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ちいさい、おおきい

2020年7月10日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

熊本など九州や、岐阜、長野で大きな被害が出ている今回の雨は、令和2年7月豪雨と名付けられたそうです。現地の方に、心からお見舞いを申し上げます。

 

梅雨はまだ終わっていませんので、どうか皆さんお気を付けください。

 

2ヵ月に一度ほど、名古屋市の図書館でお仕事をされている私の親しい友人から、このブログに寄稿をいただいています。

子供に本を紹介するブックトークというプレゼンテーションのための文章なのですが、多くの方々から楽しんでいますという感想をいただいています。私も、この文章が届くのを毎回楽しみにしています。

▽ ▽ ▽

ブックトーク「ちいさい、おおきい」

可児明美

可児 明美

 

むかしあるところに、ちいさなおんなのこがいました。『ちいさなちいさなおんなのこ』(文/フィリス・クラシロフスキー、絵/ニノン、訳/福本友美子、福音館書店)

それはそれは、ちいさなおんなのこ。おんなのこは近所の誰よりもちいさいのでした。

ところがあるひ、きんぎょばちに手が届き、猫をだっこでき、犬より大きくなり・・・自分より小さなものをいろいろみつけました。おんなのこはおおきくなって・・・・・・。

ちいさいおんなのこには、どんなすてきなことが起こったのでしょうか。

 

じつは、ちいさいおうちにも、いろいろなできごとがおこったんですよ・・・・・・。『ちいさいおうち』(文と絵/ばーじにあ・りー・ばーとん、訳/いしいももこ、岩波書店)

むかしむかし、ずっといなかのしずかなところに、ちいさいおうちがありました。それはちいさい、きれいなおうちでした。ちいさいおうちが、たっているところも、時はどんどんたっていって・・・まわりの景色もかわっていきました。

木々が緑の葉で包まれ、やがて黄色や赤になり、冬が来て・・・・・・。あるひ、馬の引っ張ってない車が走ってきました。それは自動車でした。そうするうちに、ちいさいおうちのまわりには大きな道路ができ、電車が走るようになり、大きなビルができ・・・・・・。

ちいさいおうちは、どうなっていくのでしょうか。

読書する女の子ふたり

 

お次はちいさなカバの子です。『ちいさなヒッポ』(作/マーシャ・ブラウン、訳/うちだりさこ、偕成社)

カバの子ヒッポは、うまれたときからおかあさんのそばをはなれたことがありません。そんなヒッポも、いよいよおかあさんから、カバのことばをおぼえることになりました。「グァオ、こんにちは」「グァオ!」

あるひ、おとなのカバたちが川のあたたかい泥にうまってねむっている時、ヒッポは川面の明るい方へと行ってみました。すると・・・ワニがしずかにしのびよってきて・・・・・・。ヒッポは大ピンチ!

 

 では、小さいものと大きいものが逆になったら、どうなるんでしょう?『小さいのが大きくて、大きいのが小さかったら』(文/エビ・ナウマン、絵/ディダー・ヴィースミュラー、訳/岩松宜子、岩波書店)

もしネズミが大きくなって、猫が小さくなったら?ミミズが大きくなって、オンドリが小さくなったら? イモムシが大きくなって、キツツキが小さくなったら?

どんな感じなんでしょうね?

 

 〈小さい人たち〉を知っていますか? 『床下の小人たち』(作/メアリー・ノートン、訳/林容吉、岩波書店)

日本ではコロボックルという名前を聞いたことがある人もいるかもしれません。こちらはイギリスのお話。小さい人たちは「借りぐらしの人たち」と呼ばれています。いなかのほうの、古い静かな家を好んで住んでいます。

そういった古い家の床下には、もしかしたら・・・・・・。小人の冒険シリーズとして、5冊あります。また、アニメ「借りぐらしのアリエッティ」の原作にあたります。

読書する男の子と女の子

 

 こちらは、小人の国を訪れた人の物語。『ガリヴァー旅行記』(作/J・スウィフト、訳/坂井晴彦、画/C・E・ブロック、福音館書店)

主人公は船医として世界各地を航海していたガリヴァー。南太平洋へ向かって航海中に、嵐にあって、どこだか知れない海岸にたどり着きます。そして疲れて草の上に横になり、眠ってしまいます。

目を覚ますと、ガリヴァーはびっくり! 身動きできなくなっていました。何本もの細い糸で地面にしっかりとしばりつけられていたのでした・・・・・・。

ガリヴァーは小人国リリパットのほかにも、大人国ブロブディンナグ、飛ぶ島ラピュータ、日本など、さまざまな不思議な国を見て歩きます。

ガリヴァー旅行記

『ガリヴァー旅行記』(初版、1726年)/ Public domain (Wikimedia Commons)

 

