公式ブログ

「清兵衛とひょうたん」から

2020年1月24日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

今週の月曜日は二十四節季の大寒でした。暖冬のせいか、東京板橋では例年よりも早く河津桜のつぼみが膨らんでいます。もう数日で開花しそうです。

 

いかがお過ごしでしょうか。

 

今日の話題は、ひょうたんです。

ひょうたんの実の形は何となくユーモラスですね。辞書を引くと、「ひょうたんでナマズを押さえる」(要領を得ないこと)、「ひょうたんの川流れ」(落ち着きなくぶらぶらしていること)など、やはりユーモラスなたとえに使われています。

 

志賀直哉の短編小説「清兵衛とひょうたん」についての、山形県にお住まいの私の友人から寄せられた文章をご紹介します。

▽ ▽ ▽

記事:「志賀直哉の清兵衛とひょうたんから見えてくるもの」

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下勝悦

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下 勝悦

 

文豪、志賀直哉の作品に、「これは清兵衛と云う子供とひょうたんとの話である」で始まるユニークとも言える短編があります。

つい先日、ふと思いだし図書館から借り改めて読んでみました。

皆さんも学校の国語の授業で一度は読まれた(読まされた)経験があるのではないでしょうか。

ひょうたん

 

内容を忘れた方、読まれたことのない方もおられるでしょうから、まずは簡単にあらすじを。

ひょうたんに熱中する十二歳の清兵衛と云う名の子供が、あるとき、彼にとってはふるいつきたいほどにいいひょうたんを見つけ十銭で手に入れます。

それからは肌身離さず手を入れ(骨董の世界では「育てる」というのだとか…)とうとう学校にまでも持ち込むまでになりました。これにはさすがに教師の怒りを買うことになり、取り上げられてしまいます。さらに、父親からそれまでに集めたひょうたんをすべて割られてしまいます。

 

その後、教師から取り上げられたひょうたんは、処分を任された年寄った学校の小使によって骨董商に持ち込まれてしまいます。それを見た骨董商はそのひょうたんを五十円で引き取り、その後に地方の豪商に六百円の値で売りつけたのです。

その後、清兵衛は絵を描くことに熱中することになるのですが、「このことにもしばらくして父親は小言を言い出し始めて来た」で話しが終わっています。

Shiga Naoya 1938

志賀直哉、諏訪町の自宅にて(1938年)、瀧井孝作撮影 (Kōsaku TAKII, 1894-1984)、Wikimedia Commons [Public domain]

 

さて、清兵衛はひょうたんに何を見ていたのでしょうか、何を感じていたのでしょうか。

文中で清兵衛の父親や廻りの大人たちは品評会に参考品として出品されていた馬琴(宝井馬琴?)のひょうたんと称する長く大きいひょうたんを称賛しています。

ところが清兵衛はそれを「面白くない、かさ張っているだけ」と言い放ち、父親から「子供に何が解る」と怒鳴られてしまいます。ちなみに清兵衛のひょうたんは「取るに足らない平凡な形」と表現されています。

 

しかし、疑うことなく清兵衛は自分の持っているひょうたんに美を感じていたのに違いありません。

清兵衛自身はどう思っていたのでしょうか?

美とは何なのでしょうか?

 

美に関して、こんな言葉があります。「美しい花がある、花の美しさというものはない」。

そこで、花の文字をひょうたんに変えてみましょう。その後に別の文字、たとえば、音楽、絵画、書、等々と入れ替えてみましょう。しかし、どうあがいても抽象的表現の域から脱しません。

そこでまたもや図書館に直行です(笑)。

 

そこで面白い(興味深い)本を見つけました。

「美とは何?」といった直接的な答えを見つけたのではありませんでしたが。

曰(いわ)く、人間が音楽を聴いたり美術品を見たりしたときに美しいと感じ取る脳の働きは、人類の誕生と時を同じくして備わった機能なのだそうです。さらにその機能の作動は脳のニューロンの…、ややこしい話しはやめましょう(笑)。

