今回は「コプト」(Copt)、つまり古くからエジプトに住んでいる人たちのことを話題にします。コプトの人々の文化と残されている言語によって私たちは、古代エジプトの暦・言語、古代キリスト教について多くのことを知ることができます。
「コプト」とは何か(異文化に何度も征服されたエジプト)
古代エジプトの都市メンフィスには、創造神であり技術と職人の神とされたプタハ神の神殿がありました。この神殿はエジプト語で、「フゥト・カ・プタハ」(プタハ神の魂の館)と呼ばれていました。
紀元前4世紀にアレクサンダー大王が東方に遠征して、北方ギリシャで成立したマケドニア王国がエジプトを征服すると、エジプトに多数のギリシャ人が流入します。ギリシャ人の耳には、「フゥト・カ・プタハ」が「アイギュプトス」(Aigyptos)」と聞こえ(カタカナで書くとまったく似ていないので、何で?となりますが…)、この言葉が、エジプトという地域やエジプト人を指すギリシャ語になります。
エジプトがローマ帝国に支配されたのは西暦一世紀のことです。ギリシャ系やローマ系の人々の支配下にあったエジプトの農民などの一般の人々の間に、ゆっくりとキリスト教が浸透していき、この当時は「コプト」という言葉はありませんでしたが、西暦3世紀ごろから、現在は「コプト正教」と呼ばれている宗教、コプト文化が成立し始め、古代エジプト語が変化したコプト語が話されるようになります。
7世紀には、イスラム教徒がエジプトを征服します。すると、エジプトを表していた先ほどの「アイギュプトス」という言葉の最初と最後の音を省略し、変化させ、エジプトの先住民を「キブト(Qibt)」または「クブト(Qubt)」と呼ぶようになりました。これが、現代の英語の「Copt」(コプト)の語源です。
アラブ人による征服以降も、エジプトの人々の一部は、古くからのコプト正教の信仰と文化を守り続けます。そしてこの人たちや、その文化・宗教が「コプト」と呼ばれるようになります。

古代エジプトの暦とコプト暦の類似(ナイル川の増水)
現在でもエジプトの農民やコプト正教会では「コプト暦」というカレンダーが用いられています。
「エジプトはナイルのたまもの」というヘロドトスの言葉があるように、古代エジプト文明が栄えた理由のひとつは、ナイルの定期的な氾濫が肥沃な土壌を上流から運んでくることでした。
そこで、古代エジプトの暦はナイル川の増水のサイクルをもとに作られています。古代エジプト人は、シリウス星が日の出の直前に東の空に昇る時期が、ナイル川の洪水が始まる時期だと知っていました。この時期は初夏にあたり、古代エジプトの新年に設定されていました。
コプト暦も、ナイル川の増水のサイクルをもとに作られています。
コプト暦の最初の月は「トゥート(Thout)月」と呼ばれます。この名前は、古代エジプトの知恵と学問の神であるトート神に由来します。トート神は暦法の神、つまり時間を管理する神としても知られていました。「トゥート月」は現在の暦(グレゴリオ暦)の9月11日(うるう年の前年は9月12日)に始まります。この時期は、ナイル川の増水のピークにあたります。

エジプトにおける初期キリスト教の多様性(コプト正教会とグノーシス派)
当時のエジプトにおけるキリスト教は単一ではなく、後に主流となるコプト正教会の信仰のほかにも、多様な思想が混在していました。
コプトの人たちの多くには、人の内面の崇高さやそこにある価値を重視する傾向があったことが知られています。
キリスト教の「修道院」というシステムは、エジプトの砂漠で修行を行ったコプト教徒たちから始まりました。彼らの教えや生活の規則はコプト語で記録され、それが後にヨーロッパの修道院制度の基礎になります。
1945年にエジプトのルクソール南方のナグ・ハマディ村の墓地で、考古学上の大発見が起こります。その土地の農家の人により、コプト語で書かれたパピルス文書群が発見されたのです。
この写本は、西暦3世紀にギリシャ語からコプト語に翻訳されたものだとされます。古代キリスト教の主流派から『異端』として排斥されたグノーシス派の思想を現代に伝える貴重な資料です。
この発見により、正統派と異端が激しく対立していた当時の複雑な宗教事情を、直接知ることができるようになりました。

