公式ブログ

視点

2019年12月13日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

本格的に寒くなってきました。鍋やおでんの恋しい季節ですね。

いかがお過ごしでしょうか。

 

岐阜で小中学生に読書の楽しさを紹介するブックトークというお仕事をされている、私の親しい友人から寄稿をいただきましたので紹介させていただきます。

▽ ▽ ▽

ブックトーク「視点」

可児明美

可児 明美

可児 明美

 

物事は視点を変えてみると、全く違った世界が広がったりしますね……。

 

わたしは、私だけれど。おとこのこからみると おんなのこ

あかちゃんからみると おねえちゃん

…おかあさんからみると むすめのみちこ……

 

『わたし』(谷川俊太郎ぶん かがくのとも傑作集 福音館書店)には、いろんな人から見た「わたし」がいます。たくさんの「わたし」をみてみましょう。

 

いろいろな人からみた『わたし』がいましたが、今度は、いろいろな角度から「あるもの」をみてみたら……

 

ペルシャの大金持ちの商人アフマドが、とてつもなく大きくて不思議な生き物をインドから連れてきました。うわさはとたんに村中にひろがります。興味津々の村人たちは、その生き物がいる倉の前に集まってきました。

蔵の中は暗くてなにもみえません。村人たちは、それを知りたくてひとりずつ蔵の中にもぐりこみます。最初の村人は、ヘビのようだったといいました。次の村人は、木の幹みたいだと言います。その次の村人は、うちわのようだと言いました。

…さあ、この生き物とは、いったいなんだったのでしょうか? そして村人たちは、真実を知ることができたのでしょうか? 『くらやみのゾウ』(ミナ・ジャバアービン再話、評論社)

 

 

次は、モノの内部がどうなっているか見てみましょう。『中をそうぞうしてみよ』(佐藤雅彦+ユーフラテス、福音館書店)木製のいす。ページをめくって中をみてみると……20本の釘がつかわれているのがわかります。包丁も、中をすかしてみると……。

他にもマトリョーシカ、ボールペンなど次のページで内部の様子がわかるようになっています。いろいろな身のまわりの物の中身を想像してみるのも、楽しいかもしれませんね。

マトリョーシカ

 

手探りで不思議な生き物を探ってみたり、モノの内部を透視してみたりしましたが……ふつうに見る場合でも、実際には違って見えることがあります。

『視覚ミステリーえほん』(ウォルター・ウィック著、あすなろ書房)は、さまざまな錯覚が紹介されています。こちらからは三角形にみえているのに、実は……。

箱にみえていたものが、実は……。錯覚のふしぎな世界を体験してみてください。

 

正義の味方からみたら、敵は悪者だけれど……。

『パパのしごとはわるものです』(板橋雅弘 作、岩崎書店)は、学校の宿題でおとうさんのしごとを調べることになった男の子が、こっそりパパのしごと場についていったおはなし。

男の子のパパは、なんとプロレスの悪役ゴキブリマスクだったのでした! ゴキブリマスクがやっつけられている時、みんなが大喜びしていても、男の子は喜べませんでした。だって、ゴキブリマスクは悪ものだけど、パパだから。

…最後に男の子は、おとうさんのしごとについてどんな感想を書いたでしょうか。

ハイキングしている父と子

 

今までとは違った視点で、世界を広げてみるのも面白いかもしれませんね。

おわり

 

紹介した本

『わたし』(谷川     俊太郎ぶん かがくのとも傑作集 福音館書店)

『くらやみのゾウ』(ミナ・ジャバアービン再話、評論社)

『中をそうぞうしてみよ』(佐藤雅彦+ユーフラテス、福音館書店)

『視覚ミステリーえほん』(ウォルター・ウィック著、あすなろ書房)

『パパのしごとはわるものです』(板橋雅弘 作、岩崎書店)

△ △ △

ふたたび本庄です。

最後の本、『パパのしごとはわるものです』のところを読んで、職場で吹き出してしまいました。

調べてみたところ、この本と続編の『パパはわるもののチャンピオン』は映画化されて、昨年の9月に公開されています。主役のゴキブリマスクは、新日本プロレスの棚橋選手だとのことです。

ほのぼのとした話が大好きなので、絵本を買おうかDVDを見ようか、悩んでいます。

 

下記は可児さんの、前回のブックトークの記事です。

参考記事:『秋の実り

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

また、お付き合いください。

 

