公式ブログ

神秘学について

2018年3月9日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

東京板橋では、サクラソウや桃の花をたくさん見かけるようになりました。

 

いかがお過ごしでしょうか。

 

先日、高校の同窓会に出席したときに、久しぶりに再会した親友に、こう言われました。

「おお、こんばんは。フェイスブックで活躍だね。ホームページも見たよ。なかなかいい感じだけど、神秘学って言うところが何となく怪しいかな。」

 

確かに、「神秘学」(mysticism)あるいは「神秘哲学」という言葉を何となく怪しく感じる人は多いようです。

 

まあ、無理もないことなのですが、事情を知ると意見が変わる人も多いのです。

たとえば、今私が座っているデスクの後ろの本棚には、井筒俊彦さんという哲学・文化研究の大家が書いた「神秘哲学」という本があります。

この本を読むと、ソクラテス、プラトン、アリストテレスなど、西洋の哲学の源流が、まさに神秘学にあたるということが分かります。

ですから、「ヨーロッパの伝統的な哲学」と「神秘学」はほぼ同じ意味だと考えることができます。

 

神秘学とは何かという説明は、さまざまな切り口から始めることができます。当会のフランス代表が書いた「神秘学について」というブログ記事では、「神秘学」という言葉の由来から説明が始まっています。

今回、この記事を日本語に初めて翻訳しましたので、ご紹介させていただきます。

 

▽ ▽ ▽

 

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサンのブログ

記事「神秘学について」

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

Serge Toussaint

 

「神秘家」(mystic)という言葉を用いて、謎めいた人や奇妙な人を指したり、ひどい場合には、現実感覚を失った偏った考え方をしている人のことを意味したりするジャーナリストやコラムニストがいます。

もちろん、このような意見に私は同意していませんが、残念ながら「神秘家」という言葉が、軽蔑的な意味や否定的な意味で用いられることが時として見うけられます。

 

そこで、「神秘家」という言葉の本来の意味を、その語源から考えてみましょう。「神秘学」(mysticism:神秘哲学)という言葉は、ギリシャ語の「ムスティコス」(musticos)に由来します。

「ムスティコス」は「人生の秘密」、より広く言えば「人生の秘密について調べること」を意味します。

ですから神秘家とは、人生の秘密に興味を持ち、物事がなぜ、どのようにして起こるのかを理解しようとしている人のことを指します。

僧院で本を読む子供の僧侶

 

神秘家と、この語の本来の意味で呼ばれる人たちの多くに共通している特徴は、人生について、宗教というよりはむしろスピリチュアルな(spiritual:非物質的な領域が存在すると想定し、それを重視する)取り組みをしていることです。

つまり、このような人たちは、ソウル(魂)と神が存在すると考えていますが、神のことを、人格を持たない絶対的な知性だと理解しています。

さらに、宇宙と自然界と人間はこの知性に満たされていて、この知性は、物質的な法則と非物質的な法則として表れていると考えています。

 

神秘学的な見方からいえば、これらの法則を学び、それを活用し、それに沿うように生きることが、私たちの誰もが望んでいる幸福を実現するための最も確実な方法です。

そして、私たち人間の大部分が幸せでないという現状は、私たち人間がこれらの法則に無知であり、あまりにも頻繁にそれに違反しているということがまさにその原因です。

 

一部の人の想像とは異なるかもしれませんが、神秘学の探究を行っている人たちの大部分は、バランスの取れたごく普通の生活を送っています。

さらに言えば、このことは神秘学の探究にとって必要不可欠なことです。

というのも、神秘学は社会から遠ざかったり現実から逃避をしたりすることを意味しておらず、それとはまったく反対に、神秘学が意図しているのは、他の人たちとの交流を通じて個人が内面的に進歩するのを補助することだからです。

ですから神秘学は日常生活のことを、役に立ち必要不可欠な経験の場だと見なしています。

一緒に本を読む3人の子供の僧侶

 

このことはまさに、バラ十字会AMORCの世界中の会員の大部分が共有している見解です。

「神秘家の頭は天空にあるが、足を大地につけている」という古くからのことわざも、このことを表しています。

 

ちなみに私は神秘学のことを、スピリチュアリティを探究する(内面の崇高さを究めようとする)行いの中でも極めて優れた種類の探究のひとつだと考えています。

なぜなら、神秘学とは単に神を信じることではなく、先ほどご説明したように、神(人格を持たない絶対的な知性)が私たちの周囲に表現しているさまざまな法則を理解することだからです。

別の言い方をすれば、神秘学とは、宇宙(と神)を理解するためだけでなく自身を理解するための知識です。

さらに、私たち人間は自分の運命をコントロールすることができ、自分の望みにできるだけ合致するような人生を実現することができるということを、多くの神秘家が確信しています。

