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陰陽師

2020年11月27日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

 

東京板橋では、そこここでサザンカが満開です。華やかな花を見ると明るい気持ちになります。

いかがお過ごしでしょうか。

 

山形県にお住まいの私の友人から、夢枕獏さんの作品についての文章を届けていただきましたので、ご紹介します。

▽ ▽ ▽

記事:『陰陽師』著者・夢枕獏

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下勝悦

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下 勝悦

 

いつの間にか、作家・夢枕獏著『陰陽師』(シリーズとなっています)のファンになっていました。きっかけは何だったのでしょうか、全く思い出せないのですが、読み応えのある楽しい作品に巡り会えたなと思っています。

そこで今回は、この陰陽師シリーズの内容・楽しみ処などをご案内いたしましょう。もしよろしければ、しばしのお付き合いを……。

 

内容は平安時代に実在したと言われている陰陽師の安倍晴明と、彼の友人といった設定で、やはり実在したと言われている雅楽の名手、源博雅(みなもとのひろまさ)の二人が都に出没する魑魅魍魎(ちみもうりょう)が引き起こす奇っ怪な出来事に巻き込まれていくといったことが物語の中心となっています。

映画化もされた作品ですのでご存じの方もおられるのかと思います。

このシリーズの中で私が一番に気に入っているのが『龍神祭』という作品です。

晴明神社

晴明神社(京都市)

 

内容は、源博雅が鬼(いわゆる妖怪)と笛の吹き比べをした際に、お互いに取り換えた笛、葉二(はふたつ)が天竺に住む神、善女龍王(ぜんにょりうおう)に無断拝借されてしまったことから物語が始まります。

その際に善女龍王が借用書代わりとして金の鱗(善女龍王とは龍の化身)を博雅の枕元に置いていくのです。そこで真相を究明するために晴明と博雅の二人に盲目の琵琶法師・蟬丸が加わり、三人で京の都の神泉苑の池から、時空を超えて天竺の大雪山(だいせっせん)の北にある湖、阿耨達池(あのくだつち)に行くのです。

そこで笛を持ち去った神、善女龍王に事情を聞いたところ、今日は百年に一度の祝事の日であって近隣の神々が参集して宴会が行われているとのこと。

高野山 蓮池 善女竜王社

高野山 蓮池 善女竜王社

 

そこで源博雅の持つ葉二の音が聴きたいということになり、黙って持ち出してしまったとのこと。ところがこの笛、博雅以外の誰もが音を出すことができないのです(楽器を操る神も)。

そこで博雅が善女龍王の依頼で蟬丸の琵琶と共に吹き始めるのです。すると宴席に参加していた神々が博雅の笛の音に感動し、一斉に湖上に現れ天空で踊り出すと云う、壮大なスケールの物語なのです。

 

とにかく面白いです。読み始めると止まらなくなってしまいます。急ぎの用事等を抱えていたりしている時には要注意です(笑)。

ところで……。内容の説明の順序が逆になってしまいましたが、どの物語も、たいがいは晴明と博雅が晴明の館で酒を酌み交わす場面から始まっています。ここは酒好きの方にはこたえられない箇所です。晴明・博雅らと共に酒を酌み交わしたくなる様な名文です。

ここの文章を肴(さかな)に、二三合ぐらいは軽くいけるのでは(酒くれ~!!)。

 

もう一つの楽しみ方が、どの作品も、この世のどこかで本当に起きているのではないか? といった錯覚に陥ってしまいそうになってしまうことです。まるで夢を見ている様な不思議な感覚を味わう事が出来ます。

晴明井戸

晴明井戸

 

それではもう一つ、別の作品をご紹介しましょう。『沙門(しゃもん)空海唐の国にて鬼と宴(うたげ)す』です。この作品も映画化されましたので観られた方もおられるかと思います。原作は四巻にわたる長編小説となっています。内容は陰陽師シリーズの安倍晴明を空海に置き換えたといった感じでしょうか。

一番の楽しみ処は、最初の巻で読書に提示された疑問の答えが最終巻で明かされることです(私の個人的な感想ではありますが)。つまり最後の最後まで気を抜く事ができません。加えて、全編を読み通すには、体力・気力に加えて根気(根性?)をも必要とします(これホントです)。

それでも、ぜひ挑戦しみてください。陰陽師シリーズに負けず劣らずに最高に面白い作品です。

 