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洞窟の比喩

2019年12月5日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

時間の経つのは何と早いことでしょうか、今年も師走がやってきました。

いかがお過ごしでしょうか。

 

さて、古代ギリシャの哲学者プラトンは、西洋哲学の源流のひとりとされています。あまりにも偉大なため、「西洋哲学の歴史とは、プラトンの哲学への膨大な注釈である」とさえ言われることがあります。

今回の話題は、プラトンが『国家』という本の第7巻に書いている「洞窟の比喩」という奇妙なたとえ話です。

 

前回のブログでは、当会のフランス本部代表の文章を紹介して、「宇宙の愛」が神秘学(mysticism:神秘哲学)の核心と関わっていることをご紹介しました。人気記事になり、多くの人に呼んでいただくことができました。

参考記事:『宇宙の愛

 

「洞窟の比喩」も同じように、神秘学の核心と「愛」に深く関係しています。

 

このたとえ話は演劇のような構成をしており、プロローグ、第1幕、第2幕、第3幕に分けることができます。

プラトンの著作の大部分は対話形式で書かれていますが、この話も、プラトンの兄であるグラウコンとプラトンの師にあたる哲学者ソクラテスの対話として進んでいきます。ソクラテスはこう語り始めます。

「地下の洞窟に住んでいる人々を想像してみよう。明かりに向かって洞窟の幅いっぱいの通路が入口まで達している。人々は、子どもの頃から手足も首も縛られていて動くことができず、ずっと洞窟の奥を見ながら、振り返ることもできない。入口のはるか上方に火が燃えていて、人々を後から照らしている。火と人々のあいだには道があり、道に沿って低い壁が作られている。……壁に沿って、いろいろな種類の道具、木や石などで作られた人間や動物の像が、壁の上に差し上げられながら運ばれていく。運んでいく人々のなかには、声を出すものもいれば、黙っているものもいる。」

Hoehlengleichnis

縛られ壁に向き合った人々は、影だけを見てそれを実体だと思い込んでいる。  by Liquidian [CC BY-SA 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/)]

 

分かりやすいのでイラストを見てほしいのですが、青色や緑色の服を着た人たちが、人間や動物の模型を上にかざしていて、その影が影絵のように洞窟の奥の壁に映っています。縛られて壁の方向だけしか見ることができない薄茶色の服を着ている人は、子供のときからこの影絵だけしか見ていないわけです。

そして、洞窟の中で囚人のように暮らしている人たちは、壁に映っている影のことを世界のすべてだと思っています。これは何の比喩かというと、五感によって知覚している世界が、世界のすべてだと勘違いしている人のたとえです。

 

ピンとくるでしょうか。たとえば、私の目の前には今、事務机があり、その上にはパソコンのモニター画面があり、その向こうには薄茶色のカーテンが見えています。事務所の外は中山道で、車が通る音が聞こえています。

今、あなたの周囲には何が見え、どのような音が聞こえているでしょうか。プラトンは、それらすべてが、薄暗い洞窟の壁に映った影絵のようなものであると言っているわけです。

哲学の用語では、私たちが日常見て知っている世界のことを「現実」、誰かに目撃されている目撃されていないに関わらずそこにある世界のことを「実在」と呼んでいます(別の定義もあります)。

 

では、現実と実在はどのように違うのでしょうか。まず、私たち人間の感覚器官には、紫外線を見たり、超音波を聴いたりすることができないという能力上の制約があります。

第2に、少し難しくなりますが、空間と時間というのは、人間が世界を理解するために用いている枠組みであり、実在にはないということが言えます。つまり、実在は時のない永遠であり、空間のない遍在(へんざい)です。

第3に、私たちは世界を、自分自身と外界に分けて考える習慣があります。つまり心と物の2つが世界にあると感じています。これが自分中心に世界を解釈する傾向の原因になっています。しかし世界は本来、そのような2つに分裂しているわけではありません。

これらを踏まえたとき、実在とはどのようなものかを想像してみていただきたいのです。

 

日常見ている世界が、ほんとうの世界ではないのではないかと感じること。それは、神秘学だけでなく哲学の根本だと言われることがあります。

極端に言えば、この疑問を持たなければ、哲学という道の第一歩を踏み出すことができないというか、第一歩を踏み出すことすら思いつかないのです。

そして、神秘学は実在探求の道だと言われることがあります。

 

学生時代に読んだ、ある哲学の入門書の冒頭には、次のようなアドバイスが書かれていました(とても素晴らしい、確か新書版の本でしたが、題名を忘れてしまいました。この本の題名が分かる人はぜひ教えてください)。