FSbottlegourd

Wikimedia Commons, Benjwong [Public domain]

 

加えて、このような説も。

人間はそういった機能の他に無数の潜在能力(美術、文学、科学、化学、等々、ジャンルを問わず)を有していて、その発現の原動力(スイッチ)となるのは、その人の住んでいる国の文化、自然環境、個人が受け取った教育、宗教、人生経験、人生観、人間関係、等々だとか。

その説明を聞くと、清兵衛はあれほど熱中していたひょうたんをあっさりと捨てさり、絵を描くことに方向転換したことに納得がいきます。それでは、ここで思いっきり『拡大解釈』を試みてみましょう。そうすると、私達は清兵衛のレベルを遥かに越え、レオナルドダヴィンチの域に達する事も夢ではないのでは…?

 

皆さんは、この事を単なる夢物語と笑い飛ばしますか? それとも…

最後に、余談になりますが清兵衛の時代の五十円は現在の五万円ぐらいらしいです。

そうすると、六百円とは六十万……(驚!!)

△ △ △

ふたたび本庄です。

子供の直観が大人の常識や思惑をはるかに超えて、真実を露わにしたり何かを予想外な出来事のきっかけになったりするという話は、読んでいて爽快さを感じます。このような話は、東洋にも西洋にも今も昔も広く存在しているようです。

子供は、常識や打算に汚されていない、人の心の奥深くを表わす象徴なのかもしれません。

そして、常識や論理的な思考に反していたとしても、直観が伝えてくれていることを無視してはならないというメッセージが、このような話には込められているように思います。

バラ十字会にも「真実は子供の口から語られる」という言葉が伝えられており、このことを表わす神秘劇も残されています。

 

おそらく寺田寅彦さんの作品だったと思うのですが、子供が、ある石を見つけて夢中になるという話があります。その石を持っていると、まるで石が語りかけてくるようにその子は感じます。

残念なことにこの短編小説の名前を忘れてしまいました。ネタバレになるので結末は秘密ですが、題名がお分かりの方は教えてください。

 

下記は前回の山下さんの記事です。

記事:『お祭り男の独り言

 

では、今日はこのあたりで。

 

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雪のひとひら

2020年1月17日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

いかがお過ごしでしょうか。

 

明日と明後日は、大学入試センターの試験日だそうです。40年ほど前に私が受験した頃は「共通一次試験」と呼ばれていましたが、当時から東京では、この試験の日が雪の特異日でした。

明日の早朝も東京は雪が予想されているようですが、交通が乱れないと良いですね。

 

さて、札幌で当会のインストラクターをされている私の友人から、この時期にふさわしい題の美しい小説についての寄稿をいただきましたので、ご紹介します。

▽ ▽ ▽

文芸作品を神秘学的に読み解く(19)

森和久のポートレート

森 和久

『雪のひとひら』 ポール・ギャリコ

 

「雪のひとひらは、ある寒い冬の日、地上を何マイルも離れたはるかな空の高みで生まれました」(矢川澄子訳より引用。以下の「」内も同様)と、この物語は始まります。

そう、この物語の主人公は「雪のひとひら」そのものです。誰かの事を投影したわけでも一般的な擬人化でもありません。無機質な自然現象の一つである『雪』、それの一片の物語です。名前も「雪のひとひら」(snowflake)そのままです。

白い雪片と青い背景(イラスト)

 

「灰色の雲が、凍てつくような風に追われて陸地の上を流れていました。その雲の只中で、このむすめのいのちは芽生えたのでした。」

しかし、雪のひとひらは「いのち」を与えられ、さらに女性ということです。命あるものは成長し、少なくとも何らかの変化を経て、命の終焉を迎えるはずです。雪のひとひらもそうなることを物語の冒頭で暗示されます。

 

