公式ブログ

豆まきと柊鰯

2018年2月2日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

家から職場に向かう途中に、河津桜の木があります。つぼみが膨らんで今にも開花しそうです。春が待ち遠しいですね。

 

そちらはいかがでしょうか。

 

 

明日、2月3日は節分です。子供の頃に、「鬼は外、福は内」と声をかけながら、父母と豆を蒔いたときのことを思い出します。

懐かしい風物ですが、なぜ鬼に豆をぶつけるのか不思議に思ったことはないでしょうか。

 

民俗学者の吉野裕子さんによれば、このことは陰陽五行思想によって説明することができます。

陰陽五行思想は、中国の春秋戦国時代にできた哲学です。

この思想では、万物の根本のことを太極と呼んでいます。太極からは、陰と陽という2つの気が生じ、陰と陽の気からは、木気、火気、土気、金気、水気という5つの気(エネルギー)が生じ、また、子、丑、寅、卯などの十二支が生じたとされています。

 

節分は、二十四節気のひとつである立春の前日で、冬と春の分かれ目を意味します。

陰陽五行思想によれば、冬を支配しているのは水気で、春を支配しているのは木気です。

 

そして、木気、火気、土気、金気、水気には、それぞれ、そのエネルギーを痛めつける(剋する)ライバルがいるとされます。

金属でできた斧で木が切り倒されると覚えると良いのですが、木気を痛めつけるのは金気だとされ、金剋木(きんこくもく)と呼ばていれます。他にこのような関係(相剋)は、4つあります。木剋土、土剋水、水剋火、火剋金です。

 

古代の人たちは、季節が例年通りに循環して、健やかに暮らせること、作物がたくさん収穫できることを祈り、呪術によって季節の巡りを促そうとしました。

日本の節分で行われる、豆まきの起源もそのような呪術のひとつだと考えられます。

 

金気は、秋を支配しているエネルギーです。秋は植物が実をつけることから、果実や豆は金気を象徴します。特に大豆は、固く丸いことから、金気を象徴する代表的な象徴だとされます。

 

節分の豆まきでは、大豆は煎られて、外に投げ捨てられたり食べられたりと、徹底的にいじめられます。それは、金気の力を弱め、木気の力を助けることを意味しています。このことによって、春の訪れを確実にすることが意図されていました。

また、冬が春から夏に変わっていくためには、陰気が去って、陽気と交代する必要があります。煎った大豆をぶつけられていじめられる鬼は、この陰気を象徴しています。

 

節分には、柊鰯(ひいらぎいわし)という風習も知られています。焼いたイワシの頭を柊(ひいらぎ)の枝に刺して、節分の日の夕方に、門口に出しておくという習慣です。

 

イワシのにおいで誘われた鬼が、ひいらぎの葉のとげによって目を刺されるので、魔除けになると説明されることがあります。

 

柊とイワシはいずれも、冬を支配する水気の象徴です。柊の方は漢字の右側がまさにこのことを表わしています。水の中に住む生きものはいずれも水気に属しますが、イワシは寒流に住む代表的な魚なので、水気を特に良く表わす象徴だとされているようです。

この風習では、イワシは焼かれて、とげのあるひいらぎの枝に刺されます。これは、水気の象徴をいじめ抜くことにあたります。それによって冬を退散させ、春の到来を促すことが意図されています。

 

中国の陰陽五行思想は、漢方医学の基礎理論として脈々と現代にまで生き続けています。そして、古代ギリシャ・イスラムで盛んに唱えられた四大元素説と対比されることがあります。

四大元素説では、私たちの身の回りのものが、火、空気(風)、水、土で作られていると考えます。

ちなみに、バラ十字会のある学習課程では、四大元素説のことを学ぶことになります。

この説は、現代の原子論のもとになった、素朴で原始的な考えだと捉えられてしまうことがあります。

しかし、ここで詳しくご説明することは、長くなるのでできませんが、四大元素説は、自然界の秩序のもとになっている法則を表わしていると考えることができます。

心理学者にも、無意識との関わりから、四大元素説に注目している方々がいます。

 

