こんにちは。バラ十字会の本庄です。
寒暖の差がとても激しいこの数日ですが、いよいよ春が姿を表してきました。ハナカイドウの葉が伸び、ハゴロモジャスミンもつぼみを付け始めました。
いかがお過ごしでしょうか。
前回は地母神を例にとって、世界中の神話や言い伝えに驚くほどの共通点があり、それはすべての人の心の奥が結びついて作られている集合的無意識が原因ではないかということを紹介させていただきました。
参考記事:「大地の母」
今回は、同じような別の例をご紹介したいと思います。
これは、私が時々お世話になっている、板橋にあるちゃんこ鍋の料理屋さんに飾られていた横綱土俵入りの図です。
調べてみたところ、額縁の絵の力士は、阿武松緑之助(おうのまつみどりのすけ)という江戸時代の文政から天保にかけて活躍した6代目の横綱でした。稲妻雷五郎というライバルとともに当時の相撲人気を支えていたとのことです。
のれんに描かれている力士は、不知火光右衛門(しらぬいみつえもん)という第11代の横綱でした。
ご存知のことと思いますが、横綱という名前は、力士が腰にまとっている綱に由来します。神社や住宅を建設するときに、地固め式という儀式を力士が行っていて、そのときに張った綱や、力士が身につけていた「しめなわ」を、元々は横綱と呼んだのだそうです。
阿武松緑之助や不知火光右衛門が身に着けている「しめなわ」を見ると、折ってギザギザな形にした紙垂(しで)と呼ばれる白い紙が下がっています。紙垂は雷光の形を表しています。
カミナリ(神鳴り)という言葉の通り、雷光のことを古代人は神の力の表れだと考えました。雷の閃光と音を目の当たりにして、自然界の壮大なエネルギーに畏れを感じ、それを神聖視したことは、とても自然な心の動きに感じられます。
3年前の年末に島根県を訪れる機会がありました。これはそのときに撮った出雲大社の神楽殿です。雪が激しく降っていてとても寒かったことを懐かしく思い出します。入り口に渡されているのは重さ1.1トンという巨大な「しめ縄」です。
横に渡されたしめ縄に、〆の子(しめのこ)と呼ばれる房のようなものが3つ下げられていて、その間に紙垂を見ることができます。しめ縄は雲、〆の子は雨、紙垂は雷を表します。
雷光が稲妻と呼ばれるのは、イネが雷から力を得て穂を実らせるという言い伝えに由来します。
水田などに雷が落ちた場合、その場所に青竹を立ててしめ縄で囲い、豊作を祈るという風習が日本の各地に残っているそうです。
日本では古来から、神は降りたり去ったりするものだとされ、祭りではある場所の周囲にしめ縄を張り、そこに神霊を迎えようとしました。
出雲大社の宮司さんに教えていただいたのですが、この神社の最も神聖な場所で用いられるしめ縄は、稲わらや麻わらではなくマコモの茎で作られるとのことです。マコモには神の威力が宿るとされ、出雲大社にはマコモを用いる神事がいくつかあります。
しめ縄は、注連縄、七五三縄などと表記されることもありますが、「シメ」とは元々は「占い」、つまり神の意図を知ろうとする儀式のことです。
「占」という漢字はどのようにして生じたのでしょうか。
白川静さんの作った『字統』という素晴らしい字典があり、漢字の由来と古代中国の呪術、儀式が深く関連していることがわかります。
「占」という漢字の上部の「卜」は、亀の甲羅や牛の骨を用いた占いのときに、甲骨にできるひび割れを表す象形文字で、下の「口」の部分は、占いの内容など、神に伝えようとする内容を記したものを納める容器です。
「口」が身体の口の形だというのは『字統』によれば俗説であり、それではたとえば「右」という漢字がなぜ右を意味するのかが説明できません。「口」という字が表す古代中国の容器は、儀式の際に必ず右手で持つことに定められていたのだそうです。
参考記事:『右という文字には、なぜ口が含まれているのでしょう』
「口」が身体の口の形だという俗説はとても広く影響しているので、気をつけなければなりません。
たとえば何の気なしに、「鳴」という漢字の成り立ちを、口を使って鳥が音を出すことからだと、子供に説明してしまいそうにはならないでしょうか。
『字統』によればこの漢字の「口」の部分も、やはり神に伝える内容を記した文書を納めた容器であり、全体としては、鳥の鳴き声を用いて行った鳥占いを表しています。
「神」という漢字ですが、左の「示」の部分は、神を祭るときに用いられた3本の脚があるテーブルです。「神」という文字は歴史をたどると、最初は右の「申」の部分だけでした。この部分は、雷光の形を表す象形文字です。
古代の日本でも中国でも、神のイメージが雷光だったことが共通しています。
さて、話が少し変わります。
この図は、ユダヤ教の秘伝思想であるカバラの「生命の樹」です。生命の樹は「セフィロトの樹」とも呼ばれます。
カバラの考え方では、世界の元になったのは、神の思考(アイン)と神の言葉(アイン・ソフ)と神の行為(アイン・ソフ・オウル)であるとされています。
もともとの神の思考(計画)に「流出」というできごとが10回起こり、そのそれぞれでセフィラ(複数形がセフィロト)と呼ばれる別の世界が生成されたとされます。この図にある10個の丸は、セフィラを表しています。
流出とは、ある意味で具体化であると考えることができます。つまりカバラという思想では、最も抽象的である神の思考が10回の流出を経て、現在の具体的な物質的世界になったと考えられています。
参考記事:『カバラと生命の樹について』
図の10個のセフィラには数字が付けられています。これを順にたどると、稲妻に似たギザギザの線になります(ちなみに、いずれ突き止めたいと思っているのですが、3番目のセフィラと4番目のセフィラが線で結ばれていないことにも深い意味があるように感じられます)。
また、図の全体が「申」という漢字にとても良く似ていることにご注目ください。
今回は、日本の神道と古代の中国と、古代ヘブライで、神にまつわるイメージがとても良く似ていることをご紹介しました。
人の心の奥底は、言葉や思考ではなくイメージのようなものがその内容になっているようであり、今回ご紹介した、文化を超えた神のイメージの類似も、人の心がつながって集合的無意識を構成していることが原因ではないかと私は考えています。
では、今回はこの辺りで。
またお付き合いください。
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