大きさの違いで、見ているものや体験はそれぞれちがってきますね。ちいさいころ大きいと思っていたものが、大きくなってみるとそうでもないと思えたり・・・。どちらも自分の体験ですけどね。

おわり

紹介した本

『ちいさなちいさなおんなのこ』(文/フィリス・クラシロフスキー、絵/ニノン、訳/福本友美子、福音館書店

『ちいさいおうち』(文と絵/ばーじにあ・りー・ばーとん、訳/いしいももこ、岩波書店)

『ちいさなヒッポ』(作/マーシャ・ブラウン、訳/うちだりさこ、偕成社)

『小さいのが大きくて、大きいのが小さかったら』(文/エビ・ナウマン、絵/ディダー・ヴィースミュラー、訳/岩松宜子、岩波書店)

『床下の小人たち』(作/メアリー・ノートン、訳/林容吉、岩波書店)

『ガリヴァー旅行記』(作/J・スウィフト、訳/坂井晴彦、画/C・E・ブロック、福音館書店)

△ △ △

ふたたび本庄です。

ふと思ったのですが、「ちいさい」という言葉は、口にしてみると、何か小さいような音の感じがしますし、「おおきい」という言葉は、口にしてみると、大きいような感じがします。皆さんもそうお感じにならないでしょうか。日本語は不思議ですね。

 

今回の紹介の中で、私が知っていたのは2冊でした。「ちいさなヒッポ」は、見ているだけで心がほぐれてくるような、美しい木版画の絵本です。

 

「ガリヴァー旅行記」は、皆さんもご存知のことと思いますが、毒が十分に効いた、風刺小説の歴史的傑作です。あまりにもすごい出来なので、人間嫌いにならないように気をつけて読まなければなりません。

岩波文庫もキンドル版もありますが、福音館書店版も、有名な第一篇「リリパット国」(小人の国)だけでなく、ほぼ完訳のようです。小学生ですと、かなり高学年向けですね。

ジョナサン・スウィフトの肖像画

ジョナサン・スウィフトの肖像画(1718年) チャールズ・ジャーヴァス作 / Public domain (Wikimedia Commons)

 

いずれも、改めて読んでみたくなりました。このような文章に出会うと、読みたい本が増えすぎて困ります。

 

下記は可児さんの、前回のブックトークの記事です。

参考記事:『ふしぎ・ふしぎ

 

また、お付き合いください。

 

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子供は歴史を繰り返す

2020年7月3日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

東京板橋は、きのうまでの数日雨が降り続いていましたが、今日やっと晴れ間が見えました。蒸し暑い一日になっています。

いかがお過ごしでしょうか。

 

さて、時をさかのぼります。地球に最初に生物が現れたのは40億年ほど前のことだと言われています。

生命が最初に誕生した場所については、深海の熱水噴出口だという説もありますし、地底だという説もあります。宇宙から飛来したという説さえあります。要するに、まだ詳しくは分かっていないようです。

 

地球の最初の生物は、ひとつの細胞からなる生きもの(単細胞生物)でした。

その後生物は進化によって複雑になっていき、21億年前には細胞の中心に核を持つようになり、8億年前には多細胞生物が誕生したと言われています。

ちなみに私たち人間は多細胞生物であり、体は約60兆個の細胞からなります。

 

地球の生物の歴史の初期には、ほとんどの生きものが海中で生きていましたが、約8億年前に地上で生きる植物が出現し、約4億年前には、地上で生きる動物である両生類が現れました。

最初の人類だとされるアウストラロピテクス(猿人)が出現したのは約200万年前で、20万年前に、私たちホモ・サピエンスが誕生しました。

 

話は変りますが、人間の母親の胎内で卵子が受精したとき、胎児は単細胞です。その後この細胞は分裂を繰り返し、胎児の体は複雑になっていき、受精から数えて平均266日で誕生します。興味深いことに266日は、月の満ち欠けの周期(朔望月:29.53日)のちょうど9回分にあたります。

人間の胎児(イラスト)

 

人間と月の満ち欠けには他にも多くの密接な関連があります。詳しく知りたい方は、次の本をお読みください(翻訳の文体がやや古風ですが・・・)。

 

電子書籍『ライフマップ- 宇宙バイオリズム活用法
(バラ十字会日本本部翻訳委員会)

電子書籍ライフマップ表紙

 

とても不思議なことに私には思われますが、胎児はこの266日の間に、人類の祖先がたどった歴史をおおむね繰り返します。

個体発生が系統発生を繰り返すという言い方がされることもあり、反復説と呼ばれています。

あまりにも不思議なことなので、数多くの証拠があるにも関わらず、いまだに「説」として扱われているようです。

 

たとえば、動物が陸上へ進出するとき、体の循環器系には大変化が必要でしたが、人間の胎児の心臓血管系には、受胎後30日~37日に、これと似たような大変化が起ります。無事に出産するために特に注意を払うべき時期として知られています。

