こんにちは。バラ十字会の本庄です。
今日、東京は朝からとても暑い日になっています。豪雨被害に遭われて避難所で暮らしている方々のことが気にかかります。
いかがお過ごしでしょうか。
さて、唐突ですが、「世界の外側」と聞くと、どんなイメージが湧いてくるでしょうか。私たち現代人にとって、世界とはおおむね地球のことですので、世界の外側というと宇宙空間を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
人類最後のフロンティアだという、ワクワクした思いを持たれる方もいらっしゃることでしょうし、まばらに天体が浮いている寂しい空間だと感じる方もいらっしゃることでしょう。
一方で、世界の中心はというと、五大大陸のすべてに人が住んでいるので、中心なんか特にないのではと考える方が多いのではないでしょうか。
この2つについて、古代人の多くは私たちと全く異なるイメージを持っていました。
原始社会では、よく知っている仲間が住んでいて、整えられていて、親しみ深く安全な範囲が世界であり、その外側には、自分たちを襲うかもしれないよそ者、怨霊、死者、怪物が住んでいるとされていました。
つまり、世界の外側は、まだ秩序が整えられていない危険な混沌であり、そこに住む外敵は人の姿をしていても人間ではないと考えられていました。また世界の外側は、悪神、悪魔もしくは死に神や、伝説上の怪獣がたくさんいて、世界を無秩序の状態に戻そうと狙っていると見なされていました。
まるで、人気漫画『進撃の巨人』の舞台設定のようですね。
たとえば、古代エジプトの神話では、外の混沌の世界には、アポピスと呼ばれる大蛇が住んでおり、この蛇を征服しエジプトの地に秩序をもたらしたのが、王のファラオだとされています。
ちなみにアポピスとは、天空で太陽を運んでいる舟を、朝と晩にひっくり返そうとする大蛇です。このたくらみは失敗し、太陽神ラーにアポピスはそのたびに殺されるのですが、毎回復活してこの試みを繰り返します。アポピスは舟をひっくり返すことにたまに成功し、そのときには日食が起こります。
古代人の考えによれば、自分たちが住む秩序ある世界と、外の混沌の世界を隔てているのは、城壁、道、壕(ほり)などでした。
道という漢字の由来が、古代の中国の人々のこの考えをよく表しています。東洋学者の白川静さんの説によれば、「道」のしんにょう(しんにゅう)の部分は十字路と足跡の形を表す象形文字であり「歩く」ことを意味しますが、首の部分は何と、まさに生首を表しています。
古代の中国の人たちにとって、道は外敵や外部の邪悪な霊と接触する場所だったので、捕らえた異族の首を手に携えて行進するという呪術を行い、道が持っている守護の力を高めようとしたのだそうです。
このような考え方はヨーロッパにも共通していて、時代が下って中世になっても、悪魔、疫病、死から内部の人を守るために、都市の外壁には呪術的な儀式が行われていました。
以前にこのブログで取り上げましたが、世界の多くの地域で、冬至は、世界の外側の暗黒の力が一年のうちで最も強くなる時期だと考えられていました。
そして現在でも、悪霊、疫病を追い払う儀式が年中行事として行われています。クケリという悪鬼が登場するブルガリアのディオニソスの祭り、米国アリゾナ州の先住民ホピ族が行うソーヤル祭、そして秋田県のなまはげの祭など、驚くほど類似する多くの祭りが世界の各地に残っています。
クリスマスの起源になったのも古代のそのような祭りであったと、多くの専門家が考えています。
参考記事:『なまはげとクケリについて』
一方で、世界の中心には神聖な場所があり、この場所が天上界、地上界、冥界をつないでいるという言い伝えも世界のあらゆるところにあります。
世界の中心は、文化によって、山の頂上であるとされたり、柱のような石を立てて表わされたり、巨石があったり置かれたり、巨木の生えている場所であるとされました。地理的な中心でなくても構わず、複数ある場合もあります。
須弥山(しゅみせん)は、古代インドの人々が世界の中心にそびえたっていると考えた聖なる山です。この言い伝えは後に仏教に取り入れられました。
『倶舎論』(ぐしゃろん)というインドの仏教経典によれば、宇宙の最も底部にあるのは風からなる円盤である風輪であり、その上に水輪、さらにその上に金輪(こんりん)があります。金輪の上には円周状をした鉄でできた鉄囲山(てっちせん)があり、その中を塩水が満たし海になっています。
この海の中央には壮大な高さの須弥山があり、そこに神々が住んでいます。須弥山の四方には4つの大陸がありますが、南方の大陸である贍部洲(せんぶしゅう)に住んでいるのが人間です。
