テクノロジーの進化とどう向き合うかは、より良い生き方を探求する私たちにとって極めて重要なテーマです。SNSは無限の可能性を秘めた素晴らしい道具であると同時に、扱い方を誤れば私たちの自由や主体性を奪う脅威にもなり得ます。この公開書簡には、膨大な情報が氾濫する現代社会において、私たちが自分自身を見失わず、確かな批判的精神を持って生きるための重要なヒントが散りばめられています。ぜひ最後までお読みください。
SNSを用いる人たちへの公開書簡

「ある人たちに怖れられ、またある人たちには崇拝されているSNSには、2つの側面があります。それは、脅威にも自由をもたらす手段にもなり得ます。」
『インターネットと公共の自由』に関する会議(2000年6月、パリ)より
40億人が交差する仮想空間
私は定期的に、バラ十字会のブログを閲覧している方々に向けた公開書簡(公開の手紙)を執筆しています。読者の中には、興味を持ちそうな友人や知人に、それを共有してくださる方もいます。
これらの公開書簡の目的は単に、バラ十字会の哲学が反映された、人間の尊重と精神性の尊重(spirituality)という視点からさまざまなテーマに取り組むことにあります。
今回はSNS(Social Networking Service)について私が感じていることをお伝えしたいと思います。もちろん、皆さんが私の意見に必ずしも同意なさるとは限らないことを私は承知しています。
定義によればSNSとは、「インターネット利用者が個人のコンテンツを共有したり、自身のページを作成したり、友人や知人のコミュニティと情報、写真、動画を交換したりできるウェブサイトやモバイルアプリケーション」のことです。
このコミュニティは、たとえ実際に顔を合わせることがあるとしても、基本的には仮想的なものです。最もよく知られているSNSにはFacebook、X(旧Twitter)、Instagramなどがあります。
SNSはインターネットが本格的に普及し始めた1990年以降に登場しました。それ以来SNSは「ウェブ」上で無限に広がり、今では私たちの生活習慣の一部になっています。国際電気通信連合(ITU)によれば、SNSの利用者は約40億人で、これは世界の人口の約半数に相当します。

友愛の架け橋か、時間の浪費か:SNSが持つ「2つの顔」
SNSについてどう考えれば良いのでしょうか? その良い面に注目すれば、SNSは、並外れたコミュニケーション手段であることが私には明らかに思えます。
わずか数回の「クリック」で、遠く離れた場所にいる人たち、さらには地球の裏側にいる人たちとも交流できることは、人類の歴史における大きな進歩です。
それはまた、あらゆる国の人たちを結びつけ、ひいては、友愛と平和をもたらす媒体です。さらにSNSによって、有益な情報を受け渡したり、肯定的な目的のために呼びかけを行ったり、人々の行動の団結を促したり、人道支援プロジェクトを実施したり、連絡が途絶えてしまった人を見つけ出したりすることができます。
共に良く生きることに貢献し、人間の性質の最良の部分を反映する、このように極めて多くの用途があります。
SNSの否定的な側面に目を向けると、時間の浪費だという残念な点があります。
というのも、それに接続するほとんどの人は、しばしば「中身のない」やり取りをしたり、あるいは退屈で、時には品位をおとしめるようなコンテンツを「スクロール」したりするために、多くの時間を費やしているからです。世界の平均で言うと、私たちは1日に約2時間を費やしていると推定されています。
第二の否定的な面は次のことです。多くのページ、サイト、ブログなどに掲載されているコメントの多くは、面白みに欠け、あいまいで、「常軌を逸して」おり、時には攻撃的であり、特に悪意に満ちているものの多くは匿名です。
さらに、さまざまな分野(文化、社会、政治、経済、科学など)で提供される情報は、根拠に基づいた真の情報源であるはずのウィキペディアなどを含め、常に信頼できるとは限りません。こうして人は、実際にはそうではないのに、多くのことを学んだという錯覚に陥ってしまうことがあります。

