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流行という心理操作

2017年2月10日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

 

昨日の東京板橋は、雪まじりの冷たい雨が降っていましたが、今日は晴天が戻ってきました。

まだまだ寒いですね。いかがお過ごしでしょうか。

 

さて、多くの社会学者が共通して唱えているのですが、私たち現代人は、スマートフォーンのゲームアプリや他のゲーム機で遊んでいないとしても、仮想現実の中を生活しているという、かなり過激な説があります。

2年以上前のことになりますが、この説をご紹介させていただいたことがあります。

参考記事:『作られた現実という罠』

作られた現実という罠-消費社会について

 

最近、ユヴァル・ノア・ハラリというイスラエルの歴史学者が書いた『サピエンス全史』という本が出版され世界中で売れています。

NHKの「クローズアップ現代+」でも取り上げられていました。

この本で著者は、人類の社会を進歩させてきたのは「共通幻想」を信じる力だと、社会学者たちの先ほどの説と似た意見を述べています。

 

このような共通幻想のひとつに、ファッションなどの流行があります。

バラ十字会AMORCのフランス代表が、このことをテーマに文章を書いていますので、その翻訳を以下にご紹介させていただきます。

 

▽ ▽ ▽

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサンのブログ

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

Serge Toussaint

記事「流行について」

流行を追うということが始まったのは、誰にも分からないほど昔のことだと思われます。

あらゆる時代の、あらゆる国と社会で、人は流行遅れにならないように、つまり、その当時のはやりに自分を合わせようと努めてきました。

それはファッションだけでなく、インテリアや、音楽や絵画、言葉などにも見られます。流行に取り憑かれているとまでは言わないとしても、流行を追うことが主な関心事になっている人たちがいます。

時代が進むにつれてこの傾向は強まり、現在では、流行に影響されないことがかなり難しいほど、社会全般の現象になっています。

 

明らかに、流行を作り出している人と、流行に従う人の両方がいます。

そして、流行を作り出している人は必ずしも、洗練されているわけでも趣味が良いわけでもありません。

そのため、音楽のスタイルやファッションデザインの一部は、芸術的センスや美や調和とは無関係のものになっています。

流行が発信される理由は、利益が目的だったり、発信者のエゴを満足させるためだったり、その両方だったりします。

残念なことに、多くの人が流行に影響され、支配されていることもあります。

そのような人は、直接あるいは間接的に、自分では気づかないうちに流行を広める役割を果たしています。

 

先ほど述べたように、流行の多くは、芸術的センスや美や調和とは無関係であるのに、なぜそのような流行に、これほど多くの人が影響されるのでしょうか。

その理由は、現代社会では見かけによって人を判断する傾向が、ますます強くなっているので、「遅れている」とか、「ダサい」とか、「場違い」などと見なされることを恐れて、流行を追わざるを得なくなっているのでしょう。

一方で今日では、「奇抜であること」が人気の流行の指標になっているという面もあります。

このことに関連していますが、ファッションデザイナーや巨匠と呼ばれる人たちの多くが、自分の発信している流儀に多くの人が従うことを望んでいるにもかかわらず、自分自身としては、大勢(たいせい)に従わないことを主義にしていると述べているのは、驚くほど奇妙なことです。

ファッショナブルな服を着た3匹の犬

 

私の考えでは、分野にかかわらず流行は一般に心理操作のようなものであり、何よりもまず、それを発信した人に利益をもたらすことが意図されています。

ですから、流行を追い求めている人は、自分が雰囲気に流されやすいことや、自分自身の意見を持っていないことを暴露していると言うこともできます。

もちろん、流行の大部分は、それほど害もなければ、大きな問題を引き起こすこともありません。

しかしそうでないこともあり、たとえばある種の服のデザインは、不健康なまでに痩せることを促す傾向があります。

また、社会道徳に対して無感覚になるほど酒を飲むスタイルの流行については、どうでしょうか。

 

