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青春小説

2021年2月26日


こんにちは。バラ十字会の本庄です。

例年と同じように、早春のこの時期は寒暖の差が激しいですね。

 

いかがお過ごしでしょうか。

 

札幌で当会のインストラクターを務めている私の友人が、ちょっとギョッとする題名の青春小説についての文章を寄稿してくださいました。若い人たちの言葉では「アオハルっぽいストーリー」と言うのですね。ご紹介します。

▽ ▽ ▽

文芸作品を神秘学的に読み解く(26)

『君の膵臓をたべたい』 住野よる

森和久のポートレート

森 和久

 

私は書名を聞いて、「ホラーなの? そういうのはちょっと、好きじゃないんだよ」と、紹介してくれた生徒に返事をしました。膵臓は大切で、膵臓の病気は治りにくいと話していた時のことです。

「そう、膵臓の病気で治らないの。アオハルっぽいストーリー、結構流行ったよ」と説明され、アオハル(青春)の意味は分からなかったけれど、膵臓の病気というのが気になったのもあり、つまらなければやめるだけと思いながら読み始めました。

いわゆるBoy Meets Girlのライト・ノベルで、読み進むうちに自分が10代の頃の感じを思い出させてくれました。病気で余命1年未満の女子高校生と彼女の家族以外で、彼女の病気について知っているただ1人の男子高校生の物語です。

並んで歩く制服の高校生の男女

 

作品の冒頭を見てみましょう。

『クラスメイトであった山内桜良(やまうちさくら)の葬儀は、生前の彼女にはまるで似つかわしくない曇天の日にとり行われた。』

桜良は死んでしまいました。明るく活発な女子生徒だったと読者に知らされます。

対して、主人公の「僕」は友人など参列者が多いだろう葬式にも通夜にも行きませんでした。それは「僕」の唯一の友人は桜良だけで、かつ二人の関係を知っている大人もいないわけで、行かないという選択を全うできたのです。

この桜良と「僕」という正反対の高校生二人がどう関わり合って行くのかということがはじめに提示されています。私は文学少年の「僕」にシンパシーを募らせながら読み進めました。

全く友人も知人すらいない「僕」は桜良と交流していく中で、文学では得られなかった精神的成長を遂げていきます。そして生きている自分、肉体を持って生を全うしている自分を感じるようになります。では、それを見ていきましょう。

本とキャンドル

 

「僕」と同じ図書委員になった桜良は、本の整理なんかやらずにもっと死ぬ前にやるべきことをやったらいいのに、と言われこう答えます、『でも今、それをやってないじゃん。私も君も、もしかしたら明日死ぬかもしれないのにさ。そういう意味では私も君も変わんないよ、きっと。一日の価値は全部一緒なんだから、何をしたかの差なんかで私の今日の価値は変わらない。私は今日、楽しかったよ』。そうですよね。17歳の1日も80歳の1日も同じ重さのはずなのです。ましてや他人が判断することでもないですね。桜良は二人の関係を「仲良し」と表現しています。

桜良に好意を寄せる学級委員に殴られ、「僕」は学級委員のようには一途に桜良のことを考えてなかったことに思い当たり、偶然出会った「僕」よりも彼の方が桜良には相応しいのではないかと伝えます。

『違うよ。偶然じゃない。私達は、皆、自分で選んでここに来たの。君と私がクラスが一緒だったのも、あの日病院にいたのも、偶然じゃない。運命なんかでもない。君が今までしてきた選択と、私が今までしてきた選択が、私達を会わせたの。私達は、自分の意思で出会ったんだよ』、と桜良は答えます。そうです、偶然は必然なのです。すべてのことはそれぞれの選択によって成り立っているのです。だからこの日、二人は、桜良の言う「仲直り」をしたのです。

 

また、人気者の桜良に好意を寄せてくる男子も多かったようです。けれども、何人にも好きになられようとも、自分が好きな人に振り向いて貰えることこそ最も大切ということを桜良は判っていて、願っていたのです。

桜良に質問を1つ出来るチャンスを手にした「僕」は、臆病故に「僕」に対する桜良の気持ちを聞き出せません。代わりに口から出た質問は、『君にとって、生きるっていうのは、どういうこと?』でした。そこには桜良が死ぬということを受け入れられない「僕」の気持ちの表れがありました。桜良は答えます、『生きるってのはね。きっと誰かと心を通わせること。そのものを指して、生きるって呼ぶんだよ』。「僕」の魂は揺らぎます。そして以前とは違う「僕」であることを自覚します。

いろんな面で正反対の二人は、磁石のN極とS極、色の補色同士のように惹かれ合い、補い合う関係です。「君の膵臓をたべたい」ということは、その人を自分の中で生き続けさせたいということ。共に生き、そして共に死を迎えたいとの願い。そのため桜良は「僕」を選び、「僕」はそれを悟ることが出来ました。

雨の日に窓の前で読書する女性

 

ところが、桜良をアクシデントが襲います。桜良は宣告されていた余命までをも生きることは出来ませんでした。

神秘学について、半ば茶化すように「神秘学の魔法を使って災難から逃れたり、事故を止めたり出来ないの?!」という人がいます。端的に言えば、できません。もちろん意識の有り様、特に人々の集合意識によって影響を与えることは出来ますけれども。また、クリスチャン・ベルナール前代表はこう述べています、「神秘家はレッスン(教訓)からの免除者ではありません。我々は学ぶことが少しばかり容易になることを知るのです」

花束

 

終盤、桜良は、なぜ桜が春に咲くのかについて、こう述べます、『教えてあげる。桜は散ってから、実(じつ)はその三ヶ月くらい後には次の花の芽をつけるんだよ。だけど、その芽は一度眠るの。暖かくなってくるのを待って、それから一気に咲く。つまり、桜は咲くべき時を待ってるんだよ。素敵じゃない?』 これは桜良の自分に照らし合わせた死生観であって、神秘学的にも輪廻転生に繋がるものでしょう。

 

この物語は各媒体で作品化(メディアミックス)されています。私は[コミック(漫画)-小説(途中まで)-実写版映画-小説(続きから最後まで)-アニメ映画]の順でみました。無粋ですが、各作品に個人的採点をしてみました。☆の数5点満点として、小説☆☆☆☆、コミック☆☆☆、アニメ映画☆☆、実写版映画☆です。皆さんの評価はいかがでしょうか。

△ △ △

ふたたび本庄です。

インターネットで調べてみたところ、『君の膵臓をたべたい』は2016年の本屋大賞で第2位になった作品でした。

 

森さんの紹介文を読んでいて思ったのですが、ある人生が突然終わりを迎えてしまうというストーリーは、無常というこの世の本質を私たちに突きつけてくれます。

それが、神秘学(mysticism:神秘哲学)などに取り組むきっかけになることもあります。

 

そのような作品として私が思い浮かべるのは、映画「ディア・ハンター」と石川達三さんの小説「僕たちの失敗」です。「僕たちの失敗」はTVドラマ化され、主題歌として用いられたのは五輪真弓さんの「落日のテーマ」でした。乾いたような無常を感じさせる素敵な曲でした。

いずれも古い話です。失礼しました。

 

下記は、森さんの前回の文章です。

記事:『大草原の小さな家

 

では、今日はこのあたりで。

また、お付き合いください。

 

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