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権力について

2020年4月3日


 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

新型コロナウイルスの動向が日々気になりますが、ここ東京板橋でも、春が確実に進んでいます。ソメイヨシノはそろそろ満開を過ぎ、バラの苗もつぼみをつけ始めました。

いかがお過ごしでしょうか。

 

今回は、当会のフランス代表が自身の人気のブログに先週投稿した記事の翻訳をご紹介します。

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記事:「権力について」

“À propos du pouvoirpar”

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

 

人類の人口が増え社会が作られるようになったときから、人間には常に2種類の性格の人がいました。

ひとつは、支配者でありたい、リーダーでありたいと望む気質の人たちであり、もうひとつは、支配欲がそれほどなく、歴史に名を残そうとはまったく考えず、他人の導きに身を任せてもかまわないと考える気質の人たちでした。

このことは人類の歴史にとって好ましいことでした。なぜなら、誰もがもしリーダーであり命令者でありたいと望んだとしたら、世の中には常に“戦火と流血”が満ちあふれていたであろうからです。

反対に、そのような人が誰もいなければ、社会は組織化されずに活力を失い進歩は止まっていたことでしょう。人間のこの2つの性格は、互いに他を補い合い、バランスし、調和しているとさえ言うことができます。

中世の戦いの道具

 

しかし誰もが知っているように、人間には欠陥とまでは言いませんが弱点があり、多くの支配者や指導者には次のような傾向があります。つまり、他人を従わせる力を無制限に手に入れようとし、公共の利益や利他的な目的のために用いるのではなく、権力を自分の個人的な野心を満足させるために用いがちです。

このことは政治だけでなく、経済、科学、宗教などのあらゆる分野に見られます。多くの場合、このような野心の背後にあるのは過剰な自尊心であり、バランスを失った自尊心からは、ひどい場合には、暴君や独裁者、絶対権力者、マフィアの「ゴッドファーザー」、さまざまなカルトの「教祖」などが生じます。

勅令を読む王様

 

このような極端な例は別にしても、ご存知のとおり、権力のための権力を求める人たちが、それを有益で建設的なやり方で用いることは、あまり見られません。

このような人たちは、自分が要人であり大物だと感じたいという欲求を満たし、個人的な利益を得るために権力を行使します。そして一度権力を手に入れると、どうしてもそれを手放さなければならなくなるまでは権力にしがみつきます。

さらに言えば、このような人たちはほとんどの場合、他人に、特に社会的な立場が自分より“劣る”人たちに服従を要求します。つまり、弱者を威圧することで自分の支配下にあり続けるようにします。

 

当然のことですが、権力を望んだり要求したりしなかったにも関わらず、何らかの敬意で権力を行使する役割に就き、権力に取り憑(つ)かれることなく、その役割を果している多くの人がいます。

このような例が特に多いのは、専門性が極めて高い職業の分野です。この様な分野では、決断を下さなければならず、仕事の仲間を指導しなくてはならない立場の人が、リーダーの役割を務めます。

例外はありますが、このような人たちは通常、自分の能力の最善を尽くして、すべての人の利益のために与えられた役割を果そうとします。そのために自分の困難がさらに増すようなときでも、すべての人の利益が優先されるべきだと彼らは考えます。

 

一般的に言えば、権力は、それを握った人の心の中にあるものを露わにしてしまいます。

もし権力を持つ人が、内面的に好ましい発達を遂げているのであれば、力を誇示することなく、他の人から認められることや敬意を受けることもそれほど強く求めずに、権力が聡明なやり方で行使され、公共の利益のために役立てられます。

もしその人がまだ、もっぱらエゴの衝動のもとに行動しているのであれば、その人は、執念深い権威主義者に変身してしまう危険性があります。

 

権力を行使する立場にあるすべての人が、自身の心の深奥にある良心に従って最善のやり方で行動する、そのような時代が来ることを心から望まずにはいられません。

 

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

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ふたたび本庄です。

 

この文章を読んで、イソップ物語のことを思い出しました。

皆さんも、いくつも話を覚えておられることでしょう。

 

「ネズミの相談」では、自分たちをいつも苦しめているネコの首に鈴を付けるという案が出ますが、その役を買って出る者が誰もいません。

「ライオンの分け前」では、ライオンとロバとキツネが狩りをしますが、獲物の分配をまかされたロバが平等に分けると、ライオンが怒ってロバを食べてしまいます。

ライオン

 

イソップ物語には、教訓や道徳的な意味が込められていると言われることもありますが、この2つの例などから考えると、むしろ、権力や政治へのユーモアにあふれた批判に思えてきます。古代ギリシャにも、他のあらゆる時代のあらゆる国と同じように、ろくでもない権力者とその取り巻きがいたのでしょう。

 

下記は前回のセルジュ・ツーサンの記事です。

記事:『理性について

 

では、今日はこのあたりで。

また、よろしくお付き合いください。

 

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