話を戻します。

明日は、鬼打ち豆が行われている神社のことがニュースで取り上げられることでしょう。古代の人たちが、季節が順調に循環することを願って止まなかったという、その由来を思い起こしていただければ、嬉しく思います。

 

参考記事:『冬至と古代文化

 

今日はこの辺りで。

また、お付き合いください。

 

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エコロジーについて

2018年1月26日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

 

東京板橋では、昨日と今日の朝の気温がマイナス7度でした。こんなことは初めてです。北国の人には笑われるかもしれませんが、日中もしんしんと冷えていて、なかなか暖房が効かず、縮こまりながら仕事をしています。

 

そちらはいかがでしょうか。

 

 

一方で、先週報道されていたことですが、NASA(アメリカ航空宇宙局)は、2017年の世界の平均気温が、観測史上2番目の高温だったと発表しました。NOSA(アメリカ海洋大気局)の発表では、観測史上3番目の高温だったそうです。

 

気象現象は複雑ですね。

この複雑さを表す一例ですが、バタフライ効果と呼ばれている事柄があります。気象シミュレータで計算すると、地球のある場所で一匹のチョウが羽ばたいたか羽ばたかなかったかの違いが、数ヵ月経つと、地球全体の天候を変えてしまうのだそうです。

 

最近は、台風、たつまき、雹(ひょう)など、気象現象がとても激しくなっているように、お感じではないでしょうか。

地球温暖化が続くとしたら、私たちの次の世代には、さらに激烈な現象が起きてくることでしょう。気になる問題です。

 

当会のフランス代表が、自身のブログに地球環境と温暖化についての記事を書いています。今回は、その翻訳をご紹介させていただきます。

▽ ▽ ▽

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサンのブログ

記事「エコロジーについて」

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

Serge Toussaint

 

エコロジー(ecology:生態系保全)が中心的なテーマとして、数多くの議論で取り上げられるようになってから、かなりの年月が経ちました。

特にこの数年は、環境問題に対する鋭い意識が多くの人に広まりました。このことをとても喜ばしいことだと私は感じています。

人類が原因で起こっている環境破壊を止める努力がひとつもなされないならば、地球は数世代のうちに、人が住むことのできない場所になってしまうと大半の人が考えています。

原子力発電の危険性は周知の事実になりましたし、放射性廃棄物や使用済み核燃料という大問題については言うまでもありません。

 

トマトの若芽

 

地球が心配すべき状態にあり、このことが人類を脅かしているということについては、多くの人の間に合意がある一方、地球温暖化については、かなりの意見の相違があります。

温室効果ガスの排出を含む人類の活動が温暖化の主な原因だと、大部分の科学者が述べていますが、地球温暖化は遠い過去に始まった自然現象であり、人類はその現象をわずかに加速しているだけだと考えている人もいます。

温暖化に人類は何の責任もない、もしくは、地球は温暖化していないと考えている人さえいます。

エコイメージ、地球と新緑

 

私はこの分野の専門家ではありませんが、この数十年間に、地球全体の気候が温暖化し、季節が乱れているのは明らかなことのように思えます。

私の住んでいるノルマンディーでも、年によってそうでないこともありますが、徐々に冬はそれほど寒くなくなり、夏はそれほど暑くなくなりました。

この変化が人類の活動のせいなのか、それとも、人間は変化を加速しているだけなのかを、私は判断すべき立場にありません。

しかし、原因を完全に確定できないとしても、私たちは自分たちに責任があるのだと想定して、短期的、中期的、長期的に温暖化を激化させてしまう可能性があるすべての活動を止めるべきだと私は考えます。

地球の生態系に優しい生き方をすべきだということに、私は何の疑問も持っていません。

イルカと青い海

 

気候変動懐疑論者(climate skeptic)がそうしているように、地球温暖化に対して何の行動も取らなかったと想定しましょう。

その結果起こること(海面の上昇、自然災害の増加、季節の乱れなど)によって、この手の人たちの発言は影響力を失っていくのだから、それで良いのではと思われるかもしれません。

