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車の話あれこれ2

2021年8月6日

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

東京板橋でも強烈に暑い日が続いています。いかがお過ごしでしょうか。

どうか、熱中症に気をつけてお過ごしください。

 

山形県にお住まいの私の親しい友人から、車についての寄稿が届きました。2ヵ月前の下記の記事の続編ですが、話が続いている訳ではないので、単独で読むことができます。

前回記事:『車の話あれこれ』(その1)

▽ ▽ ▽

記事:『車の話あれこれ』(その2)

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下勝悦

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下 勝悦

 

日産ブルーバード・ファンシーDXという名の車をご存知でしょうか?

昭和の年代に日産自動車が当時の人気車種ブルーバードをベースにして主に女性ドライバー向けにと銘打って設定されたグレードの車なのです。

どの様に女性向けかと言いますと、車体色は淡い色を使ってのツートンカラー、内装はといえば、シートも淡い色を使ってのツートンカラー。ステアリングホイールと各種スイッチ類はアイボリーホワイトに統一、それに加えて化粧品やハンドバック等を収納できるスペース、傘立て、コートハンガー。後部ドアガラスにはカーテン、フロアカーペットは厚手の高級品、後部座席にはミニテーブル等々を標準装備(他にも多数)。さらに極め付きは、ウインカーの作動音がカッチ・カッチではなく、電動オルゴールとスピーカーで音楽を奏でるという凝りよう。

どの様なメロディーだったのかはもう忘れてしまいましたが、いつまでも聞いていたくなるようなほっこりとした曲だったと記憶しています。

ブルーバード、セダン、1300ファンシーデラックス

ブルーバード、セダン、1300ファンシーデラックス、Tennen-Gas, CC BY-SA 3.0 <http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/>, via Wikimedia Commons

 

この車のことで私の友人がこんなことを言っていました『真っ直ぐに走るのがもったいない車だね。近くに行く時でも右折、左折を繰り返して回り道をやっちまいそうだよ』。

私も同感です(笑)。

 

次もちょっと楽しい車の話です。

左ハンドル仕様の国産小型乗用車が販売されていた時があったことをご存知でしょうか?

この車の説明はちょっと長くなってしまいそうなのですぐに本題に入らせていただきます。

この車は車両代が低価格に設定されていたこととヨーロッパ車的なデザインが若い人たちに受け入れられ、人気車種となったのでした。

 

ここで一つお断りがごさいます。ここから先は私の知人から聞いた話なのですが、果たしてどこまでが本当の話なのか? まあ八・九割方はホントの話だと思いますので多少のところはご容赦願います(笑)。

 

こういった話です。

当時、この車の左ハンドル仕様の特性をフルに活用(?)する方が都内各所に現れたのだそうです。道路左側の縁石ギリギリに停車して運転席のドアをサッと開けそのまままっすぐに道路沿いの店に入っていくのだそうです。運転席のドアは歩道側になる訳ですから後続車両を気にせずに開けることができる訳です。そして買い物が終わるとサッと車に乗り込み、一気に走り去るのだそうです。

これって、外国映画の一シーンを見ている様な光景ですよね……

もしかするとオーナーの方たちも同じ様なことを思っていたのではないでしょうか?

 

実は、私も若い時分にはこれと似たような色々なことを友人たちとやらかしていました。もう時効でしょうから、お披露目致しましょう(笑)。

某年12月24日の夕刻。友人から電話が入りました。

『お~い。今晩何か予定あるか? ない? そうか、それじゃクリスマスパーティーやろう、すぐに出て来いよ』。

早速に駆けつけますと、いつもの三人がしびれを切らして待っていました。

さて、四人が顔を会わせたところで『さぁ、何をしよう』。すると私を除いた三人のうちの誰かが私の愛車を指差してポツリと一言『この車に乗ってクラッカー・・・』。

その当時の私の愛車とはホンダN600E・サンルーフ仕様という、ちょっと変わった車でした。その頃にホンダ社の人気車種だった軽自動車N360のエンジン排気量を360ccから600ccに引き上げ、主にヨーロッパに輸出していた車両を国内仕様に変更して販売された車でした。国内販売の話を聞いた時に何も考えずに衝動買いした車です。外観と重量はN360とほぼ同じ。性能に関してはとにかく速い車でした。しかし、三年後に事情があって手放してしまいました。そのことを友人らに告げると『アホか、お前は!!』の一言を頂きました(今でも後悔してます)。

オープンカーでドライブを楽しむ老夫婦

 

さらにこの車、屋根がキャンバストップ仕様、つまりオープンカーだったんです。

クラッカーの意味、もうお分かりですよね(笑)。

四人で買えるだけの量のクラッカーを購入すると山形駅駐車場から出発し繁華街に。頃合いを見計らって車の屋根から上半身を乗り出すとクリスマスの買い物等で歩道を歩く人たちに向かって三人でクラッカーを連発しながら大きな声で『メリークリスマス!!』(最初の運転は私がやりました)。