「自分はいったいいつ生まれたのか。またどのようにして生まれたのか」、「どこからきて、どこへ行くつもりなのだろう。このわたしとあたりいちめんのおびただしい兄弟姉妹をつくったのは、はたして何者だろう」と雪のひとひらは疑問に思います。何もかもが判らず不安になり、兄弟たちがいっぱいいるはずなのに、孤独感に苛まれます。

 

そんな時です。雪のひとひらは誰かが自分を優しく包み込んでくれているのを感じ、幸福感に満たされます。雪のひとひらはこの誰かの存在を確信し、『その人』の事を知りたいと思い続けます。

雪のひとひらは、人の人生のように雪片としての人生を生きます。山裾の野原、山の村、小川を旅し、水車小屋で優しくたくましい男性、「雨のしずく」と出会い結婚し、4人の子どもをもうけ、満足のいく家庭を作り、妻として母として生きていきます。

Gallico.paul

ポール・ギャリコ(カール・ヴァン・ヴェクテン撮影、1937年、Wikimedia Commons, Public domain)

 

誰の人生にも困難は訪れます。雪のひとひら一家にも災難が降り掛かります。火事によって焼かれ、死に直面したのです。雪のひとひらと夫は全力を尽くし、火によって蒸発してしまう状況に立ち向かいます。そして『その人』に助けを求め、「それだけいうと、彼女はすべてを天に委ね、全身全霊をあげて敵にとびかかって行きました。」

彼女は打ち勝ち、家族も無事でした。このシーンはまるでAMORCで教わる『視覚化の方法』に通じるものがあります。

ところが、この火災がもとで夫は体調を崩し、ついには、消えてしまいます。「いずれは取り上げられるものならば、何ゆえに彼はわざわざ彼女に与えたのか」。何者がそれを為すのか。雪のひとひらは、この疑問を追い払うことができません。しかし、誰も答えてはくれません、もちろん『その人』さえも。

 

でも彼女は子どもたちのために頑張ります。そして立派に成長した子供たちは、各々の未来に向かって旅立って行きます。子どもたちと別れ、雪のひとひらは一人海に飲み込まれていきます。大海原は彼女にとって巨大すぎます。抗うことはできません。そして、その日はやってきます。雪のひとひらは海から上空へ、さらに太陽のもとへ引き上げられていきます。

この時、雪のひとひらは、また答えられなかった疑問を思い浮かべます。「はたしてこれは何者のしわざなのか? いかなる理由があって、この身は生まれ、地上におくられ(たのか?)」 最後にはこうして無に還ることになるものを? 「感覚とは、正義とは、また美とは、はたして何ほどの意味をもつのか?」

『その人』は何者で、何のために私を地上にもたらしたのか? と雪のひとひらは悩み苦しみます。目的はあったのか、それともただの気まぐれだったのかと。

雪の中で食事をするリス

 

それから、今まさに雪のひとひらは、故郷である雲の中に入ろうとしています。すると、自分の全生涯の出来事が走馬灯のように思い起こされ、慎ましかった自分の一生を懐かしみ、受け入れます。ついには、すべてのものの創造主である『その人』の美しい壮大なデザインを認識することになります。翻ってみれば、雪のひとひらが必要とされるところ、そこに彼女はいたわけです。「雪のひとひらは自分の全生涯が奉仕を目ざしてなされていたことを悟りました。」

「いまにして彼女は知りました。この身は片時も造り主にわすれられたり見放されたりしてはいなかったのです。」

「雪のひとひらはこの宇宙の素晴らしい調和を思い、この身もその中で一役果たすべく世におくられたことを思いました。」

 

1人の女性の一生を描こうとしたとき、余計な感情移入を極力抑えて、真髄を述べるには、この無機質な雪のひとひらを題材にするのが最良と著者は判断したのでしょう。姿かたちや表情、しぐさを排除することで本質をとらえ、読者の眼前に普遍性を立ち上がらせるためではないでしょうか。

