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偶然について

2020年5月22日


 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

東京板橋では、この数日はっきりしない天気が続いています。アジサイが咲き始め、梅雨が近いことが感じられます。

いかがお過ごしでしょうか。

 

さて、唐突ですが、今まであなたの人生に起った、不思議な偶然と感じられるできごとを思い起こしていただきたいのです。

当会のフランス代表が自身のブログに、「偶然」をテーマにした文章を投稿していますので、ご紹介します。

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記事:「偶然について」

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

 

偶然についての疑問

偶然という事柄に関して、主に生じる疑問は次のようなことではないでしょうか。偶然は、そもそも存在するのでしょうか。宇宙が誕生したことや、地球上に生命が誕生したことは偶然なのでしょうか。私たちの生活や人類全体の将来に何が起こるかということには、運・不運というような偶然が影響するのでしょうか。

多くの科学者は偶然と因果関係の両方が、あらゆる物事を決定する要因だと見なし、偶然はいたるところに存在すると考えています。反対に、神秘家の多くには、偶然というものが存在しないと考える傾向があります。一体、偶然とは正確には何なのでしょうか。

 

宇宙的な規模での偶然

多くのバラ十字会員と同じように、私は偶然というものが存在しないと考えています。あらゆる結果は、ある原因から生じるからです。

宇宙を例に取るならば、それは、何にも増して感嘆の念を起こさせるような、ある一連のプロセスを経て現在の姿になりました。そしてそのプロセスの根本にあるのは、科学者、特に天体物理学者たちを驚嘆させるような数々の法則です。だとすれば、宇宙の創造や地球上の生きものの誕生のことを、偶然の結果であるとか、たまたま起きたできごとの組み合わせであると考えることができるでしょうか。

「木は、果実によって知られる」(The tree is known by the fruit.)ということわざに従えば、宇宙の創造と地球上の生きものの誕生は両方とも、人知がはるかに及ばない優れた原因によってなされた結果であることが明らかであるように思われます。この原因はいわば超越的な知性であり、宗教を信仰している人の多くがこの知性のことを神と呼んでいるのではないでしょうか。

多数のサイコロ

 

人の誕生と偶然

人の誕生との関連では、偶然とはどのようなことでしょうか。バラ十字哲学の見解では、人の魂(soul:ソウル)は、どの国のどの家庭に生まれるかをあらかじめ選択して、この世に誕生してきます。そしてこの選択は、その国や家庭の全般的な状況が、その魂の進歩のために最も適しているという観点から行われます。

また、成長するにつれて、人はますます自分の自由意志を行使するようになり、自分自身の運命を形作っていきます。

ですから、そのようには思われないかもしれませんし、現在主流の考え方とも異なりますが、誰かが、ある時代のある場所に、ある母親のもとに生まれるのは偶然ではありません。しかしもちろんこのことは、その人が生まれたその国で最後まで暮らすことを、運命づけられていることを意味する訳ではありません。

 

人生と偶然

人生のあらゆる場面で、私たちはさまざまな選択を行っていて、それが、家族、社会、職業など、さまざまなレベルでの状況を左右しています。

時々刻々、日ごと年ごとに自分に起こるすべての出来事を偶然の結果であると見なすならば、自分には自由意志などないと認めることになり、自分の未来に望ましい影響を及ぼすことができなくなってしまいます。そうではなく、日々何を考え、何を話し、何を行うかは大部分が自分の責任であり、これらのことによって、良かれ悪しかれ、自分の人生に何が起こるかの多くが決まっています。

もし、カルマの法則(訳注)と生まれ変わりを事実だと考えるならば、現在の人生で起こっている出来事の一部、幸福や不幸の一部は、以前の人生に原因があるという可能性を理解することができます。

 

訳注:カルマの法則(the law of Karma):望ましくない思考、発言、行ないからは望ましくない状況がもたらされ、望ましい思考、発言、行ないからは望ましい状況がもたらされるという法則。

 

私たち一人一人の人生が、自身の選択によって主に左右されているということが事実であるとしても、私たちが「偶然」と呼ぶものの一部が人生には含まれているように感じられます。

突然出くわす事態、自然界のできごと、誰かとの出会いなどです。それらには、私たちが何を考え、何を語り、何を行ったかとは直接の関連がないように思われます。それが望ましくないものに感じられるとき、私たちは「宿命」と呼ぶでしょうし、望ましいと感じるときは「天の恵み」などと呼ぶことでしょう。

しかしいずれの場合も、それらが偶然に生じている訳ではありません。なぜならそこにも、私たちには見通すことができないとしても、必然的な原因・発端・理由など、そのできごとが起った説明となるものがあるからです。

バックギャモンボードと宙を舞うサイコロ

 

私の意見では、偶然というものが存在するように人間の目に映るのは、私たち人間の理解不足のためです。私たちは、自分たちの生活を特徴づける出来事のすべての原因を理解できるわけではありませんし、自然界で起こる現象のすべての原因を理解できるわけでもありません。さらに、広い世界や宇宙で起こる事柄については、なおさらです。

ですから、私たちが偶然とは何かを理解するときには、アルバート・アインシュタインが述べた次の言葉が参考になります。「偶然とは、神が匿名であることを望んだときに用いる方法である」。

 

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

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ふたたび本庄です。

偶然と聞いて私がすぐに思い浮かべるのは、バックギャモンという、サイコロを振って2人で行うゲームです。ご存知ない方も多いと思いますが、日本では「盤すごろく」と呼ばれ、奈良時代にはすでに行われていました。

偶然性と戦略の両方を楽しむことのできる奥深いゲームです。

 

しかし、顔と顔を突き合せて行う対戦は、今はほとんどが自粛されています。愛好家の方々は寂しい思いをしていることでしょう。

 

下記は前回のセルジュ・ツーサンの記事です。人気になり、多くの方々に読んでいただきました。

記事:『新型コロナウイルスについて

 

では、今日はこのあたりで。

また、よろしくお付き合いください。

 

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