その時のまわりの方たちの反応はといえば……。負けじとばかりに大きく手を振り『メリークリスマス!!』と応えてくれる若い人たち、何が起こったんだとばかりに、あぜんと立ち尽くす中高年のオジサン・オバサンたち。反応は十人十色でした(笑)。

 

私らは全くお構いなしにクラッカーを連発しながら当時の県庁駐車場に直行。それからしばらく後、今度は運転を代わってもらい、又もやクラッカーを連発しながら山形駅に。そこでしばらく様子を見た後に何食わぬ顔で裏道を通って車を公園の駐車場に。その後は四人揃って友人の家族が経営する飲食店に直行。店に一歩入るとカウンターの奥から『おやおや? お前さん達、随分とご機嫌だね~さては何かやらかして来たんだろう?』これには私ら全員が口を揃えて『内緒で~す!!』。

ところが、私らが帰った後に入れ違いに入って来た二人連れのお客さんが『いや~楽しいものを見て来たよ。若い人達は良いね~羨ましいね~』と言って詳しく話してくれたのだそうです。

今になって思うとホントにトンデモナイことをやらかしたものです(笑)。

 

この文章を書きながらふと思いました。今現在の自分があの時の自分たちを見たら何と言うだろうかな、と。

きっとこう言うでしょうね。『若いモンに負けてたまるか~!!』

 

後書き・・・の様なもの

 

つい最近、新型車を購入した友人に車の感想を聞いたところ、こんな返事が返ってきました。

『スマホに乗ってるって感じだよ!!』

なるほど。アナログ世代の私らには良~く理解できます、同感です(笑)。

△ △ △

ふたたび本庄です。

 

この文章を読んでいて、私も思い出したことがあります。某企業で社会人として働き始め、会社の寮に入ったときのことです。同室の先輩が色あせた紺色のブルーバードを貸してくれました。

私は車に詳しくないので何年型とかはわからないのですが、もの凄い車で、荷物を載せるために改造したのか、運転席と助手席から後ろには何もなく、上下左右とも鉄がむき出しでした。エアコンもなし、窓を開けるのは、もちろん手回しハンドル。

ダットサン・ブルーバード、P311型

ダットサン・ブルーバード、P311型、I, 天然ガス, CC BY-SA 3.0 <http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/>, via Wikimedia Commons

 

さっそく同寮の男友達と一緒にドライブに出かけ、「この車、デートに使ったら受けるね」と話しながら、最初の交差点を曲がろうとしてびっくりしました。

「ハンドルが動かない!」 パワー・ステアリング(パワステ)のない車のハンドルは、回すのにびっくりするほど力がいるということを初めて知りました。

 

途中でガソリン・スタンドに寄ると、係の人が、まるで以前に可愛がっていた飼い犬を見るように目を細めて、「この車、まだ走っていたんですね。固形ワックスをかければ、まだまだきれいになりますよ!」と……。

もう35年以上前の思い出です。

 

では、今日はこのあたりで

また、お付き合いください。

 

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持続可能性について

2021年7月29日

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

私たちの事務所の向いには氷川神社があり、境内でアブラゼミが盛んに鳴いています。

暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。

 

最近、金融関係のお仕事をしているある人と会話をしていて、SDGsのことが話題になりました。

皆さんの多くもご存知のことを思いますが、SDGsとは、2015年に国連総会で採択された「持続可能な開発目標」のことです。

 

SDGsには2030年までに達成することを目指す17の世界的な目標があります。

下記のカラフルな一覧表やロゴ(カラーホイール)を、ご覧になったことがある方も多いのではないでしょうか。

SDGs:17の持続可能な開発目標の一覧

SDGs:17の持続可能な開発目標の一覧

 

SDGsカラーホイール

SDGsカラーホイール

 

その人は世界の投資の状況に詳しいのですが、SDGsが、ものすごい影響を及ぼしていると教えてくれました。

利益を上げるということを極端に重視する海外の投資ファンドでさえ、最近はSDGsに沿った活動をしている企業への投資を極端に増やし、そうでない企業への投資を減らしているのだそうです。

それは、道徳的意識が動機というよりは、SDGsを考慮しないような企業は多くの人たちからの長期的な支持を得られないので、安定した先行きや収益が見込めないと考えられることが理由なのだそうです。

 

実は、数日前に別のところでまったく同じことを聞いていたので、びっくりしました。

それは、あるテレビ番組のために行われた、ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルに対するインタビューの中でした。

天才哲学者マルクス・ガブリエルが語るコロナ後の未来と倫理

 

彼はボン大学の教授で、2013年に出した「なぜ世界は存在しないのか」という本が多くの国でベストセラーになっています。

私はまだ読んでいないのですが、神秘学(mysticism:神秘哲学)に深い関連がありますので、いずれこのブログでも取り上げたいと思います。

 

彼によればヨーロッパの企業では、経営に持続可能性という視点を加えることがすでに常識になっているようです。つまり、ある会社を短期的に成長させるのではなく、ある期間存続させようとするならば、どうしたら良いかということです。

この問いに対するガブリエルの答えは単純で、持続可能かどうかは、その企業が倫理的に善い行ないをするかどうかで決まり、それが結果的に安定した利益につながると彼は言っています。