「朝、まだ太陽が昇る前の朝露に濡れた野原を訪ねてください。そして、まだ誰にも目撃されていない自然をそっと盗み見てください。自然はあなたにその秘密を明かしてくれることでしょう。」

私もこの本に感化されて、このアドバイスに従ったことがあります。しかし、自然が秘密を明かしてくれること、つまり実在を感じることはありませんでした。

謎めいた言い方をするならば、私が自然の秘密を見破る前に、自然が私の軽薄さを見破ったのです。

 

今思えば、準備が必要だったのです。リラックスと集中を同時にできるようにする準備と、とらわれを捨てる、つまりエゴをそぎ落とす準備です。

そのような練習を行った上で、子供のような目で朝露に濡れた野原を見ることができれば、自然はその秘密を明かしてくれることでしょう。

朝露に濡れた野原

 

話を戻します。

「洞窟の比喩」の第一幕にあたる部分では、先ほどの囚人のひとりが縛(いまし)めを解かれます。彼は立ち上がって、首を巡らし、洞窟の入り口にある火の光を仰ぎ見ることを強制されます。強い光に目がくらむので、それはたいへんな苦痛です。

「おまえが以前に見ていたのは、愚にもつかぬものだった。しかしいまは、おまえは以前よりも実物に近づいて、もっと実在性のあるもののほうに向かっているのだから、前よりも正しく、ものを見ているのだ」(『国家(下)』、プラトン、岩波文庫)とある人が彼に語っても、彼は困惑して、以前見ていた影の方が真実であると考えます。

アテナイの学堂(ラファエロ作、部分)

アテナイの学堂(ラファエロ作、部分):中央左のオレンジ色の服を着た人がプラトン、左寄りのうぐいす色の服を着た人がソクラテスだとされる

 

次の第2幕にあたる部分では、その囚人は少しずつ明るい光に馴れていきます。手を引かれ強制されて、いやいやながら、とうとう洞窟を出ます。そして、洞窟の外の自然の風景を見て、最後には、大空に輝いている太陽さえ見られるようになります。彼はここでこそ、人間は満ち足りた幸せな人生が過ごせることを確信します。洞窟の外の自然は、先ほどご説明した実在の比喩にあたり、人間は実在を認識したときにだけ、本来の生き方ができるという考えを表しています。

 

第3幕では、洞窟の外の自然を見た人が、仲間の囚人のところに戻ります。それは、自分が見て理解したことを仲間に説明して、彼らを外に連れ出し解放するためです。ところが、彼の仲間の囚人は、常識を外れた奇っ怪なことを言う彼を相手にせず、彼が仲間の一部を上の方に連れて行こうと企てると、彼を捕らえて殺そうとします。

プラトンの師であり、このたとえ話の語り手にされているソクラテスは、アテナイの人たちに哲学を教えたのですが、国の青年たちを堕落させたという罪状で死刑になりました。

「洞窟の比喩」のこの部分は、おそらくこのことも暗に語っています。

 

それはともかくとして、プラトンは紀元前4世紀という古代の哲学者であったにもかかわらず、この「洞窟の比喩」によって、驚くべきことを指摘しています。

それは、神秘哲学のような精神探究は、必ず2つの過程をたどらなければならないということです。

ひとつは、自分が上昇して実在を知るところにまで達する道であり、もうひとつは下降して日常に戻り、仲間のために尽くすという道です。

 

世界的な神秘学の研究家であった井筒俊彦さんは、古代ギリシャを扱った下記の名著を残していますが、その中で次のように書いています。

「創造的で健全な神秘主義は、常に必ず二面的である。神秘道は向上道と向下道の二面をそなえて初めて完成する。それは常に『往って還る』ものでなければならぬ。(中略)ただ往くだけで、もはや絶対に還って来ることがなければ、神秘主義は有害無益な独善主義にすぎないであろう。しかしながら、プラトンの衣鉢を継承した西洋神秘主義は、不幸にしてしばしばこの偉大な先師の遺訓に背き、その精神を裏切ったのであった。」(井筒俊彦著作集第一巻、『神秘哲学』、中央公論社)

 

プラトンは、エジプトに数年間滞在した後に、ギリシャのアカデメイアという土地に、その土地の名前を付けた自分の学校を作りました。この学校は「アカデミー」の語源になっています。