コロナ禍で自由に出歩く事が出来ない現状の今。安倍晴明・源博雅・琵琶法師の蟬丸らと一緒に、酒でも酌み交わしながら時空を越えた架空の旅に出るのも一興ではないでしょうか。

△ △ △

ふたたび本庄です。

私も夢枕獏さんの作品が好きで、かなり以前のことですが、『沙門空海唐の国にて……』を確かハードカバーで読んだ覚えがあります。amazonで調べてみたところ、今は文庫本も電子書籍版も出ているようです。

 

先日出版社の人と会話をしたときに話題になったのですが、今は読書家の方の多くが、大部分の本を電子書籍版として読み、これぞという本をハードカバーで購入して楽しむのだそうです。

確かに、紙の匂い、感触を感じながらの読書には独特の喜びがあります。

 

下記は前回の山下さんの記事です。

記事:『迷子が出会う宝あり

 

では、今日はこのあたりで

また、お付き合いください。

 

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有名人について

2020年11月20日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

今朝の東京の最低気温は、異常気象の影響でしょうか11月末だというのに21度だったそうです。朝の通勤のときにも、何だか生暖かい風が吹いていました。

 

いかがお過ごしでしょうか。

 

当会のフランス代表が自身のブログに、「有名人について」という題の文章を投稿していますのでご紹介します。

▽ ▽ ▽

記事:「有名人について」

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

 

遠い昔からあらゆる時代に、有名人と呼ばれる人たちがいました。その中には、生きている間に有名になった人も死後にそうなった人もいますし、良い理由で知られた人も悪名を轟(とどろ)かせた人もいます。自ら手を尽くして名声を得た人も、思いもよらず有名になった人もいます。

しかし現代の社会には、有名人が文化や流行に重要な役割を果しているという特徴があります。このことを確認するためには、新聞、雑誌、ラジオやテレビ番組、そして言うまでもありませんがフェイスブックなどのネットメディアのことを考えるだけで十分です。

これらのメディアは “有名人”の行動や日常を報道することに力を注いでおり、出演者を芸能界という範囲を超えて有名にすることを主な目的にしたコンテンツを制作することさえあります。

 

有名人を追いかけるカメラマン

 

名声

名声を望むことは自然なこと、あるいは当然のことなのでしょうか。この問いに対する答えは状況によって異なるでしょう。しかし多くの場合、名声を望むことは、人に認められたいという過度の欲求が反映されたものだと私は思います。

そして、矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、この欲求には多くの場合に正反対の2つの原因があります。ひとつは、心がエゴに支配されてしまっているということであり、もうひとつは自分に対する自信が不足しているということです。

名声を求めるということには、大物に見られたい、愛されたい、他の人たちに認められたいなどの願望が表れています。

スーパーヒーローになった自分を夢見るビジネスマン

 

ある人が幸せであるためには名声だけで十分でしょうか。答えはもちろん「いいえ」です。自分のことを不幸だと語り、実際に不幸な有名人が数多くいますし、悲しいことにその中には、自(みずか)ら死を選んでしまう人さえいます。

 

名声を得ることをあまりにも強く望んでいる人を、私は個人として気の毒に感じます。というのも、このような人たちからは、自分自身に満足していないという印象、他の人の目に映る自分の姿だけのために生きているという印象が感じられるからです。

自分のエゴを満足させるために名声を望む人には、謙虚さという偉大な徳が欠けています。もちろん、この徳を育むことは、誰かに強制されるような性質のものではありません。しかし、謙虚さを手にしている人のことを大部分の人が高く評価し称賛します。

自尊心や、それよりさらにひどい虚栄心は、心に励ましを与えてくれるような健全な動機ではありませんし、威厳に欠ける振る舞いがそこから引き起こされます。しかし幸いなことに、真に名高い人の多くは、名声を得た後にも謙虚さを失うことがありません。

 

多くのカメラのフラッシュを浴びている女性の後ろ姿

 

スター・システム(訳注)

誰もが知っているように、最近はマスメディアによって、名声が計画的かつ不自然な形で作り上げられています。さらに、人の価値が商業的に判断され、その判断では人の長所や才能や能力よりも流行に合致するかが重視されています。

このようなレッテル張りによって、通常の人が一夜にして「スター」の座に上り、外見の崇拝に基づいた「ピポリザシオン」(訳注)と呼ばれる新しい宗教の偶像として祭り上げられます。

バラ十字会員の多くと同じように、私はこの現象をとても悲しいことだと感じています。しかし、私たち自身には崇拝している偶像などないと本当に言い切れるでしょうか。

 