もちろんこの実現のためには、自分の考え、発言、行いをさまざまな法則に沿うように変えていくことが必要になります。

雨の日に室内で本を読む女性

 

この文章の結びとして、優れた科学者であり真の神秘家であったアルバート・アインシュタインの言葉をご紹介したいと思います。

「我々が経験できる最も美しく、最も深遠な感情は神秘の知覚である。(中略)私たちにとって計り知れないことが実際に存在し、最高の英知かつ燦然(さんぜん)たる美として現れていて、私たちはその最も粗野な部分しか理解することができない。この知識、この感覚こそが真の経験すべての核心である。」

 

バラ十字会AMORCフランス本部代表
セルジュ・ツーサン

 

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

本稿はそのブログからの一記事。

△ △ △

 

以前にこのブログでは、ルドルフ・シュタイナーが神秘学をどのように捉えていたかということをご紹介しました。この記事も神秘学とは何かをご理解いただくためのご参考になること思います。

参考記事:「シュタイナーと神秘学

 

 

では、今日はこの辺りで。

また、お付き合いください。

 

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探春と旅-文芸作品を神秘学的に読み解く9

2018年3月2日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

昨日今日と、爆弾低気圧のせいで強い風が吹きましたが、被害はありませんでしたでしょうか。

 

もうすぐ春分ですね。東京ではそこここで木々が新芽を出していますが、北国にお住まいの方は、春の本格的な訪れが待ち遠しいことと思います。

札幌で当会の公認インストラクターをされている私の友人から、この時期にふさわしい文章の寄稿がありましたので、ご紹介させていただきます。

 

▽ ▽ ▽

 

『探春と旅』-文芸作品を神秘学的に読み解く(9)

森和久のポートレート

森 和久

 

まだまだ寒い日が続いています。春を待つ日々に読んでみたい詩をまず見てみましょう。

 

尽日尋春不得春   【尽日(じんじつ)春を尋ねて春を得ず】

杖藜踏破幾重山   【杖藜(じょうれい)踏み破る幾重(いくちょう)の山】

帰来試把梅梢看   【帰来(きらい)試みに梅梢(ばいしょう)を把(と)って看れば】

春在枝頭已充分   【春は枝頭(しとう)に在って已(すで)に十分】

 

意味:

一日中春を探し廻ったが、とうとう春に出会うことは出来なかった。

あかざ(畑地に自生する一年草、茎は乾燥して杖に使用される)の杖をついて幾つもの山を踏み越え春を探してみたのだが。

我が家に帰ってきて試しに梅の一枝をとってみたら、

枝の先には蕾が膨らんでいて、春はそこにあった。

 

これは12世紀ごろ、宋の時代の詩人戴益(たいえき、生没年不詳)の漢詩です。もともとタイトルはなかったようですが、『探春』(たんしゅん)と呼ばれ親しまれています。

「さんざん春を探し廻ったけれど、実は自分のところにあった」ということです。しかし、探しに行かなければ「春の訪れ」の意味を認識はできないのです。

当たり前と思ってしまっているままということになるでしょう。「春になるのは当たり前」と思うのと、「今年もまた春が訪れた」と考えるのとでは、まったく違うということです。

 

次にドイツの詩人カール・ブッセ(Karl Hermann Busse, 1872–1918)の作品を見てみましょう。

 

Über den Bergen

 

Über den Bergen weit zu wandern

Sagen die Leute, wohnt das Glück.

Ach, und ich ging im Schwarme der andern,

kam mit verweinten Augen zurück.

Über den Bergen weit weit drüben,

Sagen die Leute, wohnt das Glück.

 

意味:

山のかなた

 

山のかなたのはるか遠くに

幸せが住んでいると人々は言う。

ああ、そして私もみんなと一緒に行ってみて、

目に涙をあふれさせ帰ってきた。

山のかなたのさらに遠くの向こうに

幸せが住んでいると人々は言う。

 

日本では『山のあなた』という上田敏の訳で有名です。ちょっと前までは小学校5年生の国語の教科書にも載っていました。2行目と6行目の「人々(Leute)」は「世間のある人々」、3行目の「みんな(Schwarme der andern)」は「他の人たち(知人とか)」なので、違いを明確にするため訳し分けてみました。

この詩では認識すべき範囲がさらに広がっています。当初の認識ではまだ範囲が狭く、さらに広範囲に認識を広げなければならないということです。

 

では、最後に若山牧水(1885-1928)の作品を見てください。

 

幾山河

越えさり行かば

寂しさの

終てなむ国ぞ

今日も旅ゆく

 