そこでは、実在探求はどのように行われていたのでしょうか。詳しくは分かっていないようですが、算術、幾何学、天文学などの学問を学ぶことが予備的な訓練であり、その後に哲学が教授され、実在を見るための実習が指導されたようです。

幾何学は、感覚ではなく思考と集中によって把握することができる世界を知る訓練になるとされました。

学校の広間の天井には、「幾何学を熟知していない者は、何人たりともこの場所に入ってはならない」という文が彫られていたそうです。

 

では、今日はこの辺で。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

また、お付き合いください。

 

付記:朝露に濡れた野原を訪れ、自然と世界の秘密を見破ることができるようになるための予備訓練に、もしあなたが興味をお持ちであれば、そして、明かされた秘密を自分だけでなく、他の人のためにも役立てたいとお考えであれば、バラ十字会AMORCが会員に提供している通信講座「人生を支配する」で、これらを効率的に練習することができます。下記のリンクから1ヵ月の無料体験をお申し込みください。

1ヵ月無料体験プログラムのご案内

https://www.amorc.jp/request/trial.html

 


宇宙の愛

2019年11月29日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

先日、40年前に卒業した高校の同窓会があり、近況報告で、ヨーロッパの神秘学(mysticism:神秘哲学)を学習する通信講座を仕事にしていると説明したところ、同級生の女性から、神秘学とは何かを説明せよと詰め寄られました。

このようなビッグ・クエスチョンに、ほろ酔いのときに的確に応えるのは難しいことです。まあ相手もそれほど本気ではないので、残念なことに、核心に触れることはできず、大まかな説明になってしまいます。

 

さて、今日ご紹介したいのは、当会のフランス代表が自身の人気のブログに、先週書いた『宇宙の愛』という記事です。このテーマは神秘学の核心に深く関わっています。

お読みいただく前に、この題名に含まれている「宇宙」という言葉について、いくつか補足の説明をさせていただくのが良いのではないかと思います。

 

宇宙にあたる英語には、ひとつには「ユニヴァース」(universe)があります。辞書を引くと、「地球や惑星や恒星などのすべてのものと空間の全体」と書かれています。この語の語源はラテン語の「ウニヴェルスム」(universum)で、「ひとつに結びつけられたもの」を意味します。

 

宇宙にあたる別の単語に、コスモス(cosmos)があります。この語は、「秩序と調和が現れているシステムとしての宇宙」を特に意味します。

ギリシャの哲学者ピュタゴラスによれば、主に2つの種類の宇宙、マクロコズム(macrocosm:大宇宙)とミクロコズム(microcosm:小宇宙)があります。

マクロコズムとは、通常言われているような宇宙全体のことを指しますが、マクロコズムは単なる物の集まりや空間という入れ物ではなく、そこには精神(心)があるとされます。

一方、ミクロコズムとは人間のことを指します。また、自然界はメソコズム(mesocosm:中宇宙)と呼ばれることがあります。

 

ハイキングをしたり、自然や人体の素晴らしさを紹介したテレビ番組を見たりしたときに、自然界や人体にも、星空に感じられるような崇高な秩序と調和が現れていると実感されることが、おありではないでしょうか。

以前にご紹介したことがありますが、ヘルメス文書のひとつであるエメラルド・タブレットには、「下にあるすべてのものは、上にあるものに似ており、上にあるすべてのものは、下にあるものに似ている。」と書かれています。

参考記事:「エメラルド・タブレットとは

 

この「下」とはミクロコズムのことで、「上」とはマクロコズムのことです。

この文の指摘に沿って考えると、人間が他の人たちや動物たちを愛するのと同じように、宇宙というシステム全体にも、自然界全体自体にも、その内部の要素を愛する傾向があることになります。

これが、フランス代表の語っている「宇宙の愛」にあたります。

そしてさらに、「宇宙の愛」や「自然界の愛」には分け隔てがないように思われるので、それらは「普遍的な愛」と呼ぶことができ、人間が目指すべき理想にすることができると指摘しています。

 

一例ですが、たとえば太陽や雨のことを考えると、確かに、すべての生きものに分け隔てなく光と温かさ、水分を与えているように思われます。

これは原始的なアニミズム(精霊崇拝)でしょうか。つまり、宇宙や自然界のことを擬人化して考えすぎているのでしょうか。このブログの最後に述べますが、ある意味ではそうではなく、直観によって捉えられた英知の一種だと私は考えています。

やや難しく感じられるかもしれませんが、神秘学の核心に関わる文章です。どうぞゆっくりとお楽しみください。

▽ ▽ ▽

『宇宙の愛』

“A propos de l’Amour universel”

