投稿日: 2019/04/26
最終更新日: 2022/12/12

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

東京板橋は昨日から雨が降り続いていて、今日はやや肌寒い日になっています。

明日から連休ですね。どのようなご予定でしょうか。

今回は、山形県にお住まいの友人の山下さんから届いた、思い出についての話をご紹介させていただきます。

▽ ▽ ▽

記事:『もう一度会いたい』

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下勝悦

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下 勝悦

ちょっと昔のことになります。私の住む町の国道沿いに屋台のラーメン屋さんが営業を始めました。某銀行の前のちょっとした空きスペースを借りての営業でした。

近くに住む友人に聞けば、店主は最近この町内に移住してきた夫婦で、近くの借家に住み、日中は自家製の麺を作り、夜に屋台の店を開くのだとか。

その時、私は正直言って『こんな小さな田舎町でやっていけるのだろうか?』と思いました。ところが、時代が後押ししてくれました。

その頃の日本は高度成長の真っ盛りでした。そして、その頃の我が町は、高速道路はおろか市街地を迂廻するバイパス道路もありませんでした。当然のこと、すべての長距離トラックは街中を通っていました。コンビニ等といった便利な店など名称もなかった時代です。

すぐにトラックドライバーの間で『あの屋台のラーメンは美味い!!』と評判になり、さらに飲み屋帰りの人たちや近所の人たちの間でも評判となり、屋台の主人は常連客から親しみを込めて『オヤジ・オヤジ…』と呼ばれる様になり、まずまずの繁盛となりました(営業努力もあったことと思います)。

屋台ラーメンの光景

ところがバイパス道路の延伸に伴いトラックの往来もなくなってしまいました。するとオヤジさん、心機一転、住居を兼ねた店舗を新築、夜から昼の営業にと再出発したのです。最初は苦労されていたようでしたが、次第に常連客も増え軌道に乗ってきました。

そんな時です、ちょっとした事件が起きました。ある日のこと、屋台ラーメンの頃の常連客が来店、注文したラーメンを一口すすって、こう言ったのだそうです。『オヤジ~!!店を持つ様になったらラーメンの味、落ちたね~!!』。

するとオヤジさん烈火の如く怒りだし、こう言ったのだそうです。『ドンブリとハシ持って表に出ろ!!』。さらに続けて『さあ、ここで喰ってみろ!!味も腕も落ちちゃいね~(怒)』。

オヤジさんが亡くなってからもう何年過ぎたでしょうか。今でもこの話はオヤジさんを知る人の間では語り草となっています。

醤油ラーメン

他にも楽しい思い出があります。ある時、医師と家族から煙草を止められました。すると、近くの行き付けの二輪ショップ(店主は私の古くからの友人)に煙草を隠して預かってもらい、時々カミさんの目を盗んでは店を抜け出し、二輪ショップの店主を相手に世間話をしながら、美味そうにプカリ・プカリ。

これには店主が『ボトルキープならぬスモークキープってか? あきれたオヤジさんだよ(笑)。カミさんにはとっくにバレてると思うけどね…(笑)』。

頑固な反面、茶目っ気もたっぷりで、誰にでも気軽に話しかける気の良いオヤジさんでした。私も色んな楽しい話しを聞いた記憶があります。

しかし、なぜか昔のことはまったく話そうとしませんでした。私もあえて聞きませんでしたが。それでも、チラッと一言『昔、山伏修行をやった経験があるんだよ…』と口にしたことがありました。

私はそのうちゆっくり聞かせて貰おうかなと思っていました。ところがその機会がないまま平成に入って数年後に旅立ってしまいました。『まだまだこれから』と張り切っていた矢先のことでした。

今では、もう叶わぬことですが……、もう一度会って話がしたいです。

『お~い。オヤジさ~ん。そっちの世界でも相変わらず頑固に明るくやってますか~?。まだまだ先のことですけど、私がそっちの世界に行きましたら話し聞かせて下さいね~』

△ △ △

ふたたび本庄です。

この文章を読んで、たくさんの思い出がありながら疎遠になっている方々のこと、昔友人と通った、目黒通りの屋台ラーメンのことを思い出しました。

懐かしい思い出は、何か、手の届かない棚に置かれている宝石箱のようですね。

下記は前回の山下さんの記事です。

記事:『AIが暴走?

では、今日はこのあたりで。

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