投稿日: 2021/12/10
最終更新日: 2024/03/11

錬金術とは

ご存じの通り錬金術とは、鉛などの卑金属から貴金属である銀や金を作り出す技法です。しかしその動機は多くの場合、金銭的な利益ではありませんでした。まじめな錬金術師の多くは、物質に起こっている(と彼らが考えた)変化を模倣することによって、自然界の法則を研究しようとしていました。そして、この研究は近代化学のさきがけになりました。

また、錬金術の後期、特にルネサンス以降には、貴金属を作り出すことに加えて別の目的が追求されたことが知られています。それは、心にある「卑しい」性質を「貴い」性質に変えること、つまり、高慢さを謙虚さに変えたり、臆病を勇気に、利己心を親切な心に変えたりすることです。

このことを表している、下の絵をご覧ください。この絵はドイツの錬金術師ハインリッヒ・クンラート(1560-1605)の実験室を描いたものです。

「錬金術師の実験室 - 大いなる作業の第一段階」、『永遠なる叡智の円形劇場』(ハインリッヒ・クンラート著、1595年)の挿絵より
「錬金術師の実験室 - 大いなる作業の第一段階」、『永遠なる叡智の円形劇場』(ハインリッヒ・クンラート著、1595年)の挿絵より

右のカーテンと柱で区切られた場所とその周囲には、フラスコ、蒸留器、炭の入ったバケツ、ほうきなどのようなものが取り散らかされています。ここは「働く場」(laboratorium)と呼ばれていた場所で、英語の「ラボラトリー」(研究室)の語源になりました。

左にはテントがあり、その前には両手を広げ、膝をついた人がいます。「観照の祈り」と呼ばれる精神的な作業を行っていたとされています。ここは「祈る場」(oratorium)と呼ばれていた場所で、英語の「オラトリー」(祈祷室)の語源になりました。

錬金術の歴史

言い伝えによれば、その起源は古代エジプトであり、エメラルド・タブレットの作者であるヘルメス・トリトメギストスが創始者であるとされています。

参考記事:

伝説でない確実な情報としては、ギリシャ語で西暦3世紀に書かれた写本が発見されています。この当時、現在のエジプトのアレクサンドリアは国際都市であり、大図書館があり、中近東のさまざまな地域から訪れた錬金術師たちが集合していたと推測されています。

4世紀になると、この技法は中近東からヨーロッパへと広がって行きました。ギリシャの哲学者ゾーシモス(Zozimus)、ビザンチン帝国の学者プセルロス(Psellus)が錬金術師であったことが知られています。

またイブン・シーナー(ibn-Sina,980-1037)、別名アヴィセンナ(Avicenna)などのアラブの人たちも、この技法を広めるために役割を果たしたことが知られています。

12世紀には、「哲学者たちの喧噪」(Turba Philosophorum)というアラビア語の書物がラテン語で出版されたことで、ヨーロッパでブームになります。

この書に続いて「エメラルド・タブレット」、「24人の哲学者の書」などがラテン語に翻訳され、いずれも、伝説的な創始者ヘルメス・トリトメギストスが作者だとされました。

12~13世紀にはテンプル騎士団がこの分野で重要な役割を果たしました。このころの有名な錬金術師には、ロジャー・ベーコン(1214-1294)、ラモン・リュイ(1235-1315)などがいます。

それ以降もヨーロッパでの発展が続きました。、ニコラス・フラメル(1330-1418)、ピコ・デラ・ミランドラ(1463-1494)、コルネリウス・ハインリヒ・アグリッパ(1486-1535?)、パラケルスス(1493-1541)などが錬金術師として知られています。パラケルススは驚異的な才能を持つ化学者であると同時に医者でした。

1616年には薔薇十字団が宣言書「クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚」を発表しました。この書は錬金術の伝達に関して比喩的に述べています。ミハエル・マイヤー(1568-1622)、ロバート・フラッド(1574-1637)など、この当時の錬金術師の多くは薔薇十字団に属していたとされています。

17世紀に錬金術は最盛期を迎えますが、その後はローマカトリックからの妨害により衰退し、休止状態になっていきました。

しかしその後も、細々とこの実践を続けていた人がいます。カリオストロ(1743-1795)はそのような人のひとりであり、さらに時代が下ると、科学者として有名なロバート・ボイル、ライプニッツ、ニュートンなどが関わっていました。

