投稿日: 2021/12/10
最終更新日: 2023/02/20

ビル・アンダーソン

中世のスペインには、進歩的な寛容さを特徴とする文化が育まれた時期があり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という、いずれも預言者アブラハムの伝統を受け継いでいる世界の3大宗教が共存し、互いに影響を与え合いながら栄えていました。コルドバ、セビリヤ、トレド、サラゴサ、そして本稿の舞台であるグラナダといった都市は、他のヨーロッパの都市のほとんどが暗黒に支配されていた時代にも、知識と洗練された文化の輝きを灯台のように放つ、まぎれもない〈光の都市〉でした

中世後期のスペイン
中世後期のスペイン

私たちの日々の生活の一部には、ある有害な影響がつきもので、それを振り払うのは難しい場合もあります。しかし、そのように努力することはなすに値します。短期間のうちに、規模の大きい変化が起きると、その時期に人は名前を付けます。時として、革命期とか征服期と呼ばれることもあれば、大量殺戮期と呼ばれる場合もあります。ムーア人(訳注)がスペインで勢力を振るっていた時代にも、この3つの呼び方がぴたりと当てはまる時期がありました。しかし、激しい戦闘や力ずくの変革がそれほど目立たない時期もあったのです。そのような時期は、人々の意識に真の進歩が見られた時代と呼んで間違いはありません。

訳注:ムーア人(Moor):アフリカ北西部に住んでいたベルベル語を話す人々。大多数がイスラム教徒で、8世紀にイベリア半島に進出し11世紀にイスラム教国を作り、1492年まで支配した。

戦乱は、ムーア人支配下のスペインに特有なことではなく、他のヨーロッパ地域の多くにも存在しました。そしてスペインのこの時代に、ムーア人の影響により永続的な変化がスペインにもたらされました。この時代には暴力的な傾向がありましたが、様々なことを考え合わせると、それらの変化の大半が良いものであったと私は考えています。それは文化、学問、芸術の発展の時期であり、21世紀のヨーロッパの地に、極めて価値の高い文化的な遺産を伝えてくれています。

かつて私は、このようなことを考える機会に恵まれました。それは、グラナダにある建築物の複合体、アルハンブラ宮殿のバラ園に腰を下ろしていたときのことです。後方に見えていたのは、南スペインのアンダルシア地方に連なる、雪に覆われたシエラネバダ山脈でした。晩春の陽光がまぶしく降り注ぎ、普段にも増してぽかぽかとした気持ちのいい一日でした。私はそこに座って、周囲の建物を見つめながら、素晴らしい宮殿と遺跡に施された修復作業の素晴らしさに言葉を失っていました。それらは、優れた文化と学問が花開いた、かつての偉大な時代に残されたものですが、今では人類の遠い昔の記憶でしかありません。

精巧な彫刻が施されたアーチの陰にある石段に私は座っていました。そして、アンダルシア州出身のスーフィズム(訳注)の神秘家で哲学者であった、イブン・アラビー(Ibn Arabi)の小さな詩集を開きました。ぱらぱらとめくっていて驚いたのですが、たまたま開いたページに、その時の私の思いにぴったりの詩が載っていました。人生は移ろいやすく、実に短く、あまりに激しく、この上なく尊い…。アルハンブラ宮殿という名のかつての壮大な建物、今では美しく復元された遺跡で、その詩はまるで私だけに語りかけているかのようでした。アルハンブラという名前は、「赤い要塞」を意味するアラビア語のアル・カルア・アル・ハムラー(al-Qal’at al-Hamrā’)に由来しています。

これら崩れかかった廃屋は、落日の最後の一筋の光に、燃えるがごとく輝く。一人の住人さえ目に映らず、ただ空虚のみ。廃墟を悼み空で鳴くのは、彼方から来た鳥たち。今歌ったかと思えば、今黙り込む。
その一羽に尋ねる。私の心を苦しみと悲しみで満たすのは誰の歌かと、「何のために鳴き、何を訴えるか」と。鳥は答えた、「過ぎ去って、帰ることのない時を思って」。