しかし、私たちが今どのように行動するかが、地球と個人と人類全体の未来にとって、決定的に重要なことは明らかだと私は思います。

バラ十字会は全体としてもこのことを確信しており、生態系の保護に対する多くの人の意識を高める努力を行っています。

このことは、2012年に当会が発表した「スピリチュアル・エコロジーについてのバラ十字会の訴え」に、よく表れています(注)。

 

注:この発表は、バラ十字会AMORCの世界総本部代表クリスチャン・ベルナールによって2012年4月にブラジルの国会上院で行われ、ブラジルの放送局「TV SENADO」にて放映されたほか、ラジオ、インターネットTVでも取り上げられた。日本語訳は www.amorc.jp/reference/material_016.html を参照。

 

ブラジル国会上院での発表『スピリチュアル・エコロジーについてのバラ十字会の訴え』

 

地球に優しい行動を選ぶ必要があるという意識が、今や多くの人に広まっていることは誰にも否定できませんが、残念なことに各国の政府は、具体的な対策をとることに消極的です。

それは政治の世界が、“経済を保つこと”や“再び成長すること”を、環境保護よりも重視しているからです。

私の意見では、この2つはいずれも方向を誤っていますし、目先のことにとらわれすぎています。

地球環境が劣化すると、人間の生活と健康に悪影響があるだけでなく、人も国家も多大な出費を迫られるからです。

またそればかりでなく、起きてしまった汚染や破壊の一部は、二度と修復することができません。

 

バラ十字会AMORCフランス本部代表
セルジュ・ツーサン

 

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

本稿はそのブログからの一記事。

△ △ △

 

以下も、セルジュ・ツーサンのブログ記事のご紹介です。

 

参考記事:『愛について

 

今日はこの辺りで。

また、お付き合いください。

 

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頑固おやじの反戦メッセージ

2018年1月19日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

寒い日が続いていますが、道端にサクラソウが咲き始めました。春が待ち遠しいですね。

 

いかがお過ごしでしょうか。

 

今週の始めに、ノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のベアトリス・フィン事務局長が、長崎と広島を訪れていました。

NHKのニュースで見たのですが、広島の高校生が彼女に、こんな素晴らしい質問をしていました。

「国際的にとても望みが薄い状況の中で活動を続けていて、前向きな気持ちをどのようにして保っているのでしょうか。」

 

フィンさんは、こう話していました。

「自分たちが歴史の正しい側にいることを忘れてはならないと思います。」

(I think we have to remember that we are on the right side of history.)

 

これは傲慢な発言でしょうか。

私はそうは思いません。

 

私ごとですが、昨年末に広島の平和記念資料館を訪れる機会があり、被爆された方のお話を直接聴くことができました。

そのおかげで、原爆が引き起こした惨状をわずかですが思い浮かべられるようになりました。

原爆ドーム

原爆ドーム

 

現在世界に配備されている核兵器は、一発あたり、おおむね広島型の数百倍の威力があります。

人殺しのためだけに作られたこの兵器をなくそうとすることは、私は、理屈抜きに正しいと思っています。

 

広島の平和記念資料館を、まだ訪れたことがありませんでしたら、ぜひ訪れてみることをお勧めします。

 

さて、今回も偶然ですねと話したのですが、山形県に住む私の友人の山下さんから、このブログに寄稿をいただきました。

 

▽ ▽ ▽

 

記事:『頑固おやじの反戦メッセージ』

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下 勝悦

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下勝悦

 

私ごとですが、昭和41年に工業高校を卒業。その後、地元の自動車ディーラーに就職。その2年後に家業(自動車整備・販売業)を継ぐために退社。

それから約半世紀、大勢の人と出会いました、忘れられない思い出もたくさんあります。今回はその中でも特に忘れられない思い出のひとつです。

 

ある日のこと、六十歳代と思われる男性の方がふらりと事務所に。

開口一番「私、隣町のKの父親です、息子がお世話になってます、私は車の運転免許は持ってませんが息子のこと、よろしくお願いします」と。

なんと、顧客の親父さんが挨拶に来られたのです。

 