コロナ禍は、自然が私たちに「今のようなことを続けるな」と訴えているのだと彼は考えています。そして、環境破壊や貧困の問題に取り組んだりSDGsに従ったりする企業が、長く存続することになるというのが彼の意見です。

野原の中のガラスの地球儀:持続可能性のイメージ

 

このことが正しいとすれば、企業には税理士と同じように、倫理学者や哲学者のコンサルティングが重要になります。彼は実際に、いくつかの企業の倫理アドバイザーを務めているということです。

 

また彼は、次のような興味深いことを言っていました。

それは、ある企業がたとえSDGsの理念に賛同しておらず、単に善人であることを装ってこの方針を採用して利益を出していたとしても、その「行為」が結果として倫理的であれば、それは成功であるという考え方でした。

 

さて、以上のことに関連しているのですが、バラ十字会の学習では初心者課程の終わりごろに、「カルマの法則」というテーマが取り上げられます。「カルマ」とはサンスクリット語で「行為」を意味する単語です。しかしカルマの法則は、行為よりも広い範囲について述べている次のような法則です。

ある人の思考、発言、行為が善であれば、その人には(短期的もしくは長期的に見て)幸運や利益がもたらされ、悪であればその人には不運や苦難がもたらされる。

 

付け加えておきますが、この文では多くのことが省略され、端的で集約された書き方になっています。たとえば、善と悪は時代や文化に関わらずいつでも固定的なものなのでしょうか。それとも変化するものなのでしょうか。

また「短期的もしくは長期的」と書きましたが、カルマの法則による影響が長期的な場合は、この人生という範囲には限られない可能性があります。

皆さんは、そんな法則はないと考えるでしょうか。それとも、ある程度正しいと考えるでしょうか。あるいは、例外なく正しいと考えるでしょうか。

 

日本には昔から、カルマの翻訳である「業」(ごう)という言葉や、「天網恢々(てんもうかいかい)、疎(そ)にして漏らさず」という言葉が広く伝わっていて、カルマの法則という考え方にそれほど違和感を持たない方が多いように思います。

しかし、「業」という言葉は特にそうですが、悪と苦難の関係が特に強調され、善と幸運の方は、あまり意識されない傾向があるようです。

 

さて、話題を戻しますが、もしカルマの法則が個人だけでなく企業のような集団にあてはまるとすれば、悪いことばかりを行っている企業には苦難がもたらされ利益が得られず、その性質を変えることが迫られると考えることができます。

ですから、企業の持続可能性は倫理的に善い行ないをするかどうかで決まるという先ほどの考え方は、カルマの法則という考え方によく似ているように思われます。

 

マルクス・ガブリエルは、コロナ禍の後(ポストコロナ)に作り出すべき望ましい社会のあり方として、倫理資本主義ということを唱えています。

それは、短期的な利益を過度に追求している現在の企業の活動に、倫理的な行ないが企業の持続をもたらすという観点を取り入れることを意味します。

このことは彼によれば、実際にすでに始まっており、環境問題・人種差別問題などに積極的に取り組む企業への投資額は、全世界で3000兆円と、そうでない企業への投資額をはるかに上回っているとのことです。

地球儀を見て学習している子供たち

 

さて、カルマの法則が、ある程度、あるいは絶対に正しいとお考えの方は、ではなぜこのような法則が存在するのかということを考えてみていただければと思います。

バラ十字哲学では、この法則が〈宇宙〉の性質と人生の意味に深く関わっていると考えられています。

 

今回はこの辺りで。

またお付き合いください。

 

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トゥトアンクアモン-黄金のファラオ

2021年7月16日

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

東京板橋では昨日までのはっきりしない空模様が打って変わり、強烈な夏の陽射しになっています。セミも鳴き始めました。

いかがお過ごしでしょうか。

 

私の友人で作編曲家をしている渡辺さんから、古代エジプトについての寄稿が届きましたのでご紹介します。

▽ ▽ ▽

「トゥトアンクアモン-黄金のファラオ」

渡辺篤紀

渡辺篤紀

 

現在、日本の各地で「国立ベルリン・エジプト博物館」の所蔵物による古代エジプト展が開催されています。

筆者も、普段は中々目にすることのできない本物のエジプトの古代遺物を見るために足を運んでみました。

お目当ては、バラ十字会(AMORC:Ancient Mystical Order Rosae Crucis)とも深いつながりのある「アクエンアテン」(アメンホテプ4世)や「ネフェルティティ」に関するものでしたが、「ネフェルティティの胸像」は、さすがにベルリン博物館でも門外不出ということで、見ることはできませんでした。

ネフェルティティの胸像(ベルリンの国立博物館所蔵)

ネフェルティティの胸像(ベルリンの国立博物館所蔵)Philip Pikart, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons

 

さて、前置きはこのくらいにして表題の「トゥトアンクアモン」ですが、何かお分かりでしょうか?

