投稿日: 2021/12/10
最終更新日: 2022/08/29


資料室

マリー・コレリ

Marie Corelli

ビクトリア朝時代の神秘家の素顔

Portrait of a Victorian Mystic

カレン・シュルツ

by Karen Schultz

 スピリット(Spirit)とは、存在するすべてのものを創造するエネルギーです。スピリットの働くありさまは様々ですが、常に進歩に役立つように働きます。そして、前へ進み上昇しようという過程を阻もうとするすべてのものを拒絶し破壊するという、スピリットの性質が変わることは決してありません。実在(Being)はそれ自体が、創造主の精神の輝ける流出であって、それは宇宙の〈生命〉にあたります。

マリー・コレリ作『永遠の生』(1911年)の作者自身による序文より

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 ビクトリア女王(訳注)が、イングランドの統治に油断なく気を配っていたのと同時に、幽体離脱の体験や不老不死の魔法の薬といった、非現実的なテーマを扱う文学に夢中になっていた様子を想像してみてください。実際に知られていることですが、魅力的な若手英国人作家であったマリー・コレリ(1855-1924)の筆から生み出された、ありとあらゆる作品を、ビクトリア女王は個人的に手に入れていました。当時、マリー・コレリの多くの作品が、世紀の変わり目にあった世界を魅了していました。スピリチュアリティやニュー・エイジへの関心が爆発的に高まっている今、まさに異才の人であるマリー・コレリは、再び取り上げるだけの価値があります。

訳注:ビクトリア女王:1819年誕生、1901年死去。在位は1837年から1901年。

 彼女の名を最も世に知らしめた作品は、1886年に出版されたデビュー作『2つの世界のロマンス』(A Romance of Two Worlds)です。この作品は半自伝的な小説です。神秘学の初心者向けのこの作品では、カルデア人の神秘学の師ヘリオバス(Heliobas)によって、一人の若き女性が内面的に目覚めて行くストーリーが手際よく展開されています。物語のクライマックスで描かれるのは、アズール(Azul)という案内役の天使と一緒に、まさに“宇宙の中心”へと向かう心の深奥の旅です。彼女は最も後期の作品である『永遠の生』(The Life Everlasting, 1911)で、処女作『2つの世界のロマンス』で始まった自身の輝かしい作家人生について、次のような感想を述べています。

 「執筆を始めたころの私は若すぎて、世間を渡るすべなど何も知りませんでした。また、崇高な精神世界の完成された美しさに、あまりにも熱狂し心を奪われていたので、見えざる世界の神秘に足を踏み入れようとする駆け出しの探究者には、嘲笑や侮蔑がお決まりのように浴びせられるということも理解していませんでした。しかしこの熱狂は、私自身の体に起きた不思議な体験だけが原因だったのです。それは、「人生」と呼ばれているものの入口に立って、最初の作品『2つの世界のロマンス』を書いているときに、たまたま私に起こったのです。この作品は、早まった試みであったとはいえ、見かけ上の現実というベールに覆い隠されているいくつかの真実が私に明かされたことにより、直接生じた結果でした。しかし、なぜ私が選ばれたのか、その理由は当時もわかりませんでしたし、今もわかりません。」(中略)

「私の精神には知識が乏しく、また未熟だったため、私が知覚し始めた光はおぼろげな薄明かりのようなものであり、それ以上のことが明かされることは、私にはまだ許されていませんでした。私自身の見習い期間は、過酷なものであることが定めだったのでしょう。真実が伝えられた後のしばらくの間は、厳しく確固とした制約が私に課せられていました。(中略)すべてのものには「電気」(訳注)が宿っており、すべてのものは電気的です。このことこそがまさに、私が書いた最初の本に込められている教えです。」(脚注1)

訳注:電気(electricity):『ウニオ・ミュスティカ覚書き~マリー・コレリの“2つの世界のロマンス”』(大瀧啓裕著)、幻想文学65号所収)には、「電気」というこの言葉づかいについて次のように書かれている。「ちなみにコレリは1896年に刊行された新版の序文で、当代一流の科学者から「電気」という用語は変更したほうが良いと指摘されたことを報告し、『魂の大なる特徴である速やかな動きと光』をあらわすには、『電気』ないしは『電気の力』がふさわしいと述べている。」