実は、Kさんは私と同じ高校の出身で後輩にあたる方、少し前に縁あって我が工場の顧客になってくれたのです。

これを機に親父さん、時折ふらっと現れては毎回のごとく駅前駐輪場での仕事の話や(ほとんどぼやき話でしたが…)、近くに住む同級生たち(私も良く知ってる方々でした)の若かった頃の話を実に楽しくにぎやかにご披露。

 

これは爆笑ものでした。たとえば「最近の高校生の自転車通学のモラルは全くなっとらん。思いっきり叱るんだが、さっぱり言うことを聞かん。まったく今時の若い者は何考えてるんだ!!」と、怒りながらも笑顔でまくし立てるのです(笑)。

 

でも親父さん、そう言われても昔も今も高校生ともなれば、素直に「はい!!わかりました」などとは言いませんよ。私も当時はそうでしたから(笑)。

 

そんなある日のことです。仕事でKさん宅を訪問すると親父さんが茶の間で退屈そうな顔で座っています。

私が「こんにちは~」と声をかけますと。「お~!! 山下さん。急ぎでなかったらお茶でもどうだね」。

そうですね、と茶の間に上がらせてもらうと……まずは恒例の「ぼやき節」から始まり、話題が車のことになりました。

すると何時もの恵比寿様のような笑顔が消え、遠くを見るような目になり。「実はね、私は戦時中に軍隊で車の運転やってたんですよ。

そして戦争が終わってしばらく後、申請すれば正式な運転免許証を交付してもらえるという通達が入ったんだけど、私はその話を蹴ったんですよ……」。

それを聞いて、私は「えっ!? 何故ですか、もったいないことを」。

広島の平和記念公園にある平和の鐘

広島の平和記念公園にある平和の鐘

 

すると、こんな話を聞かせてくれました。

戦時中に陸軍で自動車運転の任務に就いていたのだそうです。

そして戦況も怪しくなってきた頃、所属する部隊に広島と長崎に新型爆弾が投下されたとの情報が入り、その数日後、広島行きの命令が下ったのだそうです。

 

詳しい情報も何もなく、とにかく行ってみると広島市内は一面焼け野原、さらに黒焦げとなった遺体……。

まさに地獄絵図だったそうです。そして広島での任務は、遺体をトラックに乗せ、火葬場に送り届けることだったのだそうです。

あまりの悲惨さに涙はおろか声も出ず、頭の中は真っ白、パニック状態、放心状態のままハンドルを握り、必死になってがれきの中を走り続けたのだそうです。

 

それからしばらくして終戦、任務を解かれ故郷の山形に。しばらくして世の中が落ち着きを取り戻してきた時だったそうです。

「戦時中に軍隊で自動車の運転に従事した者には特例として無条件で運転免許証を交付する、よって交付を希望する者は申し出るように」といった通達が入ったのだそうです。

 

ところが親父さん「なまじっか車の運転ができたためにとても言葉では言い尽くすことのできない辛い経験をすることになってしまった。もう二度と車のハンドルは握らない、握りたくない」、とかたくなに言い張り、申請しなかったのだそうです。

 

親父さんはもう亡くなられましたが、今になって思えば、あの時に聞かせてもらった話は戦争のない平和な世界を願う「頑固おやじの反戦メッセージ」だったのでしょうね。

△ △ △

 

下記は、前回の山下さんの記事です。よろしければ、どうぞこちらもお読みください。

参考記事:『常識が崩れた瞬間

 

今日はこの辺りで。

また、お付き合いください。

 

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『ローズ』という歌

2018年1月12日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

朝のニュースで見ましたが、日本海側で、大雪のためにさまざまな事故が起こっているようです。

 

そちらは、お変わりはありませんでしょうか。

 

 

さて、世界中で、ほぼ共通して、ハートのマークが愛を表していることを、あなたは不思議に思ったことがありませんでしょうか。

 

両手の指でハートの形を作った写真をSNSに投稿している方をときおり見かけますが、誰もがすぐに愛を意味していることがわかります。

 