訳注:スター・システム(le star-system):演劇・映画・プロスポーツなどの興行において、人気の人物を起用することが重視され、企画、宣伝、集客もそれに沿って行われる方式。

ピポリザシオン(pipolization):政治家などのさまざまな有名人が芸能スターのように振る舞い、その私生活が注目される現象。

 

偶像が存在する原因は、偶像を崇拝する人がいることです。もちろん、さまざまな有名人が評価されることは理解に苦しむような事柄ではありませんし、特にその人が何らかの才能という正当な理由によって認められるようになった場合はそうです。

しかし、それが追従や畏敬や崇拝にさえ変化してしまい、ファンの人たちの生活や幸福感にその有名人が中心的な役割を果しているのを見ると、そこまで行き着いてしまう真の原因は何なのだろうといぶかしく思い、このような風潮が育まれ助長されていることを残念に思わざるを得ません。

 

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

△ △ △

ふたたび本庄です。

 

今回の文章は、かなり辛口だったですね。私が学生だった40年ほど前は、女性アイドルがあまりにももてはやされると「性の商品化」だと批判する人たちがいたように思うのですが、最近はこのような言葉もあまり聞かれなくなったようです。

テレビ番組を見る人の割合も若い人を中心に減っているようですし、コロナ禍が原因で生じている社会の変化にも感じられるように、時代が転換期を迎えているように思います。

 

下記は前回のセルジュ・ツーサンの記事です。

記事:『想像について

 

では、今日はこのあたりで。

また、よろしくお付き合いください。

 

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スピリチュアリティと深層意識

2020年11月13日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

先週の土曜日が立冬でしたので、暦の上ではもう冬ですね。東京板橋では、そろそろサザンカが咲きそうです。

 

いかがお過ごしでしょうか。

 

さて、今日お話ししたいのは、「スピリチュアリティ」、「スピリチュアル」についてです。

私が神秘学(mysticism:神秘哲学)の仕事に携わり、日本語に翻訳した教材を提供する仕事を始めて16年ほどになります。そして最近、この語が神秘学にとって極めて重要なキーワードではないかと感じています。

「スピリチュアリティ」(spirituality)は名詞、「スピリチュアル」(spiritual)は形容詞ですが、いったい何を意味しているのでしょう。

水辺、ハス、石、ろうそく、竹林

 

複雑な問題であり、これから私がご紹介することは、情報の羅列のようになってしまうかもしれませんが、お付き合いくだされば嬉しく思います。

 

最近、ある人が私にこう話してくれました。深い杉林の中にある観光地化されていない神社を以前に訪れたことがあるのだそうです。

横には滝が流れ、涼しげで、そこにいると心が静まり、凜(りん)とした背筋を正されるようなすがすがしい心地になって、これが「スピリチュアル」という言葉にとてもふさわしいのではと思ったのだそうです。

この話を聞いたとき、とても良い実例だと感じました。しかし、これからご説明するように、パワースポット巡りが「スピリチュアリティ」という言葉の真意であるとは思っていません。

 

1988年に「スピリチュアル」ということが学術的に大々的に議論されました。

この年にWHO(世界保健機構)で、次のように健康の定義を修正することが提案されたからです。

「健康とは、単に病気でないとか虚弱でないということではなく、身体的にも、精神的にも、スピリチュアルにも、社会的にも、すべてが良好な動的な状態であることを意味する。」

(Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity. )

「スピリチュアルにも」と「動的な」が以前の定義に追加された修正部分です。

つまり、人間の健康は身体的、精神的、社会的という3つの側面から考えるべきであるとされていたのが、そこにスピリチュアルという第4の側面が加えられ、動的なものだとすることが提案されたということです。

このうち「精神的」と「スピリチュアル」は、いずれも個人の心に関することなので、その区別は何だろうという疑問が生じてくるのではないでしょうか。

後ほど詳しくご紹介しますが、意識の表層に主に関連しているのが「精神的」な側面であり、意識の深層に関連しているのが「スピリチュアル」と形容される側面だと考えることができます。

夕焼けの海辺と桟橋

 

さて、ターミナルケア(終末医療)などの分野で、その望ましいあり方を検討するためにクオリティ・オブ・ライフ(QOL:Quality of Life:生活の質)という尺度が用いられることがあります。