 

個体発生が系統発生を繰り返すということは、人間だけでなく、ニワトリやアゲハチョウなどの他の生きものにも当てはまるという多くの証拠があります。

参考記事:『アゲハチョウの幼虫と進化

 

胎児が人類の歴史を繰り返し、他の動物がその系統発生の歴史を繰り返すのはなぜなのでしょうか。ずっと疑問に思っていたのですが、最近ある本を読んでいて解決したように思います。

おそらく、人体や他の生きものの体が完成するためには、それ以外に方法がないのです。言い方を変えれば、生物の体が完成した歴史の段階をひとつひとつ通過していくことだけが、それが作り上げられるための唯一の方法なのです。

 

さらに驚くべきことに、このような繰り返しは、生まれた後にも続くことが知られています。

つまり、ヒトが誕生した20万年前から現代までの意識の進歩と同じ段階を、個々の現代人は、生まれてから成人になるまでに繰り返します。

 

この進歩の各段階は、現代の多くの心理学者によって詳しく調べられていて、学者によって細部に違いがありますが、おおむね次のように区分されています。

1.原始的段階

2.呪術的部族的段階

3.呪術的神話主義的段階

4.神話的伝統的段階

5.合理的近代的段階

6.多元的後近代的段階

 

たとえば2の呪術的部族的段階に、人類は約20万年前に達しました。そしておおむね、四大河文明の成立期に、次の3の段階に移行しました。

この時期の人々の集団は、多くの場合シャーマン(呪術師)によって束ねられていて、自分と部族内の人たちだけが同じ仲間だと見なされました。シャーマンは魔法の力によって、天候を左右したり病を治したりすることができるとされました。

自然界のあらゆる事物は、人間と同じ感情を持っているとされました。たとえば火山は、何かに怒っていて他を攻撃したいので噴火するのです。このような自然観はアミニズムと呼ばれます。

 

現代では、子供は平均的には1歳頃に呪術的部族的段階の意識を獲得し、3~4歳頃に次の段階の意識へと移行します。

もうずいぶんと昔の私の思い出です。ちょうど今と同じ梅雨の頃のことでした。確か3歳だった息子が、窓ガラスの外側についた雨粒のひとつひとつを、家の中からずっと熱心に見ていたのです。

 

どうしたのと聞くと、

「あのね、みんな羽が生えていて、お空に飛んでいけるんだよ。」

と教えてくれました。

 

正直、「この感性は天才!」と思いましたが、おそらくそれは親馬鹿であり、この頃の子供の意識の典型的特徴なのです。

そして、後になってこのときのことを彼に聞いたのですが、まったく覚えていませんでした。

 

子供の意識の発達が次の段階に達すると、古い段階の意識とともに体験した過去の思い出は、心に拒絶されて、思い出すことができなくなってしまうか、新しい意識によって再解釈される結果、事実とは異なってしまうこともあります。

子供の時の記憶を、そっくりそのまま思い出すことが、多くの人にとって難しい理由です。

林の脇の階段を昇る子供

 

子供の意識の発達が、人類史の意識の発達を繰り返すと言うことは、驚きであると同時に、そこから多くの可能性が見えてくるような気がします。

 

この写真は熊本県山鹿市にあるチブサン古墳の壁画です。おそらく呪術的部族的段階にある人たちが残したものです。力強く迫ってくるような感じがしますが、何を表わしているのかはさっぱり分かりません。

チブサン古墳の壁画

チブサン古墳の壁画

 

この壁画の謎は、3歳頃の子供か、そのころの子供の意識を詳しく研究した心理学者が解釈することが、真の理解に近づくための良い方法に思われます。

 

また反対の方向に活用することも考えられます。現代でも過去の時代でも、その当時その社会が達していた意識の段階にまで、多くの成人が達します。しかし一部の人たちは、それを超えてさらに先にまで進みます。

そのような人たちを研究することによって、先の時代を予測することができます。

米国の心理学者アブラハム・マズローは、このような人たちを研究した草分けにあたります。

特に、「人類の師」と呼ばれたようなごく少数の歴史上の天才は、その時代よりはるかに先の意識レベルに達していたようなのです。

 

前回の記事でお話ししたように、次の時代では、人間は他の生きものたちを自分たちの同胞と見なすようになり、他の動物の一部に教育を提供するようになるかもしれません。

この予測の根拠のひとつは前回ご紹介した人類の「自己中心性の減少」です。

参考記事:『歴史の転換点

 

さらに、「人類の師」と呼ばれる人たちの次のような言葉がそれを裏付けているように思われます。

 

「人間が、他の生きものを無慈悲に殺し続ける限り、人間は、健康も幸せも決して知ることがない。人間は動物を殺し続ける限り、互いに殺し合うからである。」(ピュタゴラス)

