こんにちは。バラ十字会の本庄です。
東京板橋は寒い一日になっています。北国の人には笑われそうですが、最高気温が4度だと朝の天気予報で聞いただけで、身震いしてしまいます。
いかがお過ごしでしょうか。
たびたび話題にしていることですが、現代社会には物質主義と呼ばれる考え方が広がっています。
参考記事:『バラ十字会AMORCのマニフェスト(宣言書)のご紹介』
物質主義というと、やや難しく感じますが、その代表的な考え方は、人とは、単に物質でできた肉体だとすることです。端的に言えば、人間のことを、とてもよくできたロボットのようなものだと考えるわけです。
この考え方からは、人の脳は、幼児期の体験や遺伝などによって、人工知能のようにプログラミングされたものであり、人の行動は、このプログラムによって決まってしまっているという、いわゆる決定論と呼ばれるものが生じがちです。
モルモットやハトなどの研究や、ノイローゼなどの原因の分析を主な課題にしていた古い時代の心理学者の多くは、このような決定論に近い考え方を唱えていました。
ところがこの決定論は、事実と異なるばかりか、かなりの害があることが知られています。というのも、地道な努力をすることを妨げる、言い訳に繋がってしまいやすいところがあるからです。
たとえば、「人前に出ると上がってしまうのは、お父さんとお母さんの育て方が悪かったからだ」などです。
一方で、さまざまな神秘学派や、現代の心理学の多くでは、人は自分の行動を自由に決めることができる、つまり人間には自由意志があると考えています。
別の言い方をするならば、私たち人間は、外の世界から与えられた刺激に対して、どのように反応するかを、自分の価値観に基づいて主体的に選ぶことができると考えるわけです。
このような主体性のもとになっているのは、人間の意識だということができます。
最近、このブログで何回か取り上げている人物ですが、米国の心理学者のケン・ウィルバーは、禅の体験をもとに、瞑想を重ねていくと人間の意識の状態は、粗(Gross)領域から、微細(Subtle)領域、元因(Causal)領域、トゥーリヤ(Turiya)領域と深まっていくとしています。
ちなみにこの4つの意識は、バラ十字会では、客観的意識、サイキック意識、ソウル意識、宇宙意識と呼ばれています。
参考記事:『心の構造について』
先日、バラ十字会AMORCのフランス代表が、臓器移植を話題にしたブログ記事で、これらの意識について述べていますので、その翻訳をご紹介させていただきます。
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バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサンのブログ
記事「細胞の意識について」
臓器の移植を受けた後に、患者が、今までとは異なる感情を抱いたり、今までとは異なる印象を受けたりすることがあります。
以前は特に好みではなかった食べ物が突然大好きになったり、ある種の活動に興味を抱いたり、ある光景をどこか別の場所ですでに見たことがあるように感じるなどです。
容易に想像できることですが、このような感情や印象は、原因を理解することもコントロールすることも難しいので、移植を受けた人の心が動揺してしまうことがあります。
常識には反するかもしれませんが、このような“現象”は珍しいことではありません。
しかし、誤解されることを懸念して、このことについて話しをすることを望まない人が多くいます。
特に、物質主義や合理主義の傾向が強い人にこの話しをすると、誤解が生じやすいように思われます。
科学界の一般的な傾向として、この種の事例は、できれば避けたい話題として扱われたり、極めて疑わしい情報であるとさえ見なされたりしています。
というのも、人間とはどのようなものであるかという科学一般の考え方とは相容れないように感じられるからです。
科学者の多くは人間のことを、物質でできた身体だけから構成されていると考え、物理化学的な一連のプロセスだけによって、人の命が保たれていると考えています。
そして、印象や感覚を人が感じることのできるのは、その人の脳内の意識のおかげであり、脳だけが人間の意識が存在する器官であるという結論を出している人もいます。
“思い込み”とまでは言わないとしても、この考え方に基づくならば、移植のために取り出された臓器は、単なる肉のかたまりであることになり、そこには生命力も意識もなく、移植を受けた人の生理学的な働きだけによって、臓器の活動が再開されることになります。
バラ十字会の哲学の観点からいうと、意識は脳だけにあるのではありませんし、脳の物理化学的な働きだけから生み出されているものでもありません。
意識には、脳によって生じる物についての意識だけでなく、サイキックな意識とスピリチュアルな意識があり、この2つの意識は身体のすべての器官と細胞を満たしています。
そのため、人のすべての器官にも細胞にも意識があり、その意識の働きによって記憶があります。
ですから、私たちの細胞や器官にはそれ自体の記憶があり、この記憶は、細胞や器官の体内での活動に役立っているだけでなく、味覚や性癖や興味や、より広くいえば、その人の個性に影響を与えています。
もしこのことを認めるならば、ある臓器が誰かから取り出されて、別の人に移植されたときに、その臓器にはドナーの個性を作り上げていた記憶の一部が保たれていて、それが“薄められた”形で、移植された人の個性に影響を与えるというメカニズムを理解することができます。
しかしいかなる場合にも、移植を受けた人の自由意志がドナーの意志に置き換えられたり、意図に反した行動に駆り立てられたりすることはあり得ません。
移植の影響は、多くの場合すぐには表れませんが、数週間か数ヵ月が経つと、普通ではない感覚や印象が生じ、心が不安定になることがあります。
バラ十字会AMORCフランス本部代表
セルジュ・ツーサン
著者セルジュ・ツーサンについて
1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。本稿はそのブログからの一記事。
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やや難しくなりますが、少し補足をします。
ドイツの神秘家のルドルフ・シュタイナーは、講演『人間という多層構造』(The Manifold Constitution of the Human Being, 1907)で、人間は、肉体、エーテル体、アストラル体という3つの体が重ね合わされたものだとしています。
バラ十字会では、この3つのことを、肉体、サイキック体、ソウル(スピリチュアル体)と呼んでいます。サイキック体は、生命力に深く関わる人間の部分で、ソウルは人間の不滅の核です。
物についての意識は脳によって生じますが、上の文章でサイキックな意識、スピリチュアルな意識と呼ばれているものは、それぞれ、サイキック体とソウルによって生じています。
いかがでしたでしょうか。最後はやや立ち入った話題になりました。今回は、この辺りで。
ではまた
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