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知識を求める人たちへの公開書簡

2021年4月9日


こんにちは。バラ十字会の本庄です。

ソメイヨシノはすっかり葉桜になりました。東京板橋の昨晩は花冷えという言葉の通り涼しくなり、雷とともに軽く雨が降りました。

いかがお過ごしでしょうか。

 

当会のフランス代表が自身の人気のブログで公開した『知識を求める人たちへの公開書簡』を、今回から3回に分けてご紹介します。

インターネット上にさまざまな情報が飛び交うようになり、さらに時代の過渡期だと考えられる今、知識とは何か、知識と信念はどう違うのか、正しい信念と誤った信念をどう区別すべきかなど、私たちの誰もが深く考える必要があるテーマだと思います。

どうぞ、お楽しみください。

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記事:「知識を求める人たちへの公開書簡」(その1)

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

セルジュ・トゥーサン、バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表

 

「ほとんどの人が犯す最大の誤りは、知識の目的を誤解することである(中略)。知性のことを人間に与えられた貴重な贈りものだと考え、それを人類の利益のために用いる人は、ほんのわずかしかいない。」(フランシス・ベーコン、1561-1626)

 

バラ十字会に伝えられている格言に次のようなものがあります。「人間が解放されなければならないのは無知からであり、無知からだけである」。

この格言の主張は、誰もが望んでいる幸せや満足できる状況は知識によってもたらされると言い換えることができることでしょう。

あなたがこのお手紙を読んでいる理由は、「知識」という言葉があなたの心の琴線に触れたからかもしれません。この手紙がさまざまな思索のきっかけになり、あなたの役に立つことを心から望んでいます。

 

さて、知識とは何かということを見ていく前に、信念とは何かについて考えるのが有益なことに思われます。信念とは何なのでしょうか?

一般的に言えば信念とは、自分が事実だと考えるものを構成している考えであり、あなたの心の中にあるものです。信念には、自分が作り上げたものもあれば、他から伝えられたものもあります。

 

すべての人がさまざまな信念を持っています。ご自身のことを考えていただければ、あなたが持っている信念をいくつも発見なさることでしょう。そしてそれは、宗教上の信念であったり、政治、経済、芸術、道徳などに関する信念であったりすることでしょう。

信念とは多くの場合、「自分が確実だと考えていること」とほとんど同じ意味です。

つまり事実だと確信していること、言い換えれば、しっかりとした根拠があると確信している事柄と言い換えることができます。

 

信念を持つのは普通のことでしょうか。はい、私はそう思います。信念を排除するように私たちは努力するべきでしょうか。いいえ、私はそうは思いません。

人間には心の働きが理由で(私は特に、記憶、推論、想像のことを思い浮かべていますが)、ものごとについて考えずにはいられないという傾向があります。人間にとって考えることは、満たさずにはいられない欲求だとさえ言うことができます。

2人で本を読む女の子たち

 

この欲求に促されて人間は、自分自身とは何者なのか、人生にはどのような意味があるのかということを考え続けてきました。幾世紀もの間、いえ何千年もの間、知的な好奇心に導かれて、人間はさまざまな信念を発達させ、そこからさまざまな体系の思考が生じてきました。

端的に言えば知的好奇心によって、一般に「文化」と呼ばれているものが育まれ、多様な分野に適用されるようになりました。宗教、政治、経済、社会に関する文化があり、また、西洋、ヨーロッパ、東洋、アフリカ、アメリカなど、それぞれの地域に文化があり、異なる信念があります。

本を手にする世界各国の子供たち

 

ですから、私たち人間が信念を持っているということが問題をはらんでいるのではなく、信念の性質こそが問題なのだと言うことができるでしょう。

つまり、皆さんもご存知の通り「誤った信念」と呼ばれるものがあります。それはその名前が示している通り、さまざまな分野の「間違った考え」にあたります。

 

人類の歴史は、数多くの「誤った信念」に彩(いろど)られています。際立った例をいくつか挙げるとすれば、地球は平たく、その中心に大陸があり海に囲まれているのだと考えられていた時代があります。

人体内の血液は肝臓で作られ体全体の組織に染み込んでいくのであり、血液が循環するとは考えられていなかったことがあります。動物には知性も感情もないと考えられていたこともあります。

 

当時これらの信念は正しいと見なされ、大部分の人がそれを信じていたのですが、結局それは間違っていました。

では、今現在、「誤った信念」はどのくらい残っているでしょうか。数百でしょうか、数千でしょうか。どうかこのことについて考えてみてください。

書庫とアンティークの書き物机

 

さて、これまでご説明してきたようなことを見ていくと、正しい信念と誤った信念を区別すること、より広く言えば、真実と間違いを区別することは、誰にとっても難しい行ないだということが分ります。

私たちは完璧でもなければ、すべてを知っているわけでもないので、この区別に取り組むのはたやすいことではありません。ですから、人生のある時期に正しいと考えていたことが後に間違っていたということが少なからずあります。

私たちは誰もが、さまざまな事柄について自分の考えとその確実さを進歩させています。このことを実感するために、少し時間をとって過去を振り返り、あなたがかつて持っていた宗教的な信念や政治的な意見や、他の確信を思い起こしてみてください。

それらは時とともに変化し、その中には、わずかに変わったものも大きく変わったものもあることでしょう。中にはこのような変化が極めて激しい人もいますが、そうでなくても、すべての人の心にこのような進歩があり、それはこれからも続いていくことでしょう。

(第2回に続く)

 

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

△ △ △

ふたたび本庄です。

 

今回の文章で話題になっていた血液循環説について、情報を補足しておきます。

「人体内の血液は肝臓で作られ体全体の組織に染み込んでいく」と唱えたのは、西暦2世紀の古代ローマの学者ガレノスでした。彼の医学についての考え方の多くの元になっていたのはアリストテレスやヒポクラテスの説でした。

アリストテレスやヒポクラテスがあまりに偉大だったので、血液についてのこの誤った信念は、何とそれから1,500年ほどにわたって信じ続けられてきました。

 

私も初めて知ったときにびっくりしたのですが、西洋の中世の科学者の多くは、思索こそが人間の最も高尚な行ないであり、実験を用いて自然を研究するのは軽蔑すべきことだと考えていました。古代の権威を盲信し続けたことも、この考え方に影響されています。

 

この考え方を打ち破ったのはレオナルド・ダ・ヴィンチ、カンパネラ、ガリレオ、フランシス・ベーコン、コペルニクス、デカルトなどの勇気ある先駆者たちでした。

17世紀にはウイリアム・ハーベイというイングランドの医師が、血液は循環するという説を唱えます。当時この説は医学界全体から激しい反論を受けたとのことです。

人間が過去の信念にどれほど縛られてしまうかということを示す良い例だと思います。

 

ちなみに、人類は今、中世の末期と同じような規模の大転換期に直面していて、私たちのすべてが勇気と聡明さを試されていると私は考えています。

 

以下は、前回のセルジュ・ツーサンの文章です。

参考記事:「超越について

 

では、今日はこのあたりで。

また、よろしくお付き合いください。

 

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