こんにちは。バラ十字会の本庄です。
今日の東京は、真夏のような空模様と暑さになっています。台風が近づいているようですが、それが過ぎれば、とうとう梅雨が空けて本格的な夏になるようです。
いかがお過ごしでしょうか。
今週の火曜日から、バドミントンの世界大会である「ジャパン・オープン」が、東京都調布市で開かれています。
武蔵野の森-総合スポーツプラザという施設が開催場所で、2020年の東京オリンピックでも使われる会場です。
オリンピック開催まで一年を切り、他の競技の多くもそうでしょうが、バドミントンの世界大会は各国の出場選手の選考試合も兼ねており、白熱した試合が繰り広げられています。
今、日本のバドミントン選手には、シングルスでもダブルスでも、世界ランキングでトップクラスの人たちが多数いるので、この競技の長年のアマチュア・プレイヤーかつ大ファンとして、観戦していて、いつも以上にワクワクします。
東京オリンピックでも、多くの日本選手が活躍してくれることを心から願っています。
バドミントンの国際試合を見ていると、特にタイの選手が、とても礼儀正しいのに感動します。試合中にシャトルコック(羽球)が壊れると、代わりの新しいシャトルを副審からもらって使うのですが、そのときに合掌をして、感謝を示してから受け取っています。
タイの仏教徒の多くにとって、おそらくこのことは特別なことではなく、自然な振る舞いなのだと思います。
ご存知の方も多いと思いますが、数ヵ月前から、日本人とオリンピックの関わりをテーマにしたテレビドラマが放映されています。
すでに放映された番組に、印象に残ったシーンがありました。
日本人が初めて出場したオリンピックは、1912年に開かれたストックホルム大会でした。そのとき短距離走者の三島弥彦選手は、国中の期待を背負い、海外の選手との自分の実力の大きな違いを感じ、本番が近いある日の練習でプレッシャーに押しつぶされて、もう走れない、棄権したいと感じます。
そのとき、同行していた唯一のコーチ大森兵蔵(彼は重い肺結核に冒されていました)が、「陸上選手が挑むのはタイムという記録なのだから、一緒に走っている選手はみんな同志なのだよ」とアドバイスをします。
三島選手は、「なんでもっと早く言ってくれないかなぁ」とつぶやき、笑顔を取り戻します。
バドミントンに話を戻しますが、世界のさまざまな場所で開かれている国際大会を見ていて、特にほほえましく感じられるのは、多くの選手同士が、とても仲が良いことです。
ラグビーの試合終了を意味する「ノーサイド」という言葉は、試合終了の笛が鳴ったら、敵も味方もなく、全ての選手が仲間だという精神を表しているそうです。
バドミントンの国際大会で感じられる雰囲気は、まさにそのような感じで、たとえば、韓国、中国、台湾、香港、日本の選手が、互いに顔を近づけて、スマートフォンで一緒に写真を撮ってSNSに投稿したりしています。
経済や政治のニュース報道や、ツイッターなどでの非友好的な投稿に日常的に触れている方の中には、このような様子を見て驚かれる方もいらっしゃるかもしれません。
陸上選手が、記録と戦っている同志だと自分たちのことを考えることができるように、バドミントンのような対戦形式のスポーツの選手も、ライバルと自分たちのことを、体と心を鍛えるための機会を一緒に作り上げている同志だと考えることができるように思います。
バラ十字会の哲学では、人生を錬金術にたとえ、そこで起こる経験のことを、るつぼを熱する炎にたとえることがあります。
錬金術では、卑金属が貴金属に変容されます。人生経験という熱は人の内面に変化をもたらし、傲慢さや利己心のような心の欠点が、少しずつ謙虚さや忍耐力のような貴い性質に変えられていきます。
スポーツをすることによって得られる体験も、心を磨き、このような変容をもたらす人生経験のひとつと考えることができるのではないでしょうか。
もしすべてのスポーツ選手が、このような思いで練習と試合に取り組めば、ドーピングのような、残念で悲しい行為は、ひとつもなくなるのではないかと思います。
インドネシアにもデンマークにもマレーシアにも、世界の他の多くの国にも、私たちアマチュア選手があこがれる素晴らしい選手がたくさんいます。
土曜日が準決勝、日曜日が決勝です。素晴らしい試合の数々が行われることでしょう。テレビを見るのが楽しみで仕方ありません。
今日は私の感想ばかりを書いてしまった気がしますが、最後までお読みくださり、ありがとうございます。
また、お付き合いください。
以下は、前回の私の文章です。
参考記事:『地道なAIと革新的なAI』
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