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ベジタリアンについて

2019年6月14日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

関東が梅雨入りして、早くも一週間が経ちました。東京板橋でも、連日、かなりの雨が降っています。

お変わりはありませんでしょうか。

 

先日、大阪の高槻で講演を行ったときに、懇親会が開かれた居酒屋さんで知ったのですが、参加者のうち数人の方がベジタリアンでした。

東京の集会にも、ベジタリアンの方が参加されることがよくあります。

また、毎年10月に開かれている世界総本部の理事会には、当会の各国の代表が集まるのですが、そのうちの2~3割の方がベジタリアンです。肉だけでなく、卵や乳製品も食べないビーガン(完全菜食主義)の方もいらっしゃいます。

 

菜食主義について、当会のフランス代表が記事を書いていますので、今回はそれをご紹介させていただきます。

▽ ▽ ▽

『菜食主義について』

“A propos du vegetarisme”

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

 

さまざまな集まりでも、電子メールでも、次のような質問を受けることがたびたびあります。「神秘学などのスピリチュアルな(spiritual:道徳心や心の深奥の)探究やこの分野での進歩のために、菜食主義は役立つのでしょうか」。

率直に申し上げるならば、肉を食べないということが、このような分野の探究や進歩のために特にプラスになるとは、私は考えていません。

ベジタリアンの(菜食主義を採用している)方々の中にも、宗教や神秘学のことを重要ではないと思っている方もいますし、ベジタリアンでない方々の中にも敬虔な宗教信者や熱心な神秘家もいます。

重要なのは、スピリチュアリティ(内面的な価値)への関心であり、結果としてどのように行動するかということです。

神秘家イエスは、このことを次のように言い表しています。「人にとって重要なのは、口の中に何を入れるかではなく、口から何が発せられるかです」。

 

私の見解では、ベジタリアンになろうとする動機は、多くの場合、内面的な価値の尊重というような事柄ではありません。

私の知っているベジタリアンの大部分は、主に次の2つの理由で菜食主義を取り入れています。

1.肉を人間に提供するために飼育されているさまざまな動物の扱われ方や、それらの動物たちが殺されることに賛同できないため。

2.肉を食べないときの方が、自分がより健康であると感じているため。

野菜が入れられたガラスのボウルとフォーク(ベジタリアンのイメージ)

 

第一の理由について言えば、私はそれを十分に理解することができます。というのも、私は動物が大好きであり、食用の動物が飼育されている方法や、殺されるときに用いられる方法の多くが、憤慨すべきものであるどころか、ぞっとするようなものであることを知っているからです。

動物たちにそのような苦しみを与えていることは、人類の恥にあたりますし、動物に対して人間がいまだにどれほど残酷かを示しています。

あらゆる動物には、それぞれのレベルの意識と感受性があります。動物たちに敬意を払わず、動物たちが私たちにさまざまな物をもたらしてくれていることを感謝しないことは、生命に対する侮辱にあたると私は思います。

さらに、動物と人類は常にカルマの法則によって密接に結びついているので、人類が動物たちを苦しめている限り、人類のさまざまな苦しみがなくなることはないだろうと私は考えています。

ギリシャの哲学者ピュタゴラスは次の言葉を残しています。「人間が、自分たちよりも下位の領域にいる生きものを冷酷に殺し続けている限り、人間は健康も幸せも手に入れることができない。人間が動物を殺し続けている限り、人間は人間同士で殺し合う。殺害と苦しみという種をまく者が、喜びと愛という果実を収穫することはできない」。

 

健康が理由でベジタリアンになっている人は、自分にとって望ましい方法を採用しているのですから、それはその人の当然の権利です。

野菜を食べることが特に体に適しており、肉が体に合わない人がいるということが経験的に知られていますし、このことは、乳製品や卵や他の動物性食品や、時として魚にも同じことが言えます。

タンパク質、ビタミン、微量元素などが決して不足しないように配慮するならば、人間は肉を食べなくても健康でいることができます。しかし、そのためには栄養についての基本的な知識がいくつか必要とされるということも事実です。

野菜と果物とジュース

 

すべての人がいつかベジタリアンになると想定すべきでしょうか。もしそうならばなぜでしょうか。動物に対する敬意からでしょうか。健康上の理由でしょうか。経済もしくは生態学的な必要からでしょうか。