意味:

どれほどの山河を越えて行けば

寂しさが尽き果てる国があるのだろう

(そこを求めて)私は今日も旅を続ける

 

『幾山河』と呼ばれるこの作品ではもう基点(家)はなく、旅をし続けるという内容です。どこから来て、どこへ行くのかもわかりません。

 

見ていただいた三作品、三者三様の内容です。それぞれの考え方の違い、生き方の違いと言ってもいいでしょう。でもこれら三作品には共通点があります。それは移動(旅)をした、しているということ。つまり変化しているということです。

生き方は一つではありません。人それぞれの生き方があっていいし、時に変えてもいいはずです。なぜならすべては変化するものだから。

 

神秘学では、「すべてのものは、成りつつある」とされます。すべてのものは変化し続け、今ある状態にとどまることはないというわけです。人類という大きな流れは絶えることはありませんが、その中の「私」は常に変化し続けるということです。

冒頭の『探春』のように、「今、幸福だからこのままでいい」と思っても変化は訪れます。逆に変化させないためにはそれ相応の努力が必要です。

 

バラ十字会AMORCが出版している書籍に『ライフマップ』というものがあります。

物事は周期(サイクル)によって司られており、その仕組みをわかりやすく説明してあります。一日の周期、一年の周期、人生の周期、転生の周期といったものが、それぞれ詳しく述べられています。

つまり私たちは周期をもった流れの中で生きています。そしてその周期というのは一つだけではなく、複数の周期が重なり合って複雑な様相を呈しているのです。

 

(付記:『ライフマップ』の電子書籍版は下記のURLで購入することができます。)

https://www.amazon.co.jp/dp/B013ZZA6ZA/

 

たとえてみるならば、『探春』は日々の周期、『山のかなた』は年や人生の周期、『幾山河』は魂の周期とも言えるでしょう。

私たちは日々、仕事や学校、買い物や旅行などへ出かけ自宅に帰り休養し英気を養って、を繰り返し、人生という長さで考えれば、それ相応の旅や探求をし、帰るべきところへ帰ります。

 

そして魂は、完全を目指して旅を続けるのです。生まれて生き、転化(死)し、準備を経てまた生まれることを繰り返します。

太陽系のそれぞれの惑星は自転もしながら太陽の周りをそれぞれの周期で回っています。つまり公転しています。そして太陽自体も太陽系の星々を引き連れて、宇宙の中を突き進んでいます。きっとある周期(サイクル)を持って進んでいるのでしょう。

でも私たちには未だその道筋はわかっていません。太陽系の道程も魂の道程もただ探求し続けるのみです。

 

△ △ △

 

ふたたび本庄です。

 

「旅」という言葉を聞いて、思い出した詩があります。

 

幸せは旅であり、目的地ではありません。

踊りなさい、誰も見ている人がいないかのように。

愛しなさい、一度も傷ついたことがないかのように。

歌いなさい、誰も聞いている人がいないかのように。

働きなさい、お金が必要でないかのように。

生きなさい、この地上よりも素晴しい場所がないかのように。

(アルフレッド・D・スーザ)

 

では、今日はこのあたりで。

 

参考記事(前回の寄稿):文芸作品を神秘学的に読み解く(8)『青い鳥

 

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カバラと生命の樹について

2018年2月23日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

立春も過ぎ、二十四節気では雨水になりました。雪が溶け、農作業の準備を始める季節とのことですが、まだまだ寒いですね。

 

いかがお過ごしでしょうか。

 

さて、私はキリスト教徒でもユダヤ教徒でもありませんが、旧約聖書のいくつかの部分を読むと、物語として面白いだけでなく、解くべきいくつもの謎が秘められているように感じます。

たとえば、ほとんどの方が知っている有名な話だと思いますが、アダムとイブは、蛇にそそのかされて、楽園の中央にある禁じられた木の実を食べます。その結果、恥ずかしさと善悪を知るようになります。

そして神は、二人がさらに、楽園に生えている「生命の樹」の実を食べて、永遠に生きるものになるおそれがあると考え、アダムとイブを楽園から追放します。

 

表面的に見ると、ヘビが地面を這い、女性が出産のときに苦しみ、食物を得るために人は働かなければならないということを説明した神話的物語です。

しかし、皆さんも、この物語の背後には何か重大な謎が隠されていると、直観的に感じるのではないでしょうか。

 

聖書に書かれている話を文字通りの事実と考える立場を根本主義(fundamentalism:ファンダメンタリズム)と呼びます。

私は根本主義者ではないので、人類の祖先がアダムとイブという一組のカップルだとは考えていません。そして、いったいこの話は、何の比喩なのだろうか。作者は何を伝えようとしているだろうかと、強い興味を感じます。