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

 

「宇宙の愛」(Universal Love:普遍的な愛)は、バラ十字会員の多くが重要だと感じている考え方です。

宇宙の愛は、異なる2つの、しかし互いに補い合う要素からなっています。第1に宇宙の愛とは、宗教の哲学や、神秘学のような伝統思想で、宇宙の性質、または“神”の性質であるされているものです(神が何であるかということには、さまざまな考え方がありますが…)。

第2に宇宙の愛とは、一人一人の人間が、他のすべての人を、その人の人種や国籍、文化、社会的な地位、信仰している宗教、性格に関わらず愛そうと努力し、さらには、動物たちや自然界全体を愛そうと努力するという理想のことを指しています。

 

第1の考えは、宗教の実践や神秘学の探究に関連していますが、第2の考えは、これらの実践や探究に取り組んでいない人であっても、人間を尊重する精神を持つ人であれば誰もが掲げることができる目標にあたります。

そのためには、人類全体を、ひとつの家族であると考えることが必要になります。

宇宙の愛(イメージ)

 

ある人が「宇宙もしくは神が愛という性質を持つ」と考えているとしても、そのことを証明することはできないことでしょう。それは信仰と内的な確信にあたる事柄だからです。

このような信念に対して、宗教を信仰していない人は次のように反論するかもしれません。もし神がほんとうに愛という性質を持つのであれば、戦争や病気、苦しみ、不公正、災害などはこの世に存在しないはずではないだろうか。

この意見に対して、戦争を始めたり、敵意を示したり、不公正に振る舞ったり、自然の法則に違反したりするのは宇宙や神ではなく、自由意志を望ましくない方法で行使する人間自身であると反論することができます。

また、大部分の動物が、自分の生んだ個体や、群れに属する幼い個体のことを大切に世話し、捕食者から守るためには自分を犠牲にすることさえあるという一例を思い浮かべるだけでも、自然界に愛が存在することを確信できると付け加えることができます。

犬を飼っている人は誰もが実感していることだと思いますが、ペットが飼い主に対して示す振る舞いのことを考えても、愛が自然界の性質のひとつだということは確実ではないでしょうか。

犬と猫

 

さまざまな宗教で、神は愛であると考えられており、それゆえに、地球上で生きている人間が多くの困難と苦しみを経験するのには特別な理由がなければならず、アダムとイブがはるか昔に犯した“原罪”がその理由だとされています。

「生命の樹の果実」(聖書ではリンゴ)を食べることを神から禁じられていたにも関わらず、その指示に違反したので、人間は楽園から追放されるという罰を受け、自分たちが所有していた至福の状態を永遠に失うことになったとされています。

そして、『創世記』を文字通りに解釈するならば、現在の人間はいまだにこの“刑罰”に服しており、それが理由で、限りある移ろいやすい人生やさまざまな不幸を味わわなければならないのだということになります。

実際のところ、このような逸話が、神が愛であり慈悲である証明であるということに納得する人がいるでしょうか。この矛盾には、宗教信者の多くでさえ悩まされています。

愛に満ちた慈悲深い神が、怒りからこのような不条理なことを、自分が創造した人間に行うということを、一体どのようにしたら信じられるというのでしょうか。

 

バラ十字会の存在論による説明では、人間は今も昔も、“原罪”によって課された苦役に服しているわけではありません。

また、神は人間に似た存在ではなく、怒ることも分け隔てのある行いをすることもありません。神は、人間のような感情も人格を持たない絶対的な知性であり、あらゆる場所に永遠に存在するエネルギーです。

時というものがまだ存在しなかった“ある瞬間”に、この知性は、自体の英知を万物と分け合いたいという望みと必要性を(比喩的な意味で)感じました。

そこで、ビッグ・バン(聖書によれば「光あれ」という言葉)を通して、物質の宇宙を創造し、いわゆる「宇宙の魂」(Universal Soul:普遍的な魂)を物質宇宙に吹き込み、宇宙に生命が生じるようにしました。

このときから、さまざまな神秘家やバラ十字会員の多くが、「宇宙の進化」と呼んでいるプロセスが始まりました。地球上では、鉱物界、植物界、動物界、人間界の4つによって、このプロセスが支えられ進み続けています。

樹上の猿の親子

 