なぜ、ほとんど例外なく、心臓の記号が愛を象徴しているのでしょうか。

 

バラ十字会のある学習課程で取り上げられていることなのですが、心臓は、実際に愛を受け取ったり放出したりする役割を果たしているという説があります。

 

もうひとつ、世界中で共通して愛の象徴として使われているものにバラがあります。

たとえばギリシャ神話では、バラは愛の女神アフロディーテ(ビーナス)の花だとされていました。

 

参考記事:『花という象徴

 

当会を表している「バラ十字」という象徴では、金色の十字の中央に、赤い開きかけのバラが配置されています。

この場合、バラが開いていくことは、人生経験を積むことで人が内面的に成長していくことを表しています。

 

もう、2週間近く前のことになりましたが、大みそかの紅白歌合戦で、島津亜矢さんが『ローズ』を歌っていました。

全曲ではなく抜粋だったことは残念でしたが、圧倒的な歌声と美しい歌詞に聴き惚れました。

この曲は、1979年にアメリカで公開された映画『ローズ』の主題歌で、多くの人がカバーするスタンダードになっています。

 

このブログで、新年に愛を話題として取り上げたこともありますので、今回は、この歌と映画を話題にさせていただきたいと思います。

参考記事:『愛について

 

監督のマーク・ライデル自身が語っているのですが、この映画は最初の企画段階では、ロック歌手のジャニス・ジョプリンの伝記として製作される予定だったそうです。

映画会社から話がもちかけられたとき、彼は、ホノルル出身の売り出し中の歌手で女優のベット・ミドラーが、ジャニス・ジョプリンと同じ雰囲気を持っているので、主役にうってつけだと考えます。

しかし映画会社は、当時まだそれほど人気がなかった彼女を使うことに難色を示し、この企画はそれから10年以上宙に浮いたままになります。

一方で、ベット・ミドラーはニューヨークで活躍して徐々に人気を高め、ブロードウェイの舞台にも立つようになります。

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ベット・ミドラー photo by Alan Light [CC BY 2.0 (http://creativecommons.org/licenses/by/2.0)], via Wikimedia Commons

 

このような事情で、先ほどの企画が復活することになります。ライデル監督は伝記映画という制約を嫌い、ジャニス・ジョプリンの逸話を部分的には取り入れるけれども、架空のロック歌手ローズの物語として製作することで話がまとまります。

 

まだ、見たことのない方もいらっしゃると思いますので、あらすじを詳しくお話しすることはしませんが、ベトナム反戦とヒッピー文化、ドラッグに社会が揺れていた1960年代のアメリカを舞台に、ロック歌手のローズの人生が描かれます。

ローズは、旅回りの生活とステージに立つプレッシャーに疲れ、アルコール中毒に苦しみ、恋に傷つき、徐々に追い詰められていきます。

 

このように書くと、ロック歌手によくある逸話のようで、何となくステレオタイプに感じられてしまうかもしれません。

しかし、この映画の主人公と他の登場人物たちは、優れた脚本によって過去の背景と性格の細部が、余すところなく巧みに設定されていて、それが、一流の俳優陣の演技によって的確に表現されています。

 

主役を演じているベット・ミドラーの、映画の中のコンサート・シーンは、力に満ちあふれていて圧巻です。

そして、ストーリー自体は人間の愚かさ、悲しさ、愛おしさに彩られていて、特に映画のクライマックス・シーンでは、人を許すことの難しさ、崇高さが輝きを放ちます。

 

ベット・ミドラーは、映画への出演は初めてだったのですが、この映画がきっかけとなり、その後は歌手としても女優としても、長年大活躍を続けることになります。

 

主題歌のローズに話を戻します。応募作品がテープでライデル監督に100曲以上届けられていたのだそうですが、カリフォルニア出身の作詞・作曲家のアマンダ・マクブルームのこの作品を聴いたときに、彼はこの映画の本質が浮き彫りにされていることに衝撃を受けたそうです。

