こんにちは。バラ十字会の本庄です。
年の瀬もいよいよ押し迫ってきましたね。東京は快晴が続いていますが、この数日、雪国の方はさぞやたいへんなことと思います。
昨日、当会のフランス代表が自身のブログに、「ルーモアについて」という文章を投稿していますので、ご紹介します。
「うわさについて」と訳した方がわかりやすいとは思ったのですが、以下の文章を読むとわかるように、フランス語のルーモア(rumeur、英語ではrumour)には「うわさ」と「さざめき」という両方の意味があるため、「ルーモアについて」としています。
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記事:「ルーモアについて」
バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン
ルーモア(rumeur:さざめき)という語のひとつの意味は、「幾人かの人が少し離れたところにいて、話したり叫んだり活動したりしているために生じる混ざり合った騒音」です。
この“音声的”な定義から思い起こされるのは「クラモア」(clameur:喧噪)という語で、こちらは、「群衆から発せられる感情や不機嫌を表す一連の叫び」を意味します。
いずれも、人の集団から発せられる音声ですが、それ自体に否定的な意味が込められている語ではありません。しかし、さざめきや喧噪が他の人を不快にする場合もありますし、恐れを呼び起こす場合もあります。たとえば集団によるデモ(demonstration:デモンストレーション)の行進や集会などの場合です。
うわさ
ルーモア(rumeur:うわさ)の第2の意味は(こちらの方が広く用いられますが)、「日常的な会話や公式な伝達によって流布される情報で、それが正しいかどうかが疑わしいか不明確なもの」です。
情報の伝達に何が用いられるかということによって、うわさは狭い範囲のものだったり社会全体に広がるものになったりしますし、その内容は特定の個人についてであることも、集団に関することもあります。
うわさが作り出されるプロセスは、多かれ少なかれ似ています。まずある“情報”が発せられて、伝達されたり要約されたりします。この伝達や要約のたびに、偽りの“情報”が加わったり誇張が行われたりします。
そのようにして、最初は狭い範囲のうわさであったものが、ある国全体に広がったり、多くの国に広がったりする場合もあります。
誰もが承知しているように、うわさの大部分は真実ではなく、誰かを傷つける目的で発せられた中傷である場合さえ少なくありません。そのようなうわさを二次的に伝えている人は、自分自身に悪意がないとしても、人を傷つけることに結果的に加担していることになります。
明らかなことですが、もし誰ひとり中傷を伝言しなければ、その中傷はそれ以上広がることはなく、そこから生じる害は限定的になります。しかし人には、他人の悪口を言い触らすことがまるで心地良いかのように、そうしてしまう傾向があります。
インターネット
インターネットとSNSが現れると、うわさの数は今までよりもはるかに多くなり、はるかに多くの人がうわさに影響されるようになりました。さらに、SNSの匿名の利用者は、何のリスクも心配することなしに、好きなだけうわさを発信したり広げたりしています。
いかなる悪口も、悪意がほとんどない批判でさえ、匿名では発言すべきでないということが私には明らかに思えますが、他の多くの分野と同じようにSNSなどの利用に関しても、人の良心の発達や法の整備よりもテクノロジーの進歩の方が速く進んでいます。
いつの日か、中傷のうわさが流布されないようにすることは可能でしょうか。理想主義者の一人として私は「はい」と言いたいところですが、残念なことにそれは不可能であるように思います。
一方で、インターネットを匿名で利用するのを禁止したり、名誉毀損全般に対する罰則を強化する法律を作ったりすることはできます。
ある中傷によって、その人の人生がめちゃくちゃになったり、自殺さえ起ったりする場合があるということを誰もが承知しています。
あるうわさを他の人に伝える前に、それがどれほど“興味深い逸話”であっても、そのうわさによって当事者に生じる影響について、よくよく思いを巡らせるべきです。
悪意ある動機から行っているのでない限り、よく考えるだけで、有害なうわさを伝達するのを思いとどまることができます。また、他の人をけなしたいという思いが自分の心の中に巣くうことを、決して許すべきではありません。
著者セルジュ・ツーサンについて
1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。
多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。
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ふたたび本庄です。
SNSを見ていると、ときおり、びっくりするような奇説が主張されているのに驚くことがあります。フィクションの小説や映画やゲームと現実の混同もよく見られます。
その中には、中学校で学んだ理科を思い起こせば、あり得ないということがすぐに判断できるものも少なくありません。
信頼できない源からの情報や出所がよくわからない情報を、私たちの多くが安易に受け入れてしまいがちになっている原因のひとつは、既存のメディアに対する不信感なのでしょう。
また、社会が転換点にあり、現在の常識と社会システム、価値観に疑いの目が向けられていうということもあると思います。
私たちひとりひとりが、良識、思考、直観、情報リテラシーをフル活用しなければならない状況にあるように思います。
下記は前回のセルジュ・ツーサンの記事です。
記事:『有名人について』
では、今日はこのあたりで。
また、よろしくお付き合いください。
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