらに、曲のメロディーのノリも西洋音楽とも演歌、歌謡曲、民謡とも全く違います。ところが他のメンバーは、もうほとんど出来上がっています(私は遅れてのスタートでしたから)。

 

それから必死に頑張ったのですが、ほとんど吹けないままに祭り本番に突入。私は『え~い!!こうなったら開き直りだ!!』とばかりに、本番ではほとんど『吹いている真似…だけ』やっていました。

当然のこと、祭りの終了後は自己嫌悪の嵐が吹きまくりました。このままでは引き下がれません。そこで翌年の春、自分用の笛を購入、猛練習の開始です。

 

 

まずは音出しの練習です、次にメトロノームを相手に曲の練習です。朝・昼・夕・夜、と一日に四・五時間はやっていたでしょうか。その結果、不器用を絵に描いた様な私でも、なんとか他のメンバーに追い付くことができました。

ところが祭りを三日後に控えた日の朝、突然の腰痛(私の職業病)で動けなくなってしまいました。翌日、何とかしなければと、腰痛治療の名医がいるという総合病院の整形外科に。

待つこと三時間、診断結果は『ヘルニアではありません。歳…ですな~…痛い時は近くの接骨院に……』。

 

こうなったら、またも開き直りです。翌日、祭り本番直前に、座薬を入れ、湿布薬を貼り、骨盤ベルトを締め、さらに鎮痛剤を飲んで『いざ、出陣!!』です。もし動けなくなっても周りに仲間が大勢います。

祭り会場には救急車も待機しています、何も考えずに最後まで笛を吹きまくりました。

(次回に続く)

△ △ △

 

ふたたび本庄です。十代のころの数年間ですが、私は浅草に住んでいました。よく通った浅草寺の近くに、祭りに用いるらしい笛がたくさん並んでいる専門の店がありました。

しきいが高そうで、一度も入ったことがなかったのですが、この文章を読んで、そのお店のことを懐かしく思い出しました。もし、のれんをくぐったら、今とは違う人生を歩んでいたのかもしれません。

 

下記は、山下さんから以前にお寄せいただいた、やはり音楽にまつわる文章です。

宇宙という名の楽器(その1)

宇宙という名の楽器(その2)

宇宙という名の楽器(その3)

 

今回の話しの続きは、数週後に紹介させていただくことになると思います。よろしくお付き合いください。

では、また。

 

追伸:メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」に、こちらから登録すると、このブログに掲載される記事を、無料で定期購読することができます(いつでも配信解除できます)。

 


人生の学習 - 6種類の性格について

2017年4月14日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

東京板橋は、朝から良い天気です。そよ風が吹き、まるで芝居の舞台のように、桜の花びらが、少しずつ舞っています。

そちらはいかがでしょうか。

 

昨日の朝のテレビ番組で、人気のネット動画が紹介されていました。ちょっと太った可愛い黒いネコが、飼い主に意地悪をしているのです。ティッシュペーパーの箱を前足で押さえるようにして、飼い主がペーパーを取ろうとすると手を引っ掻きます。ラップトップパソコンの上に乗って、決して使わせません。

 

このネコは、構ってほしいときにこのような意地悪をするのだそうです。

まるで人間のような様子に、笑ってしまいました。

ネコにも、人と同じように、いろいろな性格があるのでしょう。

 

以前に話題にしたことがありますが、20世紀の初めごろの古い心理学では、心の病を抱えている人を研究することに重点が置かれていました。一方で、その後の心理学では、心の健康な人たちや、子供から大人になるときの心の発達、人類の心の発達の歴史が積極的に研究されるようになりました。

参考記事:『人生の学習 - マズローの心理学

 

人の性格も、以前は心の病との関係で研究されることが多かったようです。ところが最近では、ある性格の長所と短所の両方が考察されるようになりましたし、性格と心の発達の関係が深く理解されるようになりました。

 

カナダのエリック・バーンという人は、20世紀の中ごろに「交流分析」という心理学の分野を作りました。人の心の状態には、親の行動パターンを無意識に模倣している状態(Parent)、成人としての経験と知識を生かしている状態(Adult)、子供のころの振る舞いを再現している状態(Child)があるということを基礎にして、人の性格の特徴を説明したり、コミュニケーションの性質を解明したりする理論(PACモデル)です。

 

この研究がさらに発展し、人には6つの「人格適応型」があるという説が出されています。

「人格適応型」というと難しく感じられますが、要するに、人の性格を6つに分類する、とても優れた方法が見つかったということです。

もちろん、たった6種類の性格に、すべての人が単純に分類できるわけではありません。しかし、この6種類のうちの、ひとつか、多くても2つの特徴の組み合わせによって、大部分の人の性格を、よく理解できることが知られています。

 