皆さんは、どうでしょうか。特に、「生命の樹」とはいったい何だとお考えになるでしょうか。

 

アダムとイブの話が出てくるのは、旧約聖書の最初の書『創世記』です。旧約聖書の最初の5つの書には、古代イスラエルの指導者モーセが書いたという言い伝えがあり、「モーセ五書」と呼ばれています。

モーセ五書は、別名では「トーラー」、「律法」もしくは「法」(Law)と呼ばれ、ユダヤ教を信仰している人の多くは、まさに神の声にあたると考えています。一方で興味深いことに、ユダヤ教には伝統的に根本主義とは反対の立場があります。

「〈法〉と〈法の魂〉と〈法の魂の魂〉がユダヤ教には伝えられている」という言葉にこの立場のことがよく表されています。

つまり、ユダヤ教には、トーラーという神話と行動規範(法)があるだけでなく、その背後には哲学(法の魂)と、秘伝思想(法の魂の魂)があると考えられているわけです。

 

この秘伝思想がカバラと呼ばれています。

カバラとは、文字通りには「受け取られたもの」を意味します。カバラは最初、ほんの一部の人に口伝で伝えられるだけだったのですが、後に文書として書き表されるようになりました。

そのうちでも、最も古く基本的であると考えられている文書に、『セーフェル・イェツィラー』(形成の書)があります。この書は西暦2~3世紀ごろに成立したと考えられており、この世界がどのように創造されたかということが凝縮された形で表されています。

 

参考記事:『カバラ・ハンドブック

 

セーフェル・イェツィラーによれば、世界の元になったのは、神の思考(アイン)と神の言葉(アイン・ソフ)と神の行為(アイン・ソフ・オウル)です。

そして、“流出”というできごとが10回起こり、最も精妙な「ケテル」(Kether:王冠)から始まり、最も物質的な「マルクト」(Malkuth:王国)までの10個のセフィロトと呼ばれるものが、そこから出現したとされています。

「セフィロト」(sephiroth)という語は、「数の流出」を意味しています。

 

“流出”は、やや分かりにくい考え方なので、その説明には、建築がたとえとしてよく使われます。

建物には、その設計図があります。そしてその設計図は、建築家の心の中にある構想を元にして書かれたものです。ですから、建物が造られるときには、構想、設計図、建物という流出が起きて、抽象的で精神的な原因から、具体的で物質的な結果が生じると考えられます。

これと同じように、世界の創造では、神の思考と言葉と行為から流出が起き、抽象的な精神的な世界がいくつも形成され、段階的な具体化が起こり、最後にやっと物質の世界にあたるマルクトができたと古代ヘブライの伝統思想は考えているわけです。

 

さて、ここからはできれば図を見ながらお読みください。この図は生命の樹を表しています。10個の丸で示されているのがセフィロトです。

生命の樹とヘブライ語のアルファベット

生命の樹とヘブライ語のアルファベット (クリックすると拡大図が別画面で表示されます)

 

セフィロトは、厳しさ、慈悲、仲裁、もしくは女性原理、男性原理、シェキーナーと呼ばれる3本の柱の上に配置されています。

セフィロトに書かれている数字が流出の順番であり、それをたどっていくと、稲妻のような道筋が描かれます。

 

このブログでは、世界中の古代思想にある不思議な共通点にときどき触れていますが、ここにもその一例があります。

「神」という文字は、古代中国で、もともとは右側の「申」だけだったのですが、「申」は、まさに稲妻の形を表している象形文字です。そのため、「申」という文字と、生命の樹全体の形が似ています。

セフィロトと他のセフィロトは線で結ばれています。この線は全部で22本あり、10のセフィロトと合わせて「32の神秘の英知の道」と呼ばれています。

 

さて、言霊(ことだま)という考え方は、日本人になじみの深いものですが、古代ヘブライ思想でも、言葉や文字に含まれているエネルギー、パワーがとても重視されていました。

「数と観念」、「発声された言葉」、「文字を用いて書かれた言葉」と事物は、神においては同一であり、”流出”によって、物質の世界では別々になっていると、カバラでは考えられています。

 

「トーラー」も「セーフェル・イェツィラー」も、もともとはヘブライ語で書かれています。そして、ヘブライ語のアルファベットは22文字からなります。

各々のアルファベットには、文字としての形が意味するもの、数値、発音そのものの象徴的意味が対応していて、トーラーやセーフェル・イェツィラーを解釈するときには、そのすべてを考慮しなければならないとされています。

 