多くの人は、ほとんどすべての人が今後も肉を食べ続けるだろうと確信しており、このような疑問は馬鹿げていると考えることでしょう。しかし、一部の科学者によれば、今後の数世紀か一千年ほどの間に、人間に生理学的な変化が起こり、動物性タンパク質をもはや必要としなくなる可能性があるとのことです。

それはそれとして、確実なことがひとつあります。人間が肉を食べ続けるのであれば、自分たちの食料にするために殺す動物たちに十分な配慮を払い、彼らが快適に暮らすことができ、不必要な苦しみを感じないようにすべきだということです。

 

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

△ △ △

再び本庄です。

 

ベジタリアンの方々はどのぐらいの割合なのかと思い、インターネットで調べたところ、日本では5%程度だとのことです。

インドは30%~40%と極めて多く、その他にも、イギリス、中華民国、スイスなど、ベジタリアンの割合が10%を超えている国がいくつかあります。

そして多くの国で、若い人たちを中心に、ベジタリアンやビーガンが増えているとのことです。

 

下記は、前回のセルジュ・ツーサンの記事です。多くの皆さんが読んでくださった人気の記事です。

人の姿を表す十字

 

では、今日はこの辺で。

また、お付き合いください。

 

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地道なAIと革新的なAI

2019年6月7日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

今日は、日本の各地で大雨になっているようです。東京板橋でも先ほどから降り始めてきました。

どうかお気を付けください。

 

先日、あるテレビ番組で取り上げられていたのですが、ビジネスマン向けのアートセミナーがはやっているそうです。固定観念を捨てて発想力を高め、新商品の開発や、企業が進出する新分野の開拓に生かすためだとのことです。

このようなことの背景には、AI(人工知能)の進歩に対応しなければならないということがあるようです。AIが発達すると、機械的な仕事の多くは人に代わってAIが果たすようになるので、人間にしかできないことを探さなければならないという問題意識です。

また、大量のデータをAI技術で処理して、ある製品の機能を改善するという取り組みが社会全体で行われると、多くの企業の商品がどれも同じようなものになっていくので、他社に対して優位に立つためには、AIにはない人間の直感や感性を、商品の開発に生かさなければならないという危機感があるようです。

触れ合うアンドロイドの手と人間の手

 

この話を聞いて、現在実用化されようとしているAIの多くは、ずいぶんと「地道」なのだなあという感想を持ちました。そして、私ごとですが、昔趣味で作った競馬の予想プログラムのことを思い出しました。

もう20年以上前のことになりますが、ある企業でエンジニアをしていたときに、仕事のために多変量解析という数学のテクニックを使う必要が生じました。そこで、どうせなら楽しんで学ぼうと思い、競馬の予想をやってみようと思ったのです。

多変量解析というと難しく感じますが、要するにこの場合は、ある競走馬の前回の成績とか、前々回の成績とか、その馬に乗る騎手の過去の成績とか、前回とのレース間隔とかが、次のレースの結果にどの程度、どのように影響するのかということを、過去のデータから算出して予想に使うわけです。

今でも覚えていますが、実際にやってみると、多くの種類のデータを集めて、プログラムに取り込めば取り込むほど、予想が的中する率が高くなっていきます。しかし、正直に申し上げれば、出てくる結果は常識的な平凡なもので、そこに意外性はほとんど含まれません。

 

しかし、この解析プログラムと同じような地道さを持つ「地道なAI」が役に立たないわけではありません。それどころか、とても役に立ちます。

たとえば、あるプロ野球の試合が行われるときに、その日の気温や、対戦チームの人気等々の多数のデータから、ビールの売り上げが正確に予想できれば、売れ残ってしまう無駄なビールを仕入れる必要がなくなります。

手書きの帳票から必要なデータをコンピュータに自動的に入力できれば、人件費を削減することに役立ちます。

高速道路の料金所を通過する大量の車のナンバーを処理して、渋滞の状況を把握したり予測したりして公表することにより、ドライバーの方々に役立てていただくことができます。

 

しかし一方で、AIの応用にはずいぶんと異なるイメージのものもあります。

以前に、このブログでも話題にしたことがありますが、2016年に「アルファ碁」(AlphaGo)という名の囲碁の人工知能が世界のトッププロと対戦して勝利を収めました。

参考記事:『人工知能と人間

囲碁の盤面

 