先ほどの健康についての提案は、さらに検討を重ねる必要がある等の理由で実際には採択されなかったのですが、1994年から1998年にWHOはこの提案の考え方に基づいてクオリティ・オブ・ライフを調査するための100の質問(WHOQOL-100)を作成しています。

この質問は、身体的健康、心理学的健康、独立のレベル、社会的関係、環境、スピリチュアリティ(および宗教と個人的信念)という6つの領域に分かれていて、スピリチュアリティの領域には次の4つの質問が含まれています。

1.あなたの個人的信念は、あなたの人生に意味を与えてくれますか。

2.あなたの人生は、どれぐらい有意義ですか。

3.あなたの個人的信念は、苦難に向き合う力をあなたにどれぐらい与えてくれますか。

4.あなたの個人的信念は、人生における苦難を理解するためにどの程度役に立ちますか。

 

つまり、人生を有意義だと感じさせてくれるもの、人生に意味を与えてくれたり苦難に向き合う力を与えてくれたり、人生における苦難の性質を理解させてくれる個人的信念が「スピリチュアル」と形容されています。

 

主にヨーロッパで「宗教的ではないけれどもスピリチュアル」(SBNR:spiritual but not religious)という言葉がよく用いられています。

英語版ウィキペディアによれば、宗教だけが内面的な成長をうながすという既存の考え方に対する異議から生じたフレーズで、「身体-精神-スピリット(spirit)」が望ましい状態にあることを重視するけれども宗教組織に属さない個人の内面生活のことが「スピリチュアル」と形容されています。

この場合のスピリットは、日本語の「魂」にあたるようです。

 

宗教でないスピリチュアリティ、内面的な成長という事柄からは、古い映画ですが、トム・クルーズが主人公のネイサン・オールグレン大尉を演じていた「ラストサムライ」が思い出されます。

南北戦争の当時、先住民の虐殺に加わった辛い体験から、オールグレンは既存宗教に絶望しています。

 

明治維新の初期に、生き残りの武士たちが農民とともに住む山あいの美しい村でオールグレンは暮らすことになり、そこで村人の生き方を目撃します。

彼らは自然と調和した規則正しい生活を送り、自分に厳しく、静かな笑顔を絶やさず常に控えめであり、礼儀正しさを崩すことがありません。

畑を耕す者も刀を鍛える者も、朝目覚めたときから一心に自分の務めにはげみ、それらの務めも武士たちの木刀での稽古も、内面的な成長のための修練と一体になっています。

 

オールグレンはこう語ります。

「1877年春。17歳の時に農場を出て以来、こんなに長くひとところに留まったことはない。この村には私に理解できない多くのことがある。私は教会に通うような人間であったことは一度もない。そして戦場で見たことによって、神の意志などというものを疑うようになった」

「だがここではスピリチュアルなものを感じる。このことが、はっきりと理解できる日は永遠にこないだろうが、しかしその力を感じる。はっきりと分かっていることがある。この地でこそ数年ぶりに初めて、私はぐっすりと眠れた」

参考記事:「スピリチュアルとは、スピリチュアリティとは

 

ここで、このブログのタイトルでもある、深層意識とスピリチュアルとの関係について考えてみます。

まず、バラ十字会では人間の意識を次のような4層構造としてとらえています。

1.知覚(五感による認識)

2.主観(思考、判断、記憶、意志)

3.下意識(sub-consciousness:潜在意識)

4.宇宙意識(Cosmic Consciousness)

(当会で学習されている方のための補足:知覚と主観は、バラ十字哲学ではそれぞれ客観的意識の客観的側面、客観的意識の主観的側面と呼ばれていますが、この文章では分かりやすくするために上記の用語を使っています。)

 

この4つの意識の具体的な役割は次のように考えられます。

私たちは知覚によって外界や、他の人の姿、声、表情を把握します。

そして主観によって、過去の記憶と現在の知覚を材料に思考、判断、意志決定を行います。

一方で下意識は、身体の生理活動をコントロールすることと、宇宙意識と主観をつなぐことを主に行っています。

バラ十字哲学によれば、宇宙意識は、あらゆる生きものの意識がひとつになった意識です。また宇宙意識は、真実、善良さ、芸術的美の源泉にもあたるとされています。

鍵を持つ手とクエスチョンマークの形をした鍵穴

 

実際には、逆の視点から見た方が分かりやすいかもしれません。宇宙意識にある性質を私たち人間は真・善・美と感じています。それは宇宙意識が人間にとって(すべての意識あるものにとって)、自己の本質であり真の故郷であるからです。

