投稿日: 2021/12/10
最終更新日: 2023/02/17

P.G.O. オドンディリ

スーフィーの六賢者:ムイーヌッディーン師(Khvaja Mu'in ai·Din)、ガウス・アルアザム(Ghaus ai-A'zam)、クトゥブッディーン師(Khvaja Qutb al-Oin)、ミフル老師(Shaikh Mihr)、シャラフ・ブー・アリー・カランダル王(Shah Sharaf Bu 'Aii Qalandar)、君主ムーサ・シャイフ(Sultan Musa Shaikh)。不透明水彩絵の具と金による描画(1760 年ごろ、大英博物館所蔵)
スーフィーの六賢者:ムイーヌッディーン師(Khvaja Mu’in ai·Din)、ガウス・アルアザム(Ghaus ai-A’zam)、クトゥブッディーン師(Khvaja Qutb al-Oin)、ミフル老師(Shaikh Mihr)、シャラフ・ブー・アリー・カランダル王(Shah Sharaf Bu ‘Aii Qalandar)、君主ムーサ・シャイフ(Sultan Musa Shaikh)。不透明水彩絵の具と金による描画(1760 年ごろ、大英博物館所蔵)

 スーフィズムを信奉している人たちはスーフィーと呼ばれ、預言者ムハンマド(モハメット)の教えの中でも特に神秘学的な部分を受け継いで保持しています。ですから、スーフィズムを端的に言い表すとすれば、イスラム教の神秘学であるとすることができるでしょう。スーフィーは、イスラム世界の内部に教団を作って暮らしています。そして、一般的なイスラム教徒としての義務に忠実に従うことに加えて、預言者ムハンマドが創設したイスラム教の高度な理想を実現するために、自ら進んで特別な精神面の修練を取り入れています。

「スーフィー」(Sufi)という言葉は、羊の毛皮を意味するアラビア語「スーフ」(suf)に由来します。したがって、スーフィーとは文字通りには「羊毛の人」という意味です。アラビアの古代の修行者たちは羊の毛皮をまとっていました。そこで、修行者の立場と務めを、この服装が象徴するようになりました。

スーフィーの修行への取り組み方は、イスラム教の預言者ムハンマドの考え方に完璧に調和しています。ムハンマドは、自身の宗教の基本的な考え方を明確にした後に、その考え方の範囲内でたどることができる、さまざまな種類の道が必要であることを理解しました。そのような多様性を通して、個々の人は、自らの能力や気質や社会状況を考慮して、精神面での進歩の達成へと向かうための行為に取り組むことができます。イスラム教の聖典であるコーランには、心の平安と幸せへ至るための、さまざまな道のことが述べられています。ムハンマド自身も、天国に入るための通路は多数あるということを力説しています。祈り、熱心な礼拝、断食、施しなどを実践する人たちが、それぞれの通路から天国に入る一方、それらすべての実践を通して天国に入る人たちもいます。つまり、スーフィーも自身で、多数の通路から、特定の生き方を選んでいるのです。しかしそれ以上に重要なことは、預言者ムハンマドがはっきりと理解していたのと同じように、スーフィーが、自分たちと異なる方法がいくつもあることを承知していて、そのような方法の価値を認めているということです。

スーフィーは、コーランを書かれているそのままの意味で受け入れることはしません。高位の修行者だけが理解することのできる隠されたコーランの意味こそが、スーフィーを導く役割を果たしています。「自分自身を知る者は、自身の主人を知る」という言葉は、ムハンマドが啓示を受け、神の姿を見たことから生じたとスーフィーは考えています。この言葉は、グノーシス派(訳注)ととても近い考え方です。スーフィーは、このような自分自身についての知識のことを秘儀的(esoteric)なもの、つまり、高度な修行によってだけ得ることのできる崇高な知識であると考えています。一方で、スーフィーの教団の中枢にいるごく限られた人たちと、専門的な文書を読んだ人たちにしか、この言葉の真意は受け入れられていないようです。

訳注:グノーシス派(gnosticism):古代ギリシャ後期の宗教運動。神についての直観的認識(グノーシス)により人間が救済されるとする。

自己認識の獲得

Attaining Self-Knowledge

 スーフィーによると、神についての知識の糸口となるような自己の認識は、秘儀的であるだけでなく、神秘学的(mystical)、つまり心の深奥から到来する認識です。自己に対する認識は、自己を無にすることによってだけ得られます。つまり、自分という容器から、すべてを捨てることが必要とされます。別の言い方をするならば、突き詰めれば一種の無知でしかない限定的な観念を、何度も何度も否定することで、神についての知識が得られると考えられます。