この6つの性格は、子供時代に行った適応によって作られたものです。

子供は、両親など周囲の人の助けがなければ生き続けられないという意味で、とても無力な存在ですし、自分でそのことを強く実感しています。そして、生き延びるために、周囲の大人との良い関係を保とうとして、自分の行動を、両親の特徴や周囲の状況に合わせる決断をします。

この決断はしばしば、大人になった後の行動にも影響を与え、その人の性格の特徴を決める要因になるとされています。

 

この6つの分類は、慣れないうちは多少戸惑うかも知れませんが、理解が進むにつれて、自分と他の人たちを深く理解するために、とても役に立つことが分かってきます。

これらの特徴は、社会生活では隠されていることも多いのですが、その人が大きなストレスに出会ったときなどに、特にはっきりと表れるようになります。

 

自分を理解するという点でいえば、特に、自分が子供の頃に作り上げてしまった、望ましくない行動上の癖に、どのように気づき、それを(必要であれば)どのようにして変えたら良いかが理解できます。(しかし、自分の手に負えない場合は、臨床心理士などの資格を持つ専門家の手を借りるべきです。)

 

そこで今回は、人の性格のこの6つの分類についてご紹介したいと思います。

 

ちなみに、以下でご紹介する性格の特徴のうち、最初の3つは3歳ごろまで、後の3つは6歳ごろまでに作られるとされています。

そして多くの場合、大人になってもあまり変わることがありません。

 

特徴が分かりやすくなるように、表現はストレートにされていますし、歯に衣を着せずあからさまに書いています。お読みになって、気を悪くされないようお願いします。

1.創造的夢想家

ある子供を育てていた親が、その子が何かを求めたときに、たびたび自信を失い、うろたえていたとします。そのような体験をした子供の多くは、それを敏感に感じ取って、生き延びるために、いわば、“親には何も求めないという決断”をします。そうすれば親には不都合がなくなり、自分のことをこれからも世話してくれるだろうと考えるのです。

このような決断を子供のころに行った人の多くが、「創造的夢想家」と呼ばれる特徴の性格を持つことが知られています。大人になっても、親以外の多くの人に対して、そのような決断をそのまま持ち越しています。つまり、自分の欲求をかなえてくれることを他の人に率直に求めるのでなく、空想で欲求を満たそうとする傾向があります。

このような人は、深く考える、創造性が高い人であることが多く、哲学者や芸術家になる場合もあります。一方で、引きこもる傾向、現実と向き合うことを避ける傾向があり、周囲の人からよそよそしく感じられてしまう場合もあります。

 

2.才気ある懐疑者

まだ周囲のことをよく理解できない子供が、不意打ちのように、不当だと感じる仕打ちを何回も受けたとします。よく分からないのに何かを食べることを無理強いされたり、両親から一貫していないやり方で叱られたり、やむを得なかったのかも知れませんが、医療上のさまざまな処置を受けたというような場合です。このような状況を体験した子供は、過剰に用心深くなり、自分の遊び心を抑え、他の人の意図を疑うようになることがあります。

性格の特徴が「才気ある懐疑者」に分類される人の多くは、このように育てられたと考えられています。この性格を持つ人は、周囲の人との心理的な距離を保ち続けようとする傾向があります。

この特徴を持つ人の多くは、些細なことにも力を尽くすことができ、問題を予測し、対策を考えることが得意です。数学や法律の専門家になったりする人が多く、管理業務で力を発揮する傾向があります。

一方で、人を非難しやすい面があり、自分にも厳しく、頑固で、自分の考えていることはすべて正しいと考える傾向があるとされています。

 

3.魅力的操作者

競争相手がいて、両親の愛情や他の欲しいものが、その相手に奪われたとたびたび感じるような環境で子供が育ったとします。そのような状況に置かれた子供は、誰もあてにしないことと、言い方がやや悪くなりますが、両親や周囲の人をうまく操って生き延びることを決断するようになることがあります。

「魅力的操作者」に性格が分類される人の多くは、このような決断を大人になっても、多少引きずっていると考えることができます。とにかく手に入れられるものは何でも手に入れよう、傷つかないでそうしようとする傾向があります。

この性格を持つ人の多くが、とても魅力的であることが知られています。商売や、さまざまなプロジェクトを推し進めること、人を動かすことに長けている場合が多く見られます。

一方で、このような人の多くは、ひとつのことに専念することができず、ものごとを最後までやり遂げることも苦手だと言われています。やや誠実さを欠き、策を用いて周囲の人を操作する傾向があるとさえ言われています。

 

4.おどけた反抗者

あらゆる物事を自分が望むようにコントロールし、子供の自主性を認めない傾向がある親に、ある子供が育てられたとします。そのような子供の一部は親に反抗し、子供に反抗されればされるほど、今後は親が子供を批判するという悪循環が生じることがあります。

