さて、以前にもちょっと書きましたが、人はなぜスポーツをするのかという疑問が、長いこと気にかかっていたのです。
もちろん答えは、場面それぞれ、人それぞれで、千差万別なことでしょう。
たとえば、最近少し太って、お風呂上がりに鏡で自分を見て、ちょっと情けない気分になったので、一念発起してスポーツでもしてみようか、という場合もあることでしょう。
山登りなどでは、ある場所にたどり着いたときの達成感や、自然と一体になっている感じや、お友達と一緒に歩く楽しみが、その動機かもしれません。
テニスや卓球などの相手がいるスポーツでは、勝ちたいという闘争心が要素になっていたり、あるいは、ラリーが続くのが心地よいという感じだったり、単に球を打つことが楽しいということかもしれません。
しかし、これらのいずれとも違う特別な要素があるのではないだろうか。それは何だろうと、考えの整理がつかないというような感じの状態が、ずっと続いていたのです。
そして、親しい友人から勧められた本が、この疑問に一応の区切りをつけるヒントになってくれました。
『王国のゴルフ』(マイケル・マーフィー著、山本光伸訳、春秋社、1991年)という本です。
スポーツにはどこかしら、私たちに無理を強いるところがあります。
『王国のゴルフ』に登場する、シーヴァス・アイアンズという名のスコットランド人のゴルフの名手は、こう語っています。
「プレーするためには、われわれの感覚や想像力、思考力、筋力などをすべて総合しなければならない。つまり生きていく上で必要不可欠な能力がすべて、ゴルフで試されるのだ。われわれの種々の能力をすべて出し切り、それらをお互いに整合させ、しかもクラブやボールやプレーする土地や、一緒にプレーするパートナーともうまく折り合っていかなければならない。」
ゴルフだけでなく、どのスポーツでも同じだと思いますが、プレーしている人は、自分や相手や環境にかかわる、ものすごく多くの要素に影響されながら、そのスポーツをしています。
そして、一生懸命に取り組んでいる人の多くは、良い結果を出すために、そのような要素を克服したり、うまく活用したりすることを目指します。しかし通常このことは、たとえば、考えるというような心の表面的な働きでは、ほとんど達成できません。
どういうことでしょうか。
分かりやすいので、最高レベルのスポーツ選手を例に考えてみましょう。
たとえば、オリンピックに出るようなスキーの滑降の選手がいるとします。彼もしくは彼女は、スキーの技術を身につける段階では、自分の筋力の限界や道具や、自然環境と技術の関わりなど、さまざまなことを考えながら厳しい練習に取り組んだことでしょう。
しかし、オリンピックの本番で急斜面を滑降するときはどうでしょうか。このような極限状態では、頭で考えているのでは、斜面や雪面の変化や、風圧や、バランスの崩れに対応することはできません。
今までの練習の積み重ねの成果によって、心の内側からの促しによって体が反射的に動くので、人間業とは思えないスピードにもかかわらず、転倒せずに降りてくることができます。
このような場合に、人はおのずから、直観やインスピレーションというような心の深い部分の働きに頼ることになります。
私たちが日常行なっているレベルのスポーツであっても、先ほどのゴルフの例のように、自分、一緒にプレーする人、自然環境など、関連している要素が無数にあります。そしてそれらと折り合ったり(特に自分と折り合うのは難しいことです)、協力したり、それらをうまく克服したりしようとするとき、私たちは、ひらめきのような直観を用いること、つまり心の奥深くをよく働かせることを自然と促されます。
このことは、いつでも完璧にうまくいくわけではありません。しかし、うまくいっているときには何か、よく説明できない絶好調のような状態になります。この状態は「ゾーン」と呼ばれています。
参考記事:「ゾーンに入る」とは
心の奥深くがよく働くということは、逆に言えば、心の浅い部分の働きが抑えられているということにあたります。
映画『燃えよドラゴン』に出てくるセリフですが、ブルース・リーは弟子に稽古をつけていて「考えるな、感じろ」(Don’t think. Feel!)といいます。
私が数十年愛好しているバドミントンを例にとると、リオデジャネイロ・オリンピックの女子ダブルスで高橋・松友ペアは、最終セットで16対19と負けているところから、21対19と逆転して金メダルを取りました。高橋選手は、この最後の5連続得点をしたときの自分を覚えていないと後に語っています。
皆さまにもご経験があることでしょうが、このように自分を覚えていないということは、高度な集中によって、心の浅い部分の働きが抑えられているときに起こります。
さて、バラ十字会のような神秘学派で学んでいる人の多くは、瞑想を日常の習慣にしています。
瞑想とは、何かを深く考たりすることだとされることがあります。深く何かひとつのことに集中することだとされることもあります。また、リラックスして深呼吸をすることでストレスを発散させることだと考えられることもあります。
いずれも、部分的には正しいのですが、瞑想の最も重要な要素は、このいずれでもありません。
瞑想の最大の眼目は、表面的な心の働きを抑えることによって、心の奥深くがよく働くようにすることです。いえ、心の奥深くはいつでもよく働いているのですが、その声が聞き取れるように耳を澄ますことです。表面的な自己(エゴ)を感じなくなるので、「無心の状態」ということができるかもしれません。
スポーツのゾーンの状態では、心の奥深くの促しに従うように体が動いているので、この状態と瞑想はよく似ています。
先ほどの本で、シーヴァスは次のようにも語っています。
「気品をもって鍛錬に励めば、人生のどんな場面でも特別の能力が得られる。いい仕事をしていれば、仕事においても、良好な愛情生活を送っていれば――その愛情生活においても。ともかく一生懸命ゴルフをやれば、必ずや、生きていく上での新しいパワーを手にゴルフ場をあとにすることができるのだ」
「ゴルフ」を「瞑想」に置き換えても、この言葉はそのまま正しいと、瞑想の体験を積まれている方はお感じになることでしょう。
そしてこの線に沿って考えを進めると、飛躍しているように思われるかも知れませんが、私たちが日常で最高に能力を発揮しようとしているときには、その一刻一刻がスポーツのようであるべきだということもできますし、瞑想のようであるべきだということもできます。
そして、最初に書いた「人はなぜスポーツをするのか」という疑問に対する、今の段階の私の答えは、「心の奥深くの促しに従うという経験を積むことで、新しいパワーと生き方を手に入れるため」です。
スポーツ心理学の専門家によれば、「ゾーン」に入っている選手は、ほぼ例外なく、落ち着いた感じと、ワクワク感と、充実した気合いの3つを同時に感じているそうです。
ですからスポーツはもちろんですが、瞑想のためにも、日常の仕事で十分に能力を発揮するためにも、この3つの感じを手に入れることが、重要なポイントになるように思われます。
では、この3つの感じを、どのようにして実現したらよいのでしょうか。このことについては、いずれ考えがまとまったら、ご紹介させていただきたいと思います。バラ十字会の通信講座で学習をされている方には、視覚化や根源的生命力と、このテーマの関連について考えてみることをお勧めします。
今日お伝えしたかったことは以上です。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
ではまた。
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