現代社会に蔓延している流行によって、それに従う人と従わない人の間の結びつきが弱くなってしまっています。

残念なことに、マスメディアや広告を手段にして、流行を広める対象として子供がターゲットにされることが、ますます多くなってきました。

ブランド品のおもちゃや文房具や子供服を、子供たち自身が欲しがるということを耳にすることが何度もあります。

そのたびに私は悲しい気持ちに襲われます。

健全な美的感覚を養い、それを表現していくという子供の発達過程に、流行の否定的な面が有害な影響を与えている一例が見られるからです。

一方で、このような影響から子供を守るように努力し、本物の独創性は、流行を追うことではなく、流行に左右されないことから始まると説明する親がいるのも見ることができます。

バラ十字会AMORCフランス本部代表
セルジュ・ツーサン

 

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。本稿はそのブログからの一記事。

△ △ △

あなたはどのようにお感じになったでしょうか。ずいぶんと辛口の意見だとお感じになったかもしれません。

私は、消費することが人の幸せに繋がらなくなっている一例が見えているのではと感じました。もしかしたら、現代の経済は大きな転換期にあるのかもしれません。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

また、お付き合いください。

 

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宇宙という名の楽器(その2)

2017年2月3日

こんにちは。バラ十字会の本庄です。日本本部の事務所へと向かう道の途中に河津桜の木が2本あり、陽がよく当たる方の一本がちょうど満開です。この時期は花が少ないせいか、蜜を求めてメジロが何羽も集まっています。

節分ですが、まだ寒いですね。いかがお過ごしでしょうか。

 

3週間前に、山形にお住まいの当会の理事の方の記事、『宇宙という楽器』をご紹介させていただきました。今回はその続きをお届けします。

 

前回の記事はこちら

『宇宙という名の楽器』(その1): http://www.amorc.jp/blog/?p=1331

 

▽ ▽ ▽

『宇宙という名の楽器』(その2)

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下勝悦

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下勝悦

それでは西洋音楽の12音階とは何なのでしょうか? どうして一オクターブは12音階なのでしょうか? このことに関しては音楽理論できちんとした答えが出されています。

ところが最近、ユニークな説明を見つけました。それによると、一オクターブの音域を等分して耳で理解しょうとすると、12等分が限界(無難?)なのだそうです。

 

それでは民族音楽の世界ではどうなのでしょうか? 民族音楽の世界でも12音階の概念があると言われています。ところが世界を見渡してみますと五音階、六音階などはあたりまえ、中近東や南アジアには18~24まで分割する音階も……。さらには、音階の概念さえも存在しない民族音楽までも……。

どうやら、民族によって音の感じ方は多種多様の様です。

 

日本ではどうなのでしょうか? 日本に昔から伝わる雅楽では呂(りょ)音階と呼ばれる五音階が使われています、これは俗にヨナ(四七)抜き長音階と呼ばれており、西洋音楽のドレミソラで構成されています。つまり長音階の4番目(ファ)と7番目(シ)の音を抜いた音階です。また、ヨナ抜き短音階も、さらに、ニロ(二六)抜き長・短音階もあります。

神社での笙の演奏

神社での笙の演奏

 

 

ヨナ抜き長音階は、明治以前までは日本の音楽(民謡や童歌)の主流でした。しかし明治の時代に入りますと音楽教育は西洋音楽一辺倒となり(西洋文化に追い付き追い越せの国家政策)文部省唱歌は全て西洋音楽の理論で作られるようになりました。ヨナ抜き音階は廃絶の危機にさらされたのです。

 

ところがヨナ抜き音階は長年に渡り日本人に受け継がれてきた文化です、そう簡単には排除できませんでした。現在もしっかり存在しています。日本の演歌は現在でもヨナ抜き音階が主流となっています。例を挙げれば「北国の春」、「夢追い酒」、氷川きよしの「箱根八里の半次郎」等々です。