ハードロックを扱う映画の主題歌としてはおとなしすぎるという一部スタッフの反対があったものの、曲を気に入ったベット・ミドラーと監督が押し切って、この曲が主題歌に採用されることになります。

 

詩のように韻を踏んだ、この美しい英語の歌詞は、さまざまな人によって日本語訳されています。

しかし、映画やテレビや、歌うことを前提とした翻訳とは異なり、ブログでは、文字数に制約されることなく訳を作ることができます。

拙訳ですが以下にご紹介させていただきます。

 

▽ ▽ ▽

バラの花

 

The Rose

バラの花

 

Some say love it is a river

愛は川だと言う人がいる

That drowns the tender reed

優しい心をした葦(アシ)を溺れさせる川だと

Some say love it is a razor

愛はナイフだと言う人がいる

That leaves your soul to bleed

魂を傷つけ血を流すナイフだと

Some say love it is a hunger

愛は飢えだと、そして

And endless aching need

満たされることのない渇きだと言う人もいる

 

I say love it is a flower

私は言う、愛は花だと

And you its only seed

そしてあなたは、その種にしか過ぎない

 

It’s the heart, afraid of breaking

心が傷つくことを恐れていては

That never learns to dance

踊れるようにはなれない

It’s the dream, afraid of waking

夢から覚めることを恐れていては

That never takes the chance

チャンスをつかめない

It’s the one who won’t be taken

奪われたくないと思う人は

Who cannot seem to give

与えることができそうにない

And the soul, afraid of dying

そして、魂が死ぬことを恐れていては

That never learns to live

生きることを学べない

 

When the night has been too lonely

夜が孤独すぎると感じ

And the road has been too long

道があまりにも長すぎると感じ

And you think that love is only

そして、愛は、幸運で強い人にしか

For the lucky and the strong

訪れないと思ったときには

 

Just remember in the winter

ひとつだけ、思い出してほしい

Far beneath the bitter snows

凍えるような冬の、深い雪の下には

Lies the seed that with the sun’s love

太陽の愛とともに、種が埋もれていて

In the spring becomes the rose

春になれば、バラの花を咲かせるということを

△ △ △

 

では、今日はこのあたりで。

また、おつきあいください。

 

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愛について

2018年1月5日

 

あけましておめでとうございます。バラ十字会の本庄です。今年もよろしくお付き合いください。

東京板橋は、寒空の晴天が続いています。道端に見事なロウバイが咲いていました。

 

いかがお過ごしでしょうか。

 

さて、壮大な話題ですので、理解するのがやや難しい事柄なのですが、バラ十字会では、「愛」のことを“宇宙”(Cosmos)の法則のひとつだと考えています。

そして「愛とは何か」ということは、バラ十字会の哲学を理解する上で鍵になる事柄です。

ですから、このブログで、いつか愛について書こうと思っていたのです。しかし、あまりにも大きなテーマですので、ずっと躊躇していたのです。

 

すると年末に、当会のフランス代表が、ブログにこのことを書いているのを知りました。今回は、その記事をご紹介させていただきたいと思います。

▽ ▽ ▽

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサンのブログ

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

Serge Toussaint

記事「愛について」

 

世界中の多くの言語で、「愛」は口にされることや書かれることが最も多い言葉のひとつです。

この語にはさまざまな意味が含まれていて、さまざまな感情を表すのに用いられています。

私たちは、配偶者、子供、他の近しい人への愛について語るだけでなく、動物や自然、国家、音楽、文学、スポーツに対する愛を語ります。

 

「愛する」という動詞は意味的に広い範囲をカバーしており、文脈によって、人間や他の生きもの、物体、他の興味の対象についての、さまざまな程度のさまざまな感情を表しています。

 

多くの人が、周囲に暮らしている他の人たちを愛していますし、また、自然保護運動に直接関わっていないとしても、大部分の人が自然を愛しています。

ある芸術家や俳優、政治家、スポーツ選手を愛している多くの人がいる一方、それに比べればそれほど多くはありませんが、文学や芸術や神秘哲学を愛している人もいます。

 