横山大観の水墨画に水の一生を描いた大作『生々流転』があります。山に降った雨が小川になり、大地を流れ川幅を増して大河となり、ついには海に注ぎ、そして水蒸気になって空に還っていくというものです。この雪のひとひらも同じような旅をするわけです。雨や雪もあまつさえ人間も普遍的に同じなのでしょう。すべては宇宙の法則のもとで繰り返されるものごとなのですから。

 

天に召されようとしても雪のひとひらには究極の神秘である『その人』のことを解ることができません。しかし、あえて解る必要はないと悟ります。「なぜなら、誰のしわざにせよ何者のゆえにせよ、まもなく雪のひとひら自身がその何者かの一部に帰するさだめであったのです。」

雪のひとひらが最後の最後に聞いたのは、天空に響き渡る優しいことばです。「ごくろうさまだった、小さな雪のひとひら。さあ、ようこそお帰り。」

 

引用も含めてこれらのことは常にAMORCの会報や論文教本で触れられている事柄です。普遍的本質(Nature)なのではないでしょうか。

* * *

この物語には、CD化された音楽+朗読作品『雪のひとひら』があります。曲間に抜粋された物語の朗読が入っています。2枚組の1枚目は、歌手の矢野顕子による日本語ナレーション、2枚目はイギリスのロック・ミュージシャン、ピーター・ガブリエルによる原語ナレーションが収められています。音楽担当は井上鑑とデヴィッド・ローズです。なかなかユニークな作品なので興味のある方は聴いてみてください。

△ △ △

ふたたび本庄です。

 

「雪のひとひら」の作者ポール・ギャリコは、1897年にニューヨークに生まれた小説家で、他の代表作には『スノーグース』、『ポセイドン・アドベンチャー』などがあります。

小説『ポセイドン・アドベンチャー』(1969年)は、津波で転覆して真っ逆さまになった豪華客船から、異色の牧師に導かれて乗客が脱出する話で、1972年に映画化されました。

この映画は大ヒットとなり、やはり同年のヒット作『ゴッドファーザー』との2作によって、20世紀フォックス社は当時の経営難を脱出したとのことです。

 

下記は、森さんの前回の記事です。

秋日子かく語りき

 

では、今日はこのあたりで。

 

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長崎の生命の樹

2020年1月10日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

先週は投稿をお休みさせていただいたので、これが2020年の最初のブログです。

新春のご挨拶を申し上げます。いかがお過ごしでしょうか。

 

2007年に当会の世界大会がドイツのベルリンで開かれたとき、車いすに乗ったフランスの会員の方とお話をする機会がありました。

彼は、悲惨なできごとがあった世界中の場所に行って、犠牲になられた方々のために祈ることをライフワークにしているのだそうです。

先日はアウシュビッツに行くことができたので、次は広島に行きたいと言っていました。

 

彼にならったわけではありませんが、私も一昨年は広島、昨年の12月は長崎を訪れ、原爆の犠牲者の方々に手を合わせることができました。

長崎には、原爆資料館、追悼記念館、平和公園など、整えられた素晴らしい施設があります。

 

今回、このすべてを訪れることができましたが、平和公園を歩いたときには、特に天候に恵まれ、乾いたような悲しみとともに、静かな祈りのひと時を過ごすことができました。

2020年8月9日は被爆から75年の節目にあたるため、その準備として、平和公園の平和祈念像の塗り直しがされたとのことで、薄い水色に塗られたたくましい像が、抜けるような青空によく映えていました(写真)。

平和祈念像(長崎)

平和祈念像(長崎)

 

長崎の平和公園は、平和祈念像や「平和の泉」(写真)などで有名ですが、公園の一部は世界平和シンボルゾーンになっており、その趣旨に賛同した世界の多くの国や都市から贈られたモニュメントが配置されています。

平和の泉(長崎)

平和の泉(長崎)

 

それらを見て回ったのですが、中でも、南オーストラリアの先住民アナング族のコミュニティーから2016年に贈られたという「生命の樹」(写真)という彫刻が印象に残りました。

生命の樹(彫刻、長崎)

生命の樹(彫刻、長崎)

 

