投稿日: 2024/06/11
最終更新日: 2024/07/02

以下の記事は、バラ十字会日本本部の季刊雑誌『バラのこころ』の記事を、インターネット上に再掲載したものです。

※ バラ十字会は、宗教や政治のいかなる組織からも独立した歴史ある会員制の哲学団体です。

区切り

イスラムの神秘学、スーフィズム
Islamic Mysticism

ビル・アンダーソン
By Bill Anderson

スーフィーの師、シェイク・ニザームッディーン・アウリヤの前でセマーを披露するスーフィーたち
スーフィーの師、シェイク・ニザームッディーン・アウリヤの前でセマーを披露するスーフィーたち

現在の人類は、ホモ・サピエンスという単一の種に属していますが、それ以前の人類であるネアンデルタール人やデニソワ人の遺伝子がおそらく数パーセントは混入しているとされています。したがって私たちは生物学的にも、また認識という面においても、少なくとも80万年前にさかのぼる長い進化という発達の系譜を共有しています。そしてまた、把握することはやや困難ですが、精神面でも同じ進化の歴史を持っています。私たちがどこの出身であろうと、自分たちの文化をどう呼ぼうと、どのような信念の体系の中で育ったか、あるいは成人してからどの考え方を選んだかにかかわらず、「神秘学」(訳注)という修養の道に関する限り、私たちは皆、ほぼ同じ精神的な系統の中にいます。

訳注:神秘学(mysticism):瞑想などの手段によって思考を超越する体験(神秘体験)を得て、人間、世界、人生の本質に迫り、望ましい生き方を実現しようとする理論と実践の体系。神秘哲学。神秘主義。

神秘学の系統を受け継いでいくための潜在的な力は、私たちのまさに深い部分に根付いています。人間のDNAにはさまざまな共通する部分があることが、この潜在能力の主な理由であると考える人たちもいて、この意見はおおむね正しいのかもしれません。しかし、ある程度まではこの事実を喜んで心から認めるものの、すべての人には、顕在意識の思考プロセスをはるかに超える高い洗練度と性能を備えた秘められた知性という神秘的な能力と、主に下意識(潜在意識)に蓄積された人生経験があると考える人たちもいます。彼らの意見では、この内なる知性すなわち「内なる自己」こそが、人間が地上で生きている間に「宿っている」肉体の主たる操縦者です。これは、すべての人、そしておそらくは他の多くの生物にも、「ソウル」(soul:魂)と呼ばれる神秘的な性質の原動力があり、その性質は地上での人生経験よりも前から存在しており、その後も継承されるということを別な言い方で表現しているにすぎません。

一人の男性が愛する人の服の裾をつかんでいるが、これは神との合一を切望するスーフィーの苦悩の表現である。イランもしくは中央アジア、16世紀
一人の男性が愛する人の服の裾をつかんでいるが、これは神との合一を切望するスーフィーの苦悩の表現である。イランもしくは中央アジア、16世紀

西洋文化の基準や価値観から影響を受けている世界の大部分では、最も重要な影響は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という3つのアブラハムの宗教のうちの一つまたは複数にさかのぼることができます。それらはすべて、古代ギリシャ時代という哲学の黄金期の思想と教義から微妙な影響を受けています。この3つの宗教は、何世紀にもわたって激しく対立してきましたが、それぞれの宗教の、心の深奥の崇高さにまさに関わる性質を調べてみれば、それらを隔てているものよりも結び付けるものの方が、はるかに多いことがわかります。そして、3つの宗教すべてに見られる神秘学的な啓示(訳注)の表現には、とりわけそのことが当てはまります。

訳注:啓示(revelation):通常は神から明かされた思いがけない事実を指すが、この文脈では神秘体験によって明らかになった世界や人間の本質。

何世紀にもわたり、イスラム教の一派であるスーフィズム(Sufism:イスラム教の神秘学)の高い精神性を持つ信念、儀式、実践は、詩人や芸術家にインスピレーションを与え、すべての人の生命の深奥に関わる性質を讃える、並外れて美しい詩や芸術を生み出しました。スーフィー(Sufi:スーフィズムの実践者)はイスラムの芸術や文化に対して、保護者、芸術家、建築家、詩人として、極めて重要な貢献を果たしました。そして千年前のスーフィズムの黄金時代に書かれた文章の一部は、心の深奥における達成という最も崇高な到達点について語っています。

