投稿日: 2025/04/25
最終更新日: 2025/04/26

人生と人間自体に潜んでいる「神秘」を解き明かそうとする行いを神秘学と呼び、神秘学を追究し実践している人を神秘家と呼ぶとしたら、カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)は、まさに神秘家のひとりです。このブログ記事では、ユングの生涯と考え方を、特にフロイトとの比較で分りやすく解説し、彼の名言を7つ紹介します。

ユングの経歴と生涯

ユングは1875年にスイスのボーデン湖の湖畔のケスビルという都市で生まれました。ボーデン湖はスイスの北東の端、ドイツとオーストリアとの国境にあります。

ユングの祖父はスイスの15世紀に設立された由緒あるバーゼル大学の学長を務めたこともある医師で、父はプロテスタントの牧師でした。

彼は少年時代から、自身の内面を探ることに深い興味を抱いていました。青年時代に母親の勧めによってゲーテの「ファウスト」を読み、心を深く動かされたという逸話が残されています。

以下にご説明するように、医師・研究者として精神分析学、心理学に偉大な業績を残したほか、宗教、神秘学(神秘哲学:mysticism)、グノーシス、古代インド哲学、錬金術についても、主に心理学的な立場から、21世紀の現在の視点から見ても斬新な研究を残しています。

ユングは1966年に85歳で亡くなり、チューリッヒの教会に葬られました。

ドイツ・バイエルン州ボーデン湖(コンスタンス湖)
ドイツ・バイエルン州ボーデン湖(コンスタンス湖)

ユングとフロイトの出会い

1895年にユングはバーゼル大学の医学部に入学し、精神医学を学ぶようになります。オーストリアの医師フロイトの著書「夢解釈」を読み感銘を受け、1906年から1913年までフロイトの弟子になりました。

フロイトは、精神分析学の偉大な創始者でした。当時は、多くの学問で人間の理性が極端に重視された時代であり、夢などという曖昧で理性的には思えないものの内容に関心が払われることなどありませんでした。

しかしフロイトは、神経症(心理的な原因の心身の病)の治療にあたって、患者の夢の内容に注目し、患者一人ひとりの個々の心理状態を理解することを重視しました。

フロイトの研究と臨床の実績から、すべての人の意識の働きには、彼が「無意識」と呼んだ未知の部分が大きく影響していることが理解されるようになりました。

ユングは最初の頃、フロイトのこれらの新しい理論に心酔していました。しかし後に、さまざまな意見の相違から、フロイトと距離を置くようになります。

ユングの生家
ユングの生家, JoachimKohler-HB, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0 , via Wikimedia Commons

ユングの無意識についての思想

相違のひとつは、無意識についての考え方でした。フロイトによれば無意識とは、社会でタブーとされているような許し難いと思われる感情が生じたときに、それが押し込められる(抑圧される)貯蔵庫でしかありません。

一方でユングは、この考えを事実の一端だと認めながらも、それだけではなく、後にご説明する「包括的な自己」が一例ですが、無意識は人間の本質の一部であり、人間の心の貴さを支えている部分であり、人類という集団と個人を心理的に結びつけている部分であるという、はるかに肯定的なとらえ方をしています。

ユングの夢についての思想

夢についての考え方も異なっていました。フロイトは、夢とはほとんどの場合、幼少期から無意識の中に抑圧してきた性的な衝動から生じていると考えていました。

ユングは、夢は無意識の状態が象徴的な形で描写されたものであり、性的な衝動以外にも多くの要素を含む、その人の内面生活の表れであるとしました。

ユングによれば、夢の主な働きは、「補償」と「予期」です。補償とはたとえば、忙しい仕事で長期間、自宅と職場だけにしか行けなかった人が、旅をしてすがすがしい日を過ごす夢を見るような場合です。予期とは、自分が未来に何を達成するかの予想であり、その概略の把握や予行演習としての役割を果たしています。

