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宇宙の愛

2019年11月29日


 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

先日、40年前に卒業した高校の同窓会があり、近況報告で、ヨーロッパの神秘学(mysticism:神秘哲学)を学習する通信講座を仕事にしていると説明したところ、同級生の女性から、神秘学とは何かを説明せよと詰め寄られました。

このようなビッグ・クエスチョンに、ほろ酔いのときに的確に応えるのは難しいことです。まあ相手もそれほど本気ではないので、残念なことに、核心に触れることはできず、大まかな説明になってしまいます。

 

さて、今日ご紹介したいのは、当会のフランス代表が自身の人気のブログに、先週書いた『宇宙の愛』という記事です。このテーマは神秘学の核心に深く関わっています。

お読みいただく前に、この題名に含まれている「宇宙」という言葉について、いくつか補足の説明をさせていただくのが良いのではないかと思います。

 

宇宙にあたる英語には、ひとつには「ユニヴァース」(universe)があります。辞書を引くと、「地球や惑星や恒星などのすべてのものと空間の全体」と書かれています。この語の語源はラテン語の「ウニヴェルスム」(universum)で、「ひとつに結びつけられたもの」を意味します。

 

宇宙にあたる別の単語に、コスモス(cosmos)があります。この語は、「秩序と調和が現れているシステムとしての宇宙」を特に意味します。

ギリシャの哲学者ピュタゴラスによれば、主に2つの種類の宇宙、マクロコズム(macrocosm:大宇宙)とミクロコズム(microcosm:小宇宙)があります。

マクロコズムとは、通常言われているような宇宙全体のことを指しますが、マクロコズムは単なる物の集まりや空間という入れ物ではなく、そこには精神(心)があるとされます。

一方、ミクロコズムとは人間のことを指します。また、自然界はメソコズム(mesocosm:中宇宙)と呼ばれることがあります。

 

ハイキングをしたり、自然や人体の素晴らしさを紹介したテレビ番組を見たりしたときに、自然界や人体にも、星空に感じられるような崇高な秩序と調和が現れていると実感されることが、おありではないでしょうか。

以前にご紹介したことがありますが、ヘルメス文書のひとつであるエメラルド・タブレットには、「下にあるすべてのものは、上にあるものに似ており、上にあるすべてのものは、下にあるものに似ている。」と書かれています。

参考記事:「エメラルド・タブレットとは

 

この「下」とはミクロコズムのことで、「上」とはマクロコズムのことです。

この文の指摘に沿って考えると、人間が他の人たちや動物たちを愛するのと同じように、宇宙というシステム全体にも、自然界全体自体にも、その内部の要素を愛する傾向があることになります。

これが、フランス代表の語っている「宇宙の愛」にあたります。

そしてさらに、「宇宙の愛」や「自然界の愛」には分け隔てがないように思われるので、それらは「普遍的な愛」と呼ぶことができ、人間が目指すべき理想にすることができると指摘しています。

 

一例ですが、たとえば太陽や雨のことを考えると、確かに、すべての生きものに分け隔てなく光と温かさ、水分を与えているように思われます。

これは原始的なアニミズム(精霊崇拝)でしょうか。つまり、宇宙や自然界のことを擬人化して考えすぎているのでしょうか。このブログの最後に述べますが、ある意味ではそうではなく、直観によって捉えられた英知の一種だと私は考えています。

やや難しく感じられるかもしれませんが、神秘学の核心に関わる文章です。どうぞゆっくりとお楽しみください。

▽ ▽ ▽

『宇宙の愛』

“A propos de l’Amour universel”

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

 

「宇宙の愛」(Universal Love:普遍的な愛)は、バラ十字会員の多くが重要だと感じている考え方です。

宇宙の愛は、異なる2つの、しかし互いに補い合う要素からなっています。第1に宇宙の愛とは、宗教の哲学や、神秘学のような伝統思想で、宇宙の性質、または“神”の性質であるされているものです(神が何であるかということには、さまざまな考え方がありますが…)。

第2に宇宙の愛とは、一人一人の人間が、他のすべての人を、その人の人種や国籍、文化、社会的な地位、信仰している宗教、性格に関わらず愛そうと努力し、さらには、動物たちや自然界全体を愛そうと努力するという理想のことを指しています。

 

第1の考えは、宗教の実践や神秘学の探究に関連していますが、第2の考えは、これらの実践や探究に取り組んでいない人であっても、人間を尊重する精神を持つ人であれば誰もが掲げることができる目標にあたります。

そのためには、人類全体を、ひとつの家族であると考えることが必要になります。

宇宙の愛(イメージ)

 