これがお分かりになった方は、かなり古代エジプトが好きな方ではないでしょうか。これは、実は「ツタンカーメン」のことです。

アルファベットでは「Tutankhamen」と表記され、意味的には「トゥト・アンク・アメン」(Tut-ankh-amen)と区切られます。(最後のアメンの部分はアモンとも書かれます)

 

古代エジプトにそれほど詳しくない方の多くもご存じだと思いますが、「ツタンカーメン」は黄金のマスクで有名なエジプトのファラオです。

ツタンカーメンの黄金のマスク

ツタンカーメンの黄金のマスク en:User:MykReeve, CC BY-SA 3.0 <http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/>, via Wikimedia Commons

 

そして、この「ツタンカーメン」の父にあたるのが「アクエンアテン」(アメンホテプ4世)で、「ネフェルティティ」は義母となります。

 

■ 古代エジプトの神々

古代エジプトに詳しい方でしたら、当時の宗教は多神教であることをご存じと思います。そうでなくても、アトゥム、オシリス、イシスなどの神の名は、お聞きになったことがあるかもしれません。

 

以下は、ヘリオポリス九柱神と言われる神々です。(Wikipediaより)

・ アトゥム(Atum) – 創造神、シューとテフヌトの父

・ シュー(Shu) – ゲブとヌトの父

・ テフヌト(Tefnut) – ゲブとヌトの母

・ ゲブ(Geb) – オシリス、イシス、セト、ネフティスの父

・ ヌト(Nuit) – オシリス、イシス、セト、ネフティスの母

・ オシリス(Osiris) – 冥界の神

・ イシス(Isis) – 豊穣の女神

・ セト(Set)- 戦争の神

・ ネフティス(Nephthys)- 葬祭の女神

 

そのほかにも、

・ トト(Thoth) – 知恵の神

・ マアト(Maat) – 秩序の象徴、太陽ラーの娘

・ アヌビス(Anubis) – 死者の守護神

 

太陽神も時代によって、「ラー」、「アトゥム」、「アメン」などと様々に変化し、「ラー・アトゥム」などと習合されることもありました。

しかし、太陽神と創造神が同一視されることはあっても、本質的には多神教であったようです。

 

■  ツタンカーメン(トゥト・アンク・アメン)それともツタンカーテン(トゥト・アンク・アテン)?

「ツタンカーテン(トゥト・アンク・アテン)」という呼び方をご存じの方がおられたら、かなりの古代エジプト通の方だと思います。

実は、幼少期の「ツタンカーメン」は「ツタンカーテン」と名乗っていましたが、これには、深い訳があります。

エジプトでは、宗教改革が行われ、多神教崇拝から一神教崇拝へと変わった時期がありましたが、それが、「ツタンカーメン」の父である「アクエンアテン」(アメンホテプ4世)が行った、アメン(アモン)神を含む多神教から、アテン(アトン)神への一神教への変更を伴うアマルナ改革と言われるものでした。

 

そのため、幼少期に彼は、「トゥト・アンク・アテン」(Tutankhaten:アテン神の生ける似姿)と名乗っていましたが、父の死後、アメン神の信仰が復活し、「トゥト・アンク・アメン」(Tutankhamen:アメン神の生ける似姿)に名前を変えられたと言われています。

そして、この「アクエンアテン」による一神教への改革が、その後のユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教へと繋がるという説もあります。

 

いずれにせよ、この時期のエジプトは様々な思惑が交錯し、その歴史の中でも異彩を放つ時代であったことは確かなようです。

そして、古代エジプトの神々や信仰は、ホルスの目などにも代表されるように、現代人の想像力をかき立てるものでもあるようです。

ホルスの目

ホルスの目

△ △ △

ふたたび本庄です。

少し補足したいと思います。古代エジプトは神秘学(mysticism:神秘哲学)の重要な起源のひとつであり、当会でも詳細な研究がされ続けています。

エジプト南部アスワン近郊にあるフィラエ神殿

 

古代エジプト人は、オシリス神とイシス神の息子ホルスの視線に魔術的な力があると考え、ホルスの目を信仰していました。

ホルスの目は、眼自体とその上下に付け加えられている図案がとても印象的で、それが個々に、あるいは全体として何を意味するのかということに、現代のさまざまな仮説があるようです。

当会の教材で学習されている方々は、神秘学(mysticism:神秘哲学)において重要な意味があるのをご存知のことと思います。

 

古代エジプトでは、母音は文字として表記されませんでした。そのため、当時の神の名前も正確な発音が分っていません。

そこで、多神教信仰の主神はアモン(Amon)、アメン(Amen)などと呼ばれ、アクナトンが提唱した一神教の神はアトン(Aton)もしくはアテン(Aten)と呼ばれています。

 

渡辺さんが紹介してくれたツタンカーメンの名前「トゥトアンクアモン」または「トゥト・アンク・アメン」の中央の部分アンク(ankh)は命を表します。命を表すヒエログリフは上部が輪になった十字であったため、この十字そのものも命を意味します。エジプト十字、もしくはアンサタ十字とも呼ばれています。

下の写真は、米国カリフォルニア州サンノゼ市にあるバラ十字古代エジプト博物館(https://egyptianmuseum.org/)が所蔵している、アンクの形をした当時のお守りです。

