投稿日: 2025/10/22
最終更新日: 2025/11/05

以下の記事は、バラ十字会日本本部の季刊雑誌『バラのこころ』の記事を、インターネット上に再掲載したものです。

※ バラ十字会は、宗教や政治のいかなる組織からも独立した歴史ある会員制の哲学団体です。

区切り

記事:『アインシュタインとタゴールとの対話~因果律をめぐって』
Causality: A Discussion by Einstein and Tagore

エルバート・ハバード
By Elbert Hubbard

アインシュタインとタゴールとの対話
アインシュタインとタゴールとの対話

いずれもノーベル賞受賞者であるアルバート・アインシュタイン(訳注)とラビンドラナート・タゴール(訳注)が、1930年7月14日にベルリンにあるアインシュタインの私邸で顔を合わせました。以下の対話では、この著名な二人が、音楽の用語を比喩として使いながら、科学とスピリチュアリティの間に共通する基盤をどのように創案したのかが見事に描かれています。タゴールの言葉は「T:」、アインシュタインの言葉は「E:」と表記することにします。
(訳注:アルバート・アインシュタイン(Albert Einstein, 1879-1955):ドイツ生まれの米国の物理学者。1921年にノーベル物理学賞受賞。相対性理論を提唱。
(訳注:ラビンドラナート・タゴール:(Rabindranath Tagore, 1861-1941):インドの詩人、哲学者、作曲家。1913年にノーベル文学賞受賞。)

T(タゴール):今日、我々の共通の友人であるメンデル博士(※詳細不詳)と新しい数学的発見について話し合いました。それによると、微視的な原子の世界では、偶然が関与しているそうです。そうすると存在というドラマは、あらかじめ完全に決定している性質のものではないということになりますね。

E(アインシュタイン):はい、その発見については私もよく存じています。ですが、科学をこの見解に向かわせるような事実があるとしても、それによって因果律が否定されるわけではありません。

T:ええ、否定されないかもしれません。しかし、因果律という概念は、世界のさまざまな元素に内在しているのではなく、何か別の力が元素を用いて秩序立った宇宙を形作っているように思われるのです。

E:人はより高い視点から秩序とはどのようなものであるかを理解しようとします。巨視的な要素によって世界が構築されているありさまを見ると、そこには間違いなく秩序がありますが、元素という微細なレベルになると、この秩序が認知できなくなります。

T:それは、存在の奥深くには相反する2つの側面が共存しているということですね。一方は自由な衝動であり、もう一方はそれに働きかけて物事を秩序立った体系へと発展させる指示的な意志です。

E:現代物理学では、この2つが相反しているとは言いません。雲は遠くから見るとひとつの塊のように見えますが、近くで見れば水滴がばらばらに存在しているのがわかります。

T:人間の心理にも似たような面がありますね。人間の情熱や欲望は始末に負えないものですが、人格がこうした要素を和らげて、調和のとれた全体にしています。これと似たようなことが物理的な世界でも起こるのでしょうか。元素には反抗的な性質があり、それぞれが独自の衝動を持って活動しているのでしょうか。そして、物理的な世界にも、元素を支配して秩序ある構造にする原理が存在するのでしょうか。

E:元素にも統計的秩序は存在します。たとえば、ラジウム元素は常に固有の秩序を保ち、以前にそうであったように、今も今後もあり続けます。元素には統計的秩序(訳注)があるのです。

(訳注:統計的秩序(statistical order):個々のラジウム元素が放射性崩壊するまでの時間は不規則で予測不能であるが、多数のラジウム元素が崩壊するまでの時間は一定の統計分布に従っている。統計的秩序とはこのような秩序を指す。)

T:そうでなければ、世界というドラマはあまりにも取り留めのないものになってしまうでしょう。偶然と必然の絶え間ない調和こそが、世界を常に新しく、生き生きとしたものにしています。

E:私たちが何をしようと、また何のために生きようと、そこには必ず因果律が存在すると私は考えています。私たちにはそれを見通すことはできませんが、むしろそれで良いのです。

T:人間の営みには、柔軟性という要素もあります。それは、私たちが個性を表現するために許された、狭い範囲内での自由とでも言えるでしょう。それはインドの音楽に似ています。インドの音楽は西洋音楽のように厳密な規則に縛られていません。インドの作曲家は、旋律とリズムの配置に一定の枠組みを与えますが、演奏者はその範囲内で自由な即興演奏をすることができます。もちろん、演奏者はその旋律の規則と一体にならなければなりませんが、あらかじめ定められた規則の範囲内で自分の音楽的感覚をのびのびと表現することができます。メロディーという上部構造とともに、その音楽の基礎を作っている作曲家の才能が賞賛されると同時に、メロディーに華やかさと装飾のバリエーションを生じさせる技量を演奏家が発揮することを聴衆は期待します。創作において私たちは、生活に根付く中心的な規範に従いますが、そこから自分を切り離すことさえしなければ、個性の枠内で最大限に自己を表現するのに十分な自由を得ることができます。

E:それが可能となるのは、人々の心を導く強固な芸術的伝統が、音楽に根づいている場合に限られるのでしょう。ヨーロッパでは、大衆芸術や市民感情から音楽が離れ過ぎてしまい、独自の慣習や伝統を持つ一部の人にしか理解されない閉鎖的な芸術になってしまいました。

T:ヨーロッパでは、この複雑過ぎる音楽に絶対に従わなければなりません。一方でインドでは、歌手はその人自身の創造性に見合う自由を得ています。作曲家の歌であっても、歌手が与えられたメロディーの一般的な法則を自分なりに解釈し、自己表現できる創造性を持ち合わせていれば、歌手自身の歌として歌うことができます。