バラ十字哲学の観点から言えば、万物が出現し、その後に地球上に動植物と人類が現れたのは、いかなる意味でも、神の罰の結果ではありません。

全く反対にそれは愛のなし遂げたことであり、この愛は、創造された万物に関わっているので、まさに“宇宙の愛”と呼ぶことができます。

ですから、突き詰めて言えば人間はこの愛の成果であり、しかも、生命の源泉である魂(soul:ソウル)によって身体が満たされています。そのため、すべての人は、成長し自己実現を果たし幸せであるために、愛し愛されることを必要とします。

またこのことが理由で、人間は「宇宙の愛」を部分的には感じ取ることができ、自身の判断と行動を通してこの愛の一部を表現することができます。

神秘学の探究とは言わないまでも、少なくとも人間を尊重するという方向性が私たちの人生に与えられるためには、宇宙の愛が前提として必要とされると私は考えています。

 

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

△ △ △

再び本庄です。

いかがでしたでしょうか

 

私はこの文章を読んでいて、次の言葉を思い出しました。曹洞宗の本山のひとつである永平寺の貫首であった故宮崎奕保(えきほ)禅師の言葉です。

「自然は、立派やね、…規則正しい、そういうのが法だ、法にかなったのが大自然だ、法にかなっておる。だから、自然の法則をまねて人間が暮らす、人間の欲望に従っては迷いの世界だ、真理を黙って実行するというのが大自然だ。」

この主張は、思想というよりは、長年の厳しい修行を通して直観された“英知”にあたるととらえるべきだと感じます。

 

前回のセルジュ・ツーサンの記事は次のURLで読むことができます。

参考記事:『感情について

 

では、今日はこのあたりで。

また、お付き合いください。

 

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お祭り男の独り言

2019年11月22日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

東京は朝から雨で、寒い一日になっています。いよいよ本格的に冬ですね。

いかがお過ごしでしょうか。

 

山形県にお住まいの私の友人が、村山徳内祭りについての文章を書いてくださいました。

▽ ▽ ▽

記事:『お祭り男の独り言』

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下 勝悦

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下勝悦

 

今年の夏も私の住む山形県村山市の祭り(毎年八月に行なわれる村山徳内祭り)に参加させていただきました。

私、気力だけは若手メンバーに負けていない…つもりですが…。いかんせん、ここ数年は古希を過ぎた身には三日間の祭りはちょっと『キツイ!!』と思えるように……。

むらやま徳内まつり【2】
むらやま徳内まつり【2】 posted by (C)グルメと旅、Licensed under Creative Commons License (by-nc-nd)

 

このことに関連して…でしょうか? ここ数年来、祭り会場に出発する際に若手メンバーを相手にしてのジョーク合戦が毎年の恒例行事(?)となっています。ちなみに今年はこんな具合に…。

『山下さ~ん、今年は大丈夫ですか~。無理しないで下さいね。自分で危ない!!と思ったら遠慮せずに手を挙げてくださいね。すぐに救急車呼んであげますから~』。

私も負けずに『ありがとう~。よろしく頼むよ~。でも、その時は救急車じゃなくって手っ取り早いところで霊柩車を呼んでもらって構わないよ~』。

すると『はい。了解しました~。山下さんの祭り衣装は上も下も白色ですからそのまま棺桶に入れてあげますからね~』。そこで私は『そうか、頼むよ~、一手間省けるね~』(大笑い)。

私はホントに愉快な仲間に恵まれました。

 

実際のところ、ここ数年、私と同年代の方たちが一人また一人と祭りの舞台から引退していっています。しかし、私としては和太鼓のリズムに乗って笛を吹きまくる快感は何ごとにも代えがたいものがあります。もうしばらく現役でいたいです。

さて、祭りが始まりますと毎年のごとく思い出すことがあります。十数年も前のことになります。山形市で毎年八月に行なわれる『花笠まつりのプレイベント』(いわゆる前夜祭)に村山徳内祭りが招待され参加させていただいた時のことです。この時は繁華街の通りを通行止めにして比較的広い場所(交差点等)を利用して演舞の披露でした。

むらやま徳内まつり【1】
むらやま徳内まつり【1】 posted by (C)グルメと旅、Licensed under Creative Commons License (by-nc-nd)

 

プログラムきっちりの時間に踊り手、囃子方が集合。その時です、道路をはさんで私のちょうど真向かいの場所に電動車椅子に乗った男性を見かけました。当日は山形県物産市も開催されていましたから沿道は大変な混み様でした。