アンクのお守り(古代エジプト第18王朝期)

アンクのお守り(古代エジプト第18王朝期)

 

次の写真は、同博物館に展示されているツタンカーメンの父アクエンアテンのレリーフです。右上が欠けてしまっているのですがそこに太陽があり、そこから伸びている二重になっている斜め線は太陽神アトンから発している光線で、神の恵みを表しています。光線のひとつの先端は手の形をしていて、その手がアンク(エジプト十字)をつまむようにして差し出し、アクエンアテンを祝福しています。

アクエンアテンのレリーフ(バラ十字古代エジプト博物館所蔵)

アクエンアテンのレリーフ(バラ十字古代エジプト博物館所蔵)

 

充実した展示品で人気の博物館ですので、コロナ禍が収まりサンノゼ市を旅行する機会がありましたら、どうぞ訪れてみてください。

 

下記は前回の渡辺さんの文章です。

直観のみなもと

 

それでは、今日はこの辺りで。

またお付き合いください。

 

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不行動について

2021年7月9日

こんにちは。バラ十字会の本庄です。今年の梅雨はほんとうによく降りますね。東京板橋でも何日も雨が続いています。熱海で起きた災害は、ほんとうに痛ましいばかりです。

皆さんも、どうかくれぐれもお気をつけください。

 

当会のフランス代表が、自身の人気ブログに「不行動」(ノン=アクション)について書いていますので、今回はその文章をご紹介します。「不行動」とは耳慣れない言葉ですね。私も初めて聞きました。

▽ ▽ ▽

記事:「不行動について」

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

 

人が何らかの表現をするとき、そのやり方には3つの種類があります。思考と発言と行動です。通常の見方から言えば、思考とは行動ではありません。なぜなら思考は、見ることや聞くこと、広く言えば五感で知覚することができないからです。

しかし私たちの思考は、自分や他の人に影響を与えます。私たちが肯定的な思いを抱いているとき、つまり思考の背後に好ましい感情があるとき、その影響は自分の体全体の健康にとって有益ですし、周囲にも好ましい雰囲気を作り出します。反対に、私たちが否定的な思いを抱いているとき、つまり好ましくない感情に支配されているとき、それは自分の身体に望ましくない影響を与えますし、周囲にも悪い雰囲気が広がります。

このことは、人間の思考がある種の振動であることに関連しています。人間の思考にはその性質によって、肯定的なエネルギーや否定的なエネルギーが伴っていて、それが周囲に伝えられます。

そのため、奇妙に思えるかもしれませんが、考えるということは心を用いて行動することだと言うことができ、身体を使った行動と同じように肯定的な影響や否定的な影響を周囲に与えます。

朝焼けの湖とボート、静かな風景

 

行動をしないこと

人間の心には、まったく考えないということができません。言い方を変えれば、活動しない状態に心を保っておくことはできません。ですから重要なのは、自分の思考をどのような性質のものにするかということです。

対照的に、人間は言葉を用いて活動しないこと、つまり沈黙を保つこと、くだけた言い方では「口をつぐんでいること」ができます。しかし、沈黙を保つことは簡単ではありません。というのも、私たち人間にはエゴ(表面的で自己中心的な自己)が影響しており、「私」という名のもとに自分を表現することを望む傾向があるからです。

沈黙を保っていられるようにする有力な方法は謙虚さを育むことであり、次の格言にできるだけ従うようにすることです。それは、「あなたが語ろうとしていることが沈黙より美しくないのであれば、口を開かないようにしなさい」というものです。

この格言は、バラ十字会員の多くが心がけようと日々努力している指針のひとつです。

静かにというジェスチャーをしている子供

 

まったく考えないでいること、つまり精神的に何の活動もしないことが不可能であるのと同じように、病気や障害によって妨げられているのでなければ、体をずっと動かさないでいることはできませんし、数時間でさえ身動きしないでいることはできません。

実際のところ、話したり移動したり、何かをつかんだり道具を用いたり、手短に言えば体を活動させることが日々の生活で必要になります。また実際に試してみると、完璧に体を動かさないことはとても難しいことが分ります。目覚めているときに人の体には動く必要があります。

それゆえに、神秘学(神秘哲学:mysticism)でたびたび語られることですが、体のことを「乗りもの」(vehicle)にたとえるのは適切なことです。

眠っているときに、私たちはほとんど活動しないと思われていますが、実際には、何度も夢を見て感情の起伏を味わい、まぶたを動かしたり、ひんぱんに寝返りを打ったりしています。私たちは実際のところ、死が訪れるまで、完全に活動しなくなることはありません。

竹、石、ロウソク、ハスの花、水

 

鋭い洞察から行う不行動

以上のような、生理的に活動しないこととは別の意味で、行動をしないということがあります。それは「不行動」(non-action:ノン=アクション)と呼ばれます。

不行動は、怠慢さや不注意や興味のなさや気のゆるみからではなく、ある特定の状況において、あることに関与せず反応しないことが、自分の利益だけではなく他の人たちの利益のためにも望ましいと考えて採用する態度です。不行動を採用するのは、行動しないということがおそらく、出くわした問題に対する最善の方策になると考えられる場合です。