ちなみに、「金輪際、あいつには金を貸さない」などというときに使われる「金輪際」は、水輪と金輪の境目のことを指します。
新潟県には妙高山がありますが、この名前は須弥山の別名です。インドネシアのジャワ島にある仏教遺跡のボロブドゥールも須弥山を象徴して造られています。
参考記事:『ボロブドゥール』
秋田県鹿角市には、大湯環状列石と呼ばれる縄文時代後期のストーンサークルが2つ(野中堂列石、万座列石)あります。そのいずれにも、日時計状組石と呼ばれる遺物があります。
野中堂の日時計状組石では、地面に円形に石が敷き詰められ、四方位を示す丸い石が配置され、その中央に高さ1メートルほどの石の柱が建てられています(写真参照)。四方位を示す丸い石からは、先ほどの須弥山の周囲の四大陸が思い起こされないでしょうか。この列石は縄文人の共同墓地だと考えられており、ドイツの研究家ネリー・ナウマンによれば、日時計状組石は、天上界と地上界と冥界をつなぐ象徴です。
以前に、このブログで「生命の樹」のことを取り上げました。旧約聖書の『創世記』には、この樹が世界の中心であるエデンの園に生えていると書かれています。おそらく、文字が発明される以前の時代の言い伝えを、ユダヤ人が自分たちの宗教に取り入れたのでしょう。
そして、ユダヤ教の秘伝思想であるカバラでは、この思想の精密な哲学的世界観を表わす象徴として、この生命の樹(カバラの樹)を用いています。
参考記事:『カバラと生命の樹について』
サウジアラビアのメッカにあるカアバ神殿は、イスラム教の最高の聖地ですが、言い伝えによれば地上で最も高い場所にあるとされます。つまり、山の頂上にあるとされています。そして、カアバ神殿にはイスラム教の聖なる宝である黒石が置かれています。
一説によればこの黒石は、神と通じるための手段です。
カアバ神殿 By Aiman titi [CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0) or GFDL (http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html)], from Wikimedia Commons
マレー半島の先住民セマング族の言い伝えでは、世界の中心には、一個の巨大な岩があり、その岩の上には一本の巨木が生えています。そして、その幹は天界への通路となり、岩の下には冥界が広がっているとされます。
世界の外側と世界の中心についての、さまざまな文化の言い伝えを見てきました。18~19世紀の人類学者、たとえばイギリスのジェームズ・フレイザーのような人は、原始人や古代人のこのような象徴や世界観、呪術的生活を、幼稚な迷信の集まりだと見なしていたようです。
しかし、世界中の異なる文化で、あまりにも共通点が多いことから、そこに何らかの真実が隠されていると考える人類学者、宗教学者が増えてきました。
ルーマニア出身の宗教学者のミルチャ・エリアーデは、こう語っています。
「(セマング族によれば)冥界、大地の中心、そして天界への“入口”は同一軸上に見いだされる。そして、宇宙のひとつの領域から別の領域へと移行することができるのは、この軸に沿ってである。もしこれと同じ理論が、すでに先史時代にその概略を表していたということを認めることを(世界中のさまざまな証拠によって)強いられていなかったとしたら、セマング族のこの宇宙理論を正統であると考えることに、ためらいを感じていたかもしれない。」(”Images and Symbols”, Mircha Eliade, 1952)
もちろん、太古の時代に行われていた呪術は迷信であり、暗示以外の効力はないと考えられます。
しかし、世界の外側と世界の中心についての、今までご紹介してきたようなイメージと象徴は、いったいどのような現実世界の構造を表わしているのでしょうか。それは、私たち人間の本質や、生き方や死にどのように関わっているのでしょうか。
皆さんはどのようにお考えになるでしょうか。
私はまだ考えがまとまっていないのですが、古代の遺跡や遺物に見られる象徴、表わされている世界観に、現代では忘れられてしまった、学ぶべき重大な何かがあるということを直観的に確信しています。
さて、今回の話題はいかがでしたでしょうか。興味深いと感じていただける点が少しでもあったとしたら、嬉しく思います。
では、この辺りで。
また、お付き合いください。
(来週の金曜日は都合により、投稿をお休みさせていただきます。)
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