SNSという「鏡」に映し出される私たちの意識
誰もが気づいている通り、インターネットやSNSは、それを利用する人々の意識レベル、性格、理想、信念、確信などを反映するものになっています。言い換えれば、それらは社会の反映です。
私はどのような人に対しても出過ぎたことや無礼なことを言うことを望んでいませんが、現状の「ネット」は人間の性質の最良の部分を示しているいるとは述べることができません。
暴力、ポルノはいうまでもなく、人と人が共に生きることを阻害する行き過ぎた行為、愚かさ、無分別、不寛容、人種差別、外国人嫌い、性差別などが蔓延しています。
しかしそこには、感動的な文章、素晴らしい動画、有益な議論、充実したフォーラム、希望に満ちたプロジェクトなども見つかります。私の意見では、これらはまだ十分ではありませんが、未来に期待を持とうではありませんか。
バラ十字会AMORCは、人の意識と考え方、技術の進歩に応じて、その活動を常に変化させてきました。そしてインターネットやSNSを、一定の条件のもとに適度に利用し、情報サイトやブログだけでなく、Facebookページ、YouTubeチャンネル、Instagramページを開設し、これらが互いを補い合うようにして、当会の伝統、歴史、教育内容、哲学をより多くの人に知ってもらうようにしています。
当会がこれらにおいて倫理を特に重視していることに、あなたもお気づきになることでしょう。当会のサイトを訪れるインターネットユーザーに私たちは呼びかけ、コメントを書くときには、節度、寛容さ、偏見のない心、そして敬意を示すよう求めています。
さらに、それぞれのコンテンツが目指しているのは、意識を目覚めに寄与し、エコロジー(Ecology)、人間の尊重(Humanism)、そして精神性の重視(spirituality)が世界には必要であるのを強調することです。

疲弊した現代人が求めるメンターと、巧妙なエゴの罠
SNSの利用に関して私がとても悲しく思っていることの一つは、一部の「インフルエンサー」の、その利用の仕方です。このような職業が確固たる地位を築き、一般の人々だけでなくエリート層からもこれほどの信頼を得ていることが私には理解できません。
中には誠実で善意に満ちた人がいることを私は否定しませんが、インフルエンサーの大多数は自称するほどのスキルを持っておらず、エゴを満足させるという目的、あるいは利益という目的、あるいはその両方のために人を操作しています。
残念ながら、何十万人もの人々が彼らの「アドバイス」に従い、彼らの「意見」を考慮に入れ、彼らの食生活、服装、話し方などを取り入れています。私はそこに幼児化よりもさらに悪い、影響を受けやすい人々に対する一種の支配が存在するのを見て取ることができます。
この支配によって、多くの場合、影響を受ける側が代償を払わされることになります。
影響を受けやすい人は昔から存在し、これからも存在し続けることでしょう。それはインフルエンサーにとってはまさに天の恵みのようなものです。
自ら進んで彼らの影響下に身を置く人がますます増えているように私は感じており、それは実に残念なことのように思えます。「パニュルジュの羊」(訳注)は今や地球全体に広がり、声を揃えて「鳴いて」います。
実際のところ、特定のインフルエンサーに自分を重ね合わせるようになった人たちは言うまでもなく、インターネット上で人々がいかにだまされやすく、「メンター」を必要としているのかを目の当たりにして、私は愕然とすると同時に悲しく感じています。
このことは、多くの人が心理的に満たされることなく疲れ切っていて、拠(よ)り所となるものを見つけられないことの表れではないかと私は感じています。
そうは言うものの私は、哲学者ウンベルト・エーコほど厳しい言葉は使いたくありません。「SNSは、かつてはバーでしか話さず、コミュニティに何の害も及ぼさなかった無数の愚か者に発言権を与えている」と彼は述べています。
訳注:パニュルジュの羊(moutons de Panurge):フランスの作家フランソワ・ラブレーの代表作『ガルガンチュワとパンタグリュエル』に登場する羊。商人からパニュルジュが一頭を買い取り、海の中に投げ込むと、残りの羊たちは後を追って海に飛び込み、止めようとした商人までもが道連れになって溺れ死んでしまう。付和雷同する人たちの比喩。
SNS上で活動するインフルエンサーに加えて、政治、経済、科学、芸術、ニュースなど、さまざまな分野で、必要なスキルを持たないまま即席のコラムニストとして記事を書くインターネットユーザーは、もはや数えきれないほどです。
彼らは自宅のキッチンやリビングルームの片隅から、まるでその分野の専門家であるかのようにニュースにコメントし、特定の番組や本を批評し、ある出来事について論じ、世界を作り変えようとしています。
当然のことながら、誰にもこのような「ショー」を行ったり、それを視聴したりする自由がありますが、特にその論調や議論が多くの場合に断定的であるため、ここでも、混乱を助長するだけのある種の操作を見て取ることができると私は考えています。
真実を握っている人は誰もいないのですから、これらのパフォーマンスを「額面通り」に受け取ることなく、常に批判的な精神を持ち続けるべきであるということは、私には明白に思えます。