コプト文化は、キリスト教の十字という象徴の変化にも関わっています。
キリスト教の象徴はもともと、ギリシャ語で「イクトゥス」(Ichutus)と呼ばれる魚でした。
一方で、古代エジプト文化では「アンク」と呼ばれる輪付きの十字(☥)が永遠の命を表す象徴でした。
キリスト教が十字架をシンボルとするようになったのは、イエス・キリストの十字架刑が理由ですが、それは残酷な処刑の道具であったため人気がなく、西暦4世紀まではほとんど用いられませんでした。
コプト正教は、それより早く、古代エジプトの輪付き十字の象徴を取り入れ、イエス・キリストの死と復活による永遠の命の象徴であると再解釈していました。
これが、ラテン語で「クルクス・アンサータ」(crux ansata:取っ手付きの十字)と呼ばれる象徴です。

古代エジプト語の解読に果たしたコプト語の役割(ロゼッタ・ストーンの解読)
コプト語は、ファラオの時代に話されていた古代エジプト語が、時代とともに変化して成立した言葉です。
コプト語は、今では実際に使われている言葉ではありません。17世紀頃に使われなくなりました。しかし、エジプトのコプト正教会などの礼拝(典礼)において、宗教的な言語として大切に受け継がれています。
コプト語は、古代エジプト語の解読にも一役を果たしたことで知られています。フランスの言語学者シャンポリオンは、ヒエログリフ(古代エジプトの神聖文字)を含むロゼッタ・ストーン上の文字を解読しましたが、それが可能だったのは、彼がコプト語についての知識を持ち合わせていたことが大きな理由のひとつだと言われています。
古代エジプト語とコプト語には、文法や音声上の類似点が多いばかりか、コプト語の語彙の大部分は古代エジプト語に由来しています。
ちなみに下記はコプト語のアルファベットです。この32文字のうち、Ϣ Ϥ Ϧ Ϩ Ϫ Ϭ Ϯ の7文字(Unicode表のU+03E0)は、古代エジプトのデモティック(民衆文字)に由来します。

Croconile, CC BY-SA 3.0, https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
ヒエログリフでは母音が表記されなかったため、古代エジプト人が言葉を実際どう発音したかは長らく謎に包まれていました。しかし、母音を持つギリシャ文字を導入したコプト語のおかげで、古代エジプト語がどう発音されていたかを、現代の私たちは推測することができます。
さて以下に、当会の専門家が書いた、「コプト十字」についての記事をご紹介します。
記事:『ステアタイトのコプト十字』
By Steven A. Armstrong (1954-2019)
以下の記事は、バラ十字会日本本部の季刊雑誌『バラのこころ』の記事を、インターネット上に再掲載したものです。
※ バラ十字会は、宗教や政治のいかなる組織からも独立した歴史ある会員制の哲学団体です。


