暴君、悪人中の悪人だとされるヘンリー8世
イングランドの国王ヘンリー8世が、今回の話題です。
1000年以上も続いているイギリスの王室には、ずいぶんと多くの悪人が登場します。そしてそのうちの幾人かを、シェイクスピアが面白おかしく劇に仕立てています。
その中でもヘンリー8世は、悪人中の悪人、暴君中の暴君であるとされ、あるテレビ番組では、「やりたい放題王」と呼ばれていました。

しかし、善と悪とは何か、そもそも絶対的な基準があるのかということは重大な問題です。このことについては、当会のフランス本部の代表が記事を書いていますので、ご興味のある方はそちらもお読みください。
ヘンリー8世は、カリスマと呼ぶにふさわしい人物だったようです。182センチ以上の長身で広い肩幅を持ち、スポーツ万能・語学堪能で、音楽や詩にも豊かな才能を発揮し、イギリスの王室史上最高のインテリとも言われていました。
彼の父ヘンリー・テューダー(1457-1509)は、薔薇戦争と呼ばれているイングランドの内乱で勝利し、ヘンリー7世としてテューダー朝を開いた人物です。
ヘンリー8世は生涯に6回もの結婚を繰り返し、そのうちの2人を処刑したばかりか、多数の庶民の女性に手を付けたことで、好色の大悪人と呼ばれていますが、当時は国王が戦場に出陣することが必要であり、成立したばかりのテューダー朝を存続させるためには、屈強な男子の跡継ぎが必要だと彼が考えたことが、その行動の理由ではないかという説もあります。
しかし調べてみると、ヘンリー8世の行いはそれだけでは説明がつかないほど、悪行三昧のように私には思われます。
ヘンリー8世の6人の妻
最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚
ヘンリー8世の最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンはスペインの王家の出身ですが、もともとは彼の兄アーサーの妻でした。
アーサーが15歳で病死すると、ヘンリー8世は王太子の地位を得ると同時に彼女と結婚します。そしてその7年後に父が亡くなり王位を受け継ぎます。
兄の妻と結婚することはカトリックの教会法では許されていなかったのですが、スペインとイングランドの和睦を保つために、ローマ教皇により特例として認められました。
キャサリンは女児をひとり産みますが、その後、男児を産む兆しがなかったため、ヘンリー8世は離婚を望むようになります。
カトリック教会では当時離婚が認められていませんでした。そこで何とヘンリー8世は、カトリック教会とは別にイングランド国教会を創設し、その首長はイングランド王すなわち自分であるという法律を作ります。自分が首長であるイングランド国教会が認めたことで、彼とキャサリン・オブ・アラゴンとの離婚が成立します。
キャサリンは離婚後に、ロンドンから北に離れた50キロほど離れたキンボルトン城に住み、癌のため50歳で亡くなっています。
著書『ユートピア』の作者で偉大な思想家のトマス・モアは、イングランド国教会の創設という宗教改革に反対したことで、反逆罪に問われ斬首刑にされています。
彼女が産んだ女児は、後にテューダー朝の5代目の王位を継承しメアリー1世となります。メアリー1世はヘンリー8世の宗教改革を認めず、イングランドは一時カトリックに戻ります。メアリー1世はイングランド国教会に属していた女性や子供を含む約300人のプロテスタントを異端者として処刑したため、彼女には「血まみれのメアリー」という異名があります。
ちなみに、ウォッカをトマトジュースで割ったカクテルはその色が血を連想させることから、この名前を取ってブラッディ・マリー(メアリー)と呼ばれています。