別の観点になりますが、画面越しに自分の人生を、時として私生活までをも「見せびらかす」人々を見て、どうして愕然(がくぜん)とせずにいられるでしょうか。彼らは状況の滑稽さに気づいていないよう見え、私はそれを痛ましく思います。
私が彼らを批判しているとは思わないでください。むしろ彼らに対してある種の哀れみを感じています。というのも彼らがそのように振る舞うのは、おそらく自信がなく、注目を集める必要があると感じているからです。
また、これらのことはエゴの影響による場合もあります。エゴはコントロールされていない限り、自分を前面に押し出して、他人の目を惹くように仕向けるからです。しかし結局のところ高く評価されるのは、謙虚さ、慎み深さ、そして控え目な態度です。
では純粋な覗き見趣味から、このような自己顕示を助長している人たちについては、何と言えばよいのでしょうか。同様に、いわゆる「セレブ」の生活を日々「フォロー」している「フォロワー」の多さに、私は驚かされています。
参考記事:『エゴ(自己中心的傾向)は心の中にいる敵か』
(この記事の前半はこちら)
AI(人工知能)
(ここから、後半) 気がかりな点が、もうひとつあります。それはSNSがAI(人工知能)に支配されていることです。 あなたもきっとお気づきのことと思いますが、少し以前から、絵画、彫刻、詩、動画など、一見するととても「美しい」作品がインターネット上に数多く現れ、中には子供が作ったとされるものもあります。
これらの「作品」は、AIによって作成されたにもかかわらず、何千もの熱烈なコメントによって絶賛されています。これらがにせものだと見抜けないほど多くの人がだまされやすいことに、私は驚きを禁じ得ません。これらの「作品」を称賛することで、往々にして私たちは、にせものと、その背後にいる人々を助長してしまうことになります。
このことが、真の芸術家や作家にとって不公平な「競争」を意味することを考えると、私はとても残念なことに思います。私の見解では、詐欺(さぎ)とまでは言わないとしても、こうした誤解を招くような投稿は無視すべきであり、公表した人にAIによるものだと指摘する場合も、敬意と礼儀正しさをもって行われるべきでしょう。

AIが特定の分野、特に医療分野において持つ利点を否定するつもりはありませんが、規制されていない広範なAIの利用によって、人類は、操作、嘘、そして極端な疑念の時代へと導かれてしまったと私は考えています。
今後は、文章、音楽、芸術作品、創造物、コンテンツ、スピーチなどが、真の制作者によるものなのかどうかを確信することが、もはやできなくなるでしょう。
AIは、社会やインターネット上のあらゆるところに存在して、SNS上の関係をますます歪めています。ですから、インターネットユーザーは誰もが、「ウェブ」上で提供されている情報について極めて注意深く、最大限の識別力を発揮しなければなりません。
利己的な目的で人を惑わせるためにAIを利用したいという誘惑は、特に、それが簡単かつ利益を生じる行為であるため、とても強いものです。しかし公共の利益のために、私たちはこの誘惑に抵抗しなければならず、さもなければ私たちは、不自然でますます仮想的な世界に生きることを余儀なくされてしまいます。
SNSとAIに関連した話題として、AIによって作成されたデジタル上の仮想の友人と人間関係を築くことになる可能性について触れないわけにはいきません。私の意見ではこのこともまた、社会生活の概念を損なう好ましくない動向です。
このアプリケーションの開発者の大部分が、それを人道的な目的で作ったのではないことは確かです。多くの場合、何千人、いや何百万人もの人々がそれに「誘惑」されることで、莫大な金銭的利益を生み出すことが理由で、それらは作られたのです。
一部の社会学者が述べているように、これは「孤独の商品化」に近いものです。確かに、この種の友人関係を選ぶ義務は、誰にもありません。ですからそうする人は、深い孤独を感じているのだろうと推測することができます。
とはいえ人間が、親しい人や、あるいは道ですれ違った見知らぬ人と話すよりも、デジタル上の仮想の友人と話すことを好むようになるかもしれないというのは、私には理解しがたいことです。