宇宙意識には、あらゆる記憶と知識が蓄えられており、私たちは直観という形で下意識を経由してその一部を知ることができます。

宇宙意識などというものが、本当にあるのだろうかと疑問を抱く人もいるようです。しかし、次の表のように、人間の心の奥にこのような集合的な意識が存在するということが、唯識という仏教の伝統宗派や、現代の心理学派のいくつかによって唱えられています。

人間の意識の階層

人間の意識の階層

 

また、あらゆる時代のあらゆる文化の神秘家が、「神秘体験」と呼ばれる、宇宙意識と通じたときの自分の体験を書き残しています。

 

話は少し変りますが、この表によって、瞑想とは何かを理解することができます。先ほどご説明したように、宇宙意識と人間の主観は下意識を経由してつながっています。瞑想とは、主観の働きを一時的に抑えて、宇宙意識からの情報を受け取りやすくするテクニックです。

瞑想の練習を続けていると、自分の心が広大であり、その中にはさまざまな部分があることがだんだんと実感されてきます。

下意識の中には、いずれは変容させるべきであるあまり望ましくない部分もあります。一方、宇宙意識は完璧ですが、瞑想で受け取った情報が、下意識から来たのか宇宙意識から来たのかを判断できない場合もあります。

そのようなときに役に立つと私が考えているのが、今日最初のほうでご紹介した、ひなびた神社にいるときに感じられるような、心が静まったような感覚、凜とした背筋が正されるようなすがすがしい心地です。

 

言い方を変えれば、私たちの心には外界の影響を受けやすい性質があり、整えられた環境にいると、心の深層にある宇宙意識と同調し、そこから情報を引き出しやすくなるようです。

ですから瞑想のときには、あらかじめ、すがすがしいような貴い状況を視覚像として思い浮かべることが役に立ちます。このことはバラ十字会の瞑想の基本テクニックのひとつになっています。

渓流と紅葉

 

先ほどのQOLに話を戻しましょう。QOLとの関連で言えば、瞑想を日常的に実践している人の多くが、人生の意義深さの実感、苦難に向き合う強さと理解、心の平安を、瞑想から引き出しているようです。

今回、私がお伝えしたかったことは以上です。まとまりのない文章になってしまいましたが、皆さんが有用なヒントをひとつでも得てくださったなら、心から嬉しく思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

下記は私の前回の記事です。私が今までに見た中で最もユニークなデザインの旗、観光地シチリアの州旗が登場します。

記事:『三つ巴と三すくみ

 

今日はこの辺りで。

またお付き合いください。

 

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参考文献:

  • 2010,真鍋顕久ほか,「スピリチュアリティとQOLの関係に関する理論的検討」,名古屋女子大学紀要(人・社),56,41-52
  • 1998,岡野守也,「唯識」,日本放送出版協会

 

数と古代のシンボル主義

2020年11月6日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

すっかり寒くなりましたね。東京板橋でもカエデの葉が緑から濃い赤に変わってきました。

いかがお過ごしでしょうか。

 

今回のテーマは「数とは何か」というシリーズで、特に古代のシンボル(象徴)主義についてです。大阪で当会の役員をされている作編曲家の渡辺さんから寄稿をいただきました。

 

古代エジプトや古代ギリシャの哲学者、特にピタゴラスが、数をどうとらえていたかが良く分かります。

 

このシリーズの以前の記事はこちらです。

『数とは何か?』(その1): https://www.amorc.jp/blog/?p=2676

『数とは何か?』(その2): https://www.amorc.jp/blog/?p=2698

『数とは何か?』(その3): https://www.amorc.jp/blog/?p=2720

▽ ▽ ▽

数とは何か?(その4)

渡辺篤紀

渡辺篤紀

~形而上学における数の概念~

 

皆さんは「シンボル主義」という言葉をご存じでしょうか?

