投稿日: 2022/04/01
最終更新日: 2022/11/04

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

東京板橋は花吹雪の真っ最中です。石神井川の水面が花びらで美しく飾られています。

いかがお過ごしでしょうか。

先日、上野公園に出かけたのですが、桜の種類が多いことに驚きました。中には、まだ咲いていなくて残念だったのですが、緑色の花を付けると紹介されている桜もありました。

私の友人で作編曲家をしている渡辺さんから、色彩についての文章が届きましたので、ご紹介します。

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色彩の不思議

渡辺篤紀
渡辺篤紀

季節も春へと移り変わり、辺りの草花たちも色鮮やかな色をまとい始めますが、果たして、「色」とは何でしょうか?

今回は、この「色」というものについて考察してみたいと思います。

しかし、色のことを考察する前に、まずは光について知らなければなりません。

なぜなら、光と色とは不可分のものだからです。

光とは?

光は電磁波の一種です。X線、電波、光などはすべて電磁波ですが、そのうち波長が380~760ナノメートルのものは、人間の眼で見ることができ、光もしくは可視光線と言われます。

そして、可視光線の波長の長さによって、知覚される色が変わります。

光の色と言えば、真っ先に思い浮かぶのは虹でしょう。

日本語では、波長の短い側から順に、色の名前は紫、藍色、青色、緑、黄色、橙色、赤となり、虹といえば七色というように、虹は七色であることが当然のように思われています。

実は、この色分けは国や文化によっても変わり、五色であったり六色であったりもします。

この七色のそれぞれの波長は、短い方から、紫が380~450 nm(ナノメートル)、藍色が450-485 nm、青色が485-500 nm、緑が500-565 nm、黄色が565-590 nm、橙色が590-625 nm、赤が625-780 nmと、徐々に色が移り変わっていきます。

プリズムによる分光

そして、とても不思議に思われるかもしれませんが、「色」とは、絶対的なものではなく、人間の脳の知覚によって生み出されたものです。

「色を持った光」が空間の中を進み、それが人間の網膜で知覚されるのではなく、「ある波長の光(無色)」が空間を進み、それが人間の網膜の錐体細胞で色分けされて、脳によって色付けされるのです。

そして、光は、網膜に到達するまでに角膜や水晶体を通過しますが、老化によって水晶体は黄色味がかってくるため、高齢者の視界は若者よりも少し黄色味がかって見えます。

そして、男女によっても細かい色の判別に違いがあるとも言われています。

以前は、赤から緑への色の変化などを見分けにくい人を「色覚異常」と言い、現在は「色覚多様性」と言われていますが、特に色覚に異常がなくても一人一人の色覚にはバラツキがあるため、各々が見る世界は、唯一無二の色世界であるとも言うことができます。

朝日に照らされる高山植物の色彩

色とは感覚

以上のことから、空が青いのは、「空が青い」からではなく、自身が「青い」と感じているから空が「青く見える」のであり、

リンゴが赤いのは、「リンゴが赤い」からではなく、自身が「赤い」と感じているから「赤く見える」

というのが、人間における「色」の正体のようですが、厳密には、まだまだ解明されていないことも多いようです。

ですから、誰かと一緒にリンゴを見ていて、

「赤いよね」

「うん、赤いよね」

というやり取りをしたとしても、二人が見ている赤色は同じものとは限りませんが、これを確かめるすべは今のところありません。

赤色のリンゴを手にしているふたりの子供

また、気分が落ち込んだときには「景色が灰色」に見えたり、はたまた、気分の良いときには「景色がカラフル」に見えたりすることは、あながち比喩的な表現ではなく、実際にそう見えているのかもしれません。

ですから、「色」を見る、感じるということは、完全にあなただけの「主観的な体験」なのです。

色を体験する

少し、変わった言い方になりますが、身の回りの色を「体験」してみるのもいいかもしれません。

別の言い方をすると「味わう」でもいいかもしれません。

日常の雑務から離れて、眼に映る様々な色に集中し、自身とその色が同化したかのように感じてみます。

「なぜ、こんな色をしているのか?」

しかし、実際には、色はそこに実在として存在しているのではなく、「あなた自身の中」に存在しています。

言い換えると、その色を生み出しているのは、「あなた自身」なのです。

バラの深みのある赤や、澄み渡る空の青、黄昏時の夕日の形容しがたい色彩…

実は、それらすべては、「あなた自身の中」に存在しているのです。

日々の生活の中で、色を味わうことに意識を向けてみると、身の周りの景色が一変して見えるかもしれませんね。

南の島の夕焼けの色彩

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ふたたび本庄です。

渡辺さんの文章でも取り上げられていましたが、「ああ、なんて赤い夕日だろう」と感じたとき、その「赤い」という実感のことをクオリア(qualia:感覚質)と呼びます。

このクオリアは、哲学、特に「心の哲学」に、大きな論争を呼び起こしている話題のひとつです。

ご興味をお持ちの方は、「クオリア」、「コウモリであるとはどのようなことか」、「メアリーの部屋」、「心の哲学」などのキーワードで、インターネットを検索してみてください。

下記は、渡辺さんの前回の記事です。

記事:『神社へのお参りと願いの実現

では今回は、この辺りで

またお付き合いください。

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