というのは、長崎を訪れる2週間ほど前に、ある旅行代理店の人と話す機会があったからです。そのとき、「ウルル」(エアーズロック)についての話を耳にしたのです。南オーストラリアにある「地球のへそ」と呼ばれることもある巨大な赤い岩ウルルは、アナング族の聖地であり、先住民の意思を尊重して、登ることが禁止になったのだそうです。

「生命の樹」の解説を目にしたとき、わずか2週間前にもアナング族のことを聞いたのを思い出し、不思議な偶然もあるものだなと感じました。

参考記事:「ウルル―聖なる地への探訪

ウルル

ウルル

 

オーストラリアや太平洋の島々の先住民の一部は、核兵器の被害者です。

アメリカは、1940~50年代にマーシャル諸島(パプアニューギニアの北東)で多数の大気圏内核実験を行いました。イギリスは1950年代にオーストラリアと英国領の島々で、フランスは1960年代にアフリカと仏領ポリネシアの島々で核実験を行いました。

これら多数の核実験により、サンゴ礁などの美しい自然とそれに支えられている生態系が大規模に破壊され汚染され、いまだに回復していないところが数々あります。また、先住民、軍人、民間労働者とその子孫が被爆し、白血病や甲状腺がんが多く発生しました。

このような苦しみを経験しているため、太平洋諸国フォーラムなどの団体は、核実験と核兵器の禁止への取り組みに、特に積極的な役割を果たし続けています。

長崎の「生命の樹」の彫刻を作成したアーティストも、イギリスの核実験で被爆した先住民の方の子孫だそうです。

 

さて、話を「生命の樹」に戻します。少し難しくなりますが、ユング心理学には「元型」という用語があります。

元型とは、人類の太古の歴史や種族の記憶による影響によって生じた、人間の無意識が特定の働きをする傾向のことです。そしてこの傾向は元型の像として表れます。

 

元型の像は、たとえば「地母神」、「賢者」、「英雄」、「いたずらもの」、「世界の中心にある柱」などとして、多くの神話や伝承や夢に共通して表れ、とても意味深な象徴に感じられます。

「生命の樹」も元型の像のひとつであり、そのため世界の多くの神話に登場します。

 

もっとも良く知られている生命の樹は、旧約聖書の『創世記』に登場するものでしょう。エデンの園の中央には、善悪の知恵の樹と生命の樹という2本の樹が生えていたと『創世記』には書かれています。アダムとイブは、このいずれの樹の実も食べることが禁じられていました。

しかしヘビにそそのかされて知恵の樹の実を食べてしまいます。生命の樹はその実を食べると永遠の命を手にすることになるので、2人が自分と同等の存在になることを恐れた神により、エデンの園を追放されたとされています。

しかし、ある有名な文化人類学者の解釈によれば、この話の元々のバージョンでは、エデンの園には、生命の樹と死の樹という2本の木が生えていたとされます。そして神はアダムに、生命の樹の実を自分と一緒に食べなさいと語ったのだそうです。

しかし、死の樹を支配していたヘビが、こちらの木の実を食べるようにとそそのかし、アダムとイブがそれに従ったため、人間は死を定めとする生きものになったとされています。

 

旧約聖書はキリスト教だけでなく、それよりも古い宗教であるユダヤ教の聖典ですが、ユダヤ教の秘伝哲学にあたるカバラでは、この宇宙には物質からなる世界以外に9つの非物質的世界(もしくは意識の状態)があると考えています。

それらはセフィロトと呼ばれ、『創世記』に登場する「生命の樹」は、このセフィロトから構成されていると解釈されています。

このことは以前に下記の記事で詳しく解説しましたので、興味のある方はご覧ください。

参考記事:『カバラと生命の樹について

www.amorc.jp/blog/?p=1713

 

オーストラリアの先住民アナング族が「生命の樹」と呼んでいる木は、「ピティ」(piti)と呼ばれる器を作るための木です。この器では、食べ物や水のほか、赤ちゃんが運ばれます。そのためこの木は、平和と調和のために、家族間、共同体間、国家間で大切なもの、必要なものを分かち合う象徴になっているのだそうです。