 

それでは次にアメリカに行ってみましょう。(その3に続く)

△ △ △

 

ふたたび本庄です。山下さんはさらりと流していたので、ニロ抜き音階について調べてみました。

 

ニロ抜き長音階は、「ドレミファソラシ」から、レ(2番目)とラ(6番目)を抜くわけですから、「ドミファソシ」となります。口ずさんでみると分かりますが、沖縄の音楽の薫りがします。THE BOOMの『島唄』などです。

 

ニロ抜き短音階は、「ラシドレミファソ」からシとファを抜いて、「ラドレミソ」となります。日本古来のわらべ唄の音階で、『肥後てまり歌』(あんたがたどこさ)に使われています。

山本リンダさんの『どうにもとまらない』(1972年)の最初のフレーズもそうですね。

「知らない!」という方、古くてごめんなさい。

 

次回はふたたび、バラ十字会のフランス代表の方のブログから記事をお届けさせていただく予定です。

また、お付き合いください。

 

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すべてはエジプトから

2017年1月27日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

ニュースでは、各地の豪雪被害が伝えられていて、雪国の方々のご苦労はいかばかりかと、心が痛みます。

お変わりはありませんでしょうか。

 

さて、あるきっかけがあり、ピラミッドの国、古代エジプトの神々について調べていました。

ひとことで古代エジプトといっても、数千年の歳月と広大な地域があり、少なくとも百体以上の神々がいます。そこでやむを得ず、創造神話の神々に注目することにしました。古代エジプトの創造神話は、主に、オンという名前の古代都市の聖職者たちの間で唱えられていました。

古代都市オンは、ナイル川の三角州地帯、現在のカイロのすぐ北東にあり、紀元前3000年ごろから太陽神ラーの崇拝の中心地として栄えていました。

特に紀元前2400年頃には、オンの神学がエジプト王朝の全体に広まり、当時のファラオは「太陽の子」という称号で呼ばれていました。

オンという都市は、ギリシャ語で「太陽の都市」を意味するヘリオポリスという名でも知られています。

西洋哲学の創始者のひとりとされるギリシャの哲学者プラトンは、ヘリオポリスに留学していたという言い伝えがあります。

プラトンの絵

プラトン(ラファエロ作『アテネの学堂』より)

 

ヘリオポリスの創造神話によれば、宇宙に最初に存在していたのは、原初の海ヌンでした。この海からアトゥム・ラーが生まれました。太陽によって象徴される原初の創造神です。

「ネシ・アムス」(Nesi Amsu)という名のエジプトのパピルス文書には、このアトゥム・ラーが、シュー神(大気)とテフネト神(母なる水)を放出し、シュー神とテフネト神からゲブ神(大地)とヌト神(天界)が生じたと書かれています。

そしてさらに、ゲブ神とヌト神からは、オシリス(冥界の神)とイシス(豊穣の女神)とホルス(天空の神)とセト(破壊の神)とネフティス(夜の女神)のすべてが同時に生じたと書かれています。

 

以上の創造神話から、旧約聖書の『創世記』の冒頭を思い起こす方もいらっしゃるのではないでしょうか。また、エジプトのこれらの神々の系図を表にしてみると、ユダヤ教の秘伝哲学にあたるカバラの、「生命の樹」(セフィロトの樹)と似ていることが分かります。

参考記事:『カバラについて

 

旧約聖書の『創世記』によれば、モーセはエジプトで育った後に、ヘブライ人を連れてエジプトを脱出し、シナイ山で神と出会い、契約を結び、さまざまな掟を伝えられたとされています。この掟がユダヤ教の基礎になっています。