芸術の世界では「象徴主義(Symbolisme)」とも言われていますが、私の理解するところでは、絵画を例にすると、まず「理念」があり、それを「表現」するものとして「絵」がある、というものです。

 

例えば、何かしらの十字を示す図などをキリスト教徒が見た場合、十字架として、そして「イエス・キリストを示す象徴」などと理解するはずです。

また、神秘家が見た場合は、「1と2が交わり、3を象徴するもの」として理解することもできます。

 

「シンボル主義」とは、このように何かしらの形、言語などで表される象徴は、何らかの思想に基づいているという考え方です。

そして、このような考え方(シンボル主義)を基に、旧来のエジプト考古学の解釈に異を唱えた「シュヴァレ・ド・ルービッチ」という考古学者の考察を基に、数というものが持つシンボリックな側面について考察してみたいと思います。

スフィンクスとピラミッド

 

主な引用元は、ジョン・アントニー・ウェスト著(訳:大地舜)の『天空の蛇』という、シュヴァレ・ド・ルービッチのシンボル主義を詳細に解説した本からです。

この本には、神秘学・形而上学などについて、示唆に富む様々な内容が書かれているので、ご興味のある方は是非、ご一読することをお勧めします。

 

 

■「一」

“「一」は「絶対」あるいは「統一体」であり、そこから「多様性」が生み出された。「一」は「二」になる。”

(ジョン・アントニー・ウェスト著(訳:大地舜)『天空の蛇』より。以下、“”内は同様)

 

シンボル主義的な立場から「一」を解釈すると、それは「全体」であり「極性のないエネルギー」であると言え、「点」または「円」で表現することができます。

 

■「二」

“「絶対」、つまり統一体が意識を持つと、多様性、すなわち極性が生まれる。すなわち「一」が「二」になる。”

 

神秘学的な観点から言うと、「一」+「一」が「二」になるのではありません。

「二」は「一」から分裂したもの、多様性の始まりであり、「極性」を象徴しています。

例えば、「男性/女性」「能動/受動」「陰/陽」などの極性の異なる対となるものを象徴しています。

 

しかし、「二」は正反対のものを表しているのにもかかわらず、それは「静的」なものでもあります。

なぜでしょうか?

なぜなら、それは、二つのものが均衡を保って存在しているからです。

それゆえに、「二」だけでは何かを生産することはできないとも考えられます。

 

■「三」

“二つの対立する力の間には「関係」が確立されなければならない。この「関係」を確立するのが第三の力だ。「一」が「二」になるとき、同時に「三」になる。”

 

上記の静的な「二」が多様性を得るためには、同時に「三」になる必要があることが説明されていますが、この関係性を日常に当てはめてみると中々面白いことが考察されます。

例えば、「男性/女性」という「二」を象徴する実在があったとしても、それだけでは「関係」は生まれず、何も生まれることはありません。

「関係」が生じるためには、この「男性/女性」の間に「愛」か、少なくとも「欲望」が必要となります。

 

また、「彫刻家」と「木片」、「音楽家」と「楽器」だけでも何も生まれません。

それらの間において「彫像」や「音楽」が生まれるためには、その間をつなぐ「関係」、例えば「インスピレーション」などが生じなければ、お互いに別々に存在する二者以上のものになることはできません。

 

しかし、「二」で表される対称的な存在とは異なり、この「三」というものは、「愛」、「欲望」、「インスピレーション」などの、人間の心でしか理解できないもののようにも思えます。

たとえ、それを「親和力」、「相互影響」などの上記よりも科学的な言葉に置き換えたとしても、その実態はまさに「ミステリー」であり、逆説的に言うと、その物質的な実態を伴わない「三」というものの理解度によって、その人がどのような思想を持っているのかがわかるかも知れません。

 

■「四」

“「二」と「三」だけでは「物質」という考えを説明するには不十分だが、比喩で示すことができる。愛する人+愛される人+欲望では、まだ家庭どころか情事にさえなっていない。彫刻家+木片+インスピレーションでもまだ彫像にはならない。(中略)”

“物質を説明するには、原則として四つの項目が必要となる。彫刻家+木片+インスピレーション+彫像。”

 

上記では、対称的な存在である「二」とその関係性である「三」を通して、再び実体的なものである「四」が生まれることが、比喩的に語られています。

そして、古代からこの世界を構成する象徴として、「地」「水」「火」「風」の四大元素が使用されてきましたが、これらは気まぐれに選ばれたわけではなく、活動、受容、媒介、合成などの性質を象徴的に、また冗長にならないように選ばれたシンボルでもありました。

四大元素(イメージ)と地球

 

また、平面上に書かれた三角形は、その平面上以外の場所に一点が与えられた場合、それらの線を結ぶと四面体となり、最初の立体となります。

 

端的に言うと、「四」を「地」「水」「火」「風」などの象徴と結びつける「理念」。

このような考え方が「シンボル主義」の神髄であると言えるかもしれません。

 