囲碁では、過去の常識を破るような素晴らしい指し手のことを「妙手」と呼びます。妙手を生み出す能力は、人間に特有の創造力だと考えられていたのですが、AIの「アルファ碁」が妙手を連発しました。このようなことから、AIには、人間と同じような発想力、創造性、ひらめきがあるのではないかと考える人が増えました。

そして人工知能を、会社の経営、医療診断、裁判、国際政治などに広く活用することで、人類には明るい未来が訪れるのではと考える人がいます。

一方で、現在のペースでコンピュータの性能と人工知能の技術が発達し、人工知能の製造と改良自体も人工知能に任せるならば、2045年以降は、人類に変わって人工知能が地球を支配してしまうという暗い予測もあります。

参考記事:『アンドロイドと2045年問題

 

さらには、私もびっくりしたのですが、将来人間は、電極を脳に埋め込んでAIと一体になることにより、人間自身の知能を今の何千倍にも高め、神のような存在になるのではと考える人がいます。

以上のようなAIの応用分野を「革新的なAI」と呼ぶことができるように思います。

「地道なAI」と「革新的なAI」というイメージは、どちらが実際の未来の姿に近いのでしょうか。

世界を支配するAI(イメージ)

 

人間の心の性質を探究したり、人工知能には心が存在するのかを考えたりする哲学は「心の哲学」と呼ばれています。米国の心の哲学の研究者ジョン・サールは、心や自己意識を持つAIのことを「強いAI」(strong AI)と呼び、そこまで達していないAIのことを「弱いAI」(weak AI)と名付けました。

心の哲学という分野には、「心身問題」という哲学上の問題が深く関わっています。「心」と「体」は同じものなのだろうか、別のものなのだろうか、一方がもう一方を説明するのだろうかという疑問です。

フランスの哲学者デカルトは、当時のバラ十字会員だったと言われていますが、自分の著書で心身問題について詳しい考察を行っています。

 

「強いAI」と呼ばれるもの、つまり、人間と同じ心や意識を持つAIは、将来作ることができるのでしょうか。

私には分かりません。しかし、バラ十字会の神秘学(神秘哲学:mysticism)にはこのことを考えるひとつのヒントがあるように感じています。それは、少し言葉使いが難しくなりますが、「意識はソウル(魂)の特質である」という考え方です。

つまり、ある生きものに意識(心)が生じるためには、体や脳があるだけでは不十分であり、そこにソウル(魂)が宿ることが必要だという考え方です。

 

これは、心身問題に対する多くのバラ十字会員の伝統的立場にあたり、意識(心)を物質に還元すること、つまり、意識(心)を物質だけで説明することはできないと考えています。

参考記事:『人の姿を表す十字

 

この考えによれば、人工知能は、単に脳細胞という物質のしくみをまねたものなので、複雑ではあるけれども、単なる問題解決機械であり、心や意識を持つこともなければ、思考しているわけでもないということになります。

 

さらにこの立場では、直感、芸術的なセンス、創造性、自由意志、道徳意識なども、ソウル(魂)だけが持つ性質だと考えられています。

ですから、もしそれが事実であり、コンピュータにソウル(魂)が宿ることがないとすれば、先ほどの「地道なAI」というイメージが実際の姿に近いように思われます。そして、政治的な判断や裁判をAIに委ねることは疑問に思えてきますし、AIが作った画像を真の芸術だと考えることなどはナンセンスなことに感じられます。

 

以上、何らかの結論を出すことができたわけではないのですが、参考になる点、興味深い点があったと感じていただけたなら、とても嬉しく思います。

また、お付き合いください。

 

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ブックトーク「雨」

2019年5月31日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

東京板橋では今週、何日も雨の日がありました。そろそろ梅雨入りですね。

 

いかがお過ごしでしょうか。

 

このブログへ定期的に寄稿してくださっている私の親しい友人である可児さんは、岐阜で小中学生に読書の楽しさを紹介するブックトークというお仕事をなさっています。

彼女から、この季節にふさわしい「雨」について文章が届きました。

▽ ▽ ▽

ブックトーク「雨」

可児明美

可児 明美

 

もうすぐ梅雨の季節ですね。雨がふると、外で元気に遊べなくて残念ですが、雨は大地に恵みをもたらしてもくれますね。雨があがったあとの草木は、いきいきとしていますね。さて、今日は雨と水に関する本をご紹介します。

 

ずっとずっと雨がふりつづいていて、こいぬとこねことばばばあちゃんは、遊びにでられなくて困っていました。(『あめふり』さとうわきこ作・絵、福音館書店)ばばばあちゃんは、雲のうえのあめふらしさんに、ときどき休んでくださいとお願いしますが、「やあーだよ。やなこった」という返事があり、バケツの水をあけたような雨がもっと降ってきました。そして、カンカンにおこったばばばあちゃんは、ある作戦をおもいつきます。ばばばあちゃんはいったいどんな作戦を実行したのでしょうか? その結果、空の世界では大変なことになってしまいますが……。ばばばあちゃんたちは、あおぞらを取り戻すことができるのでしょうか?