スーフィズムには、統一された一貫した教義は存在しないように思われます。この点から、他の様々な教えを積極的に取り込むという、スーフィズムの特徴を説明することができます。精神を向上させるための規律として、預言者ムハンマドの教えから多くの要素が取り入れられていますが、個人が直接体験したことから導かれた要素も、それと同じくらい多数取り入れられています。時代を経て、特にイブン-アラビー(ibn-Arabi、1165-1240)が生きた時代のスーフィズムには、新プラトン主義とヘルメス思想の影響が色濃く反映されています。同じように、初期キリスト教の聖職者たちの著作も、スーフィズムの哲学と実践に重要な影響を与えました。

したがって、いかなる反論も恐れることなく、預言者ムハンマドの宗教とスーフィズムは、同じものではないと言うことができます。しかし、この意見には、ただし書きが必要です。この2つの違いは、一般大衆に向けられた教え(顕教)と、限られた修行者のための教え(秘教)の違いを反映しているということができます。スーフィーにとって、秘教的な知識は、大衆向けの教えの伝統と対立するものではありません。秘教的な知識は、大衆向けの知識に置き換えられるべきものではなく、それを適切に補うものと考えられています。ちなみに、「内側には外側から近づかなければならない」という言葉が、スーフィズムの集団の中で、格言としてたびたび語られます。この格言から、スーフィズム哲学の全領域に関係する重要な見方にたどりつくことができます。ここに潜んでいる秘密は、端的に言えば次のことです。それは、誰もが行っているような普通の生活に精通し、そこで有能さを示すことができるようになった人だけに、秘教的な知識を身につけることができるということです。

スーフィズムの謎めいた側面

The Mystery of Sufism

スーフィーの儀式(スーダンの首都ハルツームにて)
スーフィーの儀式(スーダンの首都ハルツームにて)

スーフィーが自分たちに伝えられてきたことや考え方を世の中に示すときには、どのような方法を用いるのでしょうか。このような場合のスーフィーの取り組み方には、古くから、多くの人が興味をそそられると同時に、困惑させられてきました。そのため、スーフィーによって明かされる崇高な数々の真理を見抜いたり、その真意に到達したりすることができない多くの人々が、スーフィーを形容して冗談めいたコメントを発することがあり、その一部が学者によってしばしば取り上げられた結果、スーフィズムには近寄りがたい神秘的な雰囲気が伴うようになりました。

スーフィーが自身の神秘体験を直接語ることは、ほとんどありません。そのような体験を暗に、そして的確に表わすために、様々な手段が尽くされます。普通の言葉で説明する人もいれば、宗教の専門家としての個性的な言葉を使う人もいます。また、スーフィーの教義を説明するときに用いられる哲学の知識や、科学の知識を活用する人さえいます。

このような事情から、スーフィーは自分たちの教義のいくつかの側面を伝えるためにも、書き言葉を改良した巧妙な方法を編み出しています。そして、スーフィーの教団の内部では、巧妙に編集され暗号化された文書が発達し用いられるようになりました。その結果、スーフィーが図を描いたり何かを示したりした場合には、それを表面的な意味に受け取ってはならないという意味のジョークさえ生じています。

しかし、こうした暗号のような文書は、真の意味を完全に隠したり伏せてしまうことを意図しているのでは決してないということに留意することが重要です。外見上は完結した詩や神話や物語に良く似ている文章が、解読することができれば別の解釈になりうることを示すことが意図されているのです。「バラでできた教科書を理解するのが鳥だけであるように、文書を読む者の誰もが、その深い意味を知るわけではない」とスーフィーは主張します。この言葉によってスーフィーが意味しているのは、彼らの教えは、読み手が自身の理解度に合わせて利用できるようにされているということです。

このように、スーフィーは、固定した約束ごとにはこだわらないと言うことができるでしょう。つまり、スーフィズムの教えは、聖典、恋愛詩、笑い話、物語、伝説といった文章や、様々な芸術としてなど、多くの方法で伝えることができます。

真実を示す方法

The Presentation of Truth

 多くの人々にとって、いまだ謎であり続け、納得することができないのは、あるテーマを示そうとするときにスーフィーが取る方法です。問題の一端は、スーフィズムが形式を持たない真実であるということに由来します。どのようなテーマでも、それを示す方法は大きく分けて3つあるとスーフィーは主張します。第1の方法は、すべてを順番に示すことです。第2の方法は人々が知りたいと思っていることを示すことであり、第3の方法は、人々にとって最も有益なことを示すことです。

