あけましておめでとうございます。バラ十字会の本庄です。今年もよろしくお付き合いください。
東京板橋は、寒空の晴天が続いています。道端に見事なロウバイが咲いていました。
いかがお過ごしでしょうか。
さて、壮大な話題ですので、理解するのがやや難しい事柄なのですが、バラ十字会では、「愛」のことを“宇宙”(Cosmos)の法則のひとつだと考えています。
そして「愛とは何か」ということは、バラ十字会の哲学を理解する上で鍵になる事柄です。
ですから、このブログで、いつか愛について書こうと思っていたのです。しかし、あまりにも大きなテーマですので、ずっと躊躇していたのです。
すると年末に、当会のフランス代表が、ブログにこのことを書いているのを知りました。今回は、その記事をご紹介させていただきたいと思います。
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バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサンのブログ
記事「愛について」
世界中の多くの言語で、「愛」は口にされることや書かれることが最も多い言葉のひとつです。
この語にはさまざまな意味が含まれていて、さまざまな感情を表すのに用いられています。
私たちは、配偶者、子供、他の近しい人への愛について語るだけでなく、動物や自然、国家、音楽、文学、スポーツに対する愛を語ります。
「愛する」という動詞は意味的に広い範囲をカバーしており、文脈によって、人間や他の生きもの、物体、他の興味の対象についての、さまざまな程度のさまざまな感情を表しています。
多くの人が、周囲に暮らしている他の人たちを愛していますし、また、自然保護運動に直接関わっていないとしても、大部分の人が自然を愛しています。
ある芸術家や俳優、政治家、スポーツ選手を愛している多くの人がいる一方、それに比べればそれほど多くはありませんが、文学や芸術や神秘哲学を愛している人もいます。
このように愛には、「一般的な愛」と「特別な愛」があるように思われます。
一般的な愛が特別な愛の妨げになることはありませんし、特別な愛が一般的な愛の妨げになることもありません。
たとえば、自然を愛することは文学を愛することの妨げにはなりません。
どのような場合でも、ある愛が別の愛の妨げになることはないように私には思われます。
人が何かを愛する場合に、その対象によって、序列のようなものがあるでしょうか。
おそらくあるのではと私は思います。
たとえば、隣人を愛することとスポーツを愛することには違いがあるのではないでしょうか。
隣人を愛することには、生きる喜びを分かち合いたいという心の奥底にある理想が関係しています。
一方でスポーツを愛することは、何らかの満足を得たいという、個人としての情熱のようなものあたります。
こう考えると、対象が限定されず時を超える性質が愛にあれば、それだけその愛は尊く高尚で建設的なものだと私には感じられます。
人類への愛、自然界への愛、〈絶対なるもの〉への愛には、このような性質があります。(ちなみにこの場合、〈絶対なるもの〉とは、あらゆるものが存在するために必要とされる〈意識を持つエネルギー〉のことを指しています)。
ちなみにこの3つの愛は、バラ十字会で〈普遍的な愛〉(Universal Love:宇宙の愛)と呼ばれているものの、3つの異なるレベルの表れにあたります。
ご存知の通り、キリスト教の創始者イエスだけでなく、過去のあらゆる賢者たちが、互いに他の人を愛しなさいと教えてきました。
なぜなのでしょうか。このような教えは、何らかの思想を主張したものではなく、感情から発せられた主張にもあたりません。
これらの賢者たちは、愛することが人間の存在理由であり、さらに、幸せを実現し実感することを望むならば、誰もが必ず従わなければならない手段であるということを承知していました。
誰もが、愛し愛されることを必要としています。
愛し愛されることが望ましいどころか必要だということは、人間の魂の根本的な性質です。
そうは言っても、私たち個人は不完全な人間であり他の人もまたそうなので、通常の人にとって、すべての人を愛することは、ほぼ不可能です。
ですから、この理想に近づこうと努力する一方で、私たちがなすべきことは、少なくとも誰も憎まず誰も傷つけないということではないでしょうか。
想像してみていただきたいのです。誰もが互いに愛し合っているのではないとしても、憎しみや恨みに身を任せる人が一人もいなければ、世界はどれほど素晴らしい場所であることでしょう。
愛についてのこのささやかな考察の締めくくりに指摘しておきたい、私が悲しく思っている事柄があります。
それは、現代社会ではあらゆる場所に性的なことがらがはびこっている一方で、愛が肩身の狭い思いをしているということです。
お堅いうえに上品ぶっていると思われてしまうかもしれませんが、テレビ番組や雑誌やインターネットで性的なことがらが節度なく取り上げられていることによって、愛が極めて低次元のレベルにおとしめられて、見世物になったり、欲望や動物的本能をあおるだけの道具になったりしてしまっていると私は思います。
究極の意味でいえば、イスラムの神秘家イブン・アラビーが述べているように、「2人の人間の結びつきによって、2つの魂の間に絆を築く。それが愛ということ」だと考えるべきではないでしょうか。
バラ十字会AMORCフランス本部代表
セルジュ・ツーサン
著者セルジュ・ツーサンについて
1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。
多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。
本稿はそのブログからの一記事。
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ふたたび、本庄です。この記事にはイスラムの神秘家イブン・アラビーの言葉が出てきましたが、レバノンの詩人カリール・ジブランの書いた本『預言者』にも、愛についての素晴らしい言葉がたくさん出てきます。
ほんの一部ですが、ご紹介します。
「愛は愛自体のほかは何も与えることなく、愛自体しか受けることがない。愛は所有せず、また所有させない。愛は愛だけで満ち足りているのだから」。
まだお読みになっていなければ、素晴らしい本ですのでお勧めします。
今日はこの辺で。
また、お付き合いください。
参考記事(前回のセルジュ・ツーサンの文章):『親切について』
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