ある人が「宇宙もしくは神が愛という性質を持つ」と考えているとしても、そのことを証明することはできないことでしょう。それは信仰と内的な確信にあたる事柄だからです。

このような信念に対して、宗教を信仰していない人は次のように反論するかもしれません。もし神がほんとうに愛という性質を持つのであれば、戦争や病気、苦しみ、不公正、災害などはこの世に存在しないはずではないだろうか。

この意見に対して、戦争を始めたり、敵意を示したり、不公正に振る舞ったり、自然の法則に違反したりするのは宇宙や神ではなく、自由意志を望ましくない方法で行使する人間自身であると反論することができます。

また、大部分の動物が、自分の生んだ個体や、群れに属する幼い個体のことを大切に世話し、捕食者から守るためには自分を犠牲にすることさえあるという一例を思い浮かべるだけでも、自然界に愛が存在することを確信できると付け加えることができます。

犬を飼っている人は誰もが実感していることだと思いますが、ペットが飼い主に対して示す振る舞いのことを考えても、愛が自然界の性質のひとつだということは確実ではないでしょうか。

犬と猫

 

さまざまな宗教で、神は愛であると考えられており、それゆえに、地球上で生きている人間が多くの困難と苦しみを経験するのには特別な理由がなければならず、アダムとイブがはるか昔に犯した“原罪”がその理由だとされています。

「生命の樹の果実」(聖書ではリンゴ)を食べることを神から禁じられていたにも関わらず、その指示に違反したので、人間は楽園から追放されるという罰を受け、自分たちが所有していた至福の状態を永遠に失うことになったとされています。

そして、『創世記』を文字通りに解釈するならば、現在の人間はいまだにこの“刑罰”に服しており、それが理由で、限りある移ろいやすい人生やさまざまな不幸を味わわなければならないのだということになります。

実際のところ、このような逸話が、神が愛であり慈悲である証明であるということに納得する人がいるでしょうか。この矛盾には、宗教信者の多くでさえ悩まされています。

愛に満ちた慈悲深い神が、怒りからこのような不条理なことを、自分が創造した人間に行うということを、一体どのようにしたら信じられるというのでしょうか。

 

バラ十字会の存在論による説明では、人間は今も昔も、“原罪”によって課された苦役に服しているわけではありません。

また、神は人間に似た存在ではなく、怒ることも分け隔てのある行いをすることもありません。神は、人間のような感情も人格を持たない絶対的な知性であり、あらゆる場所に永遠に存在するエネルギーです。

時というものがまだ存在しなかった“ある瞬間”に、この知性は、自体の英知を万物と分け合いたいという望みと必要性を(比喩的な意味で)感じました。

そこで、ビッグ・バン(聖書によれば「光あれ」という言葉)を通して、物質の宇宙を創造し、いわゆる「宇宙の魂」(Universal Soul:普遍的な魂)を物質宇宙に吹き込み、宇宙に生命が生じるようにしました。

このときから、さまざまな神秘家やバラ十字会員の多くが、「宇宙の進化」と呼んでいるプロセスが始まりました。地球上では、鉱物界、植物界、動物界、人間界の4つによって、このプロセスが支えられ進み続けています。

樹上の猿の親子

 

バラ十字哲学の観点から言えば、万物が出現し、その後に地球上に動植物と人類が現れたのは、いかなる意味でも、神の罰の結果ではありません。

全く反対にそれは愛のなし遂げたことであり、この愛は、創造された万物に関わっているので、まさに“宇宙の愛”と呼ぶことができます。

ですから、突き詰めて言えば人間はこの愛の成果であり、しかも、生命の源泉である魂(soul:ソウル)によって身体が満たされています。そのため、すべての人は、成長し自己実現を果たし幸せであるために、愛し愛されることを必要とします。

またこのことが理由で、人間は「宇宙の愛」を部分的には感じ取ることができ、自身の判断と行動を通してこの愛の一部を表現することができます。

神秘学の探究とは言わないまでも、少なくとも人間を尊重するという方向性が私たちの人生に与えられるためには、宇宙の愛が前提として必要とされると私は考えています。

 

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

△ △ △

再び本庄です。

いかがでしたでしょうか

 

私はこの文章を読んでいて、次の言葉を思い出しました。曹洞宗の本山のひとつである永平寺の貫首であった故宮崎奕保(えきほ)禅師の言葉です。

「自然は、立派やね、…規則正しい、そういうのが法だ、法にかなったのが大自然だ、法にかなっておる。だから、自然の法則をまねて人間が暮らす、人間の欲望に従っては迷いの世界だ、真理を黙って実行するというのが大自然だ。」

この主張は、思想というよりは、長年の厳しい修行を通して直観された“英知”にあたるととらえるべきだと感じます。

 

前回のセルジュ・ツーサンの記事は次のURLで読むことができます。

参考記事:『感情について

 

では、今日はこのあたりで。

また、お付き合いください。

 

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