略歴

A Life Sketch

チャールズ・マッケイ

 マリー・コレリの心の中で行われたのが、どのような冒険であったのかということについて、彼女の経歴から得られる情報はほとんどありません。彼女の人生について伝えられているわずかな情報によって、彼女の人生にありきたりの方法で迫ろうとしても、ほとんど得るところはありません。その理由は主に、マリー・コレリが生前、自分のプライバシーを明かさないように努めていたということにあります。彼女はバラ十字会員であったと言われています。また、彼女の著書は、彼女がキリスト教神秘主義者であることを示していると述べる人もいます。コレリの魔法のような言葉に圧倒されてしまうと、神話と事実を区別することは難しくなります。しかし、詳細に検討を加え、断片的な情報をつなぎ合わせていくと、おそらくはこうであろうという、彼女の人生の経緯を再構成することができます。

 マリー・コレリという個人の人生は、出生直後から謎に包まれています。通説によれば、1864年のことですが、彼女は生後わずか3ヵ月のときに、英国のジャーナリストであったチャールズ・マッケイ博士の養子になったと言われていますが、他の文献では、彼女の出生と養子縁組の年は1855年であるが、出自が不明確であったので、何とかして養子縁組を法的に正当なものにしようとして、後に彼女が1864年だとしたのだとされています。いずれにせよ、生粋のイタリア人だと彼女自身が主張するこの子供は、マリー(通称はミニー)・マッケイ(Mary Mackay)という名前で通っていました。「ローズバッド」(訳注)の愛称でも呼ばれていた彼女は、非常に早い時期から天使の存在を信じていました。養父は彼女の文学への関心を育み、彼女が生涯シェイクスピアを信奉し続けるようになるための素養を彼女の心に植え付けました。

訳注:ローズバッド(Rosebud):バラの蕾を意味する女の子の名前。

バーサ・ヴァイヴァーは、マリー・コレリを若い時から知っており、彼女の作家人生の成功も悲嘆も、すべて見届けてきた。

 女子修道会で教育を受けていたマリーは成長するにつれて音楽に夢中になり、持って生まれた即興演奏の才能を活かして、プロのピアニストを志しました。彼女は、コンサート・ホールが一生の仕事場になると予想して、「マリー・コレリ」という芸名を名乗り、空き時間に文章を書いていました。(このあたりのできごとには、『2つの世界のロマンス』のヒロインとの類似点を見ることができます)。このとき、彼女の前に真の友人のひとりが現れました。彼女の名はバーサ・ヴァイヴァー(Bertha Vyver)です。彼女はコレリの相棒、世話人、腹心の友として、この非凡な友人に生涯にわたって尽くし、また、コレリの死後には回想録を書くことになります。

 マリー・コレリの生涯に大きな影響を与えた別の人間関係に、義理の兄であるジョージ・エリック・マッケイ(George Eric Mackay)の存在があります。この人物はかなりの悪漢だったようですが、マリーは献身的に彼に尽くし、成功しているとは言い難い彼の文筆家としての活動を盛り立てようと努力しました。彼に対する尊敬のしるしとして、マリーはある小説の中に、1894年に彼が書いた『ヴァイオリニストの恋文』からの数節を引用しています。

 『2つの世界のロマンス』という処女作の題名は、彼女の父の提案でつけられたものですが、まさにうってつけのものでした。ジョージ・ベントレーという人が、その原稿を個人として出版するために受け入れた瞬間から、貧しさと過労に苦しめられていたマリーの暮らしは一変しました。まさにこのとき、野心を抱いた音楽家が、名うての若手作家マリー・コレリに変身を遂げたのでした。彼女のその後の人生は、次々に出される本によって評価されるようになりました。一作一作が文芸界の歴史の節目とさえ見なされました。そして、マリー・コレリは、裕福で、金遣いが荒いとさえいえる女性に変わっていったのでした。

