投稿日: 2020/08/28
最終更新日: 2022/08/08

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

残暑のお見舞いを申し上げます。しかし残暑とは名ばかりで、まだ猛烈に暑いですね。

いかがお過ごしでしょうか。

 

この数日、東京板橋は空が晴れている夜が多いのですが、札幌で当会のインストラクターを務めている私の友人が、この時期にふさわしい文章を寄稿してくださいました。

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文芸作品を神秘学的に読み解く(23)

『銀河鉄道の夜』 宮沢賢治

森和久のポートレート
森 和久

 

「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」先生が質問します。

 

物語は小学校の午後の教室、理科の時間の場面で始まります。話題は「天の川」についてです。カンパネルラを初め数人の生徒が勢いよく手を上げます。

ジョバンニは判っているような気がしますが、よく思い出せません。先生はそんなジョバンニに答えさせようとします。あてられたジョバンニは答えられず、立ち尽くし、級友たちが冷やかします。そこで先生は代わりにカンパネルラを指名します。しかし、判っているはずのカンパネルラも無言です。

そこで先生は自分で天の川銀河の物理的説明をし、「今日はその銀河のお祭なのですからみなさんは外へでてよくそらをごらんなさい。ではここまでです。」と授業を終えます。

以前ジョバンニはカンパネルラの家で一緒にこのことを雑誌や本で見ていたのです。ジョバンニは仕事の辛さで頭が回らなくなっていたのです。「カムパネルラがそれを知って気の毒がってわざと返事をしなかったのだ、そう考えるとたまらないほど、じぶんもカムパネルラもあわれなような気がするのでした。」

夜の湖と天の川

 

主人公のジョバンニは貧しい家の少年で、放課後は活版所で活字拾いのアルバイトをしており、この日は仕事の後、病気の母のために、配達されなかった牛乳を受け取りに牧場へ向かいます。

彼の父親は北の海へ漁に出かけており、長い間帰って来ていません。

ジョバンニはカンパネルラだけを親友と思っています。普段から級友たちやアルバイト先の大人たちからもいじめられ、疎外感を抱いています。孤独な少年にありがちの空想にふけることもたびたびです。

 

この日は星祭りの日なので、カンパネルラと級友たちはカラスウリを流しに川へ向かいます。牧場で牛乳を受け取れなかったジョバンニはその集団に出会いますが、ザネリに馬鹿にされたため、逃げるように街から離れ、『天気輪の柱』のある丘に来ます。

そこに寝転がり、街の灯りや楽しげな乗客の乗った汽車を眺めます。乗客たちはリンゴをむいたり笑ったりしています。いたたまれなくなったジョバンニは夜空を見上げます。するとそこは暗い夜空ではなく林や牧場のある野原のように思われるのです。

 

そのうち『銀河ステーション』という声がして、気がつくとジョバンニは軽便鉄道の車室の座席に座っていたのです。すぐ前の席には水に濡れたような服を着たカンパネルラも座っています。この銀河鉄道は天の川の岸を北から南へ向かって走っているのです。

車窓の外にはリンドウの花が咲き誇り、もう秋の訪れを知らせてくれます。銀河ステーションの近くには琴座のベガがあり、対岸には鷲座のアルタイルがあります。そして白鳥座のデネブとで、夏の大三角を形作ります。白鳥座には北十字があります。南へ進んでいくとひときわ明るい天の川の部分になります。作者はここを『コロラドの高原』と呼んでいます。ここでは、射手座が輝いています。

次には、蠍座のアンタレスが赤く光っています。さらに進むと南半球のケンタウルス座があります。もっと南へ向かうと南十字が現れます。その脇には石炭袋(暗黒星雲)が真っ暗な口を開けています。これらの星々を眺めながらジョバンニとカンパネルラは銀河鉄道の旅をするのです。

星の夜空と機関車

 

ジョバンニはいつも孤独感を味わってきましたが、銀河鉄道に乗っているときも、カンパネルラと女の子が楽しそうに話しているのを見て、疎外感にさいなまれてしまいます。自分でもどうしようもなく、女の子もカンパネルラも遠い存在のように思えて仕方ありません。

実は女の子たちが乗ってくるその前に乗っていた鳥捕りの男に対してジョバンニは、冷めた感情で接していた自分に気付きます。

そして後悔の念で、「もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸(さいわい)になるなら自分があの光る天の川の河原に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がし」ます。

「僕はあの人が邪魔なような気がしたんだ。だから僕は大へんつらい。」と自分の心情を吐露します。

 

カンパネルラは川で溺れた級友のザネリを助けるために自分が溺れ死んでしまいます。究極の滅私奉公かもしれません。しかし、カンパネルラ本人には割り切れていません。

「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。」というせりふが何度も出てきます。でもそれは彼が心からそう行動せずにいられなかった行いだったのでしょう。