この混雑の中での車椅子の移動はさぞかし大変だったのではないでしょうか。来てくださったことに感謝の一語でした。

やがて演舞が始まりました。するとこの方、微動だにせず食い入る様に踊りの輪を見つめておられました。この時、私は思いました、心の内では踊りの輪の中に飛び込んで一緒に動き回っているのだろうな、と。

私は演舞が終わったらこの方に声を掛けてみようかと考えていました。ところが、演舞が終わるやいなや、『はい皆さん、速やかに次の会場に移動願います』。まさに分刻み、秒単位のスケジュールです。声を掛ける余裕はありませんでした。

 

次に移動を終えた場所では八十歳は過ぎておられるだろうと思える老夫婦の方が目に止まりました。お婆さんがお爺さんの左腕にシッカリとつかまって立っています。やがて演舞が始まりました。

するとこのお爺さん、両目をシッカリと見開き、少し前のめりになり、右足をちょっと前に出し、さらに右手を少し上に持ち上げながら踊りの輪を凝視しています。今にも踊りの輪の中に飛び込むのではなかろうかといった体勢でした…。

元気なお爺さんだね~と思った瞬間、はっと気が付きました。お婆さんがお爺さんにつかまっているのでは無く、足腰のおぼつかないお爺さんをお婆さんが支えていたのです。『お爺さん駄目ですよ、歳を考えてくださいな』。そんな声が聞こえてきそうでした。

その時私は思いました。この元気なお爺さんも、先ほどの方と同様、心の内で踊りの輪の中に飛び込んで一生懸命に踊っているのだろうなと……。

 

以前に和楽器のカルチャースクールに通っていた時に聞いた話です。太鼓のドーン・ドーンという音は胎児が母親のお腹の中で感じる母親の心臓の鼓動そのものなのだそうです。人は太鼓の音に癒され活きる力を得るのだそうです。

やはりもうしばらく、お祭り男でいさせてください。

みこしを担ぐ男性たち

△ △ △

ふたたび本庄です。バラ十字会AMORCの日本本部の事務所は、旧中山道沿いの仲宿という宿場町に位置していますが、ここでは毎年9月に、氷川神社のお祭りで商店街が盛り上がります。

以前に出雲について書いた記事で話題にした神社です。

記事:『古代出雲について

 

下記は前回の山下さんの記事です。こちらもどうぞ。

記事:『伝統こけしと暮らした日々

 

では、今日はこのあたりで。

 

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秋日子かく語りき

2019年11月15日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

寒さがいよいよ本格的になってきましたね。北海道は、今日は雪のようです。

いかがお過ごしでしょうか。

 

さて、札幌で当会のインストラクターをされている私の友人に寄稿をお願いしたところ、このブログで初の、少女マンガがテーマの文章をお寄せいただきました。

連想が連想を呼ぶ、考えさせられる文章です。

▽ ▽ ▽

文芸作品を神秘学的に読み解く(18)

森和久のポートレート

森 和久

『秋日子かく語りき』 大島弓子

 

ある日、女子高生の秋日子(あきひこ)と54歳の主婦、竜子は交通事故に遭い、あの世の岸にたどり着きます。しかし神様の使いによると秋日子は軽傷なので現世へ戻れますが、竜子は重傷で死亡したとのこと。

ところが、「あんな人生なんにも納得していない」と竜子は死を受け入れません。そこで、人のために尽くす生き方をしてきた秋日子は、自分の肉体を竜子に貸してあげることにします。

そして1週間だけ竜子は秋日子の肉体を借りて現世にとどまることができることになります。1週間、つまり7日間、これは神秘学では地上的数字ですね。

竜子は秋日子として生き、やり残したことをやり遂げようとします。

 

まず残された家族、つまり夫・大学生の息子・小学6年生の娘のことが気がかりで、自宅を訪問します。ところが家族たちは新たな家庭像を作り上げようとしており、竜子の存在はもう顧みられない状態となっていました。

そんな竜子の心は秋日子の代わりに高校の授業で聞いた『方丈記』の一節に同調します。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

Hojyoki codex Maeda

『方丈記』前田家本(鎌倉末期 – 室町初期写)岩波書店、Wikimedia commons [CC0]

 

さらに竜子は夫と育ててきた想い出のベンジャミンという観葉植物の鉢植えが枯れそうになっているのを見つけ衝撃を受けます。このベンジャミンを助けようと級友の茂多をそそのかし、盗み出そうとします。

茂多は元々秋日子に心惹かれていたようです。盗んでいる現場を見つかり警察も呼ばれますが、竜子の娘があげることを承諾しているとすんなり認めたことで結果的には譲り受けます。