 彼女は、外見や趣味に対して自分の欲求を抑える性格ではありませんでした。マリーの磁器のように白い肌と金色の巻き毛と青い瞳は、柔らかなパステルカラーの床に流れ落ちるようなドレスによって、いっそう引き立ちました。特に、青いドレスは彼女のお気に入りでした。彼女は、自身が描く恋愛小説から抜け出したかのような生活を送っていました。花が大好きで、身の回りに常に飾っていました。1890年代後半に、長わずらいがもとで命を落とす危険にさらされていた時でさえ、何年間も若々しい容貌を保っていました。このことについて彼女は次のように記しています。

 「若さの泉と不老長寿の妙薬は、古代の神秘家や科学者にとっては夢物語でしたが、現在ではもはや夢ではありません。この2つを見いだした人の魂にとって、それは聖なる実体界(訳注)の事物なのです。」

訳注:聖なる実体界(Divine Reality):深い瞑想によって同調することのできる〈絶対的宇宙〉(Absolute)を指す。

 「激しい非難にさらされることはよくあるけれど、それで傷つくような私ではありません」といった彼女のコメントとは裏腹に、保守的な批評家たちが彼女の作品を笑いものにすることが多かったため、マリー・コレリの感情は、ぼろぼろに打ちのめされていました。それでも表面上は、罵詈雑言の数々にも、しだいに慣れていったようでした。彼女にとって救いだったのは、形而上的な着想が文学という分野で役に立つとは決して考えない人たちが浴びせる嘲りに、一般の人たちが耳を貸さなかったことでした。しかし、彼女の7作目の小説『バラバ:世界の悲劇の夢』(A Dream of the World’s Tragedy, 1893年)に対して、特にひどい悪意ある言葉が用いられたので、その後の作品で彼女は、評論家に事前に原稿を渡すことを出版社に禁じました。

 自然の本質をなすエネルギーと、原始的で目に見えないその源泉において調和しようとするコレリは、「輝けるエネルギー」の女性預言者として、芸術の女神の役割を果たしたのです。

 「私は自身の信念を自然界から手に入れました。自然界は公正であり、克服できないものであると同時に優しさに満ちています。生命とは、いまだ活用されたことのない力と可能性が満ちあふれた祝福であることを、自然界は私たちに教えてくれます。ここでおそらく私は、自分に少しずつ明かされてきた知識を、大まかに説明するべきなのでしょう。私が教わった第一のことは、あらゆる感情と感覚を、自然のスピリット(Spirit)に親密に一体化させる方法でした。私に次のことが教えられました。自然界は、創造者の活動する精神が映し出されたものであり、創造者が作ったいかなる生き物も、活動するその精神に対立したとしたら、それがいかなる形の対立であっても必ず大きな災難がもたらされます。そして私が学んだのは、次のことがどれほど真実かということです。つまり、人間が自然界に逆らうことなく、“彼女”と共に歩むならば、宇宙の法則がこれ以上誤解されることはないし、また、今は不和しか存在しない場所で、すべてにこの上なく素晴らしい調和が実現するということです。超自然とか超常などと呼ぶのが適切なものごとは、ひとつも存在しません。変わることないこのスピリットというエネルギーが、自然界のすべてのものの内部に、漲っているからです。」

By Elisa.rolle (Queer Places, Vol 2) [CC BY-SA 4.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)], via Wikimedia Commons

 マリー・コレリの幼年時代の夢が叶ったのは、1898年のことでした。ストラットフォード・アポン・エイボンにあるエリザベス朝様式の豪邸に、終の棲家としてバーサ・ヴァイヴァーと2人で暮らし始めたのです。そこは、マリーが愛してやまないシェイクスピアが、数世紀前に暮らしたことで文学史上の聖地となった、絵のように美しい街です。メーソン・クロフトというこの住居で彼女は1924年まで暮らし、その年、28作目の小説を書き終えて間もなく、70年の生涯を閉じたのでした。