旧約聖書のこのストーリーの多くの点が、事実とは異なっていると考える現代の歴史家が多くいます。

たとえば、モーセは神に出会ったのではなく、当時シナイ山には、極めて進んだ哲学を研究している集団が住んでいて、モーセは彼らから教育を受けたのだという説があります。

現代の歴史家ではありませんが、古代ローマの著作家ヨセフスは、エジプトのファラオのアメンホテップ3世が、皮膚病の流行を避けるために患者たちを移住させたとき、ヘリオポリスの司祭オサルセフがそれを監督し、オサルセフは後にモーセと名乗るようになったという、エジプトの神官の記録を自分の書に引用しています。

 

これらのことを考え合わせると、モーセが、エジプトのさまざまな人々から進んだ思想を学び、それをユダヤ教の基礎として生かしたということは確実に思えてきます。

 

さて、古代エジプトの神々に話を戻しましょう。古代エジプトの宗教は多神教だと言われます。そしてアメンホテップ4世(ファラオ・アクナトン)が、多神教の聖職者たちの多くに対抗して、歴史上初めて一神教を唱えたとされています。

一方で、当会の専門家などの詳しい調査によれば、事情はそれほど単純ではないようです。確かに、エジプトのさまざまな地域で異なる神々が信仰され、人々は、健康や安全や他の御利益を願って、それらの神々に、供え物や寄付をしたり、祈りを捧げたりしていました。

 

しかし、アメンホテップ4世が生まれるはるかに前から、エジプトの聖職者集団の中枢にいる人たちは、さまざまな神々が、実は、宇宙のさまざまな原理の象徴に過ぎないと考えていたようです。

そしてこれらの原理は、宇宙で唯一の絶対的存在の異なる側面の現れにあたり、この絶対的存在は、知ることも名付けることもできないとされていました。

この考え方には現代の神秘学に大いに通じるところがあります。

 

神々が宇宙の原理を表わしているという実例をひとつご紹介します。

オシリスとイシスとホルスは、古代エジプトで最も広く崇拝されていた三大神です。オシリスは男性原理であり、イシスは女性原理にあたります。そして、この二神の間に生まれたのが息子のホルス神です。

ホルス神の像

カリフォルニア州サンノゼ市にあるバラ十字会の図書館の入り口に置かれたホルス神の像

 

現代の神秘学には、「三角形の法則」として知られている原理があります。第1の要素と、その反対の性質を持つ第2の要素が引き寄せあって結合したときに、新しい第3のものが生じるということが、世界のあらゆるところに広く見られるという原理です。

たとえば、プラスの電気を帯びた核と、マイナスの電気を帯びた電子が結合すると原子が作られます。人間では、精子と卵子の結合によって子供が生まれます。電源の陽極と陰極をつなぐことにより電流が流れます。人は身体と魂からなります。ある判断とそれと矛盾するように思われる判断が統合されたとき、より高いレベルの判断が完成します。

 

古代エジプトの進歩的な人々は、オシリスとイシスとホルスという三体の神のことを、この三角形の法則を表わす象徴だと見なしていた可能性があります。

 

プラトンはおそらく、古代エジプトの、このような進んだ考え方を学んだのです。

プラトンは自然界に見られるあらゆるものが、知性と物質の組み合わせだと考えていました。そして、知性のことを「イデア」もしくは「父」と呼び、物質のことを「育むもの」もしくは「母」と呼びました。

有名なイデア説ですが、オシリスとイシスとホルスによって象徴される三角形の法則にそっくりです。プラトンのこの考え方は観念論と呼ばれますが、その後、彼の著作や弟子のアリストテレスを経て、世界中に広がって行くことになります。

 

先ほど話題にしたモーセは、古代エジプトの進んだ思想を吸収して、ユダヤ教の骨格を作り、それは、キリスト教とイスラム教の基礎にもなりました。そのためモーセは、この3つの宗教のすべてで、重要な預言者であると見なされています。

プラトンを通して、エジプトの思想は、その後の西洋のあらゆる哲学に影響を与えることになりました。

また、「哲学の父」と呼ばれる、古代ギリシャの哲学者ミレトスのタレスも、三平方の定理で有名なピュタゴラスも、エジプトに留学していたことがあります。

 