「おそらく」と述べたのは、それが望ましくない選択になり、何も解決せずに状況を悪化させることにさえなってしまう可能性があるからです。そのような場合に私たちは「時すでに遅し」と感じ、不行動を選択したことを後悔することでしょう。

 

私たち人間はさまざまな状況に直面するので、不行動という選択を適切に行うのは難しいことです。なぜなら、ある状況においては、最善の方法で行動したときよりも行動しなかったときの方が深刻な結果を招くからです。

行動ではなく不行動という態度を適切に選ぶためには、鋭い洞察力だけでなく最善を尽くしたいという誠実な望みに突き動かされていることが必要です。不行動はまた、あいまいでなく明確な意図を持ってそうすることを意味し、目をつぶることではなく広い視野から行われることを意味し、暴力ではなく非暴力を意味します。

そのため、「聡明さへの愛」(love of wisdom)という哲学(philosophy)の本来の意味で、不行動は哲学的な態度だと多くの場合に見なされています。インドで生まれ、ヨーロッパと米国で活躍した哲学者で著作家のクリシュナムルティ(1895-1986)は次の言葉を残しています。「良く考え抜かれた不行動は、最善の行動にあたります」。

枯山水の庭園を見つめる女性のシルエット

 

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

△ △ △

ふたたび本庄です。

 

コロナ禍をきっかけにして世界中で社会のさまざまな面が見直されようとしています。皆さんの多くも耳にされていることと思いますが、今は時代の転機にあたると多くの人が考えています。人類におよそ400年ぶりに訪れた大きな転換点だと考える人もいます。

都市に人が集中したこと、資本主義、消費社会、競争主義などが現代の主な特徴のように私には思われます。

そうすると、「不行動」は、次の時代がどのようになるのか、どうするべきなのかを考えるための重要なキーワードかもしれません。

 

以下は、前回のセルジュ・ツーサンの文章です。

神秘学のクイズ

 

では、今日はこのあたりで。

また、よろしくお付き合いください。

 

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ロミオとジュリエット

2021年7月2日

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

東京板橋では、やや強い雨が何日も続いています。梅雨明けが待ち遠しいですね。

いかがお過ごしでしょうか。

 

札幌で当会のインストラクターを務めている私の友人が、まさに7月の今の時期のイタリアが舞台になっている、有名な戯曲についての文章を寄せてくれました。

▽ ▽ ▽

文芸作品を神秘学的に読み解く(28)

『ロミオとジュリエット』 ウィリアム・シェイクスピア

森和久のポートレート

森 和久

 

時代は14世紀(史実では1302年)、ところはイタリアのヴェロナ市。

イタリア・ヴェロナ市の夕暮れ

イタリア・ヴェロナ市の夕暮れ

 

時は7月15日の日曜日、朝8時頃。ヴェロナの広場でモンタギュー家とキャピュレット家の召使い同士が喧嘩を始めるシーンで開幕します。そこにモンタギューの甥(ロミオの従兄弟)ベンヴォーリオとキャピュレット夫人の甥(ジュリエットの従兄弟)ティバルトもそれぞれ参戦し、大乱闘になります。そこへ領主のエスカラス大公が駆けつけ、その場を納めます。

この物語は対立と二極の構図で成り立っています。11~12世紀から教皇派と皇帝派が対立しており、モンタギュー家は教皇派、キャピュレット家は皇帝派です。そして物語自体も抗争と恋愛の二極構造になっています。そしてそれぞれが歩み寄ることなく怒濤の人間関係を紡いでいきます。波乱含みであることが最初に乱闘シーンを置くことで観客に提示されます。

ロミオとジュリエット-相関図

ロミオとジュリエット-相関図(クリックすると拡大されます)

 

この戯曲は僅(わず)か一週間足らずの出来事を述べています。そのスピード感はシェイクスピアの真骨頂でもありましょう。「ロミオとジュリエット」の物語は史実を元にしており、現在も「ジュリエットの家」が残っており、訪れる人も多く、ジュリエットの家にある「ジュリエット・クラブ」を題材にした『ジュリエットからの手紙』という映画もヒットしました。ちなみに日本語での手紙も受け付けているようです。

実際にあった事柄なので、シェイクスピア以前にもダンテやアーサー・ブルックはじめ多くの作家がこの出来事を取り上げています。シェイクスピアは特にブルック版を下敷きに、6日ほどの時間軸に凝縮してこの戯曲を書いたように思われます。

イギリス南部ストラトフォード=アポン=エイヴォンにあるシェイクスピアの生家

イギリス南部ストラトフォード=アポン=エイヴォンにあるシェイクスピアの生家

 

では時系列に沿って物語の続きを見ていきましょう。

日曜日、ロミオはキャピュレットの姪(ジュリエットの従姉妹)ロザラインへの片想いに悩み、いつものように早朝の森の散歩に出ていました。9時頃、散歩から自宅のモンタギュー家へ帰り、従兄弟で友人のベンヴォーリオへ恋の苦悩を打ち明けます。