このように愛には、「一般的な愛」と「特別な愛」があるように思われます。

一般的な愛が特別な愛の妨げになることはありませんし、特別な愛が一般的な愛の妨げになることもありません。

たとえば、自然を愛することは文学を愛することの妨げにはなりません。

どのような場合でも、ある愛が別の愛の妨げになることはないように私には思われます。

 

人が何かを愛する場合に、その対象によって、序列のようなものがあるでしょうか。

おそらくあるのではと私は思います。

 

たとえば、隣人を愛することとスポーツを愛することには違いがあるのではないでしょうか。

隣人を愛することには、生きる喜びを分かち合いたいという心の奥底にある理想が関係しています。

一方でスポーツを愛することは、何らかの満足を得たいという、個人としての情熱のようなものあたります。

 

こう考えると、対象が限定されず時を超える性質が愛にあれば、それだけその愛は尊く高尚で建設的なものだと私には感じられます。

人類への愛、自然界への愛、〈絶対なるもの〉への愛には、このような性質があります。(ちなみにこの場合、〈絶対なるもの〉とは、あらゆるものが存在するために必要とされる〈意識を持つエネルギー〉のことを指しています)。

ちなみにこの3つの愛は、バラ十字会で〈普遍的な愛〉(Universal Love:宇宙の愛)と呼ばれているものの、3つの異なるレベルの表れにあたります。

 

ご存知の通り、キリスト教の創始者イエスだけでなく、過去のあらゆる賢者たちが、互いに他の人を愛しなさいと教えてきました。

なぜなのでしょうか。このような教えは、何らかの思想を主張したものではなく、感情から発せられた主張にもあたりません。

 

これらの賢者たちは、愛することが人間の存在理由であり、さらに、幸せを実現し実感することを望むならば、誰もが必ず従わなければならない手段であるということを承知していました。

 

誰もが、愛し愛されることを必要としています。

愛し愛されることが望ましいどころか必要だということは、人間の魂の根本的な性質です。

 

そうは言っても、私たち個人は不完全な人間であり他の人もまたそうなので、通常の人にとって、すべての人を愛することは、ほぼ不可能です。

ですから、この理想に近づこうと努力する一方で、私たちがなすべきことは、少なくとも誰も憎まず誰も傷つけないということではないでしょうか。

想像してみていただきたいのです。誰もが互いに愛し合っているのではないとしても、憎しみや恨みに身を任せる人が一人もいなければ、世界はどれほど素晴らしい場所であることでしょう。

 

愛についてのこのささやかな考察の締めくくりに指摘しておきたい、私が悲しく思っている事柄があります。

それは、現代社会ではあらゆる場所に性的なことがらがはびこっている一方で、愛が肩身の狭い思いをしているということです。

お堅いうえに上品ぶっていると思われてしまうかもしれませんが、テレビ番組や雑誌やインターネットで性的なことがらが節度なく取り上げられていることによって、愛が極めて低次元のレベルにおとしめられて、見世物になったり、欲望や動物的本能をあおるだけの道具になったりしてしまっていると私は思います。

 

究極の意味でいえば、イスラムの神秘家イブン・アラビーが述べているように、「2人の人間の結びつきによって、2つの魂の間に絆を築く。それが愛ということ」だと考えるべきではないでしょうか。

 

バラ十字会AMORCフランス本部代表
セルジュ・ツーサン

 

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

本稿はそのブログからの一記事。

 

△ △ △

 

ふたたび、本庄です。この記事にはイスラムの神秘家イブン・アラビーの言葉が出てきましたが、レバノンの詩人カリール・ジブランの書いた本『預言者』にも、愛についての素晴らしい言葉がたくさん出てきます。

ほんの一部ですが、ご紹介します。

「愛は愛自体のほかは何も与えることなく、愛自体しか受けることがない。愛は所有せず、また所有させない。愛は愛だけで満ち足りているのだから」。

 

まだお読みになっていなければ、素晴らしい本ですのでお勧めします。

今日はこの辺で。

また、お付き合いください。

 

参考記事(前回のセルジュ・ツーサンの文章):『親切について

 

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