作者がこれを英雄譚として書いていないことからも判ります。人間の生き方のありようなのかもしれません。

 

ですからこの物語は、本当の幸福とは何か、他人のために尽くし、尽くしきれるかという問題を突き詰めると同時に、ジョバンニのさらなる学び、さらなる発展の物語です。

読者である私たちは主人公のジョバンニに感情移入し、カンパネルラのような人間になれるだろうかと考え、カンパネルラという友がいなくなっても一人で生きて行かなければならないんだと、そう心に決めるのです。

 

女の子とその幼い弟と家庭教師の青年は、乗っていた船が氷山にぶつかり沈没したのです。

そのとき青年は他の子どもや親たちを押しのけて、女の子と弟を救命ボートに乗せようと一旦は思ったのですが、

「けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまま神のお前にみんなで行く方がほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。それからまたその神にそむく罪はわたくしひとりでしょってぜひとも助けてあげようと思いました。けれどもどうして見ているとそれができないのでした。」

と思い直し、三人で板きれにしがみ付き浮いていられるだけ浮いていようと試みます。その時、賛美歌『主よ御許に近づかん』が聞こえてきて、大勢の人たちがいろんな言語でこの賛美歌を歌い出したのです。

 

このシーンは1912年に、実際に起こったタイタニック号の沈没をモチーフにしていると思われます。この時、船上楽団が最期に演奏した曲は何かということについて諸説あります。当初はこの物語でも取り上げられているように讃美歌第320番『主よ、御許に近づかん』とされていました。

「わが神よ、御許に近づかん、御許に近づかん。たとえ私を高く持ち上げるものが十字架であったとしても、なおも、わが歌の全ては、わが神よ、御許に近づかん、わが神よ、御許に近づかん。」と歌われます。

 

この物語を元にしたますむらひろしの漫画をアニメ化した映画もジェームズ・キャメロン監督の映画『タイタニック』など多くのタイタニック号の沈没を描いた映画でもこの曲が使われています。

そのアニメ映画の音楽を担当した細野晴臣の祖父はタイタニック号に乗船した唯一の日本人で、無事生還することが出来ました。助かったおかげで晴臣の父が生まれ、晴臣も生を受けました。ところが彼の祖父は他の乗客を押しのけて、救助ボートに乗った卑怯者という汚名を着せられました。

しかし、1997年から行われた調査の結果、たまたま一人分の席が空いていたところに乗ることができたという事実がわかり、汚名をすすぐことができました。

 

その後、最後に演奏された曲は、『オータム Autumn』が有力とされてきています。

この曲は讃美歌第351番『友という友はなきにあらねど』のことで、「私たちを救うすべての友人のうち、誰が血を流すことができるでしょう? しかし、私たちのイエスは私たちを神と調和させるために死を選びました。これは確かに無限の愛でした。イエスは大切な友です。」ということを歌われます。

この賛美歌の照合する聖句は、『新約聖書 ヨハネによる福音書 第15章 第13節』です。そこには十字架にかかる前夜、弟子たちに語ったイエスの言葉としてこうあります、「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」

 

イギリスの音楽家ギャヴィン・ブライアーズ(Gavin Bryars)はこの曲をアレンジして、“The Sinking Of The Titanic”のタイトルで3度音楽アルバムをリリースしています。

最初は1975年にブライアン・イーノの環境音楽レーベル、オブスキュア・レコードから出しました。彼は、奏でられた音楽が波の下に消えたとしても音は反響し続けると想像しました。音の響きは海底まで届き、その振動は永遠に鳴り続けるのです。

2作目は1995年にリリースされました。録音はナポレオン時代の給水塔で行われ、ミュージシャンたちは塔の地下で演奏し、給水塔は巨大な残響室として機能しました。

3作目は2007年にリリースされました。これには楽器としてターンテーブルが導入され、そのパチパチ音が巨大なうねりとなり新たな境地を表現しています。いずれのアルバムもタイタニック号が沈没する様を具現化した音響となっています。

 

『カンパネルラ(Campanella)』とはイタリア語で『(小振りの)鐘』を意味します。鐘とは『時』を知らせるものです。またルネサンス期のイタリアの司祭で哲学者のトマソ・カンパネッラ(Tommaso Campanella)も有名で、この物語のカンパネルラも彼からとられたという説があります。

彼は平等・共産を理想とする神政によるユートピアの実現を目指しました。『ジョバンニ(Giovanni)』はイタリア語で『ヨハネ』のことで、上記のこととの繋がりを感じさせます。ガリラヤ湖で漁師をしていたヨハネはイエスの弟子となり、磔刑の場でも最後までイエスのそばにいたとされます。