たとえば、トーラーの最初の書「創世記」は、「最初に」を意味する単語「ベレシト」で始まり、その最初の文字ベートの数値は2です。トーラーの最後の書「申命記」の最後の単語は「イスラエル」で、その最後の文字ラメッドの数値は30です。

この2つの合計の32という数は、先ほどの「32の神秘の英知の道」を示していると考える研究家がいます。

このように、トーラーやセーフェル・イェツィラーは、ヘブライ文字の象徴的意味を通して、何重もの解釈をすることができます。

 

ヘブライ語のアルファベットの22文字のうちの3文字(アレフ、メム、シン)は、他のすべての文字の元になる字であるとされ、母字と呼ばれています。

また7文字(ベート、ギメル、ダレット、カフ、ペー、レーシュ、タヴ)は複字と呼ばれています。複字には日本語のひらがなやカタカナの濁点のように、ダゲッシュという点を加えることができ、それによって別の発音、別の意味になります。

残りの12文字は単字と呼ばれています。

 

7文字の複字には、創造の7日間や、曜日(太陽、月と五惑星)が対応しています。12文字の単字は、一年の12か月、十二宮の星座に対応しています。

 

もう一度、生命の樹を眺めてみてください。セフィロトとセフィロトを結んでいる線には、横の線が3本と、縦の線が7本と、斜めの線が12本あります。このそれぞれが、母字、複字、単字に対応しています。

タロット・カードの大アルカナは22枚であり、セフィロトを結んでいるこの線と、一対一に対応していると考える研究家がいます。

『光の門』(ヨセフ・ヒカティーリャによる翻訳、1516年発行)の表紙の絵

『光の門』(ヨセフ・ヒカティーリャによる翻訳、1516年発行)の表紙の絵

 

古代哲学では、宇宙のことをマクロコズム、人間のことをミクロコズムと呼んでいました。そして、マクロコズムの周期(cycle)は12の位相(phase)からなり、ミクロコズムの周期は7の位相からなるとされています。

古代の神秘家は、これらの知識をもとに一年を12か月、一週間を7日に定めたわけです。

そして、古代のこれらの知識が、ヘブライ思想としてモーセを通して後の時代に伝えられていきました。

 

では、モーセはこのような知識をどこから得たのでしょうか。モーセはもともと、古代エジプトの都市ヘリオポリス生まれの神官であったという伝承があります。また、モーセが啓示を得たとされているシナイ山には、エッセネ派の前身であった共同体の神殿があったという伝承があります。

古代ギリシャの哲学者ピュタゴラスは、エジプトの神秘学派で22年間学んだとされていますが、彼は宇宙が数を基礎に設計されていると考え、10を神聖な数と考えていました。

これらとセーフェル・イェツィラーには多くの共通点があることなどから考えると、カバラの元になったのは、古代エジプトの宇宙論ではないかという推測をすることができます。

 

さて、バラ十字会AMORCではカバラを学ぶことができるのですかという質問をいただくことがあります。

バラ十字思想には、いつの時代も欠かすことのできない要素としてカバラが含まれていました。それは現代でも例外ではなく、当会の学習によって、カバラの多くの要素を身に着けることができます。

 

しかし、今回取り上げたような、セーフェル・イェツィラー、セフィロトや生命の樹について直接学習し、そこから神秘学の本来の目的、つまり、より良く生きるための英知を手に入れるのは、それほど簡単なことではありません。

そのためには、いくつかの基礎知識が必要とされますし、瞑想などのテクニックをあらかじめ、ある程度は身に着けておかなければなりません。

 

そのため、当会の学習課程でカバラのことを本格的に学習するのは、学び始めてから、かなりの月日が経ってからになります。

 

話を戻しますが、最後のセフィロトであるマルクトは、私たちが住んでいる物質の世界を表します。それでは、他のセフィロトは何を表すのでしょう。

先ほどご説明した”流出”のことを考え合わせるならば、物質ではない世界、つまり、物質の世界の基礎となっている精神の世界のことを表すということがご理解いただけることと思います。

しかし、宇宙の創造は時の初めにだけ起こったことではなく、時間を超越したことであり、生命の樹が象徴しているご説明したような宇宙の構造は、私たち人間の心の発達の過程を表すモデルであるとも考えることができます。

 

このように考えると、セフィロトは意識の状態を表わすことになります。

カバラの研究家の一部は、この意識の状態の象徴として、それぞれのセフィロトに天使を対応させています。

 

物質の世界に肉体を持つ人間は、宇宙の秩序に最も良く同調したときに、第6のセフィロトであるティファレト(美)にまで、意識のレベルを上昇させることができます。

セーフェル・イェツィラーは、このような高度な意識の状態を達成するための瞑想の道案内であると解釈することもできます。

 

