こんにちは。バラ十字会の本庄です。
東京板橋では、コスモスがそこここで咲いています。秋が深まり、冬も近いことが感じられます。
いかがお過ごしでしょうか。
今日は、中国地方を旅していた、友人の山下さんから寄稿いただいた文章をご紹介させていただきます。
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記事:『原爆のない世界を願って』
バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下 勝悦
つい先日、広島、山口、島根県を巡る二泊三日の旅に行ってきました。某旅行会社主催の団体旅行です。今回の旅の目玉は厳島神社、秋芳洞、秋吉台等々の見学だったのですが、私としては原爆ドーム、平和公園の訪問が一番の目的でした。
原爆ドーム、平和公園の訪問は初日の午後からでした。案内と説明は現地の案内係の方がしてくださるとのこと。案内係の方とは原爆ドームの近くで合流。早速原爆ドームに関しての説明が始まりました。
この時はスケジュールの都合で(何しろ分刻みのスケジュールでしたから…)、少し離れた場所から見ることになりました。それでも原爆ドームが訴えようとするメッセージはしっかりと受け取る事ができました。
次に平和公園に移動です。案内係の方とドームの脇を流れる川の橋を渡る時、私のかみさんが『ここが大勢の人達が亡くなった川なのだよね…』と。私は『ここか…。この川か…。今は静かに流れているけれど……』。すると次の瞬間、どこからか声が聞こえてきたような気が……。
静かな声で『頼みます、頼みますよ…』と。声の主は誰だったのでしょうか? どこから聞こえてきたのでしょうか?
今でも耳の奥にはっきりと残っています。これは私の単なる思い込みだったのでしょうか? いいえ、違うと思います。あの声は原爆で命を落とされた多くの方々からの『核の無い平和な世界の実現に協力お願いします』というメッセージだったのではないでしょうか。私はそう思うことにしました。
平和公園は静かな穏やかな場所でした。そこで案内の方から公園内で燃え続ける『平和の灯』の説明を受けました。初めて知りました。この世界から全ての核兵器が無くなった時に平和の灯は消されるのだそうです。
ふと思いました。世界中から核兵器が全て無くなった後にも『平和の象徴』として燃え続けていてください。その時に再び会いにきますから…と。
最後に資料館です。館内に入ってすぐの場所に大きな写真パネルが掲げてありました。私はその写真を一目見た瞬間、身体中に電流が流れた様な衝撃を受けました。写真に写っていたのは小学生と思える子供たちと担任の先生との集合写真でした。
みんな明るい笑顔です。この写真が撮影された数日後、あるいは数ヶ月後でしょうか、全員が原爆で亡くなられたのでしょうね。涙が溢れ出て止まらなくなりました。
資料館には他にも核廃絶を訴える沢山の写真や遺品が展示されていましたが、私にはこの写真が一番の衝撃でした。幼い子供たちまでもが犠牲となる戦争とは一体何なのでしょうか。
戦争とはホンノ数人の権力者同士の意地や権力争いに一般民間人が引きずり込まれ、強制的に権力者の代理人として戦わせられることと私は解釈していますが……
私は館内ではほとんど放心状態でした。その後、資料館を出てすぐにかみさんと二人、どちらからともなく出た言葉が『次は長崎に行こう』でした。
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再び本庄です。
紀元前5世紀に、ギリシャの歴史家ヘロドトスが次のような言葉を残しているそうです。
「平和より戦争を選ぶほど無分別な人間がどこにおりましょうや。平和なときには子が父の弔いをする。しかし戦いとなれば、父が子を葬らねばならぬ。」
それから2500年が経った今も、私たち人間は少しも賢くなっていないような気がします。
不思議で仕方ありません。
下記は前回の山下さんの記事です。よろしければ、こちらもどうぞ。
参考記事:『立ち食いそば屋のおばちゃん』
今回はこの辺りで。
また、お付き合いください。
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