こんにちは。バラ十字会の本庄です。
いかがお過ごしでしょうか。
新型肺炎の流行のニュースが毎日続き、落ち着きませんね。
日本でどこまで事態が深刻になるかはまだ予測できないようですが、信頼できる発信源からの情報を収集することと、冷静で聡明な対応をすることが、私たち個人個人にとって、とても重要になるように思います。
当会のフランス代表が自身の人気のブログに、『聡明さの呼びかけ』という記事を先週書きましたので、日本語訳をご紹介させていただきたいと思います。
この文章は、新型肺炎のことを直接扱っているわけではなく、世界中で起きているさまざまな問題を取り上げ、それらの原因が、人が聡明さを欠いていることだと述べています。
翻訳の問題で分かりにくいと思われる点がありますので、事前にひとつだけ補足させていただきます。
以下の文章では、「道徳」(morale)という言葉と「倫理」(ethique)という言葉が区別して使われています。
この2つは良く似た言葉ですが、道徳には、昔から善だと考えられていることという含みがあり、倫理には、この世の摂理によって善になっていて、人が心の奥で善だと感じることという含みがあるようです。
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『聡明さの呼びかけ』
“APPEL À LA SAGESSE”
バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン
今日の世界に関して、友人や知人と意見を交わすことがありますが、多くの人が次のように話してくれます。つまり、現在の世界は集団的な愚かさに捉(とら)えられていて、それが原因で世界は破局に向かう可能性があると感じていると話してくれます。
この状況は、政治、経済、テクノロジー、科学、医学、環境保護などのあらゆる分野に見られます。良識、つまり社会のために望ましいことは何かを判断する感覚は、無分別に道を譲ってしまったかのようです。
倫理、つまり人間としての自分にどのような行動が望ましいのかということは、かつては多くの人に「道徳」と呼ばれ重視されていましたが、多くの人が道徳のことをそれほど重要だとは考えなくなってしまいました。今日では、道徳ではない行動基準が好まれますし、不道徳であることを誇る人さえいます。
いずれにしても、多くの人が聡明さを欠いた状態であり続ければ、現在私たちが直面しているような多数の問題と困難な状況が、今以上に悪化していくことは明らかなことに思われますし、その結果、極めて多くの人が苦しみに耐えなければならなくなるのは間違いのないことでしょう。
皆さんが、どの国に暮らしていても、社会の状況がどのようなものであっても、どのような政治思想を持っていても、いずれの宗教を信仰していても、あるいは無宗教であっても、現在よりも強力で破壊的な兵器を開発・製造することが極めて愚かな行為であるという意見には、きっと同意してくださることでしょう。
それ以外にも、このような集団的な愚かさの例は、いくら挙げてもきりがありません。
さまざまな広告を用いて、ますます多くのものを消費するように誘導すること、副作用が十分にコントロールできない薬剤を商品として販売すること、無節操な欲望や暴力を駆り立てる動画広告を流すこと、機械をますます洗練されたものにして労働者の代わりにすること、植物や動物を大量生産するためにクローン生殖の技術を用いること、人を殺す兵器に搭載するために人工知能を高性能にすること、世界のあらゆる場所で森林を破壊することなどです。
予言者でなくても簡単に分かることですが、聡明さを欠いていることによって、人類は危機に向かっています。
天然資源が枯渇すること、軍拡競争が激化すること、他の人を傷つける行動が些細なことだと見なされること、失業が増加すること、多くの国で貧困が増加すること、人間が、“知能”を持っているとされるロボットや機械の奴隷になること、さまざまな植物種や動物種が変質、退化してしまうこと、自然災害が増えること、地球全体で生活環境が悪化することなどです。
あなたが生まれつきの楽観主義者であったとしても、長期的にではなく短期的に見ても、人類の将来がとても心配であることは認めざるを得ないのではないでしょうか。私たちが、現在のような歩みを続けるならば、今の子供や青年は、さまざまな意味で、特に生態系に関して極めて混乱した状況を受け継ぐことになり、人類の存続が危ぶまれることになるでしょう。
それでは、ものごとを長期的に根本から変えて現在の傾向を逆転させ、すべての国と人にとって未来が希望あるものにするために、私たちは何をしなければならないのでしょうか。
この重要な問いに対する答えは比較的単純だと私は思います。
集団的な愚かさを終わらせ、さまざまな選択と行動を聡明に行うために、最優先課題として人間と良識との結びつきを取り戻し、むしろ道徳ではなく、倫理を復活させることです。
そのために必要とされるのは、私たちの一人一人が、他の人との関係だけでなく、自然界との関係においても、最善の自己を表現する努力をすることです。
明らかなことですが、もし私たちが、今よりも寛容であり、暴力を嫌い、正直で、所有することに執着せず、思いやり深く、他の人の権利を尊重し、自然環境を大切に考えるとしたら、状況は劇的に変化し、すべての人がこの変化から恩恵を受けることでしょう。