■「五」

“ピタゴラス学派にとって「五」は「愛」を意味する数である。なぜなら最初の男性数「三」と最初の女性数「二」が結びついたものだからだ。”

 

「四」という実態を伴ったものが生まれ、そして創造が生まれるのは「二」と「三」の結合である「五」からである、と象徴的に考えることができます。

 

「彫刻家」は「木片」に働きかけ、「インスピレーション」を受ける。

そして「木片」はノミを受け入れ、「彫刻家」の「インスピレーション」を刺激する。

このような繰り返しによって彫像が出来上がります。

 

そして、古代から様々な場所で「五」という数を見ることができます。

陰陽五行説、五芒星(ペンタグラム)、五輪塔(地水火風空)などがその代表的なものです。

 

あくまで私の考えではありますが、

「一」は点もしくは円で全体を表し、「二」は直線を表し、「三」は三角形を表し、「四」は四角形を表すとすると、上記の四つのものは、ある意味でバランスのとれた、動きのないものとして見ることができます。

 

しかし、「五」では、そのバランスが「二」と「三」どちらかに傾いて不安定なものとなりますが、この不安定さこそが、新たな創造の源であるとも言えます。

正五角形とその対角線

 

しかし、「六」では「三」が二つ合わさったものとして、再びバランスのとれたものとなります。

正六角形と六芒星形

 

その均衡のとれた美しさは、自然界においては、ハチの巣、結晶などで見ることができます。

紫色の結晶

 

しかし「七」では再び「三」と「四」の間で不均衡が生じ、創造的なものが生まれる余地が生じます。

正七角形

 

■シンボル主義

ざっと「一」~「七」までの神秘学的な解釈、あるいはシンボル主義的な解釈をご紹介しました。

 

さて、ではシンボル主義的な解釈とは、一体どういうものなのでしょうか?

例えば、神社にある狛犬が二体で対になっているのは、どういうことなのでしょうか?

それは、「二」というものについて考察することによって、その意味が導かれるかもしれません。

 

そして、様々な場所で見られる「円」「十字」「三角形」「五芒星」「六芒星」などの象徴も、それらの数が表す象徴によって様々な意味を持ち、また様々に解釈することができます。

言い換えると、古代に何かを作った人々は、その思想に基づいてある数を選び、それが「象徴として何らかの意味」をなしていたと言うことができます。

 

身の回りにある太古から伝わるものの本当の姿を知るには、このような考察が必要であることを、シュヴァレ・ド・ルービッチの「シンボル主義」は教えてくれます。

 

さて、今、私が気になっているのは、囲碁の碁盤の目の数についてです。

19路盤は縦横に19本の線を持ち、交点は19×19で361です。

これが何を意味しているのか、不思議でたまりません。

囲碁の盤面

 

皆さんの周りに、気になる数や象徴はありますか?

△ △ △

ふたたび本庄です。

 

今回渡辺さんが紹介してくれたような数の象徴的意味が西洋に広まったのは、ピタゴラスがエジプトで学んでギリシャの人たちに教えたのが最大のきっかけのようです。

このような象徴的意味は、世界のさまざまな場所で共通点が見られます。たとえば古代中国の書物『易経』でも、特に二と四について、今回の文章とそっくりの象徴的意味が解説されています。

 

また紹介されていたように、古代インドの「五大」という考え方では、宇宙を構成しているのは、地、水、火、風に虚空を加えた5つだとされていました。

一方で古代ギリシャでは、火、空気、水、土という四大元素によって地上の万物が作られており、星々はエーテルという第五元素によって作られていると考えられていました。

 

世界の成り立ちについて、なぜこのように独立して、まるで同じ理論が生じ、多くの人に信奉されるのでしょうか。とても不思議なことに感じます。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

またお付き合いください。

 

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想像について

2020年10月30日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

とうとう10月も明日で終わりですね。秋も深まり、トンボが飛んでいます。

 

いかがお過ごしでしょうか。

 

昨日、当会のフランス代表が自身のブログに、私たちの想像や思いが持つ力についての文章を投稿していますので、ご紹介します。

▽ ▽ ▽

記事:「想像について」

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

 

想像とは、五感を通して以前に知覚したことのある事物や、心の中で発案したものを組み合わせて、精神内にイメージを作り出す能力です。この能力を用いて、日常の現実を抜け出して、想像の世界がひとりでに展開していくのを楽しんだことが誰にもあるのではないでしょうか。