平和公園にあるモニュメントでも、木の枝の間に「ピティ」が配置されています(写真)。世界平和を象徴するのにとてもふさわしい彫刻だと感じました。

生命の樹(上部)

生命の樹(上部)

 

生命の樹の解説(英語)

生命の樹の解説(英語)

 

生命の樹の解説(日本語)

生命の樹の解説(日本語)

 

長崎の平和公園を散策すると、世界中の人たちが、平和を心から望んでいることが実感されます。現在の世界の状況は決して明るくありませんが、この強い思いが、そう遠くない将来に現実になることを私は確信しています。

 

そして私たちの子孫が、「21世紀の前半まで人類はほんとに愚かだったね」と言いながら、笑顔で歴史を勉強しているところを思い浮かべます。

それらの人たちの一部は、比喩ではなく実際に、私たち自身の生まれ変わりであるに違いないことでしょう。

 

では、今日はこのあたりで。

今年もまた、よろしくお付き合いください。

 

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子供時代について

2019年12月27日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

いよいよ年の瀬が押し迫ってきました。

いかがお過ごしでしょうか。

 

今日ご紹介したいのは、当会のフランス代表が自身の人気のブログに、先週末に書いた『子供時代について』という記事です。

▽ ▽ ▽

『子供時代について』

“A propos de l’enfance”

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

 

あたりまえのことですが、少し以前、あるいはかなり以前には、私たちの誰もが子供でした。そして、それぞれの国、地域、文化や家庭環境で、社会的、政治的、経済的にさまざまに異なる状況において暮らしていました。

人生のこの時期のさまざまな記憶を私たちの誰もが持っています。その一部は楽しい思い出で、懐かしく回想することができるでしょうし、辛い思い出もあり、それが心に浮かんだ時には痛みを感じることでしょう。

そして、このような思い出を忘れてしまうような病気にいつか侵されない限り、それらが良いものであっても悪いものであっても、人生の最後の瞬間まで、あるいはもしかしたらそれを超えて、思い出は自身とともにあり続けます。

誰もが自分の子供時代や思春期の影響を受け継いでいて、その後に年月が経ち大人になったとしても、この遺産がその人に大きな影響を与えています。

おもちゃで遊ぶ保育園児

 

理想的な子供時代というものが存在するでしょうか。この問いによって、私たちはユートピアという事柄について考えるように促されます。

子供にとって極めて重要なことは、両親のような養育の義務を負っている人たちから愛されることです。子供にあなたの愛を日々伝えることは、子供の感情の発達のために極めて重要です。

しかし、子供に示され与えられるこのような愛が、しつけの悪さや甘やかしに変わってしまってはなりません。もしそのようなことになれば、その子は、後に社会で適切に生きていくための基礎を確立することができなくなるからです。

禁止されていることや義務とされていることを教え、行動のルールを伝えるために、「いいえ」という言葉を子供に向けて上手に用いる方法を知っていることは極めて重要なことであり、それによって子供は、自分と他の子供に共通するルールとして、行って良いこととそうでないことを理解します。

人生の全般には、さまざまな義務と権利があるということを幼い頃から知っていることは、子供にとって大切なことです。

海を見ている麦わら帽の女の子

 

17世紀の有名なバラ十字会員であったコメニウス(Comenius)は、「ユネスコ精神の父」と呼ばれていますが、『普遍的教育』という本の中で、子供の道徳心と知性を高いレベルに導くために必要なことは、教育と訓練の2つだと書いています。

教育は主に親の責任であり、子供に精神的、倫理的な価値観(モラル)を育むことにあたります。訓練は主に教師の仕事であり、その目的は知識と技能を身につけさせることです。