以上、駆け足ですが、錬金術の歴史を解説しました。

* * *

次に、バラ十字会AMORCの会員であり、秘伝哲学の有名な研究家、著作家であったセルジュ・ユタン(Serge Hutin, 1927-1997)の錬金術に関する記事をご紹介します。

区切り

「錬金術とは何か」-セルジュ・ユタン

一見したところでは、錬金術を定義するよりも簡単なことは、何ひとつないように思われます。それは金属を変化させる技術であり、黄金を作り出すことを目的とする中世の疑似科学だと一般に考えられています。多くの人が、馬鹿にしたようなお決まりの非難とともにこの定義を受け入れています。このような態度は、たとえば化学者のアントワーヌ・フルクロワ(Antoine Fourcroy)が述べた次の言葉に表れています。「多くの愚かな人たちが夢中になった錬金術は、多くの欲張りで馬鹿な人を破滅させ、さらに多くの信じやすい人々を騙した」。

しかし、うわべだけを見るのではなく、深く研究していくと、「錬金術」という言葉の背後には、きわめて複雑な歴史的事実が隠されているということがわかります。フランスの化学者ピエール・ベルトロー(Pierre Berthelot)は、このように書いています。「錬金術の歴史は、実に不明瞭である。この分野には明確な起源がない。錬金術はローマ帝国が衰退したころに突如現れ、神秘と象徴にあふれた中世の時代に発達した。そして、その謎めいた、迫害を受けた性質が失われたことは一度もなかった。医者や哲学者が関わっていたのだが、妄想癖のある人や奇術師、にせ医者と間違われたり、時には、ごろつきやペテン師、毒薬使い、贋金作りとさえも混同されたりしていた」。

錬金術が扱う題材や目的自体が明瞭というにはほど遠いですし、学術的な研究が多数行われてきたものの、一般の人にとっては今もなお不信感をいだかせるものであり、多くの場合、彼らは、魔術師やペテン師と区別されていません。この技法は多かれ少なかれ奇術のようなものであり、手品の技や、ガラスの蒸留器のような器具や、悪魔に唱える呪文などの巧妙な組み合わせからなっており、その目的は黄金を手に入れること、もしくは、そう見せかけて見物人を驚かせることだったと見なされています。

しかし、錬金術が実践されてきた長い期間にわたって、その程度のものでしかなかったとしたら、極めて多くの歴史家や現代の科学者が、それに注目する価値があると考えなかったことは明らかです。先ほどのベルトローもこの技法に注目していた偉大な化学者の一人です。真の錬金術師を、「聖なる技法」の達人であるかように装っている詐欺師やいかさま師から区別することができれば、この技法は、単に黄金を作ることからはほど遠い、極めて複雑で崇高で重要なものであったことが明らかになります

それでは、一般に認められている定義、つまり「黄金を作ること」に戻ることにしましょう。この定義によれば、錬金術師とは「黄金の製造者」です。つまり、可能な限り少ない出費で、そして多くの場合は他の人々を犠牲にしてまで裕福になろうとした人ということになります。しかし、このような先入観を持つことは大きな誤りです。真の錬金術師が金属を変成させる実験を行ったときには、利益のために行ったのではなく、自分たちの理論に物質的な証拠を加えるために行ったのでした。つまり、今日の言葉でいえば科学的興味から行われた実験でした。しかし、部外者から自分たちの秘密を守るために、この技法の達人たちは無数に多くの対策を講じていました。また、錬金術師は、彼らが「吹く輩」(puffer)と呼んだ人々を軽蔑していました。つまり、経験だけに頼って「賢者の石」(Philosopher’s Stone)を探し、基本的な理論を知らずに、やみくもにあらゆる種類の手順を試みて単に黄金を作ろうとしている人、そしてたいていの場合は、詐欺師や偽金作りにしかなれなかった人々です。

錬金術の語源 - Its Etymology

 では、実際には錬金術とは何だったのでしょうか。まずは、この言葉の起源を見ていきましょう。英語の「アルケミー」(alchemy)は、アラビア語の「エル・キミア」(el-kimia)が元になっていますが、このアラビア語の語源はギリシャ語です(もう一つの良く取り上げられる説は、ギリシャ語の溶解を意味する「キマ」(chyma)から派生したというものです)。キミアの語根は疑いなく、黒い土地を意味する「ケム」(Khem)に由来しています。「ケム」は古代ではエジプトを意味していました。ですから「アルケミー」という単語自体に、この「聖なる技法」が誕生した実際の場所、もしくはそう想定される場所についての重要な情報が含まれています。