この記事では、スーフィズムが用いていた神秘学の実践の手順を扱います。「スーフィー」(Sufi)という言葉はアラビア語で羊毛を意味する「スーフ」(suf)という言葉に由来しており、かつてイスラムの修行者が着ていた衣服を表しています。この服装は、スーフィーを描いた中世の本のイラストによく見られます。このような衣服を身に着けることで、スーフィーは物質世界の贅沢を放棄することを、身をもって示していました。

イスラム教の出現から今日まで、スーフィズムのいくつかの分派とその儀式は、主流である正統派のイスラム教の実践と共存してきました。スーフィズムは決して統一された運動ではなく、イスラム教が支配的な宗教であった地域における、さまざまな信仰と献身の実践に付けられた名前です。イスラム世界全域で広く実践されていましたが、ほとんど完全に孤立した禁欲主義から、宮廷生活と完全に結びついた信仰まで、さまざまな種類のスーフィズムがありました。スーフィーは、助言者や精神的な師として若い君主に仕えたり、イランのサファヴィー朝(1501ー1722)を含むいくつかの有力な帝国の創始者にもなったりしました。スーフィーの絵画やスーフィズムの信奉者が用いた品々からは、スーフィズムの神秘家の考え方と実践についての深い洞察が得られます。

スーフィーの教団は今日でも存在していますが、政治情勢の変化に伴い、いくつかの団体や個人が迫害に直面してきました。このような迫害には、19世紀後半のフランスの植民地の支配者によって、セネガルのスーフィーの聖人アフマド・バンバ(1850ー1927)が強制的に追放されたことや、トルコ共和国の初代大統領(1923-38)であったムスタファ・ケマル・アタチュルクによって1925年にトルコのすべてのスーフィー教団が解散させられたことなどが含まれます。しかし一方で、重要なスーフィーの指導者の霊廟や墓所が、精神的な導きや祝福を求める熱心な訪問者が集まる人気の場所として、今でも残っています。

軍の司令官時代(1918)のムスタファ・ケマル・アタチュルク(トルコ共和国の初代大統領)
軍の司令官時代(1918)のムスタファ・ケマル・アタチュルク(トルコ共和国の初代大統領)

イスラム教の歴史を通じて、ナクシュバンディー(Naqshbandi)、メヴレヴィー(Mevlevi)、チシュティー(Chishti)、ベクタシュ(Bektashi)などのさまざまな教団が誕生しました。彼らは特有の実践を行い、儀式でも特徴のある物品を用いました。イスラム教の各々の宗派やイスラム世界のそれぞれの国が、必ずしも単一の宗教的観念や文化的観念を共有しているとは限りませんが、スーフィズムの神秘的でロマンティックな面は、世界中の人たちを惹きつける傾向があります。

スーフィーの考え方や、アル・ガザーリーやルーミーといった著名な神秘家の詩からインスピレーションを受け取り、中世のイスラム時代から現在に至るまで、多くの芸術家が、陶磁器や金属製品から装飾写本や写真まで、さまざまな芸術作品を生み出してきました。光と啓示(enlightenment)というテーマが、文字通りの意味においても、比喩的で精神的な意味においても、スーフィズムの全体を通して強調されています。

すべての道で一貫している儀式のひとつは、広範囲にわたる入門儀式の過程です。志願者を意味するムリード(murid)と呼ばれる新しい団員には、「無知のベールを取り去る」ことにつながる浄化の道に真剣に取り組むという約束を示すために誓いを行うことが要求されました。教団に受け入れられると、弟子は経験豊富な師からの指導を受けます。師から弟子への知識の伝達は1本の系統を構成しており、この系統を通じて、神聖な教えと実践は過去の世代へと遡ることができ、それは預言者ムハンマドにまで達します。