マリー・コレリの作品

Her Writings

 コレリの最初の小説が成功を収めた後に、この小説を出版したジョージ・ベントレーは、続編を出すにあたり、“スピリチュアル”な内容はもう要らないと彼女に伝えました。そこでマリーは、ある意味ではこの出版者のお気に召すように、またある意味では、新たな読者を相手に、自分がどれほど多芸多才であるかを試すために、1886年に2作目の小説『ヴェンデッタ』(Vendetta)を、翌1887年には『テルマ』(Thelma)を発表しました。どちらもメロドラマ仕立ての恋愛小説ですが、彼女の愛読者たちから絶賛されました。

 その後は、自分好みのテーマに戻り、1889年に『アーダス:死せる自己の物語』(Ardath: The Story of a Dead Self)を発表しました。この作品に関して、彼女は次のように書いています。

 「この作品は、経験に基づいた教えが書かれている点で、自然な形で、そして故意にそうされているのですが、『2つの世界のロマンス』の続編になっています。また、助けを求める手紙を私に書いてくれた多くの読者が研究する際の一助になることが意図されています。この作品の良し悪しに関して、世の一致した意見がどうであれ、また、たとえ大多数の人たちの好みでないとしても、私はこの作品が、極めて価値ある試みであることを知っていますし、そう感じています。この作品は、「その場限りの」何かに訴えかけるものではありません。というのも、人間の魂(Soul)すなわち放射(Radia)が、その人の表面的な自己だけに固執してしまうほど、その崇高な源泉をなおざりにするならば、幸せへと向かう永遠の歩みのための手段は閉ざされてしまうということを理解できる人、あるいは今後理解する人は、極めて少ないからです。」

コレリの奇抜な行動は有名になった。彼女は、ゴンドラ一艘を船頭ともども丸ごとベニスから運び込み、エーボン川で舟遊びを楽しむのが常であった。彼女の死後売りに出された「ドリーム号」の買い値は、わずか57 ギニー(8,400 円ほど)であった。ストラットフォード・アポン・エイボンの近くにある彼女の家メーソン・クロフトには、旅行者たちが彼女を待ち伏せるようにひそかに訪れることがあり、彼らには、彼女の許可を得ないまま絵葉書が配布されていた。ゴンドラに乗ったマリー・コレリのこのイラストは、その絵葉書の一部である。

 実際のところ、大作である『アーダス』の売り上げ部数は最低でした。しかし、コレリの長い文筆活動の中で、彼女が一番愛した作品でした。異国情緒あふれるペルシャを舞台にしているこの作品に、さり気なく込められた主張を、アルフレッド・テニスン卿(訳注)が高く評価しました。そのためこの作品はとても有名になりました。彼は、気品に満ちた称賛の言葉をコレリに送っています。物語の内容は、無神論者の若い英国詩人が、一作目と同じように、師ヘリオバスによって忘我状態に導かれ、アル・クリスという古代都市の詩人サー・ルーマであった自身の前世を思い出すというものです。この生々しいできごとを体験した後に、日常の状態に戻ったこの英国詩人は、次のように断言します。「神は実在する。私は、自らの選択で、祈り、望んで、神、キリスト、天使たちを信仰する。そして、美しく純粋で偉大なあらゆるものを信頼する」。

訳注:アルフレッド・テニスン卿(Alfred Lord Tennyson):英国ビクトリア朝時代の代表的詩人。1809年誕生、1892年死去。

 この作品に関して、マリー・コレリは実際に訪れたこともない土地を描写することができる異常な能力の持ち主なのかという横槍が入るかもしれません。それに対して彼女自身はこのように述べています。「そうであるに違いないと私が想像したとき、私は、たいていの場合その通りであるのを見いだすことになります」。

 その翌年、もっと売れるものを書けというベントレー氏の鶴の一声で生まれたのが、『苦悩:パリのドラマ』(Wormwood: A Drama of Paris, 1890)という作品です。これは、コレリが社会的な悪を題材とした初の作品です。ここで言う悪とは、パリのアブサンの常習者を指します(訳注)。すでにパターン化していたのですが、コレリが大切だと考えていた神秘学的な小説は、より大衆的受けする作品と交互に出されました。こうした執筆のリズムを保つことに対して、彼女は次のように述べています。

訳注:アブサン:ニガヨモギを主な香料にしたアルコール度の高い酒。ニガヨモギには習慣性の毒性がある。英語の「ニガヨモギ」(wormwood)という語には、苦悩、悲痛な体験という意味がある。