E:原曲にある優れた楽想を十分に理解した上で、それに基づいてバリエーションを作るのには、極めて高いレベルの芸術的な技量が必要ですね。私の国では、変奏の仕方があらかじめ決められていることがしばしばあります。

T:私たちは善という法則に従うことができれば、自己表現の真の自由を得ることができます。私たちが従うべき行動原則はすでに存在していますが、それを体現し、真に自分のものにできるかどうかは、個人の創造性に委ねられています。私たちの音楽には、定められた秩序と自由という二面性があります。

E:歌詞も自由ですか。つまり、歌手は歌に、自分なりの歌詞を加える自由があるのでしょうか。

T:はい。ベンガル地方(訳注)にはキールタン(訳注)と呼ばれる歌があり、歌手は元の歌詞にはない言葉やフレーズを自由に挿入して構いません。これによって聴衆は大いに盛り上がるのです。なぜなら、歌い手が即興で加える美しい感情の表現によって、聴衆の心が絶え間なく揺さぶられるからです。

(訳注:ベンガル地方(Bengal):インド北東部、ガンジス川・ブラマプトラ川下流の大三角州を中心とする地方。英領インド時代には一つのベンガル州を構成していたが、現在は東西に分かれ、西はインド領西ベンガル州(州都コルカタ)、東はバングラディシュ(首都ダッカ)。コルカタ(旧カルカッタ)はタゴールの出身地。)

(訳注:キールタン(kirtan):ベンガル地方を中心に広まったインドの伝統的な宗教音楽。主に神への賛歌を繰り返し歌いながら、即興的な語りやフレーズを挿入することが特徴。演奏は歌と楽器の掛け合いで進行し、聴衆と一体となることで熱狂的な雰囲気を生み出す。)

E:韻律形式は厳格に規定されているのですか。

T:おっしゃる通りです。韻律の枠を超えることはできません。歌手は、どんなバリエーションを加えようとも、決まった形式(rhythm)と拍子(time)を保たなければなりません。ヨーロッパの音楽では、拍子に関しては比較的自由がありますが、メロディーには制約がありますね。

E:インドの音楽は、歌詞がなくても歌えるのでしょうか。また、聴衆は歌詞のない歌を理解できるのでしょうか。

T:ええ。意味を持たない言葉や、単に旋律を保つためだけの音で構成された歌があります。北インドの音楽はベンガル地方の音楽とは異なり、言葉や思想を表現するものではなく、独立した芸術形式です。その音楽は極めて複雑かつ繊細で、それ自体がメロディーからなる完結した世界です。

E:それはポリフォニック(訳注)ではないのですか。

(訳注:ポリフォニック(polyphonic):複数の声部で構成されている音楽。対位法の音楽などを含む。多声音楽。)

T:複数の楽器が使われますが、それはハーモニーのためではなく、拍子を一定に保ち音に厚みと深みを加えるためのものです。ヨーロッパの音楽では、ハーモニーが前面に出ることでメロディーが損なわれることはありませんか。

E:時にはメロディーが大きく損なわれてしまうことがあります。ハーモニーがメロディーを完全に飲み込んでしまうことさえあります。

T:メロディーとハーモニーは、絵画における線と色のようなものです。あるシンプルな線画が美しく完成されているときに、それに色を加えると、作品があいまいになり存在価値を失ってしまうこともあります。しかし、色が線に組み合わされることで、線の持つ価値を損ねたり台無しにしたりしなければ、素晴らしい絵画になることもあります。

E:見事なたとえですね。線は色よりもはるかに古くからあります。あなたの国のメロディーは、ヨーロッパのものよりもずっと豊かな構造をしているようです。日本の音楽もそうだと思います。

T:東洋と西洋の音楽が私たちの心に与える影響を分析するのは容易なことではありません。私は西洋音楽に深く心を動かされます。重厚であり、曲の構造や構成に壮大さを感じます。しかし私たちの音楽は、その根源にある叙情的な魅力によって、より深く私の心に響きます。ヨーロッパの音楽は叙事詩のようです。幅広い背景を持ち、その構造はゴシック建築のように重厚です。

E:これは、私たちヨーロッパ人にとって適切に答えるのが難しい問題です。というのも、私たちはヨーロッパの音楽にあまりにも慣れ親しんでいるからです。私たちが知りたいのは、自分たちの音楽が型にはまったものなのか、それとも人間の根源的な感情に根差しているものなのか、また、協和音と不協和音を感じることは自然なことなのか、それとも私たちが受け入れてきた単なる慣習に過ぎないのかということです。

T:私の場合、ピアノはどうもしっくりこないのです。バイオリンの方がずっと心地よく感じられます。

E:幼少期にヨーロッパの音楽を一度も聞いたことのないインド人に、ヨーロッパの音楽がどのような影響を及ぼすのかを研究してみるのも面白そうですね。

T:以前イギリスの音楽家に、あるクラシック曲を分析してその美しさを生み出している要素を説明してほしいと頼んだことがあります。

E:厄介なのは、本当に優れた音楽は、洋の東西を問わず分析が難しいということですね。

T:その通りです。しかも、聞き手に深い影響を与えているものが何であるのかが、聞き手自身にも分からないのですから。

E:ヨーロッパであろうとアジアであろうと、私たちの経験や芸術に対する反応の根底には、これと同じ不確定性が常につきまといます。あなたのテーブルの上に置かれた赤い花でさえ、あなたが見ているものと私が見ているものが本当に同じ花であるとは限らないのです。

T:それでもなお、両者の間には常に調和へ向かう過程が進行しており、次第に個人個人の嗜好は普遍的な基準に合致していきます。

※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。

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