バラ十字会日本本部の本庄です。こんにちは。
東京板橋では、曇りや雨の日々が続いています。ベランダの花はすくすくと育っていますが、洗濯物がなかなか乾かないですね。食中毒にどうかお気をつけください。
今回は、山形にお住まいの理事の方から寄稿をいただきましたので、ご紹介させていただきたいと思います。
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反戦教師
山下勝悦
私が高校一年生の時の話です。私が通っていたのは地元の工業高校、卒業後は全員が就職して社会人に。そんな訳で就職活動に必要で無い授業は先生方も適当(失礼)にやっていました。今になって思いますと授業時間の三分の一くらいは無駄話……だった様な(笑)。
例えば社会科の先生などは自身の心霊体験を授業そっち退けで延々と語ったり。これには私ら「先生、それから・それから」と大盛り上がり。実は授業が潰れるのが嬉しかっただけの事だったのですが(先生あの節はご免なさい)。しかし、一回だけ教室内がシーンとなった事が有ります。
古典の授業の時です。古典の先生の本業(?)はお寺のお坊さんで当時は副住職だったと記憶しています。ある時、授業中に何かのはずみで先生の戦争時の体験談に。以下、その時に聞いた話です。
当時、先生は少年兵として航空隊に所属し地上勤務だったそうです。戦況も怪しくなって来た頃、この部隊にも特攻出撃の命令が下ったのだそうです。早速、全員に集合命令が。次に部隊長から「特攻隊を志願する者、名乗り出よ」との言葉。
すると真っ先に手を挙げたのが一人の若い兵士。すると、その場に居合わせた全員「おー!!やっぱりあいつが一番に名乗り出たか、さすが部隊一の豪傑と言われているだけの事はある」と大絶賛、すると本人 「お国の為とあらばこの命、惜しい等とは思いません、立派に散る覚悟であります」と。
それから数日後、いよいよ出撃の前夜、先生が夜中に眠れず、そっと外に抜け出したのだそうです。するとその時、何処からかうめき声とも思える様な泣き声が聞こえて来たのだそうです。誰だろうこんな時間に?と思い、気付かれない様にそっと近づいてみると。なんと声の主はあの豪傑だったのだそうです。
しきりに「お母さん、お母さん、もう一度逢いたい、家族のみんなに逢いたい、死にたく無い」と大粒の涙を流して泣いていたのだそうです。これには先生、どうする事もできず、そっとその場を離れたのだそうです。
そして翌日、件の豪傑は何事も無かったかの様な素振りで「お国の為に見事に散って参ります」と言って出撃して行ったのだそうです。
続けて先生はこう言われました。「特攻隊員は〇〇〇〇万歳と叫んで散って行った等と言われているけれど、そんな事は絶対に無い!! そう言って死んでいった兵士など、誰一人としていない。誰もが、お母さん、お父さん、そして兄弟、友人、愛する人の名を呼んで死んでいったのだ。戦争は絶対にやってはならない、有っては為らない事なのだよ」と。
流石にこの時ばかりは、卒業時に当校の歴史始まって以来の悪ガキ集団とまで言われた私らクラス全員、身動き一つせず、シーンと静まり帰りました……。もう五十年近くも前の事なのですが、ここ最近、昨日の事の様に思い出されるのです。
ところで、最近知ったのですが、先生はまだ御存命とか(大分ご高齢のはず…)。察するに、今は住職として檀家の方々に反戦を訴えておられるのでしょうね。縁が有ったら又お会いしたいものです。
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以上、山下様からお寄せいただいた文章でした。最後までお読みくださり、ありがとうございます。
それでは、また。
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