 

汽車は『コロラド高原』の駅に止まりました。するとドヴォルザークの『新世界交響楽』が流れてきます。この曲はドヴォルザークが新天地であるアメリカへ渡って、つづった交響曲です。

汽車は峠を越え斜面を大きく下り始めます。「ええ、もうこの辺から下りです。何せこんどは一ぺんにあの水面までおりて行くんですから容易じゃありません。この傾斜があるもんですから汽車は決して向うからこっちへは来ないんです。そら、もうだんだん早くなったでしょう。」と老人らしい声が言います。

そうです、この銀河鉄道は北から南へしか走らないのです。冥界へ向かうのですから。

 

ジョバンニはだんだん心持ちが明るくなってきます。蠍座の近くに来た時、女の子は父に聞いたというサソリの話を始めます。サソリはその毒針で小さな虫を殺して食べているけど、ある時、イタチに追いかけられ、逃げ回っているうちに井戸に落ちてしまい出られなくなってしまいます。

「ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉(く)れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸(さいわい)のために私のからだをおつかい下さい。」

こう言って、今では天で自分の体を燃やして暗闇を照らしているということです。

 

南十字に近づいて来て、女の子たちはそこで降りなければなりません。ジョバンニは別れが惜しくなり、本当の神について女の子と言い争います。そして誰の神が本当なのかではなく、神は一人であると諭されます。

「ああそのときでした。見えない天の川のずうっと川下に青や橙やもうあらゆる光でちりばめられた十字架がまるで一本の木という風に川の中から立ってかがやきその上には青じろい雲がまるい環になって後光のようにかかっているのでした。」

みんなは祈りはじめ、ハレルヤが高らかに響き渡ります。

 

女の子たちも他の人たちも降りてしまい、ジョバンニはまたカンパネルラと二人っきりになります。ジョバンニは言います、「どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」

ジョバンニが続けます、「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう」。「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云います。

 

汽車は『石炭袋』に近づきます。天の川の中に真っ暗な穴が開いているようです。「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」ジョバンニは言います。

そうして振り返ってみると、いままでカンパネルラがいた席にカンパネルラの姿はなく、ただ黒いビロードだけが光っていました。

みなみじゅうじ座の石炭袋
みなみじゅうじ座の石炭袋 Wikimedia Commons / Public domain

 

ジョバンニが目を開くと、そこは元の丘の上です。疲れて草の上で眠っていたのです。そして再びお母さんの牛乳を受け取りに牧場へ向かうのでした。

 

この物語でジョバンニはカンパネルラと銀河鉄道で天の川を旅するのですが、冒頭にあったように、天の川は英語では“Milky Way”と呼ばれミルクが流れているように思われたりします。

この日、地上においては、ジョバンニは母のために牛乳を求める道を歩みます。天上と地上がシンメトリーになっています。

 

付記:この物語は未完の作品です。結果的に第4稿が最終稿となりました。第3稿までは、車室でカンパネルラがいなくなった後、「ブルカニロ博士」の登場する一節が入れられていました。この謎の博士がジョバンニにいろいろと説き、銀河鉄道に乗る夢自体が博士の実験だったと種明かしのようなことをします。作者の推敲によりこの部分は削除されたわけですが、各出版社で判断が違っています。私見では不要な部分です。また、岩波版などは最後の「~もう一目散に河原を街の方へ走りました。」の後に、数行ノスタルジックな一節を(削らずに)入れ込んであります。

△ △ △

ふたたび本庄です。

森さんの文章にも書かれていたように、『銀河鉄道の夜』にはキリスト教の影響が見られます。しかし、ご存知の方も多いと思いますが、宮沢賢治は熱心な仏教徒だったことが知られています。

宮沢賢治(1924年、27歳当時)
宮沢賢治(1924年、27歳当時) Wikimedia Commons / Unknown author / Public domain

 

優れた童話や伝記の多くに共通する特徴だと私は思っているのですが、『銀河鉄道の夜』も一例ですが、読後にいたたまれないほど、この世の無常を感じます。

打ってかわって、宮沢賢治といえば私が最初に思い出すのは『注文の多い料理店』です。まさに夏向きの怪談話ですが、いったい彼はこの童話で子供に何を訴えたかったのでしょうか。不思議です。

 

『銀河鉄道の夜』も『注文の多い料理店』も、青空文庫で読むことができます。

 

下記は、森さんの前回の文章です。こちらは、文字にまつわる奇怪な古代アッシリアの物語です。

記事:『文字禍

 

では、今日はこのあたりで。

また、お付き合いください。

 

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