訳注:スーフィズム(Sufism):イスラム教の神秘主義。

啓発の時代

Enlightenment

 1千年以上前のヨーロッパには、その文化史上でも最も素晴らしい、文化的啓発の時代のひとつが訪れました。また、中世はヨーロッパの暗黒時代だとしばしば語られますが、スペインでは3世紀以上もの間、灯台のように光が輝き、多様な文化と複数の宗教が共存し栄えていました。あらゆる分野をイスラム教が圧倒的な力で支配していたものの、南スペインに広まっていた他の2つの宗教からも、イスラム教の学者に勝るとも劣らないほど卓越した人々が生まれました。彼らはイスラム文化と競うかのように、詩、絵画、建築、音楽、食事作法、科学、農業、医学、工学、航海術、織物や水道の技術といった分野で、後世に残る貢献を果たしました。

スペインの南部は、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒という3つの「聖典の民」が住んでいる土地でした。同じ地で生活し繁栄し、信仰を表わす方法は異なっていましたが、彼らの文化や信念には複雑な関わり合いがあり、人生の目的に関して、ある程度の共通点が見られました。この世の一生は、永遠の来世に至るための準備を意味すると、これら3つの宗教の人々の誰もが考えていました。ギリシャとローマとペルシャの古代の知識が、ここに集結して再び息を吹き返したのです。いにしえの英知への関心が再び復活し、それに心酔する者が現れ、また、コルドバのカリフたちが築いた黄金期(西暦929~1031年)の知識への取り組み方法が優れていたことが、新しい思想の形成のために大いに役立ちました。アルハンブラ宮殿が造られていた3世紀の間、グラナダの歴代の王たちは、この新しい思想を広めようとしました。しかし彼らの文化的社会は、最終的には、品性を欠いた世代の人々によってすべて滅ぼされてしまいました。これらの人々は、貪欲さと恐怖、宗教の狂信、他者の考え方や信仰への不寛容さに満たされていたのです。

ナスル朝グラナダ王国
ナスル朝グラナダ王国

グラナダは、イスラム王朝の統治下におけるスペインの絶頂期に出現した世界の縮図のようなものでした。そこは民族の坩堝であり、スペインの先住民が、北アフリカや近東のあらゆる地域からきた人々と混じり合っていました。人口の大多数はイスラム教徒でしたが、ユダヤ教徒やキリスト教徒の社会もかなり多く存在していました。

グラナダとアルハンブラに栄光が訪れたのは、スペインのイスラム統治時代の後期ですが、人類史上最も素晴らしい文化的な偉業のひとつの、わくわくするような名残を、現在でも垣間見ることができます。サビカの丘(Sabika Hill)の頂上には、廃墟と美しい宮殿が混在しています。「サビカ」という語は、アラビア語で高潔さや信心深さを意味します。そこに、スペイン国王であり神聖ローマ皇帝でもあったカール5世(1500-1558)のために造られた宮殿と、滞在を望む現代の旅行者のために建てられたパラドール(訳注)を加えてみてください。すると、この地についてのあなた自身のイメージを作り上げることができます。さらに木々と庭園を加えれば、アルハンブラが完成します。毎日バス何台もの観光客がここに降り立ち、かつてここに存在したもののほんのわずかな痕跡に驚嘆しているのは、決して不思議なことではありません。

訳注:パラドール(Parador):スペイン語圏で、多くの場合、城や修道院を改築して造られた比較的高級なホテル。

アルハンブラの主な宮殿
アルハンブラの主な宮殿

アルハンブラ宮殿が真に栄光に満ちていた時期は、アミル・ユースフ1世(在位1333-54)と彼の息子ムハンマド5世(在位1354-59と1362-91)の治世でした。このときグラナダは、王の宮殿がある都市に変わったのです。行政長官(Vizier:ワズィール)であったイブン・ザムラク(Ibn Zamrak, 1333-1393)がアルハンブラ宮殿についての詩『グラナダとアルハンブラ宮殿の追想』を書いたのは、ムハンマド5世が統治していた時期です。以下にその一部を引用します。

