こんにちは。バラ十字会の本庄です。
今朝の東京板橋は、陽が射しているにもかかわらず、身が引き締まるような寒さでした。いよいよ本格的な冬の始まりのようです。
そちらはいかがでしょうか。
今日は、バラ十字会で神秘学を学ばれている親しい友人から聞いた、ちょっとした話を紹介させていただきます。
ある朝、彼は自宅から職場へと向かう道すがら、ある思いにふけっていたのだそうです。彼はお父様を4年前に亡くされたのですが、その日はちょうど命日にあたり、当時のことを懐かしく思い出していたのだそうです。
彼のお父様は癌を患われ、余命を告げられ、ベッドの上で過ごす生活になっていたのだそうですが、親類や家族の方々のご協力で、お父様から日々感謝の言葉を聞くことができる、良い最期の日々を過ごすことができたのだそうです。
私の友人は歩きながら、そのころのことに思いを馳せていました。そうしているうちに、~理屈じゃないんで説明できないんだけど~人間だけでなく地球上のすべての生きものの命への愛おしさで、心が一杯になったのだそうです。
ちょうどそのとき、彼は、川沿いの橋を渡っていたのです。ふと気づいて目を上げると、手の届くほど近くの欄干に、灰色と白の胴体に黒色の頭部が鮮やかな、小鳥の「オナガ」が何羽もとまっていました。
ふだんは警戒心が強く、すぐに飛び去ってしまうこの鳥が、どうしたことだろうと不思議に思った瞬間に、小鳥たちは飛び去っていったそうです。
この何日か後のことですが、彼は通勤のときに、タゴールのある言葉のことを考えながら歩いていました。
「すべての嬰児は、神がまだ人間に絶望してはいないというメッセージをたずさえて生まれてくる」
ちなみに、宗教とは一線を画しているバラ十字会のような神秘学派では、神のことを、人格を持つ存在ではなく、この宇宙に働いているさまざまな法則の源だと考えています。
ですから、この考え方を採るとすれば、「絶望していない」という言葉は、擬人化されていない意味にとらえ直さなければなりません。
そう考えると、私の友人の思索の内容は、なかなか複雑だったことでしょう。

ともあれ、深い思いに浸っていた彼が顔をあげると、目の前に保育園の先生と小さな子供が数人いたのだそうです。そして、そのうちのひとりの2歳ぐらいの子供が、道に落ちていた落ち葉をひろい上げて、彼の前に差し出しました。
彼が「くれるの」ときくと、すくっと立ったまま、当然のような顔をして黙っています。彼はその子供のことを、まるで哲学者のように感じたそうです。
彼がそっと手を出すと、その子は彼の手のひらに落ち葉を乗せ、彼が「ありがとう」というと、笑顔を残して先生の所に去っていきました。
不思議なこともあるものですね。
今回は、心が心に通じたのではと感じた、ちょっとした話のご紹介でした。
ではまた。
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