こんにちは。バラ十字会の本庄です。
先週は投稿をお休みさせていただいたので、これが2020年の最初のブログです。
新春のご挨拶を申し上げます。いかがお過ごしでしょうか。
2007年に当会の世界大会がドイツのベルリンで開かれたとき、車いすに乗ったフランスの会員の方とお話をする機会がありました。
彼は、悲惨なできごとがあった世界中の場所に行って、犠牲になられた方々のために祈ることをライフワークにしているのだそうです。
先日はアウシュビッツに行くことができたので、次は広島に行きたいと言っていました。
彼にならったわけではありませんが、私も一昨年は広島、昨年の12月は長崎を訪れ、原爆の犠牲者の方々に手を合わせることができました。
長崎には、原爆資料館、追悼記念館、平和公園など、整えられた素晴らしい施設があります。
今回、このすべてを訪れることができましたが、平和公園を歩いたときには、特に天候に恵まれ、乾いたような悲しみとともに、静かな祈りのひと時を過ごすことができました。
2020年8月9日は被爆から75年の節目にあたるため、その準備として、平和公園の平和祈念像の塗り直しがされたとのことで、薄い水色に塗られたたくましい像が、抜けるような青空によく映えていました(写真)。
長崎の平和公園は、平和祈念像や「平和の泉」(写真)などで有名ですが、公園の一部は世界平和シンボルゾーンになっており、その趣旨に賛同した世界の多くの国や都市から贈られたモニュメントが配置されています。
それらを見て回ったのですが、中でも、南オーストラリアの先住民アナング族のコミュニティーから2016年に贈られたという「生命の樹」(写真)という彫刻が印象に残りました。
というのは、長崎を訪れる2週間ほど前に、ある旅行代理店の人と話す機会があったからです。そのとき、「ウルル」(エアーズロック)についての話を耳にしたのです。南オーストラリアにある「地球のへそ」と呼ばれることもある巨大な赤い岩ウルルは、アナング族の聖地であり、先住民の意思を尊重して、登ることが禁止になったのだそうです。
「生命の樹」の解説を目にしたとき、わずか2週間前にもアナング族のことを聞いたのを思い出し、不思議な偶然もあるものだなと感じました。
参考記事:「ウルル―聖なる地への探訪」
オーストラリアや太平洋の島々の先住民の一部は、核兵器の被害者です。
アメリカは、1940~50年代にマーシャル諸島(パプアニューギニアの北東)で多数の大気圏内核実験を行いました。イギリスは1950年代にオーストラリアと英国領の島々で、フランスは1960年代にアフリカと仏領ポリネシアの島々で核実験を行いました。
これら多数の核実験により、サンゴ礁などの美しい自然とそれに支えられている生態系が大規模に破壊され汚染され、いまだに回復していないところが数々あります。また、先住民、軍人、民間労働者とその子孫が被爆し、白血病や甲状腺がんが多く発生しました。
このような苦しみを経験しているため、太平洋諸国フォーラムなどの団体は、核実験と核兵器の禁止への取り組みに、特に積極的な役割を果たし続けています。
長崎の「生命の樹」の彫刻を作成したアーティストも、イギリスの核実験で被爆した先住民の方の子孫だそうです。
さて、話を「生命の樹」に戻します。少し難しくなりますが、ユング心理学には「元型」という用語があります。
元型とは、人類の太古の歴史や種族の記憶による影響によって生じた、人間の無意識が特定の働きをする傾向のことです。そしてこの傾向は元型の像として表れます。
元型の像は、たとえば「地母神」、「賢者」、「英雄」、「いたずらもの」、「世界の中心にある柱」などとして、多くの神話や伝承や夢に共通して表れ、とても意味深な象徴に感じられます。
「生命の樹」も元型の像のひとつであり、そのため世界の多くの神話に登場します。
もっとも良く知られている生命の樹は、旧約聖書の『創世記』に登場するものでしょう。エデンの園の中央には、善悪の知恵の樹と生命の樹という2本の樹が生えていたと『創世記』には書かれています。アダムとイブは、このいずれの樹の実も食べることが禁じられていました。
しかしヘビにそそのかされて知恵の樹の実を食べてしまいます。生命の樹はその実を食べると永遠の命を手にすることになるので、2人が自分と同等の存在になることを恐れた神により、エデンの園を追放されたとされています。
しかし、ある有名な文化人類学者の解釈によれば、この話の元々のバージョンでは、エデンの園には、生命の樹と死の樹という2本の木が生えていたとされます。そして神はアダムに、生命の樹の実を自分と一緒に食べなさいと語ったのだそうです。
しかし、死の樹を支配していたヘビが、こちらの木の実を食べるようにとそそのかし、アダムとイブがそれに従ったため、人間は死を定めとする生きものになったとされています。
旧約聖書はキリスト教だけでなく、それよりも古い宗教であるユダヤ教の聖典ですが、ユダヤ教の秘伝哲学にあたるカバラでは、この宇宙には物質からなる世界以外に9つの非物質的世界(もしくは意識の状態)があると考えています。
それらはセフィロトと呼ばれ、『創世記』に登場する「生命の樹」は、このセフィロトから構成されていると解釈されています。
このことは以前に下記の記事で詳しく解説しましたので、興味のある方はご覧ください。
参考記事:『カバラと生命の樹について』
オーストラリアの先住民アナング族が「生命の樹」と呼んでいる木は、「ピティ」(piti)と呼ばれる器を作るための木です。この器では、食べ物や水のほか、赤ちゃんが運ばれます。そのためこの木は、平和と調和のために、家族間、共同体間、国家間で大切なもの、必要なものを分かち合う象徴になっているのだそうです。
平和公園にあるモニュメントでも、木の枝の間に「ピティ」が配置されています(写真)。世界平和を象徴するのにとてもふさわしい彫刻だと感じました。
長崎の平和公園を散策すると、世界中の人たちが、平和を心から望んでいることが実感されます。現在の世界の状況は決して明るくありませんが、この強い思いが、そう遠くない将来に現実になることを私は確信しています。
そして私たちの子孫が、「21世紀の前半まで人類はほんとに愚かだったね」と言いながら、笑顔で歴史を勉強しているところを思い浮かべます。
それらの人たちの一部は、比喩ではなく実際に、私たち自身の生まれ変わりであるに違いないことでしょう。
では、今日はこのあたりで。
今年もまた、よろしくお付き合いください。
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