サビカの丘は誇らしげに王冠を戴いている。瞬く星たちが装飾を欲するとしたら、この丘に羨望を抱くことであろう。アルハンブラ、王冠の頂に置かれた一粒のルビーよ。神よ、これを守りたまえ。
聳え立つ塔には、天の十二宮も恥じ入る。十二宮のいずれの星も、アルハンブラの美しさに比べるべくもなく、宮殿の気高さと威厳によって、見劣りのする星々は地上へと落とされる。
アルハンブラの目には、神への敬いが宿り、夜明けのミナレット(訳注)の優雅な姿を見る恩恵が与えられている。一日の最初の光が一筋、東の空に繊細に輝き、星々を追いやるときに。

訳注:ミナレット(minaret):モスクに付属する尖塔で、ここから人々に礼拝の時を知らせる。

バラ園の暑さに耐えられなくなった私は、周囲の情景に思いを巡らすのにふさわしい日陰を探しました。キリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)の波に、ほとんど何もかもが押し流される前、グラナダ王国の全盛期には、この地でどんな生活が営まれていたのでしょうか。スペイン人作家フランシスコ・ビジャエスペサ・マルティンが記し、「ザクロの門」(訳注)の脇にある記念の銘板に、今でも刻まれている次の言葉の通りだったのでしょうか。

これらの壁の影はとうの昔に失われはしたが、その記憶は、あまたの夢と芸術の最後の避難所として生き続ける。そして、この地に生きるナイチンゲールの最後の一羽が巣を作り、アルハンブラの輝かしい廃墟に囲まれて、別れの歌を歌う。

訳注:「ザクロの門」(Gate of the Pome-granates):グラナダの中心地であるヌエバ広場からアルハンブラ宮殿に向かうときに最初に通る門。上部にザクロが彫刻されている。なお、町の様子が割れたザクロのように見えることから、スペイン語でザクロを意味するグラナダの名が付けられたとも言われている。

サビカの丘に立つ宮殿

The Palaces on the Sabika

 かつてのサビカの丘の上は、マディーナト・アル=ハンブラ(アルハンブラの町)という小さな町になっていて、王族や貴族のための宮殿やモスク、兵営区、厩舎、学校、マリスタン(Maristan)という主に精神障害者のための病院、大浴場、墓地、庭園、労働者や職人として貴族や役人にサービスを提供する一般庶民のための住居やお店がありました。こうした住居やお店の跡は、礎石だけが現在も残っています。

この丘の形状は船に似ていると言われます。この船は西を向いており、その船首にはアルカサバ(Alcazaba)、つまり要塞が位置しています。船首から船尾までは約700メートルであり、幅は最も広い所でおよそ200メートルあります。総面積は約13ヘクタールで、周囲を2キロメートル以上の壁が取り囲み、30基の塔により守られています。アルハンブラを訪れる人々は、その建築の美しさによって畏敬の念に打たれます。

コマレスの塔
コマレスの塔

しかし、次のことに思いを馳せれば、驚きはさらに強くなるでしょう。アルハンブラ宮殿や、アンダルシア地方にある他のさまざまな宮殿は、その絶頂期には、今日のような住人のいない建物ではなかったのです。高級貴族や宮仕えの廷臣から、その妻たち、料理係や子供たちにいたるまでが、用事をこなすためにひっきりなしに出入りしていた日常活動の中心でした。今日では住人が完全にいなくなってしまったアルハンブラ宮殿ですが、その建築美だけが理由でも、ただただ賞賛せざるを得ません。昔も今も変わることのない、何という傑作でしょうか。テトス・ブルクハルト(Titus Burkhardt)は、宮殿を次のように描写しています。

滑らかで、重さを感じさせない壁の表面には穴が穿たれている。壁も窓もアーチも、構造の堅牢さをはっきりと伝えながら、繊細で神秘的なハチの巣のように分かれ、きらめく光と化している。回廊が付けられた部屋の支柱はとても細く作られ、その上の構造は空気より軽く感じられる。

床と壁がカーペットによって豪華に装飾されていた時代には、「繊細で神秘的なハチの巣」とアーチは、現在とはどれほど違ったものに見えていたことでしょうか。その当時は、色とりどりのカーテンによって、屋外の真昼の太陽による猛烈な暑さから室内の涼しさが守られ、アスレホ・タイル(訳注)が壁を覆い、クッションの置かれた木製のベッドやソファや椅子が、国王やその側近たちに快適さを提供していたのです。明るい色に塗られたアルコーブ(訳注)と天井によって、色彩の万華鏡が作り出されていました。庭園と噴水によって、屋外にも屋内にも独特な印象と見た目の壮麗さが加えられていました。かぐわしい香りを漂わせるために、考え抜かれた場所に、香りを放つ草木や花々が植えられていました。そして、噴水の水盤の上で泡立つ水やしたたり落ちる水の響きが、どこからでも聞こえたのです。戸口と窓が閉じられていないことによって、周囲の環境と内部の統一感が強められていました。