今日は、やや複雑な、立ち入った話になりました。面白かった、参考になったと少しでも感じていただけていればうれしく思います。

 

最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。

では、また。

 

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表現の自由について

2018年2月16日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

平昌で行われている冬季オリンピックが盛り上がっていますね。一流のスポーツマンが全身全霊で繰り広げているドラマには人生の縮図が垣間見られるようで、とても不思議な気がしています。

 

いかがお過ごしでしょうか。

 

さて、インターネットの普及によって、私たちの誰もが、多くの人に向けて自分の意見や考えを発信することができるようになりました。

そして皆さんも感じられていることと思いますが、このことは諸刃の剣であり、社会に望ましい影響とそうでない影響の両方を与えています。

 

当会のフランス代表が、自身のブログに先週、「表現の自由」についての記事を発表していますので、その翻訳をご紹介させていただきます。

▽ ▽ ▽

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサンのブログ

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

Serge Toussaint

記事「表現の自由について」

 

まず最初に、これから私が述べることは私個人の意見であり、バラ十字会AMORCの公式見解ではないと言うことをはっきりさせておきたいと思います。

バラ十字会AMORCでは、多様な意見や信念が存在することが、常に歓迎され促されているため、当会のメンバーや指導者の間には、画一的な傾向はほとんど見られませんし、全員が異議なく同じ思想に同意することもあまりありません。

当会には、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、その他の宗教を信奉している人もいますし無宗教の人もいます。また、さまざまな政治的な見解を持つ人もいます。

 

表現の自由は貴重な権利であり、あらゆる人に認められ高く評価されるべきです。

この権利を確立するために、多くの国で、多くの人たちの血と涙が犠牲として必要とされました。

手錠をかけられたペンを持つ手

 

民主主義国家の多くでは、世界人権宣言の第19条を基礎にして、この権利が保証されています。この条項にはこう書かれています。

「意見の自由と表現の自由は、すべての人が持つ権利である。この権利に含まれるのは、妨げられることなくさまざまな意見を持つ自由と、あらゆる媒体を通して、国境に無関係に、さまざまな情報と考えを、調査し、受け取り、伝える自由である」。

この第19条は、表現の自由にかかわる論争に裁定を下すための法律や判例の基準として、実際に広く用いられています。

 

人権宣言や法律によって、表現の自由を保証するこの取り組みを私は高く評価しています。

しかし一方で、それだけでは完璧ではないと考えています。私の意見では、敬意と寛容の精神に基づいた倫理的な要素が、そこに付け加えられるべきです。

 

表現の自由の名のもとに、自分の考えたあらゆることを人が述べたり書いたりした場合には、過激な論争、心と心の間の溝、対立、分断がどうしても生じ、個人や地域社会や宗教や政党などが、互いに力と力でぶつかり合う事態が発生してしまいがちです。

現在の世界は、かつてないほど、和解と協力へと向かう努力をしなければならない状況にあります。そして、対話と意見の交換、合意点を探す努力を促すことによってだけ、和解と協力はなし遂げることができます。

 

表現の自由を最初に主張したのはジャーナリストたちです。この人たちの仕事や使命は表現の自由を行使することが基礎になっていますので、それは当然のことです。

しかし、不要な論争を巻き起こすことを私は望んでいるわけではありませんが、新聞や本に書かれていることや、ラジオやテレビ放送で報じられていることが、事実でなかったり、誤解を招くことであったり、中傷や名誉毀損でさえあることが珍しくありません。

車に殺到する記者の群れ

 

誰にも反論の機会が与えられているという主張がありますが、特にメディアへの反論は、考えているほど簡単なことではありませんし、信用や名誉が損なわれた場合に、受けた被害を完全に回復することはほとんど望めません。

裁判に訴えることができるということも確かに事実ですが、この場合も、名誉が毀損されたという判決を勝ち取るのは極めて困難なことです。

報道ではなく中傷が目的だったということを、被害者側が立証しなければならないからです。

 

インターネットが普及したため、「表現の自由」の名のもとに、極めてやっかいな状況が生じています。あらゆる事柄をあらゆる人に向けて、誰もが言ったり書いたりすることができるだけでなく、匿名でそうすることができるからです。

このことから、道徳にも民主主義にも反する事態が生じています。誰もが知っているように、多くのインターネットユーザーが匿名という隠れ蓑(みの)に守られて、複数のアカウントを使ったりして、噂やウソや中傷を広めたり、憎悪を駆り立てたりしています。

 