このような状況で育った人は、「おどけた反抗者」に分類される性格を持つようになることがあります。この特徴を持つ人は、大人になっても、この悪循環の状態が内面的に続いているとさえ考えることができます。人生を戦いだと見る傾向、ものごとに完全に白黒をつけようとする傾向があります。

このような人の多くは、おどけた子供のようなエネルギーを持っています。粘り強く興味を追求する傾向があり、鑑定家や探偵、批評家に適した性格の特徴であるということができます。また、調査を主に行なう研究分野で力を発揮することが多いと言われています。

一方で、他人の指示に従わず、必要以上に物事を複雑にしたり、反抗して周囲の人に不快を感じさせたりすることがあるとされています。

 

5.責任感ある仕事中毒者

ある子供が、まだ小さいにもかかわらず、物事を達成することや、両親が望んでいることを行なうことを強く求められ続けたとします。そのような子供は、両親の望みに自分を合わせざるを得ず、自分の欲求の多くをあきらめなければなりません。

子供のときに、このような適応をした人が、大人になってもその傾向を持ち続けていると、「責任感ある仕事中毒者」という分類の性格にあてはまるようになります。このような人の多くは、大人になっても、自分の欲求よりも責任を果たすことを優先する傾向があります。

この特徴を持つ人は、良心的で信頼でき、物事を進展させる社会の中心人物になることがあります。一方で、管理職になった場合でも権限を委譲することができず、細かいところまで指示を出し、周囲の人からは、不機嫌で退屈している人だと見られる傾向があります。

 

6.熱狂的過剰反応者

ある子供が、自分の愛らしいところ、面白いところにばかり関心と愛情を示す両親に育てられ、考えたり何かをなし遂げたりすることを、あまり評価されなかったとします。そのような子供は、ポジティブな感情を表わすことをエスカレートさせ、一方で、自分の怒りや不安、悲しみ、混乱は隠すようになることが考えられます。

このような振る舞い方が大人になっても続く場合があり、そのような場合に見られる性格の特徴は、「熱狂的過剰反応者」と名付けられています。

この性格を持つ人は、熱狂的で楽しく、面白い人であることが多いとされています。社交的で、もてなし上手で、広報や宣伝の仕事をうまくこなし、周囲の人が心地よく感じるようにすることを好む傾向があります。

一方で、情緒が不安定で、自己中心的で、見栄っ張りの傾向があります。また、他人から注目を受けていないと愛されていないと感じ、自分が重要でないと感じることもあります。また、ちょっとした批判にも、心の大きな混乱をきたす傾向があります。

 

以上、駆け足の説明でしたが、6種類の性格について、おおむねの感じが掴めたのではないでしょうか。

もちろん、子供の育てられ方や、その状況には、この6種類しかないわけではありませんが、子供が行う適応が性格に及ぼす影響は、典型的には、この6つに分けて理解することができます。

 

さて、まず手始めに、あなた自身が1から6のどれにもっとも近いかを考えてみてください。

そして、あなたが子供のころに行なった決断は何なのだろうかと考えてみてください。それはおそらく、生き延びるため、あるいは周囲との関係を良くするための、やむにやまれぬ最善の決断だったのです。しかし、大人になった今は、必要であると考えるならば、それを修正するという選択を取ることもできます。

 

次に、あなたと最も親しい人、最も相性の悪い人を思い浮かべて、どの性格にあたるのかを考えてみてください。

それは、その人を批判するためでも、変わってもらうためでもありません。

私たち人間は誰もが、過去からさまざまな影響を受けて、今このようにあるのだと言うことが、実感できることと思います。

 

この説にご興味を持たれた方は、やや専門的な本ですが、「交流分析による人格適応論」(誠信書房、2007年)をお読みになると、性格のこの分類について、さらに詳しく知ることができます。

 

やや長くなりました。今回の話には「人生の学習」という題を付け加えました。この名にふさわしい情報だとお感じいただけたとしたら、心から嬉しく思います。

参考記事:『人生の学習 - 悪い習慣を変える

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

では、また。

 

追伸:メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」に、こちらから登録すると、このブログに掲載される記事を、無料で定期購読することができます(いつでも配信解除できます)。

 


人を思いやるということ

2017年4月7日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

 

東京板橋では、朝から強い風が吹いていて、満開になったソメイヨシノから桜吹雪が舞っています。

いかがお過ごしでしょうか。

 

さて、ある有名な心理学の実験らしいのですが、4歳の子供に被験者になってもらいます。そして、半面を赤、半面を緑に塗ったボールを用意して、その子供によく見てもらいます。

次に、赤の側の面が自分を向き、緑の側の面が相手に向くようにして、子供に「あなたが見ているのは、何色ですか」と尋ねます。

すると、子供は「緑」と正しく答えます。

次に「私が見ているのは、何色ですか」と尋ねます。すると、子供はたいてい「緑」という間違った答えをします。

それは、相手の立場に身を置くという能力が、通常は4歳よりも後に身につくからです。

 