訳注:アスレホ・タイル(azulejo tile):うわぐすりをかけて焼かれた、通常は青色をしている彩色タイル。

アルコーブ(alcove):壁面の一部をくぼませて造った空間。

グラナダ王家(1013-1492)の紋章
グラナダ王家(1013-1492)の紋章

当時の姿をとどめる3つの主な宮殿は、メスアール宮(Mexuar)、コマレス宮(Comares)、レオーネ宮(Leones)と現在呼ばれています。レオーネとはライオンのことです。国王に謁見を求める者は、この順に宮殿を次々と通り抜け、最後に豪華絢爛さの頂点へと至るのでした。まず、王立裁判所のあるメスアール宮の「メスアールの間」の入口の扉に貼られたタイルに、こう書かれているのが目に留まります。「中に入り要求せよ。恐れることなく正義を求めよ。ここであなたは、それを目の当たりにする」。こうして、嘆願者は入口を通過して、目もくらむばかりの光と美しさの世界に足を踏み入れます。その向こうには、国王への拝謁の許可を求める嘆願者たちの控室である「黄金の間」があります。

指定された時刻になると、嘆願者は「黄金の間」から、現在「アラヤネスの中庭」(Patio de los Arrayanes)と呼ばれている場所に導かれます。アラヤネスとは、天人花という植物のことです。そこは簡素な美しさを湛えた中庭で、その中央には、水鏡の技法という、建物の基部すれすれの高さまで水を張る技法を用いた池があります。かつては池の両脇を、甘い香りのする花々の列が縁取っていました。しかし現在では、天人花の低木に植え替えられ、内部の宮殿にある数々の驚きへの序章として簡素な印象を与えています。再びテトス・ブルクハルトの言葉を引用しましょう。

水は、アルハンブラの神秘に満ちた生命を形づくる。水によって、庭は生き生きとした緑になり、花をつけた生け垣や茂みには輝きが生まれる。自らは池で安らぎながら、優美なアーチを連ねた回廊を映し出すかと思えば、噴水として舞い、小川としてささやくような音を奏でながら、王の住まいの中心を通り過ぎていく。

コマレス宮の入口の上方にある碑銘にはこう書かれています。

我の地位は国王の地位であり、我が入口は分かれ道である。西洋の輩は、我の中に東洋があると信じている。アル=ガニ・ビ=ラー(訳注)は、予言されている勝利への道を開くことを我に委ねた。夜明けに地平線が案内役を果たすのとまったく同じように、我は彼の訪れを待つ。神よ、あなたの顔とあなたの性質に宿る美しさと同じ美しさによって、彼の功績を飾りたまえ。

訳注:アル=ガニ・ビ=ラー(Al-Gani bi-llah):ムハンマド5世のこと。

ナスル家の出身であるユースフ1世は、彼個人の住まいを飾り立てて訪問客を驚かせることを望み、自身のための宮殿を建て、それにこの上なく素晴しい装飾を施すように建築家に命じました。彼の息子ムハンマド5世が王位に就くと、彼はコマレス宮をアルハンブラの外交と政治の中枢に変えました。この場所で、大きな歓迎会が催されたり、要人たちが国王に謁見したりするために控えていました。アル=アンダルス(イベリア半島一帯)のスペイン人による支配権奪取の騒動の際にも失われることがなかった文書のおかげで、私たちは、宮殿内の集会や歓迎会でどのようなことが行われていたのかを知ることができます。

客人たちが宮殿の中に通されると、彼らの横には、白人の宦官や、少年の召使いや他の召使いからなる使用人の列が並び、客人たちは、池が中央にある部屋に座って待機した。全員が入室すると、彼らは別の大広間へと招かれ、そこで行政長官が客を一人ずつ、大いなる敬意と威厳をもって、さらに別の大広間へと呼び入れた。