カール・グスタフ・ユングの肖像写真
カール・グスタフ・ユング, unknown, upload by Adrian Michael, Public domain, via Wikimedia Commons

スピリチュアルな取り組みと集合的無意識

ユングは、医学と人文科学だけではなく、アニミズム、ヒンドゥー教、グノーシス主義、錬金術、神秘学(mysticism:神秘哲学)などに深い関心を示し、これらに科学的な取り組みを行なっています。

ユングは、さまざまな文化の神話や伝承された物語にも、多くの人の夢の中にも、類似した逸話や構造があることを発見し、すべての人には、彼が「集合的無意識」と呼んだ心の部分に、太古からの人類の経験の影響が生まれたときから蓄えられていると考えました。

別の言い方をすれば、個人の心は個人の体と同じように、人類が誕生してから今までの進歩の道筋の痕跡を残していて、それが集合的無意識に刻まれています。

ユングの元型論

集合的無意識はユングによれば、彼が「元型」と呼んだ基本原理の集まりです。元型とは、人類の集団としての心に刻み込まれた原始的なパターンで、神話、伝説、童話に共通に現れます。たとえば、太母、老賢者、トリックスター(いたずらもの)、英雄などの姿で表現される元型が知られています。

元型の影響が特に強い、ユングが「元型的な夢」と呼んだ特別な夢があります。元型的な夢は、人生において特に重要な進展があったときや危機的な時期に見られ、元型のエネルギーによって無意識が、意識を救済しようとしているのだと考えられています。

アニムスとアニマ

アニムス(女性の心にある男性的要素)とアニマ(男性の心にある女性的要素)も元型の表れです。

ユングの考えによれば、内面の成長のためには、すべての男性は自分のアニマを受け入れなければならず、すべての女性は自分のアニムスを受け入れなければなりません。

このことは錬金術の文書や、バラ十字会の伝統的文書の中で、「結婚」として表現されています。

1616年に発表されたバラ十字文書「クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚」もその一例です。

(付記:当会はその400年後にあたる2016年にマニフェスト「新クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚」を発表しました。こちらでお読みください。)

自己の全体性とマンダラ

ユングは、「神聖さの感覚」も基本的な元型だと考えていました。原始キリスト教には、「イマゴ・デイ」(Imago Dei:神の似姿)が人間の魂に刻み込まれているという考え方があります。これととてもよく似ていますが、古代インド哲学には、個人の本質であるアートマン(atman:我)が、宇宙を支配する原理であるブラフマン(Brahman:梵)と同一であるという梵我一如という体験的解釈があります。

ユングの考え方によれば、人間の心の奥には、貴い内的な心の中心があり、それは通常知られている外的な自己(自我:ego)を超越すると同時に含んでいます。そして、この「包括的な自己」には、意識的な心だけでなく、無意識の心も含まれています。

ユングは、世界のさまざまな文化に登場するマンダラが、包括的な自己の性質を最もよく表している図形であると考えました。

ユングの名言7選

「初期の頃から錬金術には2つの側面があったことが、すでに十分に明らかであろう。ひとつは、実験室で行う実践的な化学的作業という側面であり、もうひとつは、心理学的な過程という側面である。しかし後者には、実際に心理的な作業だと意識されていた場合と、知らず知らずのうちに、物質のさまざまな変換作業と同一視され、物質の作業だと見なされていた場合がある。」

「万物は、〈一なるもの〉(the One:神)が行う瞑想を通して〈一なるもの〉から生じる」という錬金術の格言の中の「瞑想」(meditation)という言葉は、創造的な対話を意味すると理解しなければならず、この創造的な対話によって事物は、無意識という潜在的な状態から、顕在化した状態に移行する。」