子供の心理的な発達は、人類の歴史上の心理的な発達を繰り返すように進むことが知られています。

ですから、人間が相手の立場に身を置くという能力を手に入れたのは、それほど昔ではないことが分かります。

参考記事:『人類と子供の心の進歩の段階

 

相手の立場に身を置くというこの能力が基礎になって、人を思いやる心や同情する気持ちなどの、高度な心の働きが生じます。

バラ十字会AMORCのフランス代表が、自身のブログ記事で、思いやりのことを取り上げていますので、以下にご紹介させていただきます。

 

▽ ▽ ▽

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサンのブログ

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

Serge Toussaint

記事「人を思いやるということ」

 

人間が、同胞である他の人に示すことができる最も素晴しい美徳は、思いやりの心ではないでしょうか。

ご存知のように思いやりとは、他の人の試練や苦しみを、自分の試練や苦しみのように感じ、そのような状況にある人に寄り添ったり、気持ちだけでしかできないとしても、苦しみの一部を担おうとしたりすることです。

思いやりという、内面から湧き出てくるこの感情は、助け合いや連帯や友愛として、できるだけ実際の行動に表わされるべきだと思いますし、バラ十字会員の多くは、その哲学に沿って、そうするように心がけています。

 

思いやりとほとんど同じ使われ方をする言葉に「慈悲」という言葉がありますが、この言葉は、ほとんどの場合に、宗教的との関連で使われています。

その理由は、慈悲ということが、大部分の宗教とその聖典の重要な要素になっているからでしょう。特に仏陀とイエスは、慈悲を哲学の基礎にしました。

「哲学」という言葉を私が使ったのは、慈悲という徳は、これらの宗教の教義の一要素というよりはむしろ、苦しんでいる人や助けを必要としている人たちに向けた振る舞い方の理想にあたるからです。

このように考えると、苦しんでいる他人に慈悲を示し、その苦痛を和らげたり解消したりしようとする努力には、必ずしも信仰が必要とされるわけではありません。ただ、ヒューマニストであること、つまり、あらゆる人の存在を大切に考える人であるというだけで十分です。

バスの乗車で老人を助ける少女

 

ですから思いやりは、人間の他の多くの美徳と同じように、宗教的な感情というよりは、哲学やヒューマニズム(人間尊重の精神)に深く関連しています。

思いやりの心が、人類の間に今以上に広まれば、世界の状況が大いに改善されることは明らかでしょう。

その実現のためには、宗教、民族、国籍、文化や、人と人の間の外見上の違いになっているあらゆる要素とは無関係に、他の人たちの生活、健康、幸不幸が、望ましい状態であるかどうかということが、大多数の人の関心事になっている必要があります。

 

残念なことに、最近の数年にわたって、多数の国々が経済や社会の危機に直面していることが理由で、過度な個人主義と国家中心主義に多くの人が陥っている傾向が見られ、この両方から、差別や排他主義が生じています。

 

宗教的な感じを避けるためなのかもしれませんが、一部の人は、思いやりや慈悲という言葉を避け、その代わりに「共感」を話題にすることを望むようです。思いやりということには宗教的な性質があると(誤って)考えているためです。

共感とは、「他の人がどのように感じているかを感知する能力」ですから、それはそれで素晴しいことだと思います。

しかし、思いやりとは、「他の人たちが訴えている苦しみを自分も感じ、他の人の困難を和らげようとすること」であるとすれば、共感よりも具体的で心に響く言葉だと思います。

人を思いやるということには、実際のところ、他の人たちの困難や苦しみや痛みを感じるだけでなく、可能であれば助けようとすることも含まれているのではないでしょうか。

 

最後に述べておきたいと思いますが、「思いやり」と「あわれみ」を混同すべきではありません。

他の人たちの運命にあわれみを感じるということは、時として、その人に対する優越感の表れであることがあります。他人が自分よりも劣った状態、もしくは低いレベルにあると感じるような場合です。

他の人を心から思いやっている場合には、対等に、心の底から、まるでその状況に自分があるように感じているものです。

ですから、そのことについて何らかの価値判断をしているわけではなく、苦悩を分かち合い、その人を助けたいという心からの望みだけがあります。

バラ十字会AMORCフランス本部代表
セルジュ・ツーサン

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。本稿はそのブログからの一記事。

△ △ △

 

いかがでしたでしょうか。

何らかの形で、あなたの思索のきっかけになれば、とても嬉しく思います。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

では、また。

 

追伸:メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」に、こちらから登録すると、このブログに掲載される記事を、無料で定期購読することができます(いつでも配信解除できます)。

 


過去の記事一覧

このページのTOPへ