「大使の宮」を意味する「コマレス宮」では、王の部屋に入ることになります。ここはナスル家の権力を象徴する中枢であり、すべてが洗練さと優雅さを物語っています。窓が3つ設けられており、国王は中央の窓を背に座しました。すると、王の背後から差し込む光が室内の金箔と石膏の壁を照らし出しても、彼は闇に包まれたままでいるように見えます。この効果によって国王は、入ってきた嘆願者に対して精神的に優位に立つことになります。

コマレス宮に入ると、イスラム美術の神秘的な複雑さをまず見てとることができます。壁面には、無数に多くの装飾的なデザインやモチーフがリズム良く反復して描かれ、空間全体を満たす永遠なるものを象徴しています。その結果生じているのは、完全な調和と静けさです。ここにあるのは、緊張感がことごとく消え去った安らぎの芸術です。コマレス宮を抜けると、レオーネ宮に入ります。ここはアルハンブラ建築複合体全体の内部の聖所であり、ムハマンド5世にとって特別な場所でした。

レオーネ宮(ライオン宮)

The Lions

 レオーネ宮の中庭はこの上なく美しく、筆舌に尽くしがたい場所です。金箔を貼った柱の森を通り抜けると目に入るのが、4本の水路を中央の噴水で交わらせて造った天界の象徴です。この中庭は、長さが35メートル、幅が20メートルの長方形で、124本の白い大理石の列柱で支えられた、低い屋根を持つ回廊に囲まれています。中庭の両端では、外の建物が東屋風に張り出しています。繊細な模様が施されたその壁と軽く湾曲したドーム型の屋根は、中庭自体の精巧な装飾になっています。

ライオンの中庭
ライオンの中庭

中庭は色鮮やかなタイルで舗装され、回廊は白い大理石で覆われています。一方、壁面は、地面から1.5メートルの高さまでが青と黄色のタイルで覆われ、その上下には、エナメルでつや出しをした金色と青色の縁取りがされています。屋根と回廊を支えている柱は、芸術的な効果を狙って、間隔が不揃いに建てられています。そして、柱本体から角柱を経てアーチへと続く全体の形状は、この上なく優雅で、さまざまな葉や果物や鳥の装飾が施されています。それぞれのアーチの上は、アラベスク模様の大きなマス目になっており、柱本体にも精巧な装飾が施された四角い部分があります。中庭の中央には、名高いライオンの噴水があり、雪花石膏で出来た水盤を、白大理石を彫って造られた12頭のライオンが支えています。〈ライオンの中庭〉の水盤には、イブン・ザムラク(Ibn Zamrak)の詩が刻まれています。

神々が造り給うた他のあらゆるものの中にも、肩を並べるものがないほど美しい作品が、この庭園にあると言うのか。この女神を作り上げている煌めく真珠は、溢れ出して、彼女の本体へと戻る。 液体の銀が、たぐいまれなる白さと輝きで、彼女の宝石の間を流れる。融けた銀と固い宝石はからみあい、人の目には、どちらが流れているかは分からない。どのように彼女が、水路の縁に打ち寄せ、そのすぐ後に地下に身を隠すかを見るがよい。

ここはかつて、アルハンブラ建築複合体全体の内なる聖所でした。〈ライオンの中庭〉を入ってすぐ左手にはいくつかの部屋があるのですが、そのひとつに、「二姉妹の間」と呼ばれる部屋があります。そこには次の詩が刻まれています。

ライオンの中庭の水盤
ライオンの中庭の水盤

目を楽しませるものの、ここには何と多いことか。魂はこの場所で、心安らぐ素朴な夢想を見いだす。夢見る者は、昴に連れられて、朝の優しいそよ風に目を覚ます。たぐいまれなる丸天井は、見つめることで明かされる美と、隠された美の両方に輝く。双子座はそそのかされて、あなたに手を差し出し、月は話を交わそうとして、双子座とともに訪れる。玄関前の柱廊の優美さによって、宮殿は星々の世界に挑んでいる。星の光が遮られた暗い曲がり角を照らすために、大理石が澄みわたった光を投げかけると、その広さにもかかわらず、光は反射して虹色の真珠と化す。