「意識は、心が極めて最近になって獲得した性質であり、まだ“実験的”な状態である。意識はもろく壊れやすく、いくつかの具体的な危険にさらされており、傷つきやすい。」

「人間の心の大部分は今もなお闇に包まれている。「プシケ」(※注)と呼ばれているもの、つまり心は、決して意識と意識の内容に限定されてはいない。」

※注:プシケ(psyche):心の深奥の感情と態度で個人を動かす原動力。また、心の全体を意味することも、深層意識を意味することもある。ギリシャ神話では、魂を擬人化した、蝶の羽を付けた美少女として登場する。サイキ。

「夢の中の象徴的なイメージが重要であると思われる場合、それを無意識という闇の中に押し戻す必要はまったくなく、明確に思い出すべきである。そのイメージは到達点ではなく出発点になる。そうすることで、自身の人格の別の領域を広げることになり、私たちは自分自身をより良く知るようになる。」

「夢は、抑圧されたものや、無視されているもの、気づかなかったものなどのすべてを自動的に登場させることによって、精神の自己調整に役立っているが、補償としての夢の重要さは、直ちには明らかにならないことも多い。その理由は、人間の心の本質と欲求について、まだ私たちが極めて不完全な知識しか持っていないためである。」

「夢は魂の最も奥深くで最も秘密にされた片隅にある隠れた小さな扉であり、宇宙の夜に開かれている。宇宙の夜とは、自己意識が存在するはるか以前の心が登場した場であり、自己意識が今後到達するであろういかなるものも、はるかに超越した心を存続させる場である。」

区切り

以下の記事は、当会の研究家によるものです。

記事:『カール・グスタフ・ユング - 元型と集合的無意識』

ユングの肖像画と英文記事タイトル

カール・グスタフ・ユング(1875 – 1961)はスイスの有名な精神科医でした。「集合的無意識」と彼が呼んだ下意識精神が、個人の客観的精神や主観的精神と同様に重要であるというのが彼の意見でした。まだほとんど利用されていないヘルメス的伝統が西洋にはあり、神聖で、心の奥底を揺り動かす神秘的象徴を求めるために、西洋人が東洋の伝統の方を向く必要はないと論じました。ヘルメス哲学の背後には、心理学的な意味が存在していると彼は主張しました。

カール・グスタフ・ユングは1875年7月25日にスイスの小さな村、ケッセヴィルに生まれました。父は地方牧師のパウル・ユングであり、母はエミーリエ・プライスヴェルク・ユングでした。彼は極めて洗練された大家族に囲まれていて、その中には数人の牧師や一風変わった人々もいました。

ユングが6歳になったときに、ラテン語の学習を彼の父は始めさせました。その後長い間、言語と文学、特に古典文学はユングの興味を引きつけました。現代の西ヨーロッパの言語のほかに、いくつかの古典語を彼は読むことができ、そこにはヒンズーの聖典の原語であるサンスクリットも含まれていました。

ユングは、幾分孤独な若者でした。あまり学校を愛さず、特に競い合うことが出来ませんでした。スイスのバーゼル市の寄宿学校に入り、そこでねたみによる数々の嫌がらせの対象となっていました。彼は病気を口実に用いることを初め、ストレスがたまると気絶する厄介な傾向を発症しました。

彼が最初に選択した職業は考古学でした。続いてバーゼル市の大学で医学を研究しました。著名な神経科医のクラフト・エービングのもとで働いていた際に、彼は職業として精神医学に(つ)くことにしました。

教授の石
– The Professor’s Stone

ユングは内向的な人でしたが、言うべき言葉がなかったのではありません。というのも、他の人に向けた文章の才能のために彼は、精神世界の偉人にまつり上げられてしまう危険性があるからです。けれども、そうする事である点が見落とされてしまいます。ユングはあらゆる点で人間的過ぎる人物でした。「私は、ただの文化的下層労働者だよ。」と彼はかつてつぶやき、ジャガイモを育てることに楽しみを見いだしていました。一部の人は彼を、「当てにならない、堅苦しい老人」と呼びました。彼は自身を「哲学者でもなく、社会学者でもない。私は医者である。私は事実を(あつか)っている。」と言っていました。しかし時としてユングは失言しています。彼の著作「記憶、夢、回想」の中のひとつの例がそれを明かしています。名前は知られていませんが、夕食をよく共にした友人の暗い秘密について、彼がうっかりと口を滑らせた時のことです。