第2の妻アン・ブーリンの処刑
アン・ブーリンはキャサリンの侍女でしたが、ヘンリー8世はキャサリンと離婚する前からアンと関係していました。キャサリンの死の3年後の1533年に、妊娠していたアンは国王と結婚します。生まれた子供は、後にテューダー朝の6代目の王位を継承しエリザベス1世となりイングランドの黄金時代を築きます。しかしその後アンは流産と死産を繰り返し、やはり男児を産む見込みがありませんでした。
ヘンリー8世の心はアンを離れ、ジェーン・シーモアという女性と関係するようになります。ジェーンはキャサリンとアンの侍女で、キャサリンの再従姉妹(はとこ)にあたる女性でした。アンは5人の男性と関係と持ち国王の殺害を企て、また魔術を行ったとされ、これらのことで反逆罪に問われてロンドン塔で斬首刑になりますが、これらの罪状はすべて冤(えん)罪であると推測されています。
第3の妻ジェーン・シーモアの死因
ヘンリー8世はアンの刑死後すぐにジェーン・シーモアと結婚します。彼女は男児を産み、この子は後にヘンリー8世を継ぎ、テューダー朝の三代目の王エドワード6世になります。
ジェーンは難産で体力が回復せず、この子供を産んですぐに亡くなります。
第4の妻アン・オブ・クレーヴズとの離婚
第4の妻アン・オブ・クレーヴズは、現在のドイツにあったプロテスタント領の公爵の娘でした。ヘンリー8世の側近であったトマス・クロムウェルは、ドイツのプロテスタントとの関係を強くすることが、イングランド国教会の強化に役立つと考え、ヘンリー8世にアン・オブ・クレーヴズとの結婚を勧め、そのお膳立てをします。
2人は結婚式を挙げますが、ヘンリー8世すぐに、この結婚は成立していないと主張し離婚します。その理由は宮廷画家の描いた肖像画と実際のアンがかけ離れていたことにヘンリー8世が激怒したことだとされていますが、クロムウェルを失脚させるためだったという説もあります。
クロムウェルはヘンリー8世から疎まれるようになり、政敵からの告発で反逆罪に問われ、ロンドン塔に収監され処刑されます。
第5の妻キャサリン・ハワードの処刑
キャサリン・ハワードはアン・オブ・クレーヴズの侍女でした。1520年に結婚したとき、ヘンリー8世は49歳であり、キャサリンは何と30歳も年下でした。しかも、ヘンリー8世は過去の馬上槍試合で負った古傷、肥満やさまざまな病気に苦しんでいました。
先ほどの肖像画に表されていたような偉容も衰え、たびたび怒りを爆発させる人になっていました。
キャサリンの気持ちはヘンリー8世から離れ、国王の側近であったトマス・カルペパー関係を持ちます。彼女は姦通罪に問われ、1542年に斬首刑になっています。第2の妻アン・ブーリンの場合とは異なり、この場合は冤罪ではなかったと考えられています。
最後の妻キャサリン・パー
キャサリン・パーの母親のモード・グリーンは女性の教育に熱心で、キャサリンは数学、神学、ラテン語、フランス語などの高度な知識を身につけていました。
キャサリンには過去に2度の結婚歴がありますが、いずれの結婚でも夫を病気で亡くしています。
ヘンリー8世はキャサリンに好意を抱きましたが、当時キャサリン・パーは、第3の妻の兄トマス・シーモアと交際中でした。
そこでヘンリー8世は、海外での仕事をトマスに与えて追いやり、キャサリンに求婚します。
ヘンリー8世の過去を知っていたキャサリンは当然、この結婚に難色を示しますが、断ったときの危険を考えて1543年に、31歳の年で結婚します。
当時、ヘンリー8世の娘メアリーとエリザベスは、王族の地位を奪われていましたが、キャサリンは父との関係を取り持ち、2人は王位継承権を取り戻します。また、キャサリンはこの2人と義理の息子エドワードを深く愛し、教育にも力を注ぎます。
イングランドの王妃を「子供を産むただの機械」という役割から変えたのは、キャサリン・パーの功績だと言われることがあります。
この2人とエドワードは実際に後に王位に就き、特にエリザベスは、イングランドが黄金時代を迎えることに貢献することになります。