錬金術の全般的な特徴 - Its General Aspects

 この技法には、謎めいていて、秘密として守られ、特定の集団内のほんの一握りの人が独占しており、一般の人々には決して明かされないという全般的な特徴がありました。この点で、そもそもの始まりから錬金術は現代科学とは異なっていました。その技法は口頭で、あるいは文書を用いて伝えられました。さまざまな秘伝的教義と同じように、錬金術は一般には目立たないように、その専門家の間で伝えられました。その基本は、象徴的に書かれた文書や、神からの啓示を記したとされる文書によって伝えられてきた古代の秘伝的な情報の中に存在していました。ですから、錬金術師が知ることは新しいことではなく、古代の秘密を再発見することが研究にあたりました。そのため錬金術は、何世紀もの間、ほとんど変化することはありませんでした。中世の時代には、この分野で用いられる象徴の意味がいくぶん変化し、いくつかの点でこの技法が発達したということができます。しかし、古代世界の終わりから16世紀まで、物質の構成についての錬金術の基本的な理論は、ほぼ変化することがありませんでした。それは謎めいた、隠された技術であると先ほど述べました。しかし、錬金術はまた不運な経過をたどった技法でもありました。というのも教会や、それ以前にはローマ帝国の後期の法律によって禁止されていたからです。そして、世に認められていた一般的な知識の枠組の範囲外で進歩し、しばしば、そのような一般的知識に対立していました。

さてここからは、錬金術師たちが、この技法をどのように定義しているのかを見ていきます。

ヘルメス哲学 - The Hermetic Philosophy

スペイン、バルセロナのシウタデリャ公園にあるヘルメス像
スペイン、バルセロナのシウタデリャ公園にあるヘルメス像

彼らは、しばしば自分たちのことを哲学者と呼んでいましたが、実際に彼らは特殊な種類の哲学者でした。彼らは、ある優れた知識の体系を自分たちが保持し守っていると考えていました。そして、その知識の体系には、他のすべての学問の根本原理が含まれており、存在するすべてのものの性質と起源と目的を説明することができ、宇宙全体の起源と運命を示すことができると考えていました。この秘密の教義は、あらゆる学問の母にあたり、言い伝えによると、ヘルメス神(エジプトのトート神)によって人間に明かされたとされています。この神の名から、「ヘルメス哲学」(Hermetic Philosophy)という名称が生じました。しかし、ヘルメス哲学と錬金術そのものを混同することは誤りです。錬金術は一つの実践であり、ヘルメス哲学の応用でした

錬金術の理論 - The Alchemical Theories

 錬金術は、この言葉の適切な意味においては、ある実用的な技術、あるテクニックのことでした。しかし、それが基づいていたのは、物質の構成、生物の発生、鉱物の形成などに関するさまざまな理論の集大成でした。こうした理論は、錬金術師が実験を行うにあたって根拠とした仮説でした。

その実践、つまり理論的な錬金術の直接の応用は、〈賢者の石〉(Philosoper’s Stone)を探すことでした。〈賢者の石〉には2つの効用があり、それは互いに補い合う関係にあります。ひとつは金属を変化させることであり、それは、〈大いなる作業〉(Great Work)として知られていたことの一部です。そしてもう一つは、〈万能の薬〉としての働きです。この2つが、〈賢者の石〉の持つ2つの基本的な効力でした。

錬金術師は金属のことを生き物であると考え、金属が完全に健康な状態にあるときには、完全な金属である黄金の姿を取ると考えていました。ロジャー・ベーコンの『錬金術の鏡』によれば、錬金術とは、「エリクサー」(elixir)というある薬を調合する方法を教えてくれる学問です。このエリクサーを不完全な金属の中に投入すると、混ぜ合わされたまさにその瞬間に、不完全な金属には完全性が加えられます。また、〈賢者の石〉を液状にすることによって、「生命の霊薬」を得ることができるとされました。生命の霊薬を手に入れた人は、永遠とは言えないまでも、長寿を保証されるとされていました。そしてまた〈パナケア〉(Panacea)という、体の強靭さと健康を回復させる奇跡の治療薬も得られるとされました。これが〈万能の薬〉の意味するところです。今日ではおそらく、「細胞の若返り」の研究と呼ばれることでしょう。