大学時代の彼は、とても陽気な「飲んだくれのカール」として、学校の友人と飲み友達に知られていました。彼が“美徳連盟”と呼んでいた学生会組織にはいつでも反抗的でした。ユングはアウトサイダーでいること選択しました。9年間もルーテル派の牧師のひとり息子であるということは、厄介(やっかい)なことに違いありません。特に、自身の最も暗い秘密を、あえて打ち明けない場合はそうでしょう! 歴史の彼方の“霧”から生まれ出て、自身の意識の二項対立の中へと分け入る若い少年には、典型的な宗教はほとんど意味を持ちませんでした。仕事の中に彼は慰めを良く見いだして、こう言っていました。「雪どけ水で自分を洗ったにもかかわらず、ぬかるみの中に自分を投げ込むのだ。」 ユングの父はよく小言を言っていました。「お前はいつでも考えることに(う)えている。」

彼が石に夢中になり始めたのは9歳の頃で、古い庭の壁の突き出た石が彼の石となったのでした。何時間も彼はイメージ遊びに没頭しました。「この石のてっぺんに私は座っていて、石は下にある。」しかしその時、石もまた「私」と言い、考えることができました。「私はこの坂のここに横たわっていて、彼は私のてっぺんに座っている。」そして、問いが生じます。「私は石の上に座っている者だろうか、それとも私は、彼がその上に座っている石だろうか。」

10歳の頃に彼は小さな人形を(ほ)って、自分にとって2番目の宝となった石を与えたのでした。その石はライン川でひろった横長の黒っぽい石で、長い間ズボンのポケットに入れていたものでした。庭にあった石と2色に塗られたこの小石は、この石の持ち主である人形とともに彼の「大いなる秘密」となり、疑問に満ち満ちた子供時代を通じて、彼の慰めとなりました。しかし疑いなく彼の中にはもうひとつの石があり、それは永久に不滅の石でした。

70歳を少し過ぎた頃に、ユングは思いがけず3番目の石を見つけました。「石への信仰の告白」とユングは自分の塔を呼んでいましたが、この塔とは、自分の手でチューリッヒ湖畔のボーリンゲンに彼が建設した家のことです。年月が経つと彼は、その家が不完全であると感じ始め、部屋と中庭、そして上階も加えようとしました。ボーリンゲンは、自分について最も深い感情を抱く(いだく)場所だとユングは常に述べていました。庭の壁用に間違いなく三角形の隅石をユングは注文していたのですが、その代わりに石切り工はその場所に、かなり大きな、完全に立方体の石を運んできました。怒った石工は、この合わない石を返品しようとしました。しかし、ユングは叫びました。「いや、これが私の石だ。私にはこの石がいる!」

最初はためらいがちでしたが彼は、立方体の2つの面に「共時的な」錬金術の標語を(ほ)り、最初の2つの石を永遠のものとしました。そして、立方体の3番目の面には、それ自体が述べる事を聴き取りながら彫りました。終わったと感じたユングは石を納めましたが、しかしその後、彼は彫りたいと思った衝動の背後に何があったのかを思索し始めました。結局のところ、何も見ることの出来ない、まだ彫られていない4番目の面があります。ですから、まだもう一つの石があって、それを記すことが、4番目の面に行われるようになるのではないか、それはあの石として、哲学者が取り戻すことになるかもしれないものではないかと、私達は考えさせられます。

心霊的な諸過程における影との遭遇ー「赤の書」からの図
心霊的な諸過程における影との遭遇 「赤の書」(”Red Book”, Wehr, 1989)からの図

魂の漁師
– The Fisherman of the Psyche

「水は無意識のための好ましい象徴である。」若い頃からユングは、湖の近くに住まなければならないと感じていました。太陽の光で輝くコンスタンス湖の大きな広がりは、最も幼い頃の記憶を、想像もつかない楽しみで満たしました。一方、森の中で響くラインの滝の控えめな唸りは、危険に満ちた夜の漠然とした恐れで彼を満たしました。