ベンジャミンの鉢植え

ベンジャミンの鉢植え

 

竜子の想いは全く空回りしていたのでしょうか。これまでの人生で、青春と呼べるような日々はなく、親の決めた相手と結婚し、54歳になるまで家族に尽くしてきた竜子は、ふと気づきます。

最後のおまけの1週間の方が、今までの人生の54年間より大きくて青春だったと。だから私たち読者は秋日子という女子高生の姿を通して竜子の最後の1週間を見ることになるのです。

茂多にだけ自分は竜子だと打ち明けますが、茂多は、「竜子である今の君も好きだよ」と告げます。竜子の初コクられです。青春に実際の年齢は関係ありません。

 

ベンジャミンを持ち出された夜、竜子の夫は、「あれがなくなってみると家が家でなくなるのであります。わたしとわたしの亡き妻が育てた木でありまして」と返却を懇願しに秋日子宅を訪れます。もちろん竜子は2つ返事で返します。

 

もうすぐあの世へ帰るという時、竜子はもう一つやり残したことに気付きます。「青春の象徴、フォーク・ダンス」です。

級友たちに連絡し真夜中の校庭でフォーク・ダンスを決行です。ダンス・ミュージックはヨハン・シュトラウス2世の『美しき青きドナウ』で。

 

ダンスが始まると同時に日付が変わり、竜子と秋日子は入れ替わります。戻ってきた秋日子はこう語ります、

人は死んだら好きなものに生まれ変わることができる。

一つのものに大勢の希望が集中したらどうなる?

そしたらみんなで一人の人になる。

すてきでしょ。

 

タイトルの『秋日子かく語りき』というのは、フリードリヒ・ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』からのものでしょう。そしてこのタイトルの曲をリヒャルト・シュトラウスが作曲しました。

この曲は、映画『2001年宇宙の旅』(2001: A Space Odyssey)の印象的なオープニングにも使われ、猿=ヒトが武器を手にするシーンでも流れます。宇宙ステーションから月面へ向かう宇宙船のシーンでは、ヨハン・シュトラウス2世の『美しき青きドナウ』が流れます。

この映画はまさに人類を含めた宇宙のオデッセイ(叙事詩・知的探求)的作品なわけですが、超人の誕生を思わせる「スター・チャイルド」のシーンでラストを迎えます。そして、ここでもリヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』が流れます。

そしてエンド・クレジットではヨハン・シュトラウス2世の『美しき青きドナウ』がまた流れます。

ドナウ川(オーストリア・ウィーン)

ドナウ川(オーストリア・ウィーン)

 

ゾロアスター教の教祖ゾロアスター(ドイツ語読みでツァラトゥストラ)と『ツァラトゥストラはかく語りき』、リヒァルト・シュトラウスとヨハン・シュトラウス2世は直接の関連性が特にはありません。

しかし、『秋日子かく語りき』は漫画(コミック)作品でありながら、この映画がモチーフの一つであるかのように、さらに連想ゲームのようにイメージが提示され繋がっていきます。最後にはギリシャ神話の転生譚も述べられます。

 

ストーリー・テラーである秋日子の親友、薬子は最後にこう言います、

「しかしわたしは、我々はとってもちかい今生のうちにそれぞれの夢をかなえることができる」。

 

私たちは今生をこの地上で生きるために、ここに生を得たのです。来生を視野に入れることは、当然ありえるべきですが、今生を精一杯生きることが最重要なのではないでしょうか。

私はこの物語を読み返し、神秘学で学んでいることは、悉(ことごと)くこのようなことのさらに深奥を知ることに繋がるのだと思うのでした。

△ △ △

ふたたび本庄です。

文章の冒頭で話題になった、7という数について補足します。

 

古代ギリシャの神秘学(mysticism:神秘哲学)では、宇宙(森羅万象)のことがマクロコズム、人間のことがミクロコズムと呼ばれていました。

そして、マクロコズムの進行は12の段階に、ミクロコズム(人間)の進歩は7つの段階に分けることができるとされていました。いずれの段階にも、それぞれの特徴があります。

 

このことは、古代ギリシャで文明が栄える以前に、古代エジプトや古代メソポタミアでも伝えられ、それをもとに古代メソポタミアで、一週間が7日間に定められたようです。

 

下記は、森さんの前回の記事です。

弥勒(みろく)-文芸作品を神秘学的に読み解く17

 

では、今日はこのあたりで。

 

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