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「清兵衛とひょうたん」から

2020年1月24日


 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

今週の月曜日は二十四節季の大寒でした。暖冬のせいか、東京板橋では例年よりも早く河津桜のつぼみが膨らんでいます。もう数日で開花しそうです。

 

いかがお過ごしでしょうか。

 

今日の話題は、ひょうたんです。

ひょうたんの実の形は何となくユーモラスですね。辞書を引くと、「ひょうたんでナマズを押さえる」(要領を得ないこと)、「ひょうたんの川流れ」(落ち着きなくぶらぶらしていること)など、やはりユーモラスなたとえに使われています。

 

志賀直哉の短編小説「清兵衛とひょうたん」についての、山形県にお住まいの私の友人から寄せられた文章をご紹介します。

▽ ▽ ▽

記事:「志賀直哉の清兵衛とひょうたんから見えてくるもの」

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下勝悦

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下 勝悦

 

文豪、志賀直哉の作品に、「これは清兵衛と云う子供とひょうたんとの話である」で始まるユニークとも言える短編があります。

つい先日、ふと思いだし図書館から借り改めて読んでみました。

皆さんも学校の国語の授業で一度は読まれた(読まされた)経験があるのではないでしょうか。

ひょうたん

 

内容を忘れた方、読まれたことのない方もおられるでしょうから、まずは簡単にあらすじを。

ひょうたんに熱中する十二歳の清兵衛と云う名の子供が、あるとき、彼にとってはふるいつきたいほどにいいひょうたんを見つけ十銭で手に入れます。

それからは肌身離さず手を入れ(骨董の世界では「育てる」というのだとか…)とうとう学校にまでも持ち込むまでになりました。これにはさすがに教師の怒りを買うことになり、取り上げられてしまいます。さらに、父親からそれまでに集めたひょうたんをすべて割られてしまいます。

 

その後、教師から取り上げられたひょうたんは、処分を任された年寄った学校の小使によって骨董商に持ち込まれてしまいます。それを見た骨董商はそのひょうたんを五十円で引き取り、その後に地方の豪商に六百円の値で売りつけたのです。

その後、清兵衛は絵を描くことに熱中することになるのですが、「このことにもしばらくして父親は小言を言い出し始めて来た」で話しが終わっています。

Shiga Naoya 1938

志賀直哉、諏訪町の自宅にて(1938年)、瀧井孝作撮影 (Kōsaku TAKII, 1894-1984)、Wikimedia Commons [Public domain]

 

さて、清兵衛はひょうたんに何を見ていたのでしょうか、何を感じていたのでしょうか。

文中で清兵衛の父親や廻りの大人たちは品評会に参考品として出品されていた馬琴(宝井馬琴?)のひょうたんと称する長く大きいひょうたんを称賛しています。

ところが清兵衛はそれを「面白くない、かさ張っているだけ」と言い放ち、父親から「子供に何が解る」と怒鳴られてしまいます。ちなみに清兵衛のひょうたんは「取るに足らない平凡な形」と表現されています。

 

しかし、疑うことなく清兵衛は自分の持っているひょうたんに美を感じていたのに違いありません。

清兵衛自身はどう思っていたのでしょうか?

美とは何なのでしょうか?

 

美に関して、こんな言葉があります。「美しい花がある、花の美しさというものはない」。

そこで、花の文字をひょうたんに変えてみましょう。その後に別の文字、たとえば、音楽、絵画、書、等々と入れ替えてみましょう。しかし、どうあがいても抽象的表現の域から脱しません。

そこでまたもや図書館に直行です(笑)。

 

そこで面白い(興味深い)本を見つけました。

「美とは何?」といった直接的な答えを見つけたのではありませんでしたが。

曰(いわ)く、人間が音楽を聴いたり美術品を見たりしたときに美しいと感じ取る脳の働きは、人類の誕生と時を同じくして備わった機能なのだそうです。さらにその機能の作動は脳のニューロンの…、ややこしい話しはやめましょう(笑)。

FSbottlegourd

Wikimedia Commons, Benjwong [Public domain]

 

加えて、このような説も。

人間はそういった機能の他に無数の潜在能力(美術、文学、科学、化学、等々、ジャンルを問わず)を有していて、その発現の原動力(スイッチ)となるのは、その人の住んでいる国の文化、自然環境、個人が受け取った教育、宗教、人生経験、人生観、人間関係、等々だとか。

その説明を聞くと、清兵衛はあれほど熱中していたひょうたんをあっさりと捨てさり、絵を描くことに方向転換したことに納得がいきます。それでは、ここで思いっきり『拡大解釈』を試みてみましょう。そうすると、私達は清兵衛のレベルを遥かに越え、レオナルドダヴィンチの域に達する事も夢ではないのでは…?

 

皆さんは、この事を単なる夢物語と笑い飛ばしますか? それとも…

最後に、余談になりますが清兵衛の時代の五十円は現在の五万円ぐらいらしいです。

そうすると、六百円とは六十万……(驚!!)

△ △ △

ふたたび本庄です。

子供の直観が大人の常識や思惑をはるかに超えて、真実を露わにしたり何かを予想外な出来事のきっかけになったりするという話は、読んでいて爽快さを感じます。このような話は、東洋にも西洋にも今も昔も広く存在しているようです。

子供は、常識や打算に汚されていない、人の心の奥深くを表わす象徴なのかもしれません。

そして、常識や論理的な思考に反していたとしても、直観が伝えてくれていることを無視してはならないというメッセージが、このような話には込められているように思います。

バラ十字会にも「真実は子供の口から語られる」という言葉が伝えられており、このことを表わす神秘劇も残されています。

 

おそらく寺田寅彦さんの作品だったと思うのですが、子供が、ある石を見つけて夢中になるという話があります。その石を持っていると、まるで石が語りかけてくるようにその子は感じます。

残念なことにこの短編小説の名前を忘れてしまいました。ネタバレになるので結末は秘密ですが、題名がお分かりの方は教えてください。

 

下記は前回の山下さんの記事です。

記事:『お祭り男の独り言

 

では、今日はこのあたりで。

 

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