教育と訓練の2つは、子供に自己実現の機会を与えるために欠かすことができません。自己実現には、職業で成功することだけではなく、幸せな人生を送ることも含まれます。

子供時代に愛され、教育され、訓練されたという良い思い出をすべての人が抱けるようにするために必要なことを行い、子供に対する責任を果たすことが、大人たちの義務です。

喜んでいる世界の子供たち

 

多くの文章で、子供時代は「純真で無垢な時代」と形容されています。そうあるべきなのでしょうが、残念なことに子供たちの大部分はそうではありません。

どれほど多くの子供が、戦争に直面したり、飢えに耐えたり、貧困生活を過ごしていることでしょうか。両親が離婚したり、家庭内に虐待や性暴力があるのを目撃したり、その被害者になったりする子供もいます。

そして、子供たちがそのような試練や犯罪から逃れるチャンスがあったとしても、暴力、ポルノグラフィー、反社会的行動、個人主義、物質偏重主義、超人間主義(訳注)などの現代社会の残虐さや異常性が、子供たちの純真さと無垢さに突きつけられます。

 

訳注:超人間主義(transhumanism):技術の力によって、人間の肉体や精神の能力を強化することで、けが、病気、老化などを克服すべきだという主張。

 

ですから、子供たちの多くは「ふさわしい時が来る前にすでに大人」になっています。また、私たち大人の大部分がある意味ではこのような傷ついた子供であり、本来持つべき、他の人に対する信頼が破壊されてしまっています。

私たち大人もかつては子供であり、そのときには、幸せと平和と友情と愛にあふれる世界を、間違いなく夢見ていたのではないでしょうか。

想像していただきたいのです。私たちのすべてが、もし子供時代に十分に愛され、教育され、訓練されるようになったとしたら、世界はどのように変わることでしょうか。

子供の小学校での学習風景

 

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

△ △ △

再び本庄です。

多くの社会学者や心理学者が述べていることですが、人間個人の内面の進歩も、人間の集団としての進歩も、一定の速さで進むわけではありません。

ゆっくりと進歩した後に停滞する時期が訪れ、その最後に混乱期があり、次に、まるで建物の上の階に突然移るように飛躍するというような進み方をします。

この混乱期は、「暗黒の夜」(dark night)と呼ばれています。

 

そして、どうやら21世紀初頭の現在は、人類にとって「暗黒の夜」、つまり飛躍の直前の混乱期にあたるようなのです。

先ほどの文章でセルジュ・ツーサンは現代社会の残虐さと異常性について書いていましたが、それらは、人間の多くが救いがたいほど愚かなことを示しているわけではなく、現在が混乱期であることが大きな要因であると考えられます。

 

古代から、聡明な知恵のひとつとして言い伝えられているのですが、このような時期には、困難なことなのですが、明るい未来が訪れるという確信を持つことが大切だとされています。

 

冬至が過ぎて数日が経ちました。あと数日で2020年の新春になり、やがて自然界には芽吹きのときが訪れます。

大地から芽を吹くトマト

 

季節のこの移り変わりと同じように、人間全体の歴史にも、間もなく明るい光が取り戻されることをイメージして、それを確信することを皆さんにお願いしたいのです。

というのも、多くの人がイメージし確信した思念には現実になる傾向があるからです。

新年に初詣に行ったときには、あなた個人のお願いの後に、「人類がこの混乱期を乗り越えられますように」という祈りを付け加えていただければと思います。

 

では、今日はこのあたりで。

 

前回のセルジュ・ツーサンの記事はとても人気になり、多くの方々に読んでいただくことができました。次のURLで読むことができます。

参考記事:『宇宙の愛

 

2020年も、また、よろしくお付き合いください。

 

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視点

2019年12月13日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

本格的に寒くなってきました。鍋やおでんの恋しい季節ですね。

いかがお過ごしでしょうか。

 

岐阜で小中学生に読書の楽しさを紹介するブックトークというお仕事をされている、私の親しい友人から寄稿をいただきましたので紹介させていただきます。

▽ ▽ ▽

ブックトーク「視点」

可児明美

可児 明美

可児 明美

 