「『他の生きものもわたくしと同じであり、わたくしも他の生きものと同じである』と思って、わが身に引きくらべて、生きものを殺してはならぬ。また他人をして殺させてはならぬ。」(ゴータマ・シッダルタ)

 

皆さんは、これらの言葉について、どのようなことをお感じになるでしょうか。

 

今回も、やや長くなりました。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。

今日はこの辺りで。

 

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成功について

2020年6月26日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

梅雨のこの時期は毎年、ベランダの鉢植えにアオムシがつき、退治に追われます。レモンには必ずアゲハチョウの幼虫がつき、クチナシには必ずスカシバガの幼虫がつきます。反対は一度もありません。不思議です。

 

新型コロナのニュースで落ち着きませんね。いかがお過ごしでしょうか。

 

当会のフランス代表が自身のブログに、「成功」をテーマにした文章を投稿していますので、ご紹介いたします。

あなたが、今、最も成功したいと思っていることは何でしょうか。

▽ ▽ ▽

記事:「成功について」

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

 

子供には、人生の極めて初期から成功と失敗という観念が教え込まれます。子供たちが歩くことや話すことに成功すると、次は学校生活で成功したり、スポーツなどのクラブ活動で成功したりすることが求められます。

言い換えれば、多くの大人は子供に、勉強やスポーツで良い結果を残すことを期待します。そして、うまくいったときには褒め、そうでなかったときには叱ります。このようにして子供の競争心が刺激され、その結果、競争心が潜在的な形で心の中に存在するようになります。

そしてついには、成功することとは、他の人に比べて自分が優れていることを示すことだと考えるようになります。

運動会の徒競走

 

社会的成功について

ご存知の通り、「出世」という社会的成功のことがたびたび話題にされます。出世とは一般的に言えば、尊敬されたり称賛されたりするような職業に就き、十分な収入を手にして、(きわめて)高い生活水準を達成することだとされます。

そのような立場を手に入れた人の一部は、そのことに誇りを感じ、それを「外的な豊かさ」によって示します。言い換えればそのような人は、自分の手に入れたものをまるでそれが最も重要なものであるかのように誇示することがあります。

そのような行ないは極端な場合には、謙虚さや自制心を欠いた振る舞いに感じられます。

大きな窓を見つめながら思索するビジネスマン

 

出世するのは悪いことでしょうか。いえ、誠実さを欠く方法や不正な行いによって出世したのでない限り、そうは言えないと私は思います。ちなみにこのことに関連していますが、お金自体に、他の物質的な所有物よりも否定的な性質があるわけではありません。

しかし問題なのは、お金が人生の目的になり、それを得るために最も基本的な倫理観が犠牲にされてしまう場合です。

「ビジネスで成功する」人の中には、時として指摘されるように、基本的な道徳意識を投げ捨てることを躊躇(ちゅうちょ)せず、他の人や社会を犠牲にして金銭的な利益を手に入れようとする人がいます。

このような人たちは、自身の道徳意識を犠牲にすることを自覚した上で行っているのでしょうか。多くの場合、そのように思われます。「欲望」の影響力は極めて強く、良心の声には耳が傾けられなくなってしまうようです。

山頂で虹と日の入りを見つめる登山者

 

人生での成功

社会的な成功よりも、「人生での成功」のほうが好ましいことだと私は感じます。「人生での成功」という言葉で私が意味しているのは、有益な経験、楽しいできごと、美しい出会い、有意義な達成、ワクワクするような計画などで日々の生活を満たすことです。

仕事の成功を乾杯で祝うビジネスマンたち

 

それは、何かを手にすることよりも人生そのものの方が重要だと考え、人と人の絆、自然界と人の絆を特別な恩恵だと見なすことです。

人生についてのこのような取り組みを選ぶ人は、多くの場合、すべての人を尊重する人であり、自分だけでなく多くの人がともに幸せであることを望み追求します。また、社会の中で自分が高い地位を得ることよりもむしろ(それ自体は否定されるべきことではありませんが)、すべての人の利益のために事態を改善することに努めます。

このような人が権力を握ると、それを乱用するのではなく、できるだけ多くの人のために役立つように行使することに努めることでしょう。

 

バラ十字哲学の観点から言うと、人生での成功には、内面的な進歩を遂げることが含まれます。

人間は、物理的な身体と日常用いているような精神だけからなる存在ではありません。人間にはソウル(魂)という要素があります。そして、バラ十字哲学の考えでは、この地上で人間が生きる最大の意義は、魂を内面的に進歩させるということです。

人間の魂(そしてすべての生きものの魂)は潜在的な性質としては完全無欠ですが、何度も地上に生まれ変わって徐々に進歩し、「英知という状態」に達し、完全さを外に表わすことができるようにならなければなりません。このことが魂に定められている務めであり運命です。