ですから、西洋の哲学と宗教の基礎は、ほとんどすべてがエジプトからもたらされたということができるようです。

 

私はまだ、テレビと写真でしか見たことがないのですが、ギザ高原にある巨大で精巧なピラミッドを目にすると感じることがあります。この国には、何かとてつもなく壮大なことが古代に伝えられていたのであり、それを現代人は、まだほんの一部しか見いだしていないという思いです。

 

では、今日はこの辺で。

また、お付き合いください。

 

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細胞の意識について

2017年1月20日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

 

東京板橋は寒い一日になっています。北国の人には笑われそうですが、最高気温が4度だと朝の天気予報で聞いただけで、身震いしてしまいます。

いかがお過ごしでしょうか。

 

たびたび話題にしていることですが、現代社会には物質主義と呼ばれる考え方が広がっています。

参考記事:『バラ十字会AMORCのマニフェスト(宣言書)のご紹介

 

物質主義というと、やや難しく感じますが、その代表的な考え方は、人とは、単に物質でできた肉体だとすることです。端的に言えば、人間のことを、とてもよくできたロボットのようなものだと考えるわけです。

この考え方からは、人の脳は、幼児期の体験や遺伝などによって、人工知能のようにプログラミングされたものであり、人の行動は、このプログラムによって決まってしまっているという、いわゆる決定論と呼ばれるものが生じがちです。

 

モルモットやハトなどの研究や、ノイローゼなどの原因の分析を主な課題にしていた古い時代の心理学者の多くは、このような決定論に近い考え方を唱えていました。

ところがこの決定論は、事実と異なるばかりか、かなりの害があることが知られています。というのも、地道な努力をすることを妨げる、言い訳に繋がってしまいやすいところがあるからです。

たとえば、「人前に出ると上がってしまうのは、お父さんとお母さんの育て方が悪かったからだ」などです。

 

一方で、さまざまな神秘学派や、現代の心理学の多くでは、人は自分の行動を自由に決めることができる、つまり人間には自由意志があると考えています。

別の言い方をするならば、私たち人間は、外の世界から与えられた刺激に対して、どのように反応するかを、自分の価値観に基づいて主体的に選ぶことができると考えるわけです。

 

このような主体性のもとになっているのは、人間の意識だということができます。

最近、このブログで何回か取り上げている人物ですが、米国の心理学者のケン・ウィルバーは、禅の体験をもとに、瞑想を重ねていくと人間の意識の状態は、粗(Gross)領域から、微細(Subtle)領域、元因(Causal)領域、トゥーリヤ(Turiya)領域と深まっていくとしています。

ちなみにこの4つの意識は、バラ十字会では、客観的意識、サイキック意識、ソウル意識、宇宙意識と呼ばれています。

参考記事:『心の構造について

 

 

先日、バラ十字会AMORCのフランス代表が、臓器移植を話題にしたブログ記事で、これらの意識について述べていますので、その翻訳をご紹介させていただきます。

 

▽ ▽ ▽

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサンのブログ

記事「細胞の意識について」

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

Serge Toussaint

 

臓器の移植を受けた後に、患者が、今までとは異なる感情を抱いたり、今までとは異なる印象を受けたりすることがあります。

以前は特に好みではなかった食べ物が突然大好きになったり、ある種の活動に興味を抱いたり、ある光景をどこか別の場所ですでに見たことがあるように感じるなどです。

容易に想像できることですが、このような感情や印象は、原因を理解することもコントロールすることも難しいので、移植を受けた人の心が動揺してしまうことがあります。

 

常識には反するかもしれませんが、このような“現象”は珍しいことではありません。

しかし、誤解されることを懸念して、このことについて話しをすることを望まない人が多くいます。

特に、物質主義や合理主義の傾向が強い人にこの話しをすると、誤解が生じやすいように思われます。

科学界の一般的な傾向として、この種の事例は、できれば避けたい話題として扱われたり、極めて疑わしい情報であるとさえ見なされたりしています。

というのも、人間とはどのようなものであるかという科学一般の考え方とは相容れないように感じられるからです。

 