〈賢者の石〉はまた、その持ち主にさまざまな驚異的な力をもたらすと信じられていました。自分の姿を消し、天上の存在に命令を下し、自由自在に空間を移動できる力です。これらの超人的な能力は、中世の終わりごろになって初めて錬金術の文献の中に現れました。またそのときからルネッサンス期までに、他のいくつかのことが、〈賢者の石〉の効力に付け加えられるようになりました。たとえば、あらゆるものを溶かしてしまう液体であるアルカヘスト(alkahest)や、人造人間ホムンクルス(homunculus)の製作といったことです。

神秘学的な錬金術 - Mystical Alchemy

錬金術の象徴の表(アンドレーエ著『最後の意志』より)
錬金術の象徴の表(アンドレーエ著『最後の意志』より)

しかし、まったく異なる概念も確かに存在していました。一部の人々、とりわけバラ十字会員の著作家によれば、錬金術は神秘学の一種です。これらの著作家は、この分野で用いられる言葉が実際には比喩的なものであると考え、「精神的な黄金」について語っています。つまり、錬金術師が探求しているものは物質的な黄金ではなく、魂から不純なものを取り除き純粋にすることであり、精神を神秘学的に変化させることだとされます。「卑金属」とは世俗的な欲望や執着、もしくは、人間の真の精神的成長を妨げる可能性があるすべてのことを表わしています。〈賢者の石〉そのものは、神秘学的な心の変化によって精神的に大きく変わった人間を表していました。そして鉛から黄金への変成とは、ひとりひとりの人間を、善と真実と美へ向かって高めることを表しています。善と真実と美は、すべての人が自身の内部に生まれつき持っている完璧な規範にあたります。ですから、〈大いなる作業〉が施されるのは人間だということになります。そして、ヘルメス・トリスメギストスの作とされる以下の一節は、この観点から理解しなくてはなりません。「〈大いなる作業〉は、あなたとともにあり、あなたの中にあり、次のように存在する。それは、あなた自身の中に常に存在するのであるが、あなたがそれを一度見いだしたならば、陸であれ海であれ、あなたがどこにいても、あなたはいつでもそれを持っている」。

アルス・マグナ - The “Ars Magna”

 14世紀以降の錬金術に、私たちは極めて崇高な考え方を見いだすことができます。それは「アルス・マグナ」と呼ばれ、時には「国王の技法」(Royal Art)と呼ばれることもありました。この考え方は主に、15世紀と16世紀の著作に見られます。その解釈について、現代の研究家サヴォレ(Savoret)は次のように述べています。

「真の伝統的な錬金術とは、人間の生命と自然界の法則に関する知識である。そして、アダムの堕落によってこの地上では損なわれた、人間の生命にある元々の純粋さと輝きと豊かさを取り戻すための歩みを、あらゆる力を尽くして再び正常にすることである。道徳的には、これは償いや改心を意味しており、肉体的には若返りを意味する。自然界においては純化と完成、そして最後に、鉱物の領域においては精錬(物質から最も活動的な特質を引き出すこと)と変成を意味している」。

したがって、錬金術の目的は、原初の堕落、人間本来の名誉の失墜、生命の状態の悪化という事柄と関連していました。究極の〈大いなる技〉は、原初に持っていた尊厳と人間を再統合させてくれます。〈賢者の石〉によって、その達人には、知性面、肉体面、道徳面での卓越した力、完璧な幸福、あらゆる事物に対する限界のない影響力、宇宙を創造した存在との心の交流が与えられます。〈賢者の石〉を発見することは、〈絶対なるもの〉を見いだすこと、つまり、あらゆる存在の真の目的を見いだすことであり、完璧な知識(グノーシス)を持つことにあたりました。この超越的な錬金術においては、実践と自己鍛錬が密接に関連していました。A.M.シュミット(A.M. Schmidt)はこのように書いています。「存在するものの異なる序列の間にある奇妙な対応関係をすぐさま見いだすために、錬金術は信奉者に、注意深く調整された自己鍛錬を課した。〈哲学者の卵〉の中で発酵している液体の沸騰と変化を観察している間、彼らは段階的な訓練を行ない、ゆっくりと純化されなくてはならなかった。〈大いなる業〉である物質の再生を完成させるためには、自身の魂の再生を行うことが必要だと錬金術の信奉者たちは述べていた。(中略)それはちょうど、密閉された容器の中で、ある物質が死に、その後完全に再生するように、彼らは、神秘学的な死を体験することによって、魂が再生し、神の中で喜びに満ちた生活が送れるようになることを望んでいた。彼らは、あらゆることを行うにあたって、キリストという手本に従っていることを誇りに思っていた。キリストは、死を克服するために死に服従するしかなく、いやむしろ死を受け入れた人である。」