折々の人生で経験を積むことによって、魂はこの意味で自体を完成させることができ、親切、謙虚さ、忍耐、非暴力などの「徳」を表現できるようになります。

このことを基礎に考えると、人生での成功とは、内面的な進歩のために人生経験を役立てることであり、一方で、物質の世界が与えてくれる喜びと楽しみという恩恵を十分に活用して、他の人たちを尊重し、他の人たちと交流することだと言うことができます。

 

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

△ △ △

ふたたび本庄です。

 

「人生での成功」(reussir sa vie)という部分は、どうも良い翻訳ができなくて申し訳なかったのですが、言い訳をすれば、フランス語の「vie」には人生という意味と生活という意味の両方があります。

 

それはそれとして、生活を楽しむことと内面的に進歩することの両方を、子供が心から大切に考えるように導く教育ができたとしたら、どれほど素晴らしいことでしょうか。

このような教育が広まったら、世界はきっと今よりもはるかに幸せな場所になるのではと思います。

 

下記は前回のセルジュ・ツーサンの記事です。人の幸せと不幸を左右するような偶然というものが存在するかどうかということが話題にされています。

記事:『偶然について

 

では、今日はこのあたりで。

また、よろしくお付き合いください。

 

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文字禍

2020年6月12日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

東京板橋は、真夏を思わせる強い陽射しになっています。

いかがお過ごしでしょうか。

 

このブログは、掲載を始めてから6年半ほどになりますが、今回のタイトルはひらがなで3文字と、今までで最短です。

札幌で当会のインストラクターを務めている私の友人からの寄稿をご紹介します。

 

▽ ▽ ▽

文芸作品を神秘学的に読み解く(22)

『文字禍』(もじか) 中島 敦

森和久のポートレート

森 和久

 

「文字の霊などというものが、一体、あるものか、どうか」。この一文で物語は始まります。皆さんはどのようにお考えになりますか?

 

時は紀元前650年頃、場所はアッシリアのニネヴェの宮廷。「毎夜、図書館の闇の中で、ひそひそと怪しい話し声がするという」。不逞の輩の陰謀ではないようだし、これは書物か文字の話し声に違いないということになり、王国を脅かすものではないかと、アシュル・バニ・アパル大王は、家臣の巨眼縮髪の老博士ナブ・アヘ・エリバへ、このことについての調査研究を命じます。

アッシリアの壁の浮き彫り

アッシリアの壁の浮き彫り

 

老博士は文字の霊の存在を確かめるべく数多の書物に当たりますが、手がかりは見つかりません。そこで自力で解決しようと、文字を凝視・静観することを試みます。すると、「いつしかその文字が解体して、意味の無い一つ一つの線の交錯としか見えなくなって来る。単なる線の集りが、なぜ、そういう音とそういう意味とを有(も)つことが出来るのか、どうしても解らなくなって来る」。このような情況に陥ります。

 

現在ではこの現象を「ゲシュタルト崩壊」(Gestaltzerfall)と呼んでいます。ゲシュタルト崩壊とは、図形などを見ればそれが何であるか知覚できるのに、注視し続けると全体的印象が崩壊し判らなくなってしまう症例です。これが健常者であっても文字などを注視し続けると全体像が崩壊し認知の衰退が起こるということです。皆さんも経験したことがあるのではないでしょうか。この作品が書かれたのは1942年ですが、ドイツ人神経学者V・C・ファウスト(V. C. Faust)がゲシュタルト崩壊と名付けた論文を発表したのは1947年のことです。

老博士は、「魂によって統べられない手・脚・頭・爪・腹等が、人間ではないように、一つの霊がこれを統べるのでなくて、どうして単なる線の集合が、音と意味とを有(も)つことが出来ようか」と、この現象は文字の霊の存在に因るものに違いないと思います。そして、調査を続けます。多くの聞き取り調査の結果、文字を覚える前と後では、その人に大きな変化があったことが分かります。ほとんどの人は文字を覚えた後、能力が衰えていたのです。老博士は、「文字ノ害タル、人間ノ頭脳ヲ犯シ、精神ヲ痲痺セシムルニ至ッテ、スナワチ極マル」と書き記します。

楔形文字

楔形文字

 

老博士の見解は次のようなものです。一つは、「埃及(エジプト)人は、ある物の影を、その物の魂の一部と見做しているようだが、文字は、その影のようなものではないのか。」

これは古代ギリシアの哲学者プラトンが述べたことにも相通じるでしょう。天上に在りて神が造ったもの(=イデア=実在)があり、職人はそれをまねて作るに過ぎず、さらにそれを絵に描いたり物語にしたりする人は、真実からさらに遠ざかっているということです。また、真似(まね)の術は「我々の内にある低劣な部分」と同調するとします。そして作家や詩人は卑怯・未練の友である感情に訴えるので劣悪なものであるとプラトンは述べています。(『国家』第10巻)

 