このような場合、法的な枠組みはほとんど機能していないので、裁判を起こして勝訴するのは極めて難しいことです。

さらに、インターネットのサーバーが設置されている国ごとに法律や規制が異なっているので、リスクなしに誹謗や中傷を行うことが、ほとんどいつでも可能です。

 

インターネットや他の手段を用いる場合であっても、表現の自由を行使する前に、自分が言ったり書いたりしようとしていることが、健全であり、役に立つことであり、客観的かどうかを誰もが考えるべきです。

もしこれらの基準を満たしていないならば、自分で自分を検閲する聡明さを私たちは発揮すべきではないでしょうか。

 

私の考えでは、「表現の自由」の名のもとに、このような聡明さを多くの人が投げ捨ててしまっています。

そして、“表現”という言葉は、倫理観や聡明さに欠けていることさえ意味するようになってしまいました。

別の言葉を用いるならば、何はともあれ、自由とリバータリアニズム(訳注)が混同されるべきではないと言うことができます。

 

訳注:リバータリアニズム(libertarianism):徹底した個人主義を唱える思想。国家による市場介入・セーフティーネット・富の再分配(リベラリズム)に反対し、共同体の伝統や慣習の重視(コミュニタリアニズム)にも反対する。

 

バラ十字会AMORCフランス本部代表
セルジュ・ツーサン

 

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

本稿はそのブログからの一記事。

△ △ △

 

下記は、前回紹介したセルジュ・ツーサンのブログ記事です。

 

参考記事:『エコロジーについて

 

皆さんは、「表現の自由」についてどのようなお考えをお持ちでしょうか。

この記事が、このことについて改めて考えるきっかけになれば、心から嬉しく思います。

 

では、今日はこの辺りで。

また、お付き合いください。

 

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ネコがテーマの本

2018年2月9日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

数日前まで、B型のインフルエンザにやられていました。10日ほど辛い日を過ごしていましたが、なんとか回復してきました。

 

そちらは、お変わりはありませんでしょうか。

 

 

先日、親しい知り合いの方に『猫の十戒』のことを教えてもらいました。猫を飼う人が守らなければならない十の掟(おきて)を、上から目線で猫自身が語ります。インターネットで検索するとすぐ見つかりますので調べてみてください。思わずにやりとしてしまう、ユーモアーたっぷりの文章です。

この『猫の十戒』は、『犬の十戒』という作者不明の英語の詩のパロディーなのだそうです。インターネット上では『犬の十戒』の日本語版も紹介されていますが、こちらは、涙もろい方はご注意です。

 

さて、以前にもご紹介したことがありますが、あるテーマに沿って小中学生に何冊かの本を紹介する、ブックトークというお仕事があります。このお仕事をされている私の親しい友人から、猫をテーマにしたブックトークを寄稿いただきましたので、ご紹介させていただきます。

 

▽ ▽ ▽

 

記事『猫』

可児明美

可児 明美

 

皆さん、猫というと、どんなイメージをもっていますか?

「猫ふんじゃった」なんて曲もありますね。

 

かわいい、きれいな毛並み、ひっかく、気まぐれ、体が柔らかい……。

十二支のお話では、ねずみにだまされて干支の仲間に入ることができませんでした……。

自分本位でわがままなんていわれることもあります……。

今回は、「猫」というテーマで本をご紹介します。

灰色の子猫

 

さて、このお話に出てくる太った黒い猫は、わがままな猫のイメージとはまったく違う猫です。(『カモメに飛ぶことを教えた猫』ルイス・セプルベダ著、白水ブックス)

お話の舞台は、ドイツのハンブルグ港の街です。

そこに住んでいるゾルバという猫は、あるとき、瀕死のカモメ、ケンガーに出合います。

ケンガーは銀色の翼を持つ美しいカモメでしたが、「黒い波」にやられて、まさに命が尽きようとしていました。

「黒い波」というのは、いったいどんな恐ろしいものなのでしょうか。それは、実際に現実の世界にもあります。タンカーから流出した原油が、黒い波の正体です。

ここには、原油にまみれてしまったペンギンをきれいにしている写真が載っています。(『環境破壊図鑑』藤原幸一著、ポプラ社)

 

ケンガーもこんな感じで、原油に浸かってしまったんですね……。

この本には、地球上で起きている、さまざまな出来事の写真が収められています。

 

さて、ケンガーはお腹に卵を宿していました。

瀕死のケンガーは猫のゾルバに、三つの約束をしてくれと頼みます。

 

その約束とは、

1.これから生む卵を食べないこと。

2.ひなが生まれるまで、卵の面倒を見てほしい。

3.ひなに飛ぶことを教える。

というものでした。

普通に考えると、猫にはとても守れそうにない約束ですよね……。

 