水は母なるもの、つまり〈豊穣の女神〉、〈情念〉、〈黄泉の川の深み〉の古代の象徴です。カール・ユングの中の〈子供〉は本能的に儀式を考案し、それによって水の暗い世界を背後にとどめておく壁が築かれました。その水とは「人が自身の中に消失することのありうる」場所でした。ペルソナ(仮面)と影(人格の主観的部分)の再統合が人間の意識を支え、下意識の陰鬱(いんうつ)な深みの中で安全に「魚(つ)りをする」ことを可能にすると、後に彼は述べるようになりました。というのも、この下意識には生き物がすぐにぼんやりと現れるからです。「魚たち、深みに住む、おそらくは無害な住民たち、もし湖にたびたび訪れるのでなければ。」

人魚は三位一体のアニマ(妖術師、処女、霊的母)の一部分でした。これらは皆ひとつになって、ソウルすなわち識別する知識を形成しています。「個人の発達において、もし影との出会いを習作とするならば、アニマとの出会いは傑作である。」アニマすなわち生命の息は曖昧で神秘的なものです。「眠れる美女」のように彼女は、自分の息子でもあり父親でもある魔術師によって見つけ出され、(たく)みに復活させられなければなりません。ユングは錬金術的論文「哲学のバラ園」にこの事を反映させて、次のように付け加えています。「生命はソウル、つまり油と水である。」息-ソウルは油と水であるという奇妙な観念は、メルクリウス(Mercurius)の2つの性質から生じています。

ユング自身が自分のアニマを目撃した出来事は、ローマ帝国のラベンナ(Ravenna)の女皇帝ガラ・プラキディア(Galla Placidia)の霊廟での、彼の人生の中でも、とても奇妙な出来事のひとつでした。後に、彼の信奉者の大部分が女性である事にある人が抗議した時、彼は冗談半分に言いました。「だから何なのか。心理学は結局はソウルの科学だ。もし、ソウルが女だとしても、それは私の落ち度ではない!」

アニマが古代人にとって、女神か魔女に思えたとしても、この道徳的葛藤の彼方(かなた)には、秘密の知識、隠された知恵の約束が存在していました。と言うのも、彼女は魔法使いマーリン(Merlin)の背後にある意味への道筋を指し示す光の泉の天使だからです。

ボーリンゲンの魔術師
– The Wizard of Bollingen

「悪魔の祖母が母で、父は悪魔だったら、人はどのようにしたら〈主〉の良い子となれるのだろうか?」 ユング教授はしばしば逆説や面白い逸話をさしはさんで、聴衆に遠まわしに説明をしました。

錬金術の格言を彫ったユングの石は、ボーリンゲンの塔の外側にまだ立っていて、世界から追放された後の森の中でのマーリンの人生を静かに表現しています。ユングによれば、マーリンは中世の無意識の試みであり、キリスト教の英雄、救われたパルジファル(Parzival)の闇の兄弟を作り出そうとするものでした。伝説のマーリンは、悪魔と汚れなき処女の間の子で、理解されず解釈もされませんでした。そして今日でもなお救われないままです。「マーリンの秘密は錬金術によって、主にメルクリウスすなわちヘルメス(Hermes)の姿で伝えられてきた。」

元型(archetype)と呼ばれる、内的な可能性の不可知の「存在」の中に自身がいるとユングは常に感じていました。元型とは、精神(psyche)の見えざる秩序であり、経験的イメージないしは象徴を変化させる際に、精神の意識ある部分がまとう“衣”であり、そのような象徴は、あたかも自身のうちの〈他者〉に出会っているかのような恐れで私達を満たします。「〈神〉は円であり、その中心はいたるところにあり、その周はどこにも存在しない。」