二つ目は、「文字の無かった昔、ピル・ナピシュチムの洪水以前には、歓びも智慧もみんな直接に人間の中にはいって来た。今は、文字の薄被(ヴェイル)をかぶった歓びの影と智慧の影としか、我々は知らない。」ということです。

これはジュリアン・ジェインズ(Julian Jaynes)による説『二分心』(Bicameral Mind)と共通します。意識は言葉に深く根ざしているため、人が言語能力を持たない段階では意識はなかったということです。そのため古代人は直接神々の声を聴く心を持っていたという仮説で、1976年に発表されました。

最後に、老博士は「人々は、もはや、書きとめておかなければ、何一つ憶えることが出来ない。文字が普及して、人々の頭は、もはや、働かなくなったのである」という結論に至ったのです。

 

また『歴史』ということについての老博士の考えは、「歴史とは、昔在(あ)った事柄で、かつ粘土板に誌(しる)されたものである。この二つは同じこと」で、「書かれなかった事は、無かった事」ということです。

現在においても、「検閲」―「黒塗り」―「焚書」ということが行われます。上記のことそのものではないでしょうか。今の社会や日常でも文字化されたことが絶対的に効力を持ち、約束も承諾も文字によることが優先されています。また逆に「言葉狩り」というのも文字の権力を畏れる行為なのではないでしょうか。文字の奴隷になってしまったかのようです。抗(あらが)おうとしても搦(から)め捕(と)られてしまって無力感に苛(さいな)まれてしまいます。

 

老博士はゲシュタルト崩壊が文字以外のあらゆる事柄にも起こっていることを突き止めます。例えば、一軒の家も人間の身体もじっと見つめ続けると細部に分析され集合体としては受け入れられなくなるのです。さらには目に見えるもの以外も同じことが起こり、人間生活自体も怪しくなることに気付きます。そしてこれは文字の霊の仕業に違いないと確信します。

一歩進めて考えると、五感もあるものの振動を変換し認識したつもりになっているに過ぎないのではないでしょうか。神秘学の教えに「宇宙鍵盤」というものがあります。要は全ての存在は、物質も音も光も精神も何もかも、その固有の振動数の違いに過ぎないということです。宇宙から発せられるエネルギーの一部ということです。

作中に、ある書物マニアの老人の話が出てきます。彼は文字になったことはすべて知っていて、しかし、それ以外は知らないという人物です。彼は文字を読みすぎたせいで、心も体もまともに働かなくなってしまいました。ところが彼は、人が羨むほど幸福そうに見えるのです。文字の魔力のなせる技のようです。

 

バラ十字会AMORCでは、文字を使った論文教本で考えを伝えていますが、『象徴』や『不可視の存在』の重要性も強調されています。物事の本質を捉えるには文字だけでは不十分なのです。

文字の禍(わざわい)に気付き危機感を覚えた老博士は大王に進言します。「アッシリアは、今や、見えざる文字の精霊のために、全く蝕まれてしまった」。このままでは祖国が滅んでしまいますと。ところが、当時一流の文化人たる大王の逆鱗に触れ、その結果、老博士は無残な最期を迎えることになります。

△ △ △

ふたたび本庄です。

『文字禍』は青空文庫に収録されていますので、インターネットで検索して無料で読むことができます。

中島敦(1940年頃)

中島敦(1940年頃) (from Wikipedia, Unknown author / Public domain)

 

私も読んでみましたが、不思議な語り口の文章です。

最初の数文を読むと、どうも続きが気にかかってきます。

 

さらに少し読み進めると、何だかこの内容は自分にとってプラスになるというよりは、微妙な毒が含まれているのかもしれないと思えてきます。

しかし、その毒のようなものと文体の心地よさに、読むのが止められなくなってきます。

また、文字の害として主張されていることは、どう考えてもフィクションなのにも関わらず、もしかして本当のことではと思えてきます。

 

皆さんも、中島敦さんの手練手管(死語?)に、どうぞやられてしまってください。

 

下記は、森さんの前回の記事です。こちらも怪しさたっぷりです。

記事:『平行植物

 

では、今日はこのあたりで。

また、お付き合いください。

 

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歴史の転換点

2020年6月5日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

東京板橋では、蒸し暑い日が続いています。

東京アラートが発令され、レインボーブリッジも都庁も赤くライトアップされています。

東京にお住まいの方も、そうでない方も、どうか気をつけてお過ごしください。

 

さて、5日前のことですが、日曜美術館というNHKの番組で、芸術の専門家の方々が、新型コロナウイルスに揺れる今こそ見てほしいと思う作品を視聴者に紹介する、アートシェアという企画を行っていました。

その中で、東京都港区にある森美術館の館長の片岡真美さんは、ヴォルフガング・ライプというドイツのアーティストの『ヘーゼルナッツの花粉』という作品を取り上げていました。