哲学者と詩人

Philosophers and Poets

 グラナダは、名士や詩人、科学者、芸術家が集う街になりました。国を支配していた政権の評判が良かったことが理由ではなく、イスラム教が支配しているアンダルシア地方の他の地域が極めて短期間に消滅したため、キリスト教徒の進出から逃れるイスラム教徒にとっては、モロッコかグラナダに移住する以外に選択肢がなかったのでした。当時の極めて有名な哲学者や詩人がここに集いました。彼らの一部が、国王に学問を説いていたであろうことは容易に想像がつきます。イブン・アル・カティブ(Ibn al-Khatib)、イブン・ザムラク(Ibn Zamrak)、イブン・ハルドゥーン(Ibn Khaldun)といった行政長官たちは、『二姉妹の間』で文教政策について話し合っていて、議論が白熱しすぎたときには、『ライオンの中庭』に集まったことでしょう。

博識家として知られていたイブン・アル・カティブは、特にスーフィズムの教えに従っていたと言われています。彼は歴史を一直線に進むものとして捉えるのではなく、周期的なものだと捉える考え方を取り入れていました。彼は『満月のまばゆき光』という題の、グラナダとその統治者たちについての物語を書いています。また、『教育の庭園』という題のスーフィズムについての著作も行っています。先に挙げた3人は、時に手を組み、時に反目していましたが、和解して祖国のために最善を尽くす努力を止めることはありませんでした。

グラナダは、最後まで残った「光の都市」であり、コルドバのアル・サクンディ(訳注)は、イスラム教支配下のスペインのことを「目を養い、魂を向上させる地」と絶賛しました。しかしこの都市も、やがて歴史の1ページとして過ぎ去ることとなりました。グラナダの複雑な文化は、中世の地中海世界において最盛期に達しました。しかし、いくつかの強大な勢力が、土地と権力を得る争いに終始したことから、厳格な宗教勢力からの批判、専制政治と宗教過激主義が生じました。これらが引き金となって起きた闘争によって、啓発されたこの地でかつて栄えていた、誰もが知識を共有している状況は失われてしまいました。

訳注:アル・サクンディ(Al-Saqundi):13世紀の詩人、歴史学者。

ほかならぬその星々は、行き場を失ってしまった。ああ、花はあまりにも早く、すべてしおれてしまった。神々が寛容でないことがあり得るのか。あのそよ風が、吹き渡ることはもうないのか。
- グラナダのイブン・アル・ハムラ(Ibn al-Hammara)による詩

社会と政治のシステムの内部に多様な宗教が共存すると、さまざまな問題や緊張が存在することになるかもしれません。それでも、すべての人の利益のために、社会はそれに対処することができるということを、イスラム支配下のスペインの歴史は実例として示しています。しかし、政治権力と宗教運動が多様性を拒み、唯一の文化や唯一の宗教の視点に固執すると、社会はすべての人を苦しめる多大な損失を蒙ることになります。

キリスト教の鐘と十字架以外には何もなくなった。今や家々はもぬけの殻で、異教徒の住居となり、モスクは教会へと姿を変えてしまった。石造りのミフラーブ(訳注)と木製のミンバル(訳注)までもが涙を流している。
―バレンシアのイブン・アル・アッバール(Ibn al-Abbar)の嘆き

訳注:ミフラーブ(mihrab):モスクの礼拝室の四壁のうち、聖地メッカの側にある内壁の中央にある凹部。美しい装飾が施されていてその方向に礼拝を捧げる。

ミンバル(mimbar):モスクのミフラーブの右に通常設けられる、階段のついた高い説教壇。

参考文献

Bibliography

マイケル・ジェイコブス著『アルハンブラ宮殿』、ISBN:978-0-7112-2518-3.

T.J.ゴートン著『アンダルシア-ムーア人の愛とワイン讃歌』、ISBN:978-0-955010-58-3

ジァーディーン・サルダー、ロビン・ヤシーン-カッサブ共編『アル・アンダルース再発見』、ISBN:978-1-84904-316-8

『探訪アルハンブラとグラナダ』(ガイドブック)Edilux S.L.刊、ISBN:978-84-95856-15-9

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