物事は視点を変えてみると、全く違った世界が広がったりしますね……。

 

わたしは、私だけれど。おとこのこからみると おんなのこ

あかちゃんからみると おねえちゃん

…おかあさんからみると むすめのみちこ……

 

『わたし』(谷川俊太郎ぶん かがくのとも傑作集 福音館書店)には、いろんな人から見た「わたし」がいます。たくさんの「わたし」をみてみましょう。

 

いろいろな人からみた『わたし』がいましたが、今度は、いろいろな角度から「あるもの」をみてみたら……

 

ペルシャの大金持ちの商人アフマドが、とてつもなく大きくて不思議な生き物をインドから連れてきました。うわさはとたんに村中にひろがります。興味津々の村人たちは、その生き物がいる倉の前に集まってきました。

蔵の中は暗くてなにもみえません。村人たちは、それを知りたくてひとりずつ蔵の中にもぐりこみます。最初の村人は、ヘビのようだったといいました。次の村人は、木の幹みたいだと言います。その次の村人は、うちわのようだと言いました。

…さあ、この生き物とは、いったいなんだったのでしょうか? そして村人たちは、真実を知ることができたのでしょうか? 『くらやみのゾウ』(ミナ・ジャバアービン再話、評論社)

 

 

次は、モノの内部がどうなっているか見てみましょう。『中をそうぞうしてみよ』(佐藤雅彦+ユーフラテス、福音館書店)木製のいす。ページをめくって中をみてみると……20本の釘がつかわれているのがわかります。包丁も、中をすかしてみると……。

他にもマトリョーシカ、ボールペンなど次のページで内部の様子がわかるようになっています。いろいろな身のまわりの物の中身を想像してみるのも、楽しいかもしれませんね。

マトリョーシカ

 

手探りで不思議な生き物を探ってみたり、モノの内部を透視してみたりしましたが……ふつうに見る場合でも、実際には違って見えることがあります。

『視覚ミステリーえほん』(ウォルター・ウィック著、あすなろ書房)は、さまざまな錯覚が紹介されています。こちらからは三角形にみえているのに、実は……。

箱にみえていたものが、実は……。錯覚のふしぎな世界を体験してみてください。

 

正義の味方からみたら、敵は悪者だけれど……。

『パパのしごとはわるものです』(板橋雅弘 作、岩崎書店)は、学校の宿題でおとうさんのしごとを調べることになった男の子が、こっそりパパのしごと場についていったおはなし。

男の子のパパは、なんとプロレスの悪役ゴキブリマスクだったのでした! ゴキブリマスクがやっつけられている時、みんなが大喜びしていても、男の子は喜べませんでした。だって、ゴキブリマスクは悪ものだけど、パパだから。

…最後に男の子は、おとうさんのしごとについてどんな感想を書いたでしょうか。

ハイキングしている父と子

 

今までとは違った視点で、世界を広げてみるのも面白いかもしれませんね。

おわり

 

紹介した本

『わたし』(谷川     俊太郎ぶん かがくのとも傑作集 福音館書店)

『くらやみのゾウ』(ミナ・ジャバアービン再話、評論社)

『中をそうぞうしてみよ』(佐藤雅彦+ユーフラテス、福音館書店)

『視覚ミステリーえほん』(ウォルター・ウィック著、あすなろ書房)

『パパのしごとはわるものです』(板橋雅弘 作、岩崎書店)

△ △ △

ふたたび本庄です。

最後の本、『パパのしごとはわるものです』のところを読んで、職場で吹き出してしまいました。

調べてみたところ、この本と続編の『パパはわるもののチャンピオン』は映画化されて、昨年の9月に公開されています。主役のゴキブリマスクは、新日本プロレスの棚橋選手だとのことです。

ほのぼのとした話が大好きなので、絵本を買おうかDVDを見ようか、悩んでいます。

 

下記は可児さんの、前回のブックトークの記事です。

参考記事:『秋の実り

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

また、お付き合いください。

 

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