てるてる坊主とアジサイ

 

バケツをひっくりかえしたような雨には、こまってしまいますが、雨がふっている時、ことりやもぐら、ちょうちょはどこにいくのでしょうか? 人間の私たちは、家の中でぬれずにすごせますけどね。『あめが ふるとき ちょうちょは どこへ』(メイ・ケアリック文、レナード・ワイスガード絵、岡部うた子訳、金の星社)は、そんな素朴な疑問がうつくしい絵とともに描かれています。しとしと雨の日に、ゆっくり読むのにぴったりです。

 

雨がふると、大活躍するのが傘ですね。とっても立派な傘を持っているおじさんがいました。(『おじさんのかさ』佐野洋子作・絵、講談社)その傘は、黒くて細くて、ぴかぴか光ったつえのようでした。おじさんは傘を大事にするあまり、出かける時はいつも傘を持って歩き、少しの雨がふってきても、傘がぬれるといけないのでささず、たくさん雨が降ってきたときも、傘をさしたくないので、違う方法で雨をしのぎます。そうしてとてもとても傘を大切にしていました。ところが、ある時……、おじさんと傘にある出来事が起きました。そしておじさんは……。

 

雨は、空からたくさん降ってくる水のしずくですね。この「ひとしずく」になってみましょう。『みずたまのたび』(アンヌ・クロザ作、こだましおり訳、西村書店)は、ちいさな水たまが、さまざまに姿を変え、旅をします。ネコが水を飲んだボウルの底にひとつぶ残った水のしずく。おひさまのおかげでちいさなちいさなつぶになります。そしてあんまり軽くなったので、空へ……。みずたまは、どんな姿になり、どんな景色をみるのでしょうか。

 

『しずくのぼうけん』(マリア・テルリコフスカ作、ボフダン・ブテンコ絵、うちだりさこ訳、福音館書店)も、ひとしずくの水が旅に出るお話ですが、こちらは汚れたからだをきれいにするために、洗たく屋さんに行ったり、病院に行ったり……。とうとう川の中にとりこまれ、また何かに捕まります。そして最後にこのしずくは動けなくなってしまいます。どうして動けなくなってしまったのでしょうか?

カタツムリとガクアジサイ

 

雨というと、じめじめした感じがしますよね。以前にもご紹介した『ナルニア国物語』の中に、じめじめした沼地にすんでいる不思議な人たちがいます。(『銀のいす』C.S.ルイス作、瀬田貞二訳、岩波書店)その人たちは、沼人(ぬまびと)といって、おちくぼんだほお、一文字にきつく結んだ口、とがった鼻をもち、髪の毛は黒っぽい緑色をしています。とても生真面目な性格です。今回の冒険の主人公、ジルとスクラブは、沼人の泥足にがえもんといっしょに旅に出ます。アスランから行方不明の王子を探すように命じられたのでした。ナルニア国のお話の中でも、なかなかきつくてつらい旅です。そのうえ、一緒に行くのが陽気とは言いがたい泥足にがえもんです。このきつい旅のむこうに二人を待っていたのは……。

 

雨にもいろいろな雨がありますね。時雨(しぐれ)、五月雨(さみだれ)、大雨(おおあめ)、小雨(こさめ)、小糠雨(こぬかあめ)……。雨の日ならではの楽しみ方もいろいろ見つけて、楽しんでみてください。雨の日に、お部屋で読書もいいですね。

おわり

紹介した本

『あめふり』さとうわきこ作・絵、福音館書店

『あめが ふるとき ちょうちょは どこへ』(メイ・ケアリック文、レナード・ワイスガード絵、岡部うた子訳、金の星社

『おじさんのかさ』佐野洋子作・絵、講談社

『みずたまのたび』(アンヌ・クロザ作、こだましおり訳、西村書店

『しずくのぼうけん』(マリア・テルリコフスカ作、ボフダン・ブテンコ絵、うちだりさこ訳、福音館書店

『銀のいす』C.S.ルイス作、瀬田貞二訳、岩波書店

△ △ △

ふたたび本庄です。

 