その日の午後、エスカラス大公の親戚の貴族パリスがジュリエットとの結婚をキャピュレットに申し出ます。キャピュレットは、ジュリエットがまだ14歳にもなっていないけれど、娘の気持ち次第だと、パリスを今夜の舞踏会に招待します。

ロミオはロザラインがその舞踏会に招待されたのを知り、巡礼の仮装をして会場に乗り込みます。ジュリエットは舞踏会でパリスと踊りますが、彼のことを気に入りません。ロザラインは舞踏会を欠席しました。ティバルトは会場でロミオを見つけ、侮辱しに来たと思いロミオをやっつけようと思いますが、キャピュレットに止められ家に帰り、ロミオに果たし状を送ります。

 

舞踏会でロミオがジュリエットを見初(みそ)め、ジュリエットも一目惚れします。その時のシーンがこちら。この時2人はお互いの素性を知りません。

ロミオ:(ジュリエットの手を取り)「この私の賤しい手が聖なる社を穢したならば、その甘い罪の償ひは、この脣(くちびる)に、それこそ、赤面する二人の巡礼さながら、優しき口づけを以て、手の穢れを拭ひ取りませう。」

ジュリエット:「巡礼のお方、それはそのお手に対して余りにすげないお仕打ち、それ、そのやうに恭しくすべてを捧げてをりますものを、聖者の御手にさへ巡礼の手は触れませう、それに手と手の触合ひこそ巡礼同士の口づけ。」

ロミオ:「聖者にも脣がありませう、そして巡礼達にも?」

ジュリエット:「ええ、お祈りに用ゐねばならぬ脣が。」

ロミオ:「おお、それなら優しき聖者、手に許されることを脣にも、脣にも祈りを、お願ひです、信仰が絶望に変らぬやうに。」

ジュリエット:「聖者の心は動きませぬ、よし祈りを聴届けようとも。」(Saints do not move, though grant for prayers’ sake.)

ロミオ:「では、そのまま動かずに、祈りの効目(ききめ)がこの身に現れるまで。かうしてあなたの脣が、私の脣から罪を拭ひ去る。」(接吻する)

ジュリエット:「それなら、その罪が私の脣に移る筈。」

ロミオ:「この脣の罪が? おお、なんと優しいお咎めを! その私の罪を返して頂きませう。」(接吻する)

ジュリエット:「口づけの儀式を楽んでおいでのやう。」(You kiss by the book.)

この直後ロミオは会場を後にしますが、2人は互いが敵同士の子息と子女であることを知らされ衝撃を受けます。ロミオは引き返してキャピュレット邸に忍び込み、ジュリエットとバルコニーで恋を語り合い結婚の約束をします。

ジュリエットの家のバルコニー

ジュリエットの家のバルコニー

 

月曜日、未明。ジュリエットの許を去ったロミオはそのままロレンス神父に会うため教会へ行き、朝まで待ちます。神父は2人の結婚式を引き受けます。その後ロミオはティバルトからの果たし状を読みます。そして、ロミオとジュリエットはロレンス神父により2人だけで結婚式を挙げます。これを知っているのは、他にはジュリエットの乳母だけです。

ロミオはティバルトと和解しようと広場へ。ティバルトはロミオが決闘するつもりで来たと思います。ロミオの友人でエスカラス大公の甥のマキューシオとベンヴォーリオはロミオに加勢しようと広場に来ていました。マキューシオとティバルトが戦い始め、ロミオは止めようとしますが、ティバルトがマキューシオを殺害します。これに激高したロミオはティバルトを刺殺してしまいます。その罰としてロミオはエスカラス大公より追放を言い渡され、ロレンス神父の教会に匿われます。ジュリエットはティバルトの死とロミオの追放を知り、泣き暮れます。

その夜、ロミオはジュリエットの寝室に忍び込み、夜明けまで過ごします。ジュリエットがロミオと結婚したことを知らないキャピュレット夫妻とパリスは、木曜日にジュリエットとパリスの結婚式を行うことを勝手に決めてしまいます。

 

火曜日。キャピュレットがジュリエットにパリスとの結婚を命じます。ジュリエットは断り、言い争いになります。ロミオと結婚していることを知っているはずの乳母もパリスとの結婚を勧めます。

教会でジュリエットはロレンス神父から、死んだふりをしてそのままロミオと駆け落ちをするという計画を持ちかけられ、42時間仮死状態になる薬を受け取ります。ジュリエットは父キャピュレットにパリスとの結婚を承諾すると嘘をつきます。キャピュレットは喜び結婚式を水曜日に繰り上げます。

水曜日、朝。薬を飲んで仮死状態のジュリエットを乳母が発見します。死んだものと思われ結婚式は取りやめ、ジュリエットの葬式が行われ、そして埋葬されます。

 

木曜日、朝。追放の地でロミオはジュリエットが死んだことを知らされます。ロミオはジュリエットの側で死のうと毒薬を買い、ヴェロナへ戻ります。夜、計画がロミオに伝わっていないことをロレンス神父が知ります。