ヘンリー8世の死因
キャサリン・パーとの結婚の4年後の1547年に、ヘンリー8世が亡くなります。死因は肥満と糖尿病と足の潰瘍だったとされています。そしてそのわずか4ヵ月後に、そのときは海軍司令官だったトマス・シーモアを相手に、キャサリンは4度目の結婚をしています。
歴史の多面性
シェィクスピアは『ヘンリー8世』という歴史劇を書いていますが、この劇の題名は『All is True』(すべて真実)です。この劇ではヘンリー8世は悪人ではなく、彼のものだとされている悪行の多くは、実際のところ重臣のトマス・ウルジーが原因だとされています。
しかしそれは、王室批判を行うと身に危険が及ぶとシェイクスピアが考えたからだという説もあります。
歴史には、多くの見方があります。ですから今までご紹介してきたような、ヘンリー8世が大悪人だという説にも、完全には正しくない可能性があることを心得ておくべきでしょう。
ロンドン塔
テムズ川沿いにあるロンドン塔は、当時の王室が幽閉や処刑に使っていた場所です。罪人は市中でさらしものにされた後に、ここで首をはねられたのだそうです。
当時の斧は切れ味が悪く、運が悪い罪人は一回では死ねなかったそうです。
ロンドン塔には、多数の無念の人の思いが残っているのか、今でも幽霊がたびたび目撃されるとのことです。
いやあ、すごいですね。

ヘンリー8世の後世への影響
ヘンリー8世が人類の歴史に与えた影響は、必ずしも悪いものとは言えないようです。
彼が自分の離婚のために作ったイギリス国教会には独自の教義があり、ローマ・カトリックに比べると、人間の理性を重視し自然科学を柔軟に受け入れる傾向が強かったのです。
このことが大きな要因となり、イギリスを中心として近代の自然科学が発達し、後の産業革命につながったと言われています。
償い(カルマ)の法則と悪人
神秘学では、人生を支配している主な法則のひとつに、「償(つぐな)いの法則」というものがあるとされています。別名「カルマの法則」とも呼ばれ、要するに、ピーマンの種をまけばピーマンが収穫されるし、インゲンの種をまけばインゲンが収穫できるように、人は自分の思考や発言、行動によって、自身の未来の運命を創造しているという法則です。
ですから、この法則から言うと、ヘンリー8世はあまりにも極端な例ですが、悪事をためらわない生き方は、一般的に言えば、後に大きな後悔が生じる人生だと考えることができます。
しかし、ふと思うのですが、この世にひとりも悪人がいないとしたら、世の中は、とても退屈な場所になってしまうのではないでしょうか。また、悪がひとつもないとしたら、私たちは善を認識することができるでしょうか。
もしかしたら悪人は、善と正義を際立たせることを使命として、この世に生まれてくるのかもしれません。
トリックスター
トリックスターという言葉をお聞きになったことがおありでしょうか。世界中のおとぎ話に共通して出てくる、いたずら好きの妖精などに代表される、奇妙な役割を果たすキャラクターのことです。
トリックスターは、社会の道徳や秩序を乱すいわゆる悪者なのですが、その奇妙な行ないが、物語の結末では、なぜか不思議なことにすべての人のハッピーエンドにつながります。
ヘンリー8世には、妖精のかわいさなどはひとつも見られませんが、何となく、トリックスターと似た役割を果たしているように思われるのです。
さきほどご紹介したように、工業技術と自然科学が発達したのは、ヘンリー8世のおかげとされます。彼は知らず知らずのうちに、何か大きな意志に導かれて、このことのために行動していたのでしょうか。それとも、単なる偶然なのでしょうか。
工業技術と自然科学が人類を幸せにしたかということには、さまざまな意見があります。しかし、この2つによって人類が豊かになり、世の中が刺激に満ちた場所になったということには間違いがないように思われます。
歴史は、ほんとうに不思議ですね。
いかがでしたでしょうか。少しでも興味深い点があったと、あなたにお感じいただけたなら、心から嬉しく思います。
追伸:メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」に、こちらから登録すると、このブログに掲載される記事を、無料で定期購読することができます(いつでも配信解除できます)。
体験教材を無料で進呈中!
バラ十字会の神秘学通信講座を
1ヵ月間体験できます
無料でお読みいただける3冊の教本には以下の内容が含まれています

第1号:内面の進歩を加速する神秘学とは、人生の神秘を実感する5つの実習
第2号:人間にある2つの性質とバラ十字の象徴、あなたに伝えられる知識はどのように蓄積されたか
第3号:学習の4つの課程とその詳細な内容、古代の神秘学派、当会の研究陣について
コメントは受け付けていません。