バラ十字友愛組織の伝説的な創始者であるクリスチャン・ローゼンクロイツが啓示に至る道を求めていたとき、有名なキリスト教の中心地ではなく、自身が必要としている知識を探してイスラムの地に旅立ったことを思い起こしてください。スーフィーの伝統は師弟関係を特に重視しており、入門者と年長者は一緒にタリーカ(Tariqa:修行)に取り組むのが常でした。タリーカには、より高い段階の意識に至る道という意味もあります。スーフィーの達人になる道は、ひとりで達成できるようなものではありませんでした。志願者は師の導きに忠実に従うことが必要でした。

スーフィーの神秘家たちを集めるルーミー
スーフィーの神秘家たちを集めるルーミー

弟子がさまざまな「段階」(station)を通過するように、師は指導を行いました。この段階とは、神と一体となることを追求する修行と精神的な成長のステージを意味します。ちなみに現代のバラ十字会では、この段階は「段位」(degree)と呼ばれています。スーフィーの教団によっていくらかの違いがありますが、この段階は一般的に7つか8つであり、弟子は最終的な目標を達成するまでにそれを通過しなければなりません。この道の最初の段階は罪からの脱却を意味する「悔い改め」であり、物質の世界や、神から心を逸らすすべてのものを放棄することを意味します。

他の段階には、低俗な自己の欲望を断つこと、清貧な生活をするという約束、長く困難な道を追求する忍耐、どんなに困難な道であろうとその道で出会うすべてのものに感謝することが含まれます。スーフィーは最終的には、神の愛を通して喜びの境地に達し、神に完全に服して従うことで、神との一体化へと向かっていきます。スーフィズムの本質的な目標である最後の段階は、熱心な神秘家として、神という存在の中に完全に浸る瞬間です。

ある品物と衣服が、特に現在のイランとトルコの地域では、スーフィズムの入門儀式と式典において中心的な役割を果たしていました。「ヒルカ」(Khirqa)と呼ばれる長袖のローブなどの衣服は、教団への正式な入団を認められるある段階に達したことを示し、その時点で一人前の会員であると見なされることを示していました。バラ十字会でも、それぞれの段の入門儀式には特別な記章があります。これらの衣服は、師から弟子に授与され、師の精神的な祝福によって弟子は励まされ、決意が強化されました。

愛と奉仕に専念する人を意味するペルシャ語の「darvish」に由来する「ダルウィーシュ」(Dervish)の大部分は、施しを受けるための器を携帯していました。この器は、見知らぬ者や他のスーフィーが彼らを認め、抱擁し、食物や施しを与えてくれるためのものでした。何かが満たされていないときの器は、スーフィーにエゴがないことの比喩であると解釈されました。スーフィーは、世俗的な欲望を拒絶することによって空になっており、神聖な知識によってだけスーフィーは満たされ養われるということも、この器は意味しました。この器は、世俗を離れて生活し必要最小限のものだけを持って放浪するダルウィーシュにとって、特に重要な持ち物でした。

青いヒルカをまとうダルウィーシュ、16世紀末から17世紀初期
青いヒルカをまとうダルウィーシュ、16世紀末から17世紀初期

スーフィーは、宗教の規範、神学、哲学に焦点を当てるのではなく、内面に向かい、自分自身の中にある神を体験することによって、神を理解し体験します。「インク壺を割り、書物を破くこと」がスーフィーになるための第一歩であると、スーフィーの神秘家の多くが比喩的に考えてきました。

バラ十字会員の多くは、文書として表された学習課程のあらゆる内容を注意深く学んでいます。しかしそれだけでは十分ではありません。というのも、会員はそれを完全に自身に取り込み、それを自己の深層の重要な一部にするために、得た知識を活用しなければならないからです。スーフィーにとって、神を見いだすための自己探査という困難な道は、「ハルワ」(khalwa)という習慣を含むいくつかの方法で追求することができます。この習慣は、もともと預言者ムハンマドが始めたものであると考えられています。ムハンマドは心を乱すものを排除し瞑想を行うためにメッカ近郊のヒラ山の洞窟にこもりました。スーフィーはこの行為を見習い、隠遁の期間である「ハルワ」という習慣を作りました。この期間は40日間も続くことがあります。これは長時間の祈り、瞑想、断食を伴う生活であり、スーフィーはしばしば、やせ細った、だらしのない風采で、ぼろぼろになった衣服を着て髪を結んだ姿で絵画に描かれています。これは彼らの内的な道での奮闘が外面的に表れたものです。