海外出身で、日本文化を研究するために日本国内に長年暮らしている方のお話を、ときおり、テレビやラジオで耳にすることがあります。滑らかな日本語の話しぶりにも驚きますが、色彩の日本古来の呼び名や他の古語についての話題も興味深く、日本文化の素晴らしさを逆に教えられます。

可児さんの文章にいくつか登場した雨の名前にも、きっと美しい呼び名が他にいくつもあることでしょう。

 

下記は可児さんの、前回のブックトークの記事です。

『春』: https://www.amorc.jp/blog/?p=2151

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

また、お付き合いください。

 

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常識を打ち破る

2019年5月24日

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

東京板橋は、昨日から暖かい日が続き、今日は何と真夏日です。ですが、からっとしていて、心地よい陽気です。

 

そちらはいかがでしょうか。

 

最近、ある新聞社から取材を受けたことがきっかけで、考えていることがあります。

それは、言葉にすると何となく難しく感じられるかもしれませんが、神秘学には、この現代に、どんな役割があるのだろうかということです。

 

もちろん、たとえばバラ十字会の通信講座で神秘学を学習されている方々が、充実した豊かな生き方をするお手伝いをするということはあるのですが、それはそれとして、21世紀というこの極めて特殊な状況に関連して、神秘学は何の役に立つのだろうかということを考えていました。

 

まだ考えが十分に固まっているわけではないのですが、結論を言ってしまえば、現代の常識のいくつかを打ち破るために果たす役割があるように思います。

 

私たちは、歴史からたくさんのことを学ぶことができます。

 

ヨーロッパの中世では、人間に、万物を支配する正当な権利があると考えられていました。地球は人間のために創られたものであり、宇宙の中心にあり動かず、人間は「神」のお気に入りであり、神の第一の関心事であるということが常識でした。

キリスト教を批判することが私の意図ではないのですが、このような考え方は、『創世記』に書かれている「神はご自分をかたどって人を創造された」とか、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」などの言葉に影響されて発展してきたものであることはおおむね確実です。この時代の科学には、神学の当時の常識に合わないことを研究することは許されませんでした。

繰り返しますが、私は当時のキリスト教も現在のキリスト教も批判しているわけではありません。これは人間全般にある弱さを表している一例です。後にもう一度述べることになりますが、人には、ある常識が一度できあがると、そこに安住し、その範囲外にある事柄をひどく拒絶してしまう傾向が誰にもあります。そして、その常識の枠内では説明できない事柄や不都合が十分に増えてくるまでは、その常識が保たれている時代が続くことになります。

 

中世の常識のひとつに、すべての星は地球を中心にしてその周りを回っているという天動説がありました。天動説とは正反対の、地球や他の惑星は太陽の周りを回っているという地動説は、ポーランドの天文学者コペルニクスによって唱えられました。地動説を唱えた人たちは、カトリック教会からひどく弾圧されました。たとえば、イタリアのジョルダーノ・ブルーノは地動説を支持したことが理由で、火あぶりの刑に処されました。

ここで、とても興味深いことは、地動説が天体観測の結果だけから出てきたものではないということです。コペルニクスは古代ギリシャの思想を研究し、そこから着想を得たのでした。

コペルニクス

 

コペルニクス以降にも、中世の常識を打ち破った人たちとして、以下はほんのわずかな例ですが、フランシス・ベーコンや、ガリレオや、ニュートンが登場しました。

 

英国のフランシス・ベーコンは、神学の学者の意見や聖典の言葉ではなく、実験を繰り返すことによって自然を調べることを提唱しました。彼が書いた「ニュー・アトランティス」という本によく表れているのですが、彼は古代ギリシャや古代ローマの英知に深い関心を持っていました。ちなみに彼は、当時の英国のバラ十字会の活動に深く関わっていた神秘家でした。

フランシス・ベーコン

 

 