科学者の多くは人間のことを、物質でできた身体だけから構成されていると考え、物理化学的な一連のプロセスだけによって、人の命が保たれていると考えています。

そして、印象や感覚を人が感じることのできるのは、その人の脳内の意識のおかげであり、脳だけが人間の意識が存在する器官であるという結論を出している人もいます。

“思い込み”とまでは言わないとしても、この考え方に基づくならば、移植のために取り出された臓器は、単なる肉のかたまりであることになり、そこには生命力も意識もなく、移植を受けた人の生理学的な働きだけによって、臓器の活動が再開されることになります。

 

バラ十字会の哲学の観点からいうと、意識は脳だけにあるのではありませんし、脳の物理化学的な働きだけから生み出されているものでもありません。

意識には、脳によって生じる物についての意識だけでなく、サイキックな意識とスピリチュアルな意識があり、この2つの意識は身体のすべての器官と細胞を満たしています。

そのため、人のすべての器官にも細胞にも意識があり、その意識の働きによって記憶があります。

ですから、私たちの細胞や器官にはそれ自体の記憶があり、この記憶は、細胞や器官の体内での活動に役立っているだけでなく、味覚や性癖や興味や、より広くいえば、その人の個性に影響を与えています。

ミカヅキモの細胞

ミカヅキモの細胞

 

 

もしこのことを認めるならば、ある臓器が誰かから取り出されて、別の人に移植されたときに、その臓器にはドナーの個性を作り上げていた記憶の一部が保たれていて、それが“薄められた”形で、移植された人の個性に影響を与えるというメカニズムを理解することができます。

しかしいかなる場合にも、移植を受けた人の自由意志がドナーの意志に置き換えられたり、意図に反した行動に駆り立てられたりすることはあり得ません。

移植の影響は、多くの場合すぐには表れませんが、数週間か数ヵ月が経つと、普通ではない感覚や印象が生じ、心が不安定になることがあります。

 

バラ十字会AMORCフランス本部代表
セルジュ・ツーサン

 

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。本稿はそのブログからの一記事。

△ △ △

 

やや難しくなりますが、少し補足をします。

ドイツの神秘家のルドルフ・シュタイナーは、講演『人間という多層構造』(The Manifold Constitution of the Human Being, 1907)で、人間は、肉体、エーテル体、アストラル体という3つの体が重ね合わされたものだとしています。

 

 

バラ十字会では、この3つのことを、肉体、サイキック体、ソウル(スピリチュアル体)と呼んでいます。サイキック体は、生命力に深く関わる人間の部分で、ソウルは人間の不滅の核です。

物についての意識は脳によって生じますが、上の文章でサイキックな意識、スピリチュアルな意識と呼ばれているものは、それぞれ、サイキック体とソウルによって生じています。

 

いかがでしたでしょうか。最後はやや立ち入った話題になりました。今回は、この辺りで。

ではまた

 

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宇宙という名の楽器(その1)

2017年1月13日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

 

東京板橋は晴天が続いていますが、朝がとくにしんしんと冷え、顔を洗う水が冷たく感じます。

そちらはいかがでしょうか。

 

このブログも今回が138回目と、始めてから早くも2年半になりました。私の話ばかりが続いて、退屈されている方がいらっしゃるといけないと思い、親しい会員の方々に、何か書いてくれませんかとお願いをしました。

そして、山形にお住まいの、地元のお祭りが三度の飯よりも好きという当会の理事の方から、音楽についての文章をお寄せいただきました。

▽ ▽ ▽

『宇宙という名の楽器』【その1】

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下勝悦

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下 勝悦

 

つい先日、寄稿の依頼の声掛けをいただきました。直ぐに『はい!!』と二つ返事で引き受けたものの、それではテーマは何にしようか?

