こんにちは。バラ十字会の本庄です。

昨日は今年最後の満月でした。東京板橋では快晴の空に、火星と一緒に月が、明るく、寒々しく輝いていました。

いかがお過ごしでしょうか。

今回は、当会のフランス本部の代表がジャッジについて書いた文章をご紹介します。

▽ ▽ ▽

記事:「ジャッジについて」

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン
セルジュ・トゥーサン

◆ ジャッジという言葉の2つの意味

人の心の数ある働きのひとつにジャッジ(judge:判定)があります。辞書によれば、この語は2つのことを意味します。ひとつには法廷で行われる決定のことであり、ふたつめには、何か、あるいは誰かについて考えた後に、何らかの意見を持つことです。

ひとつめについて言えば、今日では、世界中のあらゆる国で、何らかの重要な案件について、法廷の判断が下されない日が一日もありません。この場合、司法という権限が与えられており、決定を下す人もジャッジ(judge:裁判官)と呼ばれます。

ふたつめについて言えば、人間は個々に、日々、さまざまなテーマや状況について考え、何らかの意見を持ち、それを公表したり、他の人と分かち合ったりしています。ですからジャッジは、私たちが思考や推論の能力を用いて、「常に」とは言わないまでも、「とてもひんぱんに」行っている日常的な作業です。

◆ ジャッジという能力

ジャッジという能力は、私たちが生活で直面する2つの観念と分かちがたく結びついています。それは、間違いと正しさです。何か、もしくは誰かについての意見を表明するとき、私たちは通常、それに十分な根拠があることを確信しており、「ええ、私が正しいのです」と語ります。

しかし、経験が示しているように、私たちはしばしば過ちを犯し、間違っていたことが示されます。

なぜでしょうか。なぜなら、私たちの判断力には誤りを免れることができないという性質があり、私たちは、すべてを知り理解しているという状態からは、ほど遠いからです。

残念なことに私たち人間には、自分の信念、考え、確信を無条件に正しいと考える傾向があります。この傾向は、意見が異なる人たちに対して、しばしば私たちが寛容さを失うほど強いものです。

正しさと誤り(イメージ)

◆ 自分は誤りを犯すことがあるのを認める

他の人に対して寛容さを失ったり、論争の炎に油を注いだりしないための最良の方法は、謙虚さを育み、自分は誤りを犯すことがあるのを認めることです。

もし私たちが、自分は誤りを免れることができない存在であり、実際に間違いを犯すことがあり得るという原則からスタートするならば、他の人のさまざまな意見にもっと心を開くことができ、他の人の意見によって、自分自身の意見を見直す機会を、自分に与えることができます。

これは、どのようなテーマの議論や意見交換であっても寛容さを失うことがない人の態度です。私の考えでは、この長所は、人間の持つことのできる最も望ましい長所の一つです。なぜなら、家庭においても社会においても、この長所が、人と人の間に調和をもたらす力となるからです。さらにそれは、社会の平和に寄与し、見解に大きな相違があるときにも合意点を見いだすことを促します。

謙虚さを育む(イメージ)

◆ 私たちが他の人に対して行う判断

間違いなくあなたもお気づきのことと思いますが、人間の主な弱点のひとつに、他の人に判断を下してしまうことがあります。そしてほとんどのケースで、その判断は否定的なものです。言い換えれば、私たちには、他の人を悪く言う傾向があります。

なぜでしょうか。バラ十字哲学の観点から説明するならば、それは、人間がエゴの影響のもとにあるからです。話している相手の価値をおとしめることによって、自分自身に、実際以上に価値があると感じようとするからです。

それが昂じると、相手に対して意地が悪い行いをしたり、根も葉もないうわさを流したり、悪口を言ったりするようになります。

人間のほとんどは、このような欠点を持つ弱い存在です。意地悪や陰口や中傷をはっきりと自覚して行う人もいますし、自分ではあまり意識せずに行っている人もいます。

このことは、その人が倫理観や良心の声を、どのぐらい重要だと考えているかに左右されます。良心の声は必ず、他の人に好意的で寛大であることを促します。ですから私たちは、良心の声に耳を傾け、それに従って行動するべきです。

噂話をする人たち

◆ 『あなたが裁くように、あなたは裁かれる』

過去の賢人たちの多くが、他人を裁かないようにと教えています。バラ十字哲学の観点から説明するならば、いかなる裁き、すなわち他の人に対する否定的な判断も、カルマの法則を発動させることになり、遅かれ早かれ、自分自身が、同じ種類の裁きや中傷の犠牲者になるということがその理由です。

このことについて、イエス・キリストはこう述べたとされています。「あなたが人を裁くならば、あなたが裁かれることになる」。他人を裁かないように心がけることには、別の理由もあります。他の人の害になることを考えたり行ったりすることは、もっとも高貴な人間の性質にあたる、自身の魂(soul)の性質に反するので、自分を傷つけることにもなるからです。

先ほど述べた良心の声とは魂から発せられる声であり、すべての人の魂には、善意に富み寛大であるという性質があります。唯一、他の人を裁くことが正当化される場合があるとしたら、それは、その人が完全である場合です。しかし、完全である人など、誰もいないのではないでしょうか。

セルジュ・トゥーサン、バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表

著者セルジュ・トゥーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

他の人を裁かない(イメージ)

△ △ △

ふたたび本庄です。

どのような人であっても、他の人を否定的に判断しないということは、完璧に実行することはとても難しいことのように思います。

私も、反省させられることがいくつもあります。

下記は、前回のセルジュ・トゥーサンの記事です。

参考記事:「ソーシャル・ネットワークについて

では、今日はこのあたりで。 また、よろしくお付き合いください。

追伸:メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」に、こちらから登録すると、このブログに掲載される記事を、無料で定期購読することができます(いつでも配信解除できます)。

人生を変える・人生を知る/1ヶ月無料体験プログラムのご案内
無料体験のご案内ご入会申込