Hand-Held Cross – RC 1962
滑石(ステアタイト)、11.7 × 5.3 ×0.7cm
コプト教会は古代から存在する、エジプトのキリスト教会です。コプト教会の司祭たちは、今でもこのような十字を携えています。 表面(左)には聖人の肖像があしらわれており、おそらくは聖母です。自身の心臓を抱きしめているその姿は、「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」(『ルカによる福音書』2:35)という聖書の言葉を思い起こさせます。この小さな十字の裏面(右)には様式化されたコプト十字の図案が描かれています。取っ手の部分には、神聖さを表わす、麦の穂の先端のようなデザインが刻まれていますが、これは、さらに古い時代から用いられていた図案です。 この滑石(steatite)製の十字は、西暦600年頃に作られたと考えられています。
この小さな凍石(ステアタイト)の十字架はエジプトのコプト文化に由来するものです。この十字はビザンティン時代(紀元320〜642年)に作られました。この時代のエジプトはローマ帝国の属州であり、「新ローマ」とも呼ばれたコンスタンティノープルから支配されていました。
エジプトにおけるビザンティン時代は、極めて多様性に富んだ時代でした。さまざまな神秘学派と、他の精神的な道を歩む実践家が、共に生活し働き礼拝を行っていました。その中にはコプト教徒、伝統的なエジプト信仰の信者、新プラトン主義の哲学者、ヘルメス主義者(ヘルメス・トリスメギストスが書いたとされる著作を信奉する人々)、「グノーシス派」と総称される多くの集団、そして密議宗教の参入者などが含まれていました。この十字架のデザインは明らかにキリスト教のものですが、このような文化の多様性が反映されています。
この工芸品は小型のものですが、コプト教の司祭が聖なる典礼(聖餐式)などの儀式で会衆を祝福するために使用する「手持ち十字(ハンド・クロス)」の典型的な例です。この古代の十字の基本的なデザインは、今日でもコプト正教会、エチオピア正教会、エリトリア正教会などで使われているものと似ています。一般的に言うと十字は、キリスト教の誕生以前から長く使われている象徴でしたが、キリスト教徒の間で広く使われるようになったのは少なくとも紀元4世紀以降のことであり、十字架に架けられたキリストの体を写実的に描写するようになったのは歴史上さらに後のことでした。
この工芸品をさらに詳しく観察するとその象徴的な意味に、多様な解釈が可能であるのを見て取ることができます。十字の上部の切り込みが入った部分の片面にはエジプトの衣装を身にまとった人物が描かれており、おそらくキリスト教の文脈ではキリスト、聖母マリア、天使や聖人を表しますが、他の信仰を持つ人々にとっては光に包まれた賢者を表していると考えられます。裏面には葉や編み目のような装飾が施された様式化された十字があり、その装飾は持ち手の両面で最下部まで続いています。裏面上部の十字と表面の持ち手の付け根にある5つの輪と穴はキリストの5つの傷跡、そして古代地中海の形而上学における5つの基礎、すなわち四大元素と第五元素(quintessence)を表している可能性があります。これらは十字の両面に配置されており、目で見ることのできる下方のこの現象世界が、上方の非物質的な(spiritual)世界に対応するということを示しています。
持ち手の編み目模様はエジプト人の生活の中心であったヤシの葉やナイル川の波を意味しているのかもしれません。またこの網目模様は、王たちの様式化された顎鬚(あごひげ)に用いられる、「ファラオの顎鬚」のパタンにも極めてよく似ています。ちなみにこの模様はバラ十字公園(Rosicrucian Park)の歩道にも見られます。コプト教徒にとって川や水のイメージは、ヨルダン川でのキリストの洗礼を思い起こさせるものです。アレクサンドリアの伝統を受け継ぐすべてのキリスト教徒の間では現在でも1月6日が、この洗礼を記念する主要な祝祭として祝われています。ヤシの葉は十字架にかけられる前のイエスのエルサレム入城とも共鳴するでしょう(訳注)。
訳注:新約聖書の福音書の記述によれば、イエスのエルサレム入城の際に、群衆が葉のついた(棕櫚の)木の枝を切ってきて、道に敷いたとされる。
キリスト教の慣習では、十字架の裏面は復活祭の季節(Paschal season)に使用され、象徴的に装飾されて、キリストが復活したために空になった十字架を示します。おそらく「ファラオの顎鬚」の模様は一方では、キリストの王権に対するキリスト教徒の信仰を示しており、他方では、ヘルメス主義者が自身の道を王道(ロイヤル・ロード)と見なす観点を表しているのでしょう。確かに、表面に描かれた人物は苦しんでいるのではなく穏やかであり、その手は密儀参入者が祈るときの位置に置かれています。
これらの解釈がどのようなものであれ、この小さな宝物は、博物館の訪問者と私たちをエジプトの長い歴史に結びつけてくれます。というのも、歴史において芸術、信仰、文化は決して滅びることはなく、形を変えて、必ず先の時代へと受け継がれるからです。
※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。
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第1号:内面の進歩を加速する神秘学とは、人生の神秘を実感する5つの実習
第2号:人間にある2つの性質とバラ十字の象徴、あなたに伝えられる知識はどのように蓄積されたか
第3号:学習の4つの課程とその詳細な内容、古代の神秘学派、当会の研究陣について
当会は神秘学の源流が古代エジプトにあると考え、その研究に注力しています。研究拠点のひとつ、米国カリフォルニア州サンノゼ市にあるバラ十字古代エジプト博物館は、毎年10万人以上が訪れる人気の観光スポットであり、子供向けの考古学のイベントを開催して、地元の教育にも貢献しています。

執筆者プロフィール

本庄 敦
1960年6月17日生まれ。バラ十字会AMORC日本本部代表。東京大学教養学部卒。
スピリチュアリティに関する科学的な情報の発信と神秘学(mysticism:神秘哲学)の普及に尽力している。
詳しいプロフィールはこちら:https://www.amorc.jp/profile/