他のスーフィーの儀式、特に「セマー」(Sema)という舞踊のような儀式では、参加者は音楽と動きによって忘我の状態に達しようとしますが、それと同時にこの儀式には、共同体の祝祭としての意味があります。セマーでは、参加者の一部はフルート、タンバリン、ドラムなどの楽器を演奏し、他の人たちは歌ったり踊ったりします。セマーには「発見」と呼ばれる幸福感の高揚状態を生じさせる効果があり、修行者は一時的に、すべての世俗的な束縛と肉体的な束縛を忘れることができ、それによって自分が神に包まれていると感じる高次の状態に達することができます。セマーやハルワを行っている間に、スーフィーはたびたび瞑想の状態になり、ジクル(dhikr)、つまり神の想起や祈祷を繰り返します。

ある風景の中で忘我の状態にあるスーフィー。サファヴィー朝ペルシャ、イスファハン(1650~ 1660年頃)
ある風景の中で忘我の状態にあるスーフィー。サファヴィー朝ペルシャ、イスファハン(1650~ 1660年頃)

現代のバラ十字会には、1616年に発行された『クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚』という独自の寓意的な物語が伝えられています。一方でスーフィーの思想や信仰は、ルーミー(Rumi、1207-1273年)、ハーフィズ(Hāfiz、1315-1390年)、アッタール(Attār、1142頃-1220年)、ニザーミー(Nizāmi、1141頃-1217年)などの詩人によって、比喩的な言葉で記録されています。スーフィーの優れた詩人は、信者に教えを伝えるために抒情詩を用い、寓話として理解される逸話を語りました。

たとえば、『鳥の言葉』というアッタールの物語には、30羽の鳥の一団が、自分たちの王になってもらうためにシームルグ(Simurgh)という鳥を探す旅が描かれています。シームルグは、偉大な知恵を持つと考えられている巨大な伝説の鳥です(不死鳥の一種か古代エジプトのヘリオポリスのベヌー(訳注)に相当すると考えられる)。鳥の一団が自分たちの指導者を探す旅は、肉体的にも精神的にも過酷なもので、困難な出来事を次々に乗り越えながら旅が続けられます。これはスーフィーの修行の「段階」によく似ており、バラ十字会の用語では「段位」にあたるものだと言えます。鳥たちがついにシームルグのもとにたどり着いたとき、彼らはシームルグが自身の姿の反映であることに気づき、探し求めていたものは実は自分の内部に存在していることを理解します。この詩は、神を探し求めているスーフィーが、最終的には自分自身の中に崇高な神性(the divine:神の性質)を見いだすという比喩になっています。

訳注:ベヌー(Bennu):エジプト神話に伝わる不死の霊鳥。太陽神ラーの化身であるともされる。

この比喩を見ると、どのような文化的背景のもとに生まれようと、神聖な啓示を求めるすべての探求者の間には、実際にはほとんど違いなどないことが理解されます。探求者は誰もが、人生において自分自身の道を歩んでおり、誰もが「創造主を知る」ための自分の道を見つけようとしています。バラ十字会員もまた一つの道を歩んでおり、スーフィーは別な道を歩んでいます。しかし、バラ十字会員もスーフィーも同じ究極の目標を共有しているため、お互いの道は同じ方向を向いています。

アッタール作『鳥の言葉』の一場面、ペルシャの細密画。中央右のヤツガシラが他の鳥たちにスーフィーの道について教えている
アッタール作『鳥の言葉』の一場面、ペルシャの細密画。中央右のヤツガシラが他の鳥たちにスーフィーの道について教えている

※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。

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第2号:人間にある2つの性質とバラ十字の象徴、あなたに伝えられる知識はどのように蓄積されたか
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