そしてケンガーは卵を一つ、生み落として死んでしまいます。

さあ、猫にはなかなか守るのが難しそうな約束をしてしまったゾルバは、どうしたでしょうか……。

ゾルバは、その約束を果たすためにいろいろ奮闘するんですね。

 

仲間の猫たちにも協力してもらいます。

そして約束を果たすため、ネズミと取引したり、猫のタブーを破ることにもなります。

また、「信用できる」人間も登場します。

猫たちに信用してもらえる人間とは、いったいどんな人なのでしょうか。

 

生まれたヒナはフォルトゥナータ、「幸運なもの」という名前が付けられました。

猫たちに育てられて、フォルトゥナータは成長してゆきます。

フォルトゥナータは大きくなりましたが、なかなか飛べませんでした。

 

あるときフォルトゥナータは、心ないチンパンジーから意地悪なことを言われて、落ち込んでしまいます。

その時ゾルバがフォルトゥナータに伝えた言葉は、フォルトゥナータへの深く暖かく気高い愛情に満ちています。

ぜひ味わってみてください。

 

そして、フォルトゥナータはとうとう飛べるようになりましたが、それには一つ、どうしても必要なものがあったのですね。

それは、なんだったのでしょうか……。

 

先ほどのお話に出てきた黒猫ゾルバは、頼りがいのあるやさしい猫でした。

このお話に出てくる猫、ファイヤポーは、若くて元気いっぱいの猫です。(『ウォーリアーズ』エリン・ハンター著、小峰書店)

 

飼い猫でしたが、森で群れをつくって暮らしている「野生ネコ」たちの群れに加わり、一族の「戦士見習い」になります。

ファイヤポーが属するのはサンダー族、ほかにもシャドウ族、リヴァー族、ウィンド族などがあります。

あるときファイヤポーはイエローファングという年老いた雌猫を助けてしまい、罰を受けることになりますが、だんだんとイエローファングに親しみを感じるようになります。

 

しかし、イエローファングにはなにか事情がありそうです。

また、それぞれの族長が集まる会議で、シャドウ族の族長は、ほかの一族の縄張りでも狩りをすると言い出し、サンダー族はそれを認めなかったため、戦いが起こります。

また、サンダー族の新たな副長となったタイガークロ―は、ファイヤポーの見習い戦士仲間のレイヴンポーを追い出そうとします。

タイガークロ―にも何か秘密がありそうです……。

 

そこで、ファイヤポーはある計画をたて、レイヴンポーを安全な場所に逃がします。

そうこうするうちに、シャドウ族がおそってきたり、子猫たちがさらわれたりと、次々に事件がおこります。

子猫たちはファイヤポーたちの活躍で取り戻すことができましたが、ファイヤポーが友達のレイヴンポーを逃がしたことを察知したタイガークロ―との対決が避けられなくなりそう……という状況で、物語は第二巻へと続いていきます。

 

ファイヤポーは自然の森の中で一族の戦士として、たくましく生き抜いていきますが、私たちの身近にも、自由に生きている猫がいますね。

ノラネコたちです。実際にノラネコたちを観察した人がいます。(『ノラネコの研究』伊沢雅子文、たくさんのふしぎ傑作選、福音館書店)

『ノラネコの研究』では、猫一匹ずつに名前を付け、特徴をかいた猫カードをつくり、そして猫の後をつけてずっと観察した様子が、わかりやすくまとめられています。猫の観察の仕方も書いてあります。

 

『わたしのノラネコ研究』では、福岡県の小さな島で7年間にわたってノラネコを観察した様子が書かれています。(『わたしのノラネコ研究』山根明弘著、さ・え・ら書房)

 

DNAによるノラネコたちの親子鑑定では、予想外の結果がでたそうです。

作者は、なわばりの中で体が大きくてつよいオスが子猫の父親だろうと考えていました。

でも、実際は……違ったんですね。いったいどんな結果だったのでしょうか……。

 

さて、猫についての本をいくつかご紹介しました。

みなさんも猫の世界をちょっとのぞいてみませんか?

 

おわり

 

紹介した本

『カモメに飛ぶことを教えた猫』ルイス・セプルベダ著、白水ブックス

『環境破壊図鑑』藤原幸一著、ポプラ社

『ウォーリアーズ』エリン・ハンター著、小峰書店

『ノラネコの研究』伊沢雅子文、たくさんのふしぎ傑作選、福音館書店)

『わたしのノラネコ研究』山根明弘著、さ・え・ら書房

 

△ △ △

 

ふたたび本庄です。こちらは動物学者のシートンを取り上げた可児さんの前回の記事です。

参考記事:『シートンの自己実現

 

今日はこの辺りで。

また、お付き合いください

 

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