イタリアのガリレオは、学者だけからなる集団の枠内に留まることなく、技術者や職人の知識を科学に取り入れた人です。その努力から望遠鏡が生まれ、実際に地球ではなく木星の周囲を回っている衛星が発見されました。それは天動説を否定する明らかな実例でした。しかし、ブレヒトという作家の劇に描かれているのですが、当時の聖職者は、望遠鏡を悪魔の道具だとして、のぞくことを拒んだそうです。

参考記事:『科学的なことと非科学的なこと -アインシュタインと神秘学

 

ピサの斜塔

ピサの斜塔

 

中世では、天上と地上は全く別種の世界だと考えられていました。天上は神が住む世界で完全であり神聖な素材からできていて、星々は、完璧な図形である円に沿って運動するとされていました。地上は不完全な人間が暮らす世界であり、卑しい物質からできていて、物体は、直線に沿って運動するとされていました。

ニュートンはこの常識を打ち破り、宇宙空間にも地球にも同じ運動の法則が働いていることを示しました。彼は興味深いことに、古代の神殿や錬金術を熱心に研究していました。

参考記事:『アイザック・ニュートンと太古の神殿

 

これらの人たちの例から良く分かることは、ある時代の常識を打ち破るためには、その常識の範囲外にある何かを研究したり、まったく別の分野の人たちと交流したりすることが必要だということです。

 

これらの人を含む多くの人たちの努力によって発達した近代科学は、18世紀にイギリスで工業に活用されるようになり、商品の大量生産ができるようになります。産業革命です。

その後も、発展を続ける科学の産業技術への応用は続き、そのことによって、社会全体の貧富の差は拡大しましたが、平均的には、以前よりもはるかに豊かな生活ができるようになりました。

ちなみに、産業技術に応用された科学は、自然科学の中でも特に物理学と化学と数学でした。

そして、物理学と化学の産業や社会全般への影響があまりにも大きかったことから、徐々にマテリアリズム(materialism)という考え方が、先進国の多くの人々の主流の考え方になってきます。

 

マテリアリズムを辞書で引いてみると、2つの意味があります。

ひとつは、世界に存在するのは物質だけであるという考え方で、唯物論とも訳されます。もうひとつは、お金、財産、物質的な快適さが、精神的な価値よりも重要であるという考え方で、物質主義、あるいは物質偏重主義と訳されます。

 

どうでしょうか。唯物論について、あなたはどう考えるでしょうか。唯物論では、人間の心(意識)の正体は、脳の中に生じている電気信号や化学物質の活動に過ぎないと考えます。

最近では、人工知能(AI)が急速に進歩し、将棋や囲碁でも人間を打ち負かすようになったことから、人の心が物質で説明できるという唯物論は、さらに勢いを増しているようです。

 

唯物論では、人間の意識は、人体という物質の活動に過ぎないので、死んだときに完全に失われることになります。魂の存在を認めないので、生まれ変わりなどあり得ないことになります。

ですから、魂という不滅の要素が人の体に宿っており、人は生まれ変わりを繰り返すと考える人に比べて、唯物論を信奉する人の多くは、どうしても、自分が死んだ後のことをあまり重視せず、過去や将来のことを考えない刹那(せつな)的な傾向になることがあります。

精神的な価値というものは、実は思い込みに過ぎず、単なるきれいごとだと考える人もいます。ですから、英語ではそもそも同じ語ですが、唯物論と物質偏重主義は密接に関わっています。

 

歴史的に見ると、マテリアリズムはかなり特殊な考え方です。近代以前では、古代ギリシャの哲学者のレウキッポスとデモクリトスを除いては、ほとんど信奉者がいないようです。

 

先ほどは近代科学の重要人物を4人だけ紹介しましたが、その後の20世紀にも、特に物理学の分野には、常識を打ち破る理論がいくつも登場しました。

アインシュタインの特殊相対性理論は、時間と空間が、止まっている人と動いている人では異なることを示しました。一般相対性理論は、物質の質量によって時空が曲がることを示しました。ブラックホールが直接撮影されたことが、最近のニュースで話題になりましたので、ご存知の方も多いことでしょう。

 

量子力学は、現象の観測には、観測行為からの影響に原因する限界があり、世界を完全に知ることは原理的にできないことを示しました。また、日常の論理が、微小な世界には通用しないことも示しました。

たとえば、AとBという部屋が2つの通路CとDでつながっているとき、ある人がAからBに移動したとすると、通路Cか通路Dのいずれかを通ったことになりますが、素粒子の微細な世界では、どちらの通路を通ったとも言えない場合が生じます。