私たちはこのような空想によって心身の緊張を緩めることができ、楽しいひとときを過ごすことができます。この点から考えると、想像や空想は夢と同じように、その効用に本人が気づいていない場合もありますが、心理的なバランスを保つために欠かせないものであると考えられます。

夢の中の輝く草むらと蝶

 

想像力

想像の効用は、楽しい空想として用いられてひととき日常を忘れさせてくれることだけではありません。自分が夢見ていることを現実にするために、想像を用いることができます。

どのようにしたら、それを実現できるのでしょうか。そのためには、実現したいと思っている望みや成功させたいと考えている計画が成し遂げられたイメージを精神内に作り出すことと、それと同時にそのイメージを支援として用いて、具体的に行動することが必要とされます。

このようなテクニックは創造的視覚化(ビジュアリゼーション)と呼ばれ、当会の通信講座で学習している大部分の人がよく知っていて、自分のためにも他の人のためにも日常的に活用しています。

 

バラ十字会AMORCの教材で扱われている視覚化の練習方法と活用のテクニックがどのようなものであるかを、この短い文章で正確に説明することはできませんが、このテクニックの根本にあるのは「思考には創造力がある」という事実です。

このテクニックが適切に用いられると、「思念体」(thought-form)と呼ばれるものが形成されます。その名が示しているように思念体とは、思考によって心の世界に作り出されるある状態です。

この原理を納得することは常識的には難しいと感じる人もいますが、実地に適用すると、自分の人生を期待している状態に近づけるという確かな効果を実感することができます。

子供と夢(イメージ)

 

想像にある創造的な力

宇宙は、現在知られているような実体になる前には、いわば非物質的な存在であったと考えられます。天体物理学者によれば、ビッグ・バンという約138億年前に起きた巨大な爆発の結果、宇宙は存在するようになりました。

無数に多くの恒星や惑星や星間物質からなる宇宙が存在するようになる以前に、宇宙は「神の精神内に形成された想像」であったという、古代の言い伝えがあります。また、「神は人を自分に似せて創造した」という言い伝えもあります。

この2つのことから、私たち人間の精神にも創造力があるということが納得されるのではないでしょうか。

宇宙(イメージ)

 

想像には創造的な力がありますが、同じことが予測にも言えます。私たちは予測という能力によって、自分が未来に行ったところを思い浮かべ、中長期的に何が起きるのかを見定めることができます。さまざまな時代にさまざまな分野で、未来がどのようになるかを予測した人がいます。

中でも特に印象的な例として、イタリアの芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチとフランスの小説家ジュール・ヴェルヌを挙げることができます。彼らは当時存在していなかった機械や道具(飛行機、潜水艦、潜水具、パラシュート、ヘリコプター)を描写しており、その多くが、現在実現しているものととてもよく似ていたり、そっくり同じだったりします。

このような人たちのことを考えると興味深い疑問が湧いてきます。彼らの想像が思念体として後に実現されたのでしょうか。それとも、彼らは自分の心を未来に延長して未来の光景を見たのでしょうか。もし後者だとしたら、それは予言と呼ばれるものに似ているのかもしれません。

レオナルド・ダ・ビンチのスケッチ(イメージ)

 

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

△ △ △

ふたたび本庄です。

 

私たちの思考には創造的な力があるという部分を読んで、思ったことがあります。

 

国内や海外のニュースを見て、さまざまな現実を目の当たりにすると、気持ちが暗くなってしまうことが皆さんにもあるのではないでしょうか。

たとえば、日本などの経済的に豊かな国では食料が大量に無駄にされている一方で、貧しい国々では多くの子供が毎日飢餓で亡くなっています。

大規模な生態系の破壊と地球温暖化が進んでいるにもかかわらず、その対策についての国際的な合意は遅々としか進んでいません。

そこからは何も建設的なことが生じないと分かっているのに、軍備の拡張や兵器の開発に多大な資金と人的リソースが注ぎ込まれています。

 

しかし、現代のこのような惨憺たる状況の中にあっても、私たちは人類の明るい未来を想像するべきだと思います。なぜなら、今回セルジュ・ツーサンが指摘していたように、前向きな想像にはそれ自体の実現をもたらす力があるからです。

私も習慣にしているのですが、どうか皆さんも人類の明るい未来を定期的に想像し、思い浮かべてください。そしてほんの小さなことでも、何かできることをしてください。

 

下記は前回のセルジュ・ツーサンの記事です。

記事:『つぐないについて

 

では、今日はこのあたりで。

また、よろしくお付き合いください。

 

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