この作品は2013年にニューヨーク近代美術館で発表されたものですが、実に奇妙なものです。彼が20年かけて集めたヘーゼルナッツ(ハシバミ)やタンポポの花粉を、灰色の床に敷き詰めて作った、一辺が6メートルの黄色い正方形です。

私は初めてこの作品のことを知ったのですが、自然界とは何かという問いを突きつけられる、不思議なものでした。

タンポポの花粉を集めるハチ

 

ヴォルフガング・ライプさんは、この番組に合わせて、日本の視聴者にメッセージを送りました。以下はそのメッセージの小野正嗣さんによる翻訳です。

 

『花粉を集める』

「来る日も来る日も、何週間もタンポポの草原に座り、この上なく集中して激しく、時間も我も身も心も忘れて、信じがたく思いもよらない世界の危機と混乱のただなかで、」

「ひどい病にかかり死に行く数多くの人々。新しい疫病? 600年前のような疫病が再び起こるなんてとても想像できなかっただろう? 今この私たちの生活の中に。そばに。」

「それでもなお、危機は大きければ大きいほど人類に新しい未来をもたらし、どこかほかの場所へ向かい何かを見つける手助けをしてくれた。想像し得たもののかなたに私たちは見つける。新しいありようと生き方を。」

「私たちが望むものと、私たちが人生に望むもの。大切なこととそうでないこと。慎ましさ、謙虚さ。自分自身とほかの人たちに対する、世界に対する、自然に対する、宇宙に対する全く違う関係。自分自身と世界への異なる願い。新しい未来の新しいビジョン。」

未来都市の想像図

 

芸術家の直観が、とても重要な何かを訴えているとお感じになるのではないでしょうか。

「600年前の疫病」とはペストのことでしょう。この病気の流行は14世紀から17世紀末まで続いたそうです。

17世紀末といえば、ヨーロッパでは封建領主が農奴を支配していた頃で、日本では江戸幕府による幕藩体制がしっかりと確立した頃です。

そしてペストの流行が下火になったころから、ヨーロッパで近代という時代への変化が一気に加速しました。

 

アブラハム・マズローという心理学者の言葉を借りれば、600年前の人間の心を支配していたのは「承認の欲求」でした。つまり、慣習に従順に従い、あらかじめ定められている家庭的・社会的役割を果たすことによって、他の人から承認されることが生きる意味だと、ほとんどの人が考えていたのです。

農民であれば作物を育て収穫する。職人であれば工芸品を作る。軍人であれば戦う。女であれば男に従い、妻であれば子供を産み育てるという役割だけが、人が自分の存在する意味であると考えられていたわけです。

想像してみてください。何と堅苦しい慣習社会でしょうか。

 

参考記事:「人生の学習 ― マズローの心理学

 

600年前の当時、人々は、自分と家族と同族の人たちだけにしか関心を持っていませんでした。米国の思想家のケン・ウィルバーの言い方を借りれば、自分と神話を共有している人しか、人間とは見なしていなかったのです。

たとえば、当時のヨーロッパのキリスト教徒の大部分は、他の宗教の人たちが悲惨な生活をしようが地獄に落ちようが、同情どころか関心も示しませんでした(今ではもちろん、そうではありません)。

現代人の目から見ると、何と不寛容な、不幸な世界だったことでしょうか。

しかし人類の歴史は、「自己中心性」が減る方向に、つまり多くの人たちが、自分と同胞だと考える人たちの範囲が広がる方向に進んできました。

 

当会の宣伝になってしまいますが、当時のバラ十字哲学に強く影響を受けたデカルト、フランシス・ベーコン、コメニウス、ライプニッツのような思想家と、他の多数の思想家の貢献によって、その後の人間の意識には革命的な進歩が起こり、その結果として、近代科学、近代産業、近代社会、近代国家が成立しました。

人間の心理には、マズローの言葉を使えば、「承認の欲求」に「自己実現の欲求」が取って代わるという変化が起きました。役割ではなく個人が重視されるようになり、それと同時に、自民族中心の考え方が世界中心の考え方に変わりました。

草原と謎のドア

 

この変化の影響は計り知れないほど大きなものでした。

自分の神が唯一の神ではなく、自分の集団が唯一の集団ではなく、自分のイデオロギーが唯一のイデオロギーではないと多くの人が考えるようになりました。

すべての人が役割に関わらず、つまり人間として存在しているということが理由で、人種、性別、信条にかかわらず等しく尊重されるようになりました。

奴隷制が廃止され、多くの国で、すべての人に選挙権が与えられました。教育を受ける権利、機会の平等、幸福を追求する権利がすべての人にあるとされ、保証されました。

日本ではまだ不十分なようですが、ビジネスでも政治でも他の分野でも、男性と同じように女性が重要な役割を果すようになりました。

 