 

これらのすべては、当時の物理学の常識を打ち破る革命的な理論でした。ですから、物理学の歴史の研究者の中には、今後も常識破りの理論が現れるだろうと考え、現在の物理学が「知」の最終的な形だと考えない人が少なからずいます。

 

話をマテリアリズムに戻します。私の知る限りでは、唯物論には特に有力な根拠もありませんし、動物が好奇心を抱くことも、人間の希望や向上心も生きがいも、科学者自身の研究に対する情熱も、それどころか、人間の自由意志、つまり、私たちにじゃんけんができることすら説明できません。

しかし私たち人間には、ある常識が一度できあがると、そこに安住し、その常識の範囲外にある事柄をひどく拒絶してしまう傾向があります。マテリアリズムという常識にとっては、神秘学も、そのような範囲外の分野の一例です。

 

そして物質偏重主義は、無害ならまだしも、現代人の極端な利己主義、刹那主義の一因になっています。また、今回詳しく説明はしませんが、現代人の健康にもかなりの悪影響を及ぼしています。

物質主義(イメージ)

 

神秘学は唯物論を採っていません。その一例ですが、バラ十字会の神秘学では、「十字」に象徴される物質的な身体と、「バラ」に象徴される非物質的な魂が、人間の構成要素だと考えています。

参考記事:『人の姿を表す十字

 

そして、バラ十字会の神秘学の考え方には、古代エジプトの知識、プラトン、ピュタゴラス学派の思想、カバラ、ネオプラトニズム、錬金術などが厳選された形で盛り込まれています。

中世の読書家(イメージ)

 

やっと結論にたどり着きました。神秘学には広い範囲の「知」が結集されていることから、現代の科学が陥っているマテリアリズムという常識を打ち破るという役割を今後果たし、将来の科学の進歩に寄与するのではないかと私は思っています。

近い将来か遠い将来か分かりませんが、自然科学は「物」の研究、神秘学は「心」の研究という大枠の役割分担ができて、2つの分野が協力して、この世界の謎を解明する時代が訪れるのではないでしょうか。

あるいは、徹底的な変革の結果として、どちらかの分野がもう一方を吸収してしまうかもしれません。それはそれで、人類にとって素晴らしい進歩であることでしょう。

 

今回は、ずいぶんと長々と自説をお話しさせていただきました。荒削りで未熟な部分、至らない議論も多々あることと思いますがご容赦ください。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

また、お付き合いくだされば幸いです。

 

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人の姿を表す十字

2019年5月17日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

 

すっかり暖かくなりました。東京板橋では、バラの一番花もそろそろ終わりです。

いかがお過ごしでしょうか。

 

さて、私が良く受ける質問に、バラ十字会は宗教ですかというものがあります。

2007年から日本本部の代表を務めていますが、すでに100回以上は尋ねられたことがあると思います。

この質問には、人の姿を表す十字という象徴と、十字架という象徴の意味の違いがかかわっています。

 

このことについて、当会のフランス代表がとても正確な記事を書いていますので、今回はその翻訳をご紹介させていただきます。

▽ ▽ ▽

『バラ十字と宗教』

“Rose-Croix et religion”

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

 

バラ十字会のことを宗教だと考える人がいますが、その大部分は、この会が実際にはどのようなものなのかを調べたことのない人たちです。この誤解は当会の名称に「十字」という言葉が含まれていることが大きな原因のようです。

十字は明らかに宗教的な象徴だと考えている方が大部分です。具体的に言えば、十字から通常連想されるのはキリスト教であり、キリスト教からは長い歳月にわたってさまざまな思想運動が生じてきました。

しかし、知っていていただきたいのですが、初期のキリスト教の象徴は十字ではなく、ギリシャ語で「イクトゥス」(Ichtus)と呼ばれる魚でした。

初期キリスト教徒の墓碑 [Public Domain]

初期キリスト教徒の墓碑。上段には「生きている魚」(Ichthus Zonton)というキリスト教の標語が書かれている。西暦3世紀初頭。ローマ、バチカン市国の墓地遺跡から [Public Domain]

 

西暦4世紀に開かれたニカイア公会議(キリスト教の聖職者の最高会議)でキリスト教の教父たちは、この象徴をイエスの処刑に関連する十字に変更することを決定しました。

その後は、あらゆる国の多くの人たちが、十字から自動的にキリスト教を連想するようになりました。

 

