投稿日: 2018/03/02
最終更新日: 2022/12/09

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

昨日今日と、爆弾低気圧のせいで強い風が吹きましたが、被害はありませんでしたでしょうか。

もうすぐ春分ですね。東京ではそこここで木々が新芽を出していますが、北国にお住まいの方は、春の本格的な訪れが待ち遠しいことと思います。

札幌で当会の公認インストラクターをされている私の友人から、この時期にふさわしい文章の寄稿がありましたので、ご紹介させていただきます。

▽ ▽ ▽

『探春と旅』-文芸作品を神秘学的に読み解く(9)

森和久のポートレート
森 和久

まだまだ寒い日が続いています。春を待つ日々に読んでみたい詩をまず見てみましょう。

尽日尋春不得春   【尽日(じんじつ)春を尋ねて春を得ず】

杖藜踏破幾重山   【杖藜(じょうれい)踏み破る幾重(いくちょう)の山】

帰来試把梅梢看   【帰来(きらい)試みに梅梢(ばいしょう)を把(と)って看れば】

春在枝頭已充分   【春は枝頭(しとう)に在って已(すで)に十分】

意味:

一日中春を探し廻ったが、とうとう春に出会うことは出来なかった。

あかざ(畑地に自生する一年草、茎は乾燥して杖に使用される)の杖をついて幾つもの山を踏み越え春を探してみたのだが。

我が家に帰ってきて試しに梅の一枝をとってみたら、

枝の先には蕾が膨らんでいて、春はそこにあった。

これは12世紀ごろ、宋の時代の詩人戴益(たいえき、生没年不詳)の漢詩です。もともとタイトルはなかったようですが、『探春』(たんしゅん)と呼ばれ親しまれています。

「さんざん春を探し廻ったけれど、実は自分のところにあった」ということです。しかし、探しに行かなければ「春の訪れ」の意味を認識はできないのです。

当たり前と思ってしまっているままということになるでしょう。「春になるのは当たり前」と思うのと、「今年もまた春が訪れた」と考えるのとでは、まったく違うということです。

次にドイツの詩人カール・ブッセ(Karl Hermann Busse, 1872–1918)の作品を見てみましょう。

Über den Bergen

Über den Bergen weit zu wandern

Sagen die Leute, wohnt das Glück.

Ach, und ich ging im Schwarme der andern,

kam mit verweinten Augen zurück.

Über den Bergen weit weit drüben,

Sagen die Leute, wohnt das Glück.

意味:

山のかなた

山のかなたのはるか遠くに

幸せが住んでいると人々は言う。

ああ、そして私もみんなと一緒に行ってみて、

目に涙をあふれさせ帰ってきた。

山のかなたのさらに遠くの向こうに

幸せが住んでいると人々は言う。

日本では『山のあなた』という上田敏の訳で有名です。ちょっと前までは小学校5年生の国語の教科書にも載っていました。2行目と6行目の「人々(Leute)」は「世間のある人々」、3行目の「みんな(Schwarme der andern)」は「他の人たち(知人とか)」なので、違いを明確にするため訳し分けてみました。

この詩では認識すべき範囲がさらに広がっています。当初の認識ではまだ範囲が狭く、さらに広範囲に認識を広げなければならないということです。

では、最後に若山牧水(1885-1928)の作品を見てください。

幾山河

越えさり行かば

寂しさの

終てなむ国ぞ

今日も旅ゆく

意味:

どれほどの山河を越えて行けば

寂しさが尽き果てる国があるのだろう

(そこを求めて)私は今日も旅を続ける

『幾山河』と呼ばれるこの作品ではもう基点(家)はなく、旅をし続けるという内容です。どこから来て、どこへ行くのかもわかりません。

見ていただいた三作品、三者三様の内容です。それぞれの考え方の違い、生き方の違いと言ってもいいでしょう。でもこれら三作品には共通点があります。それは移動(旅)をした、しているということ。つまり変化しているということです。

生き方は一つではありません。人それぞれの生き方があっていいし、時に変えてもいいはずです。なぜならすべては変化するものだから。

神秘学では、「すべてのものは、成りつつある」とされます。すべてのものは変化し続け、今ある状態にとどまることはないというわけです。人類という大きな流れは絶えることはありませんが、その中の「私」は常に変化し続けるということです。

冒頭の『探春』のように、「今、幸福だからこのままでいい」と思っても変化は訪れます。逆に変化させないためにはそれ相応の努力が必要です。

バラ十字会AMORCが出版している書籍に『ライフマップ』というものがあります。

物事は周期(サイクル)によって司られており、その仕組みをわかりやすく説明してあります。一日の周期、一年の周期、人生の周期、転生の周期といったものが、それぞれ詳しく述べられています。

つまり私たちは周期をもった流れの中で生きています。そしてその周期というのは一つだけではなく、複数の周期が重なり合って複雑な様相を呈しているのです。

(付記:『ライフマップ』の電子書籍版は下記のURLで購入することができます。)

たとえてみるならば、『探春』は日々の周期、『山のかなた』は年や人生の周期、『幾山河』は魂の周期とも言えるでしょう。

私たちは日々、仕事や学校、買い物や旅行などへ出かけ自宅に帰り休養し英気を養って、を繰り返し、人生という長さで考えれば、それ相応の旅や探求をし、帰るべきところへ帰ります。

そして魂は、完全を目指して旅を続けるのです。生まれて生き、転化(死)し、準備を経てまた生まれることを繰り返します。

太陽系のそれぞれの惑星は自転もしながら太陽の周りをそれぞれの周期で回っています。つまり公転しています。そして太陽自体も太陽系の星々を引き連れて、宇宙の中を突き進んでいます。きっとある周期(サイクル)を持って進んでいるのでしょう。

でも私たちには未だその道筋はわかっていません。太陽系の道程も魂の道程もただ探求し続けるのみです。

△ △ △

ふたたび本庄です。

「旅」という言葉を聞いて、思い出した詩があります。

幸せは旅であり、目的地ではありません。

踊りなさい、誰も見ている人がいないかのように。

愛しなさい、一度も傷ついたことがないかのように。

歌いなさい、誰も聞いている人がいないかのように。

働きなさい、お金が必要でないかのように。

生きなさい、この地上よりも素晴しい場所がないかのように。

(アルフレッド・D・スーザ)

では、今日はこのあたりで。

参考記事(前回の寄稿):文芸作品を神秘学的に読み解く(8)『青い鳥

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