こんにちは。バラ十字会の本庄です。
東京板橋では、梅雨前のはっきりしない天気が続いています。
いかがお過ごしでしょうか。
今回は、私の友人であり、当会の公認インストラクターをされている森和久さんのシリーズ記事『文芸作品を神秘学的に読み解く』のその5をお届けします。
参考記事(前回):『赤毛のアン』
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文芸作品を神秘学的に読み解く(5)
『朝雲』 -川端康成 著
『朝雲』は川端康成が昭和16年に発表した短編小説です。田舎の女学校の学生、宮子が、都会から来た垢抜けた女の先生、菊井先生に、淡い恋心を抱くというストーリーです。思春期の少女の瑞々しい感性を川端文学が鮮やかに描き出しています。
女学生たちが卒業するときに、菊井先生は、「ご幸福を祈る」と色紙に書いてくれます。ある女学生が先生に訊ねます、先生、幸福って何ですの? 先生は答えます、「そんなこと、ご自分に聞いてごらんなさい。」
その部分を見てみましょう。宮子は文中、菊井先生のことを、あこがれを込めて「あの方」と呼んでいます。
川端康成 1938年(39歳頃) 鎌倉二階堂の自宅窓辺で See page for author [Public domain], via Wikimedia Commons
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あの方はやっと私のペンを受け取って、「御幸福を祈る。」と書いて下さった。なんて平凡な言葉、そしてほかの先生にくらべて最も短い言葉だった。小さい丁寧な字だった。
あの方はほかの卒業生たちのサイン・ブックにも、「御幸福を祈る。」とばかりお書きになった。
「先生。幸福ってどんなことですの?」と、あの方を少しからかうような調子で問いかける人があった。あの方は常になくきつい目色でその人を見ながら、「そんなこと、御自分に聞いて御覧なさい。」とおっしゃった。「でも、先生はどんな幸福を、私に祈って下さいますの?」とその人は押し返して言った。「幸福にいろんな種類があるなんて、私は考えたくないけれど。」と、あの方はおっしゃった。「私は先生とおんなじ幸福が欲しいわ。」とその人はささやいた。私ははっとした。しかし、あの方はなにげなく、「そう? そう思っていただいても、いいことよ。」と笑ってらした。(短編集『花のワルツ』より、新潮文庫、2012年、電子書籍版)
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菊井先生がサイン・ブックに書いた言葉は、〔なんて平凡な言葉。他の先生に比べて、最も短い言葉。小さい丁寧な字。他の卒業生にも同じ言葉〕でした。ここから見てとれるのは、簡潔で、根本的で、重要な言葉と先生は捉えていたということです。
菊井先生が、常になくきつい眼をしていった言葉、「そんなこと、ご自分に聞いてごらんなさい。」
なぜ普段温和な先生が感情を乱してしまったのでしょう。それは、重要な言葉ととらえていた『幸福』について、からかうように聞かれたから。そしてこれは神秘学の格言『自分自身を知れ』に通じます。
主人公の宮子が「はっとした」のは、宮子も宮子と菊井先生だけの幸福を求めていて、それに気付かされ、そして他の女生徒もそうだったのだと知らされたから。のちに宮子は菊井先生が述べた事柄によって、幸福に満たされます。けれどそれは一時だけのことでした。
では幸福とは何でしょう。
多くの著名人がいろんなところで幸福について述べています。有名なところでは、アラン、ヒルティ、ラッセルの3大幸福論があります。
では、『朝雲』の菊井先生は女生徒にどのような幸福を祈ったのでしょう。
「幸福にいろんな種類があるなんて、私は考えたくないけれど。」「(生徒と同じ幸福と)思っていただいても、いいことよ。」と述べていることからうかがい知ることが出来ます。
ギリシアの哲学者、アリストテレスに『ニコマコス倫理学』という著作があります。彼の息子であるニコマコスが父アリストテレスの講義録を編集したので、このタイトルが付けられました。アリストテレスはこの中で「善の中の一番の善、つまり〔最高善(ト・アリストン)〕が、幸福であることに異を唱えるものはないだろう。だが、幸福というものは、人によって違うし、同じ人でも時と場合によって欲しいものは変わってくる。」しかし「善や幸福は究極の目的であり、それだけで満足できるものでなければならない。」と述べています。
つまり、女生徒たちは、それぞれの幸福を求めているのですが、菊井先生は、「究極の幸福」を女生徒たちそれぞれに祈っていたのです。
では、その幸福を達成するにはどうしたらいいのでしょうか。アリストテレスは述べています。「自分だけが幸福になることはできない。すべての人が幸福になること、それを目指して生きることが幸福である。なぜなら、人間の本性は共同の社会で生きるようになっているから。」
菊井先生はこう言いたかったのではないでしょうか。「皆さんそれぞれが幸福になってほしいの。誰かだけ特別ということではないのよ。」だからどの人のサイン・ブックにも同じように「ご幸福を祈る」と書き込んでいたのでしょう。
アリストテレスは次のようにも書いています。「「幸福な人にも、いろんな障害が生じる。それでも幸福な人は、その不運を受け止めて、それにふさわしい態度で接し、乗り越えていく。だから、幸福な人は、どんな状況に置かれても惨めな人間とはならない。」
神秘学(神秘哲学:mysticism)は論理と実践の学問といわれます。実践が伴わなければならないのです。
アリストテレスは述べています。「善い行いを積み重ねることが幸福につながる。他人に「それは偽善だ」と批判されても、善いと考える行動を続けることで、その人は『善』に近づく。幸福とは魂をすぐれた行動に導くことで、それが最も善きことである。」
『朝雲』の菊井先生はこう伝えたかったのではないでしょうか。
常に善い行いを心がけてください。
ひとが何と言おうと、信念をもってね。
それぞれの幸福が、全ての人の幸福になるように。
それが幸福になることですのよ。ご幸福を祈るわ。
ではここで、これを書いている私(森)はどうだろうと考えてみます。決して日々毎日、善行に励んでいるとは言えません。本当のところ、楽をしたり、サボったりの繰り返しです。私以外にもそういう人はいるでしょう。しかし、一気に聖人になれなくとも目指すことはできると思っています。
まず、アリストテレスの言う、批判ばかりする側になるのは止めたいと考えています。むしろ、批判されたり嘲笑されたりしながらも信念を貫いている人を応援したいと思っています。ですから、人それぞれのレベルで、少しずつ、しかし着実に進んでいければいいのではないでしょうか。
それがいつしか大きなうねりとなって、理想が樹立されるのを願って。それは恋い焦がれる主人公、宮子のようでもありますが… (空にたなびく白い雲を眺めて記す)
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川端康成の短編小説といえば、『夜のさいころ』を思い出しました。何十年も前に読んだのですが、ある一場面をはっきりと覚えています。ネタバレになるので背景のご紹介だけですが、こちらは、母の形見の5つのサイコロを振る、浅草の踊り子の話です。
では、今日はこの辺で。
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