デジタル上の仮想の友人を求めるというところにまでは行き着くことはないとしても、多くのインターネットユーザーが、インターネットやSNS上でこれまでに作ったり、日々作っている「友だち」に重きを置く傾向があります。明らかに、これらの”友だち”は名ばかりのものです。
実際のところ真の友人関係は、当事者同士がお互いによく知っていて、頻繁に対面で接触すること、つまりお互いに顔を合わせて物理的に交流することを前提としています。また、私たちが真の友人に頼んだり打ち明けたりできることは、オンライン上の”友だち”同士の間で行われたり語られたりすることとは、まったく共通点がないことも明らかです。
友人の数について言えば、インターネット上では時として、数百人、さらには数千人に達することがあるでしょうが、実生活ではたいてい、ほんの数人です。しかし、インターネットを通じて見知らぬ人とやり取りするよりも、隣人と語り合う方が望ましいのではないでしょうか。
深刻な汚染源
SNSとAIに関して、私が懸念する点がもうひとつあります。それは、これらが多くのエネルギーを消費し、地球全体にわたる深刻な汚染源になっているということです。現在の推定によれば、データセンター、つまりSNSやAIを稼働させるために必要なインフラは、デジタル技術に関連する二酸化炭素排出量の46%を占めるとされています。
あまり目だちはしませんが、人類にとって極めて有害なこの汚染のことを、どうして心配せずにいられるでしょうか。SNSやAIをその最も有用で肯定的な側面において使うのを止めるということは考えられませんが、以上のことを考慮すると、すべてのインターネットユーザーにこの問題を提起し、SNSやAIを知恵と分別を持って用いるようにすべきだと私は思います。
そうしなければ、ますます仮想化した魂のない人間関係が助長され、世界が非人間的なものになってしまうだけでなく、地球そのものがますます多くの人にとって住みにくい場所になってしまうことでしょう。
あなたもご存知かもしれませんが、ある秘伝思想な理論によれば、人類は約2160年周期の「時代」と呼ばれるサイクルに従って進歩するとされています。ある文献によれば、人類は水瓶座の時代に入ろうとしており、この時代には特に、コミュニケーションが重要視されるという特徴があるとされています。
現代にはこの傾向の兆しが表れていることは認めざるを得ません。実際にインターネットとSNSが作られたことによって、コミュニケーションの可能性は世界規模で増大しました。すべに述べたように、このコンピュータ上のツールは、友愛の媒体となり知識の支えとなることができます。
しかし間違って用いられれば、不和を煽(あお)り、愚かさを助長し、さらには堕落を招く可能性があります。すべては、今後人類が個人的および集団的に、それをどのように利用するかにかかっています。
皆さんもそうであることを願いますが、高度なテクノロジーが現在もたらしているものによって、人間が堕落させられないことを私は心から望んでいます。

以上が、ソーシャルネットワークについて皆さんと共有したかった考察です。私の側に論争を起こす意図は全くなく、単に現在のインターネット上の行き過ぎに対する懸念を表明しただけです。私の発言を少し人騒がせなものだと皆さんは思われるかもしれません。
しかし、私はどちらかといえば楽観的であり、人の魂の善良さを信じています。もし私の考えに、たとえ一部でも共感していただけるなら、このお手紙を、ふさわしいと思われる方と共有してください。
心を込めて、セルジュ・トゥーサン
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第1号:内面の進歩を加速する神秘学とは、人生の神秘を実感する5つの実習
第2号:人間にある2つの性質とバラ十字の象徴、あなたに伝えられる知識はどのように蓄積されたか
第3号:学習の4つの課程とその詳細な内容、古代の神秘学派、当会の研究陣について
執筆者プロフィール
セルジュ・トゥーサン
1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。 多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。