では、真実を示すこの3つの方法は、どのような結果を人にもたらすと考えられるでしょうか。スーフィーの主張によれば、すべてを示した場合生じるのは消化不良であり、人々が知りたいと思っていることを示す第2の方法では、人々を窒息させてしまう、つまり進歩を妨げてしまいます。第3の方法、つまり人々にとって最も役に立つことを示すならば、そのようにした人は、誤解や反発を受けるという危険にさらされます。たとえ現実の世界が、いくつもの困難が錯綜する迷路のようなものであるとしても、人々に奉仕するならば、表面上はどうであれ人々に奉仕したことになるのであり、それによって間違いなく奉仕者は恩恵を得るとスーフィーは主張します。

イスラムの哲学者ヌーリ・モジュディ(Nuri Mojudi)によると、スーフィーとは、なすべきことをなす人を指します。しかし、それ以上に言えることは、スーフィーとは、なすべきでありながら、他の誰もがなすことのできないことをなす人だということです。つまり、スーフィーは、並外れた神秘的直観を持つ人だと言うことができます。

したがって、スーフィズムの厳密な意味を表そうとしても、それは言語が通常持つ限界を超えていると考えられます。ですから、「スーフィー」(Sufi)という語が、「聖なる英知」を意味するギリシャ語の「ソフィア」(Sophia)や、「絶対的に無限なるもの」を意味するヘブライ語のカバラの用語である「アイン・ソフ」(Ain Sof)と関連していると考えるのも、理解できないことではありません。

スーフィズムに限らず、さまざまな秘伝的教えは、その背後にある神秘学の原理が基本的には同じです。そして、しばしば時代によって表現こそ違いますが、現在でも価値を失ってはいません。神の化身と呼ばれることもある宗教の創始者たちや預言者たちは、人々の理解のレベルにとって適切で、その時代の人々の内面にとって必要なことを教えたのでした。

スーフィズムとバラ十字思想

Sufism and Rosicrucianism

アル・リファイモスク(Al Rifa’i Mosque)の出入口 (AMORC のエジプトツアーにて撮影)

真実の道はすべて、同じ目的地に至るとスーフィーは言います。環境や文化によって必然的に生じる外見上の違いにもかかわらず、スーフィズムとバラ十字思想の間には、緊密な類似を見て取ることができます。

スーフィズムも、バラ十字会AMORCの哲学と同様に、神秘体験は、きわめて個人的な体験であると主張しています。このことが暗に意味しているのは、数名の人や多人数の人が儀式に参加して神秘体験を得るという方法が取られるのは、それが意識に必要な変容をもたらし、内的な体験を実現する助けになることだけが理由だということです。

スーフィズムとバラ十字思想という2つの神秘学の体系は、いずれも、汎神論的な神の概念を採用しています。汎神論とは、簡単に言えば、すべてのものに神が宿っているとする概念です。しかしこの概念は決して、もの自体が神であると述べているわけではありません。神の精神は、すべてのものに行き渡っていて、それが、存在するすべてのものの背後にある創造的な力であると考えているのです。

スーフィーの心理学では、人間は、自我(Nafs)、魂(Ruh)、心(Qalb)、知性(Aql)に分類されます。このことは、人間には、物質的部分、スピリチュアルな部分、精神的な部分(知性を含む)、があるとするバラ十字思想のとらえ方と共通しています。

またこの2つの体系は、人間とは神の現れのひとつであると考える点でも一致しています。神は、個人が体験する現実のひとつであり、人間の高尚な性質は、神、すなわち至高の存在から直接流出したものであると見なされます。したがって人間とは、ミクロコズム(microcosm)、すなわち秩序ある小さな宇宙であり、そこに現れている宇宙のすべての要素は一体となっています。

スーフィズムとバラ十字思想の学習者の多くは、どちらも、祈りにも多くの時間を費やします。祈りは、神と交流するための一種の超越的な方法であり、すべてのものを創造した存在との親密で個人的な接触と考えることができます。

まとめとして申し上げるならば、スーフィーとバラ十字会員はいずれも、生きている時代や場所にかかわらず、男性であっても女性であっても、属している文化と国のために自らの経験を役立てようと望み、実際にそうしている人たちです。

参考文献
Brown, J.P. The Dervishes or Oriental Spiritualism. London: Frank Cass & Co., Ltd., 1968. Islam and the Modem World: Quarterly Journal, Vol. VIII, No. 2 (May 1977); Vol. XV, No. 4 (Nov. 1984).
Lings, Martin. What Is Sufism? London: George Alien & Unwin, Ltd., 1975.
Schimmel , Annemarie. Mystical Dimensions of Islam. Chapel Hill: University of North Carolina Press, 1975.
Shah, ldris. The Way of the Sufi. Penguin Books , Ltd., 1968.
Trimingharn, Spencer. The Sufi Orders in Islam. Oxford: Claredon Press, 1971.

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