恐れを認めつつ、ユングは決して悪魔や神に道を譲りませんでした。彼は理解しようとただ待っていました。熱烈で、原始的で、地の底の性質を持つ暗い力を他の人に投射しないということは、しばしば不可能な課題となります。もし私たちが恐れに直面し、自身の内部を探究するならば、その時、〈古き者〉(Old Man)、〈古代の者〉(Ancient One)の本能的で、長く忘れられた知恵が語り出し、個人的なジレンマを受け入れる手助けをしてくれるでしょう。その〈古き者〉は「ファウスト」の中の「カビロス」(Cabiros)、すなわち美しき水の子供として、あるいはカビリ(Cabiri)、すなわち「(たけ)の低き、力強き」「原初の人々」として現れます。

「彼の賢明さ、知恵、洞察力だけでなく」とユングは言います。「〈古き者〉はその道徳的性質のゆえにも注目すべきである。」内的な道に沿ってはいるものの、離れて立っている彼は、〈子供〉ないし〈古代の者〉を最も良く理解することができます。

ユングは一度も自身を神秘家であると思ったことはなく、ただの実験心理学者、独自の見解を持った直観的な思想家と考えていました。彼は常に一匹狼であり、彼の時代の大勢の意見からは離れていました。彼はこのような皮肉を言っています。「世界で最も知的な人を百人選んで一緒にしたら、彼らは暴徒になる。一万人を一緒にしたら、ワニのような集合的知性が出来上がるだろう。」

カール・グスタフ・ユングの辛辣(しんらつ)な、ウィットに富んだユーモアは、他のアウトサイダーの心と魂の琴線に触れるでしょう。そして、次の彼の言葉に同意することでしょう。「自分自身の性質に従って人は生きるべきである。人は自己認識に重点を置くべきであり、そして、自身についての真実に従って生きるべきである。菜食主義のトラがいたらあなたは何と言うだろうか?」 

ウサギに出会った学生についての古い素敵な話をユングはかつて語ったことがあります。「昔は〈神〉の顔を見た人々がいた。なぜ、もはや見ないのか。」ウサギは答えました。「今では誰も、そんなに低く身をかがめることができないから。」ユングは心得ていて、こう結論を出しています。「小川で水を飲むために、人は少し身を低くかがめなければならない。」

つまり、自身の客観的意識と主観的意識が、下意識精神よりも上位にあるとした時には、私たちは霊感の源泉から自身を切り離してしまっているのです。向きを変えてしまっているのであり、内なる〈創造主〉の顔はもはや見られないのです。  第一次世界大戦は、ユングにとって、自省の苦痛に満ちた時期でした。けれどもこの時期は、世界にこれまで存在した最も興味深い人格の理論の始まりでもありました。大戦後彼は、幅広く旅行をし、たとえば、アフリカ、アメリカ、インドの様々な種族の人々を訪ねました。彼は1946年に職を辞し、1955年に妻が亡くなった後は、大衆の注目を避けるようになりました。そして1961年6月6日、チューリッヒ市で転化(逝去)しました。

体験教材を無料で進呈中!
バラ十字会の神秘学通信講座を
1ヵ月間体験できます

無料でお読みいただける3冊の教本には以下の内容が含まれています

当会の通信講座の教材
第1号

第1号:内面の進歩を加速する神秘学とは、人生の神秘を実感する5つの実習
第2号:人間にある2つの性質とバラ十字の象徴、あなたに伝えられる知識はどのように蓄積されたか
第3号:学習の4つの課程とその詳細な内容、古代の神秘学派、当会の研究陣について

執筆者プロフィール

本庄 敦

本庄 敦

1960年6月17日生まれ。バラ十字会AMORC日本本部代表。東京大学教養学部卒。
スピリチュアリティに関する科学的な情報の発信と神秘学(mysticism:神秘哲学)の普及に尽力している。
詳しいプロフィールはこちら:https://www.amorc.jp/profile/

無料体験のご案内講座の詳細はこちら