誰もが知っているように、すべての国とは言わないまでも多くの国が、経済と社会の危機に直面しています。そしてこの危機が原因で、さまざまな国の国民の多くが政府を批判し、時には暴力を用いて、適切な解決策を見いだすことを政府に要求しています。
国民が政府に要求をすること自体は正当なことです。なぜなら、政府の役割は住んでいる人たちをできるだけ幸せにすることだからです。しかし政治はすべての問題を解決できるわけではありません。特に、政治によって分断や対立や不和が助長されてしまっている場合には、問題の解決が難しくなります。
対照的に、倫理を大切にすることは、統合と協調と調和へと向かう影響力になります。倫理の持つこのような影響力が日常的に発揮されるようにするためには、人は自分自身が倫理によって導かれるようにするべきであり、すべての人(統治者と統治される人)がそうするならば、古代ギリシャの哲学者たちが唱えたユートピア(理想社会)は、もはや空想のものではなくなることでしょう。
もし私たちが世界を変えることを望むならば、個人としても集団としても、倫理が文化になるようにすることを選び、さらにその延長として、「エソクラシー」(訳注)つまり「倫理を基礎にした政治」がなされることを選ばなければなりません。
訳注:エソクラシー(ethocracy):古代ギリシャで作られた用語「デモクラシー」(democracy:民主制)は「人民」(demo)と「権力」(cracy)が語源。この「人民」の部分をギリシャ語の「エートス」(ethos:倫理)に変えて作られた最近の造語。
このことが意味するのは、教育を社会の最大の関心事に据え、現在は子供である人たちが聡明な大人になり、自分自身と他の人を尊重するだけでなく、地域社会全般と自然界を尊重するようにすることです。
先ほど話題にしましたが、このような目標は、空想的なユートピアを目指すものであると思われるかもしれません。しかし、この目標は人類がなし遂げられる可能性があるものですし、この目標に向かって進むことによって、私たちの大部分が切望している幸福を人類は身をもって知ることができます。さらにいえば、この目標に向かうかどうかが、人類の存続を左右すると私は考えています。
最後に、「バラ十字の倫理の理想」という文章をご紹介したいと思います。私はこれを自分の生活の指針にしています。その内容が皆さんの心の琴線に触れるならば、そして参考にしていただけるならば、心から嬉しく思います。
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「バラ十字の倫理の理想」(L’idéal éthique des Rose-Croix)
● 忍耐強くあろう。忍耐によって希望がはぐくまれ、人生の折々に自分の支持者が現れるから。
● 自分を信じよう。自分を信じることは、ものごとをなし遂げるためのよりどころであり、他の人と友情を結ぶためのよりどころだから。
● つつしみを持とう。つつしみによって極端を避けることができ、安心を得ることができるから。
● 寛大でいよう。寛大さによって心の翼を広げることができ、他の人と親しくすることができるから。
● 公平でいよう。公平であることによって心の自由を表わすことができ、内面の富を築くことができるから。
● 物惜しみをしないようにしよう。物惜しみをしないことによって、与えた人が受け取った人と幸せを分かち合えるから。
● 誠実でいよう。誠実さによって良心が保たれ、澄み切った心がもたらされるから。
● 謙虚でいよう。謙虚さによって人は育ち、他の人の尊敬を勝ち取れるから。
● 勇気を持とう。勇気は日々蓄えることができ、逆境の時に強くあることができるから。
● 非暴力を支持しよう。暴力を排除すれば心の中に平安がもたらされ、すべての生きものに平和を広げることができるから。
● 善意を持とう。善意は心を喜ばせ、魂を美しくしてくれるから。
以上のことを守れば、人は自分のことを聡明だと見なすことができます。聡明であることとは、徳を実際に発揮することだからです。
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著者セルジュ・ツーサンについて
1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。
多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。
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再び本庄です。
フランスの哲学者ルソーは、良心についての名言を残しています。ところが興味深いことに、彼の伝記を読むと、彼は学校の道徳の授業が大嫌いだったのだそうです。
下記は、このことについて私が6年ほど前に書いた記事です。倫理と道徳の違いについて、さらに考えてみたいという方のご参考になることと思います。
参考記事:『人生を変えた名言』
また、前回のセルジュ・ツーサンの記事は、次のURLで読むことができます。
参考記事:『子供時代について』
では、今日はこのあたりで。
また、よろしくお付き合いください。
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