その時、突然頭に浮かんだのが『民族音楽(楽器)と西洋音楽12音階』という言葉です。一瞬『ん?何故こんな言葉が浮かんできたのか……?』と思いました。しかし、その時は深く考えずに行動を開始。

 

さて、音楽における音階の概念を考え出したのは哲学者ピタゴラスと言われています。このことに関しての大体の話は知っていましたが、もっと詳しく調べてみようと図書館に直行。

 

ピタゴラスに関しての本でしたら哲学のコーナーなのでしょうが……。つい何時もの習慣(?)で足は音楽のコーナーに……。そこでふと目に留まったのが『音楽と人間と宇宙』という本です。次の瞬間『これは使える!!』と判断。早速に借り受け読んでみました。

すると『な、何だ、これは!?』といった内容でした。タイトル通りと言えばそうでしょうが、音楽を宇宙論で解釈しようというのです。宇宙物理学者の説によれば宇宙はそれ自体が音楽を奏でているというのです(宇宙自体が巨大な楽器?)。これは古代ギリシャ人が天球の音楽と呼んだもので現代では『ひも理論における振動についての仮定』となるのだそうです。

 

そこで又も図書館に直行。早速にひも理論の解説書を読みまくりましたが、いかんせんアナログ世代の私には中々理解出来ません。

元々の最初の目的は民族音楽と西洋音楽という似て非なるもの(非て似なる?)を一つの土俵でぶつけ合わせてみようと思ったのですが、事態は思わぬ方法に暴走(?)してしまった様です。

 

正に出口の無い迷路に迷い込んこんでしまった心境です。こうなったなら無理やり宇宙論をも巻き込んで元々のテーマに軌道修正と行こうと思います。さて、これからどうなるものやら、私にも分かりません。

* * *

それでは、宇宙を音楽を奏でる巨大な楽器と解釈することにして先に進みましょう。バラ十字哲学の基本原理に『上のように下にも』という言葉が有ります。

参考記事:『エメラルド・タブレットとは

 

これを人間に当てはめますと、人間は大宇宙に対して小宇宙、つまり人間は宇宙の原理法則が凝縮された活きる存在となります。そう考えますと宇宙に内在する音楽情報のすべてが、人間の内部にも存在することになります。

 

さて、それを念頭に置き西洋音楽(現代音楽)の話題に移りましょう。西洋音楽はド・ド#・レ・レ#・ミ・ファ・ファ#・ソ・ソ#・ラ・ラ#・シの12種類の音、さらにA=440ヘルツを基準音、つまりピアノ鍵盤中央のラの音を440ヘルツに調律するのが世界基準となっています。

ところがモーツァルトが活躍していた頃の時代の基準音は今より半音位低かったと言われています。実は、その頃基準音の楽器として使われていたチェンバロのラ音をA=440ヘルツに調律しようとすると音源のスチール弦が切れてしまう(当時のスチール弦の耐久性に問題があったため)危険性があったからだそうです(一説です、他の理由もあったと思います)。

 

現代では441ヘルツあるいはもう少し上を基準音としているオーケストラも存在します。その訳は440ヘルツより少し音程を上げれば華やかな響きとなるからだそうです(現代人の好みの変化なのでしょうか?)。それでは440ヘルツに関しての話題をもうひとつ、人間の新生児の産声は440ヘルツの音程とか……。(続く)

△ △ △

「オギャー、オギャー」がラ音だとは驚きですね。たまたま今日の朝のニュースで、秋田の「なまはげ」の話題が紹介されていました。なまはげと赤ちゃんがいれば、オーケストラの音合わせができますね(できません!)。

 

次回は、バラ十字会のフランス代表の方のブログからの記事をお届けしたく思います。来週もお付き合いいただければ嬉しく思います。

ではまた。

 

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