『錬金術師と弟子』油絵、ハーヴェイ・スペンサー・ルイス作
『錬金術師と弟子』油絵、ハーヴェイ・スペンサー・ルイス作

このようにして、この技法の達人たちは〈物質的な作業〉、つまり宇宙の再生をなし遂げることができます。神秘なる人間の魂で達成された変化は、物質の世界でも有効であり、命を持つものの中でも最も完璧な〈賢者の石〉は、動物界、植物界、鉱物界というすべての領域において活動的です。この点から見ると、宇宙の創造に用いられた原初の物質に〈賢者の石〉は似ています。宇宙の創造では、〈聖なる炎〉が最初に〈混沌〉に生命を与えたとされています。錬金術師とは、万物の創造を支配しているさまざまな法則を知る者であり、周囲に見られる天体、物体、生物体を、自分自身で再び創造することができるとされました。

「時の始めに自然が行ったことを、我々もまたなし遂げることができる。自然がたどった経過を繰り返すことによって」と彼らは述べています。しかし錬金術の達人は、何よりも、発酵する神秘的な液体を発見し、それを安定した固体である〈賢者の石〉そのものにすることを決意していました。この物質は、物質の腐敗を限りなく長い間食い止めることができるだけでなく、すべてのものが素早く高位の状態へと移行することを確実にし、不完全なものを再生し、卑金属、すなわち“病にかかった”金属を黄金に変え、病人を健康にすることができます。そしてその達人は真の超人となり、世界を再生する者になります。

これまでお読みいただいたように、「錬金術とは何か」という問いに対して、正確な答えを見つけることは、実はかなり難しいのです。それは何なのでしょうか。実際のところ、錬金術という言葉には、まったく異なるいくつかの分野が含まれており、その分野を次の5つに分類することができます。

1. 神秘的な教義であるヘルメス哲学

2. 「科学的」とまさに呼ぶことができる物質の構成についての数々の理論

3. 金属の変成と「万能の薬」の調合を主な目的とする実際的な技術

4. 神秘学の一種

5. 神秘学、宗教的なあこがれ、神智学、実践的な手順の興味深い混合であるアルス・マグナ、つまり、これらの4つの側面を総合したもの

これらすべてのカテゴリーに錬金術師たちは関わっていました。金属を黄金に変化させること(Chrysopoeia:赤の技)、あるいは銀に変化させること(Argyropoeia:白の技」)にだけ関心を持っている人もいましたし、〈万能の薬〉に関心を持っている人もいました。実践的な側面に携わっている人もいれば、思索的な側面に没頭している人もいました。そして彼らは、正統派とは異なる自分たちの教義を、比喩や象徴を用いてベールのもとに覆い隠そうとしました。また他の錬金術師たちは主として神秘家であり、〈国王の技法〉を実践すると同時に、考えられるあらゆる側面を研究していました。

錬金術は、長い時を経て大きな発展を遂げました。古代の終わりに現れ、やっと最終的な形になったのは、中世の16世紀ごろのことです。

この分野の研究においては、奇妙で特殊な言葉の背後に隠されている、一見すると普通ではない、突飛に思われる数多くの考え方を発見するために、現代科学の見解を一時脇に置いておくということが重要ですが、経験豊かな歴史家であっても、それは極めて難しいことです。

****************

執筆者プロフィール

セルジュ・ユタン

セルジュ・ユタン(1927-1997)はフランスの秘伝的哲学の重要な研究家であり文学博士でした。高等研究実習院(Ecole pratique des Hautes Etudes)を卒業し、フランス国立科学研究センター(CNRS)の客員研究員を勤め、40冊ほどの著作を残しています。

体験教材を無料で進呈中!
バラ十字会の神秘学通信講座を
1ヵ月間体験できます

無料で届く3冊の教本には以下の内容が含まれています

当会の通信講座の教材
第1号

第1号:内面の進歩を加速する神秘学とは、人生の神秘を実感する5つの実習
第2号:人間にある2つの性質とバラ十字の象徴、あなたに伝えられる知識はどのように蓄積されたか
第3号:学習の4つの課程とその詳細な内容、古代の神秘学派、当会の研究陣について

無料体験のご案内ご入会申込