今や、物理学や数学や他の多くの分野の科学研究や、「はやぶさ2」のような宇宙探査では、世界中の人たちがすでに当然のように、密接に協力し助け合っています。

他国で起こっている飢餓や他の不幸に、世界中の人たちが注目し、さまざまな支援団体が活動しています。

身体に障害を持つ人たちが、そうでない人たちと同じように社会生活を送るための支援も充実してきました。

性的マイノリティーの人たちへの差別も以前よりはひどくなくなり、誰もが自分自身の選択によって自分の望む生き方をすることが、できる方向に変化しつつあります。

 

もちろんそうはいっても、現在の世界がとても望ましい状況にあるわけではありません。不安が原因で心理的に退行し、人類がここまで進んできた「自己中心性の減少」というこの流れを後戻りしてしまう人たちもいます。

それどころか、21世紀前半の現在、さまざまな矛盾が山積みになり、世界は新しい変化を必要としています。

つまり歴史は繰り返し、ペストが流行していた17世紀と同じように、人類は「歴史の転換点」を迎えています。

バラ十字会の見解では、私たちや私たちの子孫が明るい未来を迎えるために特に重要なのは、精神性の重視(spirituality)と人間の尊重(humanism)と環境保護(ecology)です。

逆の視点から言えば、現在特に問題なのは、物質主義(唯物論)、他の人に関心を失うことと差別、環境破壊です。

 

参考:マニフェスト(宣言書)「バラ十字友愛組織からあなたへの訴え

 

この中でも物質主義(唯物論)は、特に大きな害を放ち続けています。異論をお持ちになる方もいらっしゃることと思いますが、脳波は心ではありませんし、オキシトシンは愛ではありませんし、人工知能(AI)は役に立つこともありますが意識も良心も持ちません。

峠道と道しるべ

 

先ほどの、「ヘーゼルナッツの花粉」の作者のメッセージに戻ります。それは、こう締めくくられていました。

「自分自身と他の人たちに対する、世界に対する、自然に対する、宇宙に対する全く違う関係。自分自身と世界への異なる願い。新しい未来の新しいビジョン。」

私は、この「新しい未来の新しいビジョン」がどのようなものなのかを考えることを、実にワクワクする作業だと感じます。

 

今までお話してきた、慣習社会から近代・現代社会への変化をもとに類推すると、きっとこれから起こる変化は、私たちの想像がほとんど及ばないほど徹底的なものになることでしょう。

前回のように400年まではかからないと思いますが、この変化がある程度進んだとき、人類は、どれほど幸せな時代を迎えることでしょうか。

未来の人たちは、21世紀の前半の国際社会や社会の階層間に見られた対立と分断のことを、極めて堅苦しい、不寛容な、不幸な世界だったと感じることでしょう。

 

マズローの研究に沿って考えると、多くの人の欲求が、「自己実現」から「自己超越」に取って代わるように思われます。

ケン・ウィルバーは、科学が果たしてきた役割を、神秘学(mysticism:神秘主義)が果たすようになると予測しています。

 

参考記事:「私の体は私なのか? 宗教嫌いの日本人が知るべき『神秘学』という幸福論」(MAG2NEWS)

 

日本では奈良時代から研究されていた唯識思想には、「心内の影像を心外の実境と見るな」という言葉があります。

宇宙はマクロコズム(macrocosm:大宇宙)、自然界はメソコズム(mesocosm:中宇宙)、人間はミクロコズム(microcosm:小宇宙)と呼ばれることがあります。

自然界の一部ではなく全体が、体験的には自分と同一であり、そこには〈愛〉があふれているという“悟り”を、多くの人が得ることになるのかもしれません。

 

参考記事:「陰陽思想と一元論について

 

これらのことは推測ですが、人類の歴史がこれからも、「自己中心性」が減る方向に変化していくのは間違いのないことに思われます。

このことはおそらく、宇宙の進歩を司っている普遍的法則に相応しているのでしょう。

そして、ペットを飼っている人たちは特に強く賛同してくださることと思いますが、人類は他の生きものたちも、自分たちの同胞と見なすようになるでしょう。

人類は、動物の一部が持つ“文化”から多くを学ぶことになるでしょうし、他の動物たちに教育を提供するようになるかもしれません。

 

21世紀を生きている私たちと、これから生まれてくる人たちには、このような壮大な世界の変化に、直接貢献するチャンスがあります。

この変化のためには、バラ十字哲学や最新の心理学、日本の伝統の中では、唯識思想、禅宗、西田哲学、大森荘蔵の哲学が特に役に立つのではないかと私は考えています。

 

若い人たちにお願いがあります。どうか今回ご紹介したようなことについて、そして子供の教育について、勉強し、思索し、瞑想してください。常識にとらわれずに勇気を持って進んでください。人類が明るい将来を迎えるために、あなたの力が必要とされているのですから。

 

少し長くなりました。今日はこの辺りで。

またお付き合いください。

 

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