ジュリエットの墓でロミオとパリスがかち合います。ロミオとジュリエットが結婚したことを知らないパリスはロミオがジュリエットの亡骸を辱めに来たと思い、斬りかかります。斬り合いの末、ロミオがパリスを刺殺してしまいます。

ロミオは仮死状態のジュリエットを見て、死んでいるものと思い、毒薬を飲んで自殺します。その後、ジュリエットは墓の中で目覚め、死んでいるロミオを見て自分も同じ毒で死のうとロミオに口づけしますが適わず、ロミオの短剣で胸を刺し自害します。

金曜日、夜明け前。ロレンス神父が皆に顛末(てんまつ)を説明し、モンタギュー家とキャピュレット家が和解します。終演。

ロミオとジュリエットの脚本と金の指輪

 

見ていただきましたように、多くの場面ですれ違いや誤解がゆえに物事が悪い方へ悪い方へと展開していきます。幾つかの場面でハッピーエンドへつながるモチーフが垣間見えますが、ことごとく悲劇へと転落していきます。それはなぜでしょうか。運命なのでしょうか、それとも宿命なのでしょうか。

物語の初めから対立している名家のいさかいが描かれています。それも召使い同士です。いつの世も上に立つ者の姿勢や行動規範が部下や社員に伝わるものです。一見、純粋そうなロミオとジュリエットにしてもいなめません。よこしまゆえに人生の歯車がかみ合わなくなってしまいました。

 

ロミオを見てみましょう。まず、片思いのロザラインに会おうという思惑で、仮装して舞踏会に入り込み、ジュリエットに出会います。そして、キャピュレット邸に2度も忍び込みます。ジュリエットにしてもロレンス神父の奸計(かんけい)に乗せられ死んだふりをして、ロミオに誤解ゆえの服毒自殺をさせてしまいます。理に適っていないためにこの計画はロミオに伝わらず悲しい結末へと誘(いざな)われたのではないでしょうか。

別の視点から見れば、シェイクスピアの構成のうまさとも言えます。時代を超えて世界中で読まれるゆえんでしょう。人間の持つ心の変わりやすさ、意志の弱さ、ずる賢さを剥(む)き出しで見せてくれるシェイクスピアの巧みさです。その悲劇性の演出が卓越しています。一例を見てみましょう。ジュリエットがロミオの服毒を知ったシーンです。

ジュリエット:「その脣に口附けを。そこにまだ毒が残つてゐるかもしれない、その効目できつと私も死ねるだらう。」(接吻する)「温い脣!」

舞踏会で初めて会ったときの初々しい可憐な口づけと最期の別れの口づけが明暗となってコントラストな効果を醸(かも)し出しています。死者の唇がまだ温かいということが悲壮感をあおり、さらにそれでは死ねずにジュリエットはロミオの短剣で自刃するという絶望感が切なさの極致です。

 

引用部分は福田恆存訳によります。リズムも良く、シェイクスピアにはよく合っていると思います。翻訳の分かりづらい部分には英語原文も付けてみました。もちろん各人の好みもありますので、自分に合った翻訳で読むことで真髄に触れることも出来るでしょう。最初の出会いのラストを比較してみましょう。

・ 「You kiss by the book.」(原文)

・ 「口づけの儀式を楽んでおいでのやう。」(福田恆存訳)

・ 「ずいぶん型どおり接吻なさいますこと!」(大山敏子訳)

・ 「接吻一つにずいぶん難しいことを仰いますのね。」(中野好夫訳)

・ 「ても、まア、御均等な。」(坪内逍遥訳)

 

なお、福田恆存は著作『私の國語教室』などで歴史的仮名遣のすすめを説き、そのために論壇を追われたと言えるかも知れません。しかし、自分の信念を貫いたわけで、それが理に適っていれば、立派なことだと思います。

BGMはミッシェル・ポルナレフの『ロミオとジュリエットのように』(Comme Juliette Et Romeo)をどうぞ。

△ △ △

ふたたび本庄です。2点、補足しておきます。

 

ジュリエット・クラブとは、今も残っているジュリエットの家をオフィスにして活動しているボランティア団体で、世界中から寄せられる恋の悩みに答える仕事を50人ほどの人がしているそうです。

また年に一回バレンタインの日の前後に、寄せられたラブレターの中から、最も優れたものを選んで表彰しているそうです。

 

歴史的仮名遣は旧仮名遣(きゅうかなづかい)とも呼ばれます。「現代かなづかい」と当用漢字の推奨は、戦後間もなく米国の勧告をきっかけに進められたようで、福田恆存はそれに強く反対していました。

 

話は変わりますが、私も翻訳を行っていて、話し言葉にはいつも苦労させられます。

本文中に紹介されていた「ずいぶん型どおり接吻なさいますこと!」という訳が、とても気に入りました。この言葉ひとつで、ジュリエットとはどんな女性かが思い浮かんでくるようではないでしょうか。

 

下記は森さんの前回の文章です。

記事:『坊っちゃんと清

 

では、今日はこのあたりで。

また、お付き合いください。

 

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