バラ十字という象徴の十字には宗教的な意味は含まれず、キリスト教との関連もありません。この十字は、あらゆる人の身体を表しています。人が両腕を横にまっすぐに広げ、両足を閉じた姿です。

また、十字の腕のそれぞれの先端に3つ付いている丸い突出部は、当会の学習課程の12の段位を表しています。

中央に配置されているバラは、進歩しつつある人間の魂(soul)を象徴しています。バラが赤色をしているのは、この色が伝統的に愛と英知をあらわしているからです。

バラ十字(左)とウィトルウィウス的人体図(右)

バラ十字(左)とウィトルウィウス的人体図(右)

 

ですから、バラ十字は全体として、あらゆる人の二元的な性質(物質と精神という2つの要素からなること)を表す、伝統的で普遍的な象徴になっています。

この意味から考えると、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教などのあらゆる宗教の信者や、いかなる宗教を信仰していない人にも、この象徴に親しい印象を持っていただけることと思います。

 

一般的に言うと、宗教には次の5つの特徴があるとされます。

1)神が存在することを提唱し、神を崇拝や礼拝の対象とすること。

2)預言者、救世主、聖人などと呼ばれた、ある人物の人生や活動に基づいていること。

3)神聖だと考えられている書物(聖書、コーラン、ウパニシャッド、三蔵など)が基礎になっていること。

4)固定的な性質の道徳律や教義が提供されること。

5)信者が日常的に集まる(教会、シナゴーク、モスク、寺院など)場所があること。

これらの5つの特徴は一般に“宗教”だと見なされるものを判定する基準だとされていて、現在存在している主な宗教(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教など)と、そこから派生した宗教運動の特徴になっています。

 

一方で、バラ十字会の哲学は、預言者、救世主、聖人とされる特定の人と関連しておらず、聖典にも基づいていません。また、道徳に関しても、世界や人間についての見解に関しても、固定的な教義を伝えているわけではありません。

他方で、バラ十字思想では神(創造主)が存在すると考えられていることは事実です。しかしバラ十字会員は神のことを人に似た存在ではなく、人格を持たない絶対的知性だと考えています。

この絶対的知性を人間が直接知ることはできませんが、それは、宇宙や自然界や人間の中に、法則を通して表れています。

多くの科学者が、自然界に働く法則や数学上の法則のことを“神聖”だと感じていますが、神の間接的な表れである他の法則も、それと同じ意味で神聖だと言うことができます。

バラ十字思想の目標のひとつは、多くの人にこれらの法則に親しんでいただき、それと調和した生き方をしていただくことです。

人が普遍的な法則と調和した生き方をするということは、幸せであり、あらゆる意味で豊かであるために、決して欠かすことのできない条件であるとバラ十字会の哲学では考えられています。

ヘルメス錬金術バラ十字

ヘルメス錬金術バラ十字

 

当会が宗教ではないことから、あらゆる宗教の信者の方々と、いかなる宗教も信仰しない方々が当会に属しています。

特に、若い世代のバラ十字会員の半数以上は宗教を信仰していないようです。年配の人たちとは異なり、若い人たちの大部分は特定の宗教の教育を受けておらず、精神面での疑問への解決を求めて当会の門をたたきます。

固定的な教義が存在しない当会の学習は、若い人たちの気質にとても合っているようですし、幸せと知識と聡明さを求める彼らの望みを満たしているようです。

さらに、若い会員の多くがオンラインで学習していることも注目に値します。このことは、伝統と現代的なテクノロジーが、決して対立するものではないことを示す一例になっています。

(フランス本部では当会の課程をオンラインで学習することができますが、日本本部では現在導入を検討しているところです。)

 

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

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再び本庄です。

上の文章から分かるように、バラ十字会は、宗教に対して否定的なわけでは決してありません。しかし、日本でもヨーロッパでも、多くの人の宗教離れが起っていることは事実です。

「私は精神性を重視していますが、宗教を信仰していません。」(I’m spiritual but not religious.)という言葉が海外では良く聞かれるようです。

一部の宗教だけでなく、硬直化してしまったあらゆる組織に、若い人たちの精神性に適応するための変化が求められているのだと思います。

 

下記で、前回のセルジュ・ツーサンの記事を読むことができます。

自分を認めること

 

では、今日はこの辺で。

また、お付き合いください。

 

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