 「『リリスの魂』(The Soul of Lilith, 1892)は、私の次の冒険でした。3部作の最後の作品ですが、この連作を通して私が試みたのは、生命のことを、朽ちてゆく物質としてとらえる一般的な考え方と、生命とは滅びることのない非物質的な本質であるという考え方の間を縫うように物語を組み立てることでした。この本の中で私が描いたのは、『さらに遠くの世界』と私が呼ぶ、驚くべき神秘の数々を研究しているときに、人間が、自身の持つ偏見と自身の知性に対するうぬぼれによって必然的に引き起こされる完全な失敗であり、また、肉体に甚だしく執着する傾向がはびこっている状況では、いかなる魂(Soul)も目に見える形で姿を現すことが、現在も今後も、どれほどあり得ないかということでした。」

 『リリスの魂』では、エジプト人の若い娘が、アラビア人の神秘家エル・ラミに与えられた生命の霊液によって6年の間生き続けます。エル・ラミが己の傲慢さゆえに実験に失敗したとき、僧侶のヘリオバスがそれを諭します。ヘリオバスはいくつかの小説に登場し、どのような人物であるかが徐々に物語られていきます。そこで、ヘリオバスが登場する小説は特に、マリー・コレリが自分の宝物だと感じていたのであろうという察しがつきます。ヘリオバスは、彼女自身の魂の象徴とさえ言うことができ、これらの数作を祝福しているかのようです。『リリスの魂』は、『アーダス』以上に不人気に終わりました。しかし、深い教養を持つ少数の人たちから、大いに歓迎されました。

 「燃えたぎるような情熱と確かな信念に満たされて」コレリが次に書き下ろした作品が『バラバ:世界の悲劇の夢』(A Dream of the World’s Tragedy, 1893)でした。この作品は、実利一点張りの出版者であったベントレー氏との決別を意味するものでした。『バラバ』は、新たな出版社であるメシュエン社から出版され、世界的な成功を収め、ついには30ヵ国以上の言葉に翻訳されました。悪名高い強盗であるバラバ(訳注)の優しい人間性はもちろんのこと、キリストのそうした一面をも描いたことで、この作品は高い評価を得ました。

訳注:バラバ(Barabbas):新約聖書マタイ伝に登場する、民衆の要求でイエスの代わりに放免された盗賊。

 『バラバ』の後を追うように出版された『サタンの悲しみ』(The Sorrows of Satan, 1895)は、今までで最も大きなセンセーションを巻き起こした作品です。悪魔が、ルシオ・リマネスという王子の姿になりすまして、お金と魅力によって人間たちを手玉に取るというお話です。義兄のジョージ・エリック・マッケイが、この小説を低俗な芝居に仕立てて上演してしまったのですが、この本の絶大な人気に傷がつくことは少しもありませんでした。

 その後の数年の間に、コレリのペンから、いくつかの作品が次々と世に出されました。その中には、彼女の作品の中でも特に幅広い層に読まれている『デリシャの殺人』(The Murder of Delicia)があります。謎めいた思想がほとんど表れないフィクション作品も書けることを、コレリはファンに証明して見せました。

 『マスター・クリスチャン』(The Master Christian, 1900)は、コレリが病で衰弱している時期に書かれました。この作品には、少年の姿で密かにこの世に戻ってきたキリストが、「人間たちが神の名のもとに行う悪事の数々」を、悲しみに暮れながら見つめている」様子が描かれています。それ以降は、高尚さを控えた小説や短編小説が矢継ぎばやに発表されました。マリー・コレリは、「軽いテーマの作品へ路線変更」して、「ほとんど教育を受けていない人でも理解できるような、日常生活や恋愛を扱った物語で多くの人を楽しませよう」と決めたのでした。

スピリチュアリティと形而上学

Spirituality and Metaphysics

 コレリの作品で繰り返し取り上げられたテーマは、輪廻転生などの神秘学の考え方とキリスト教の融和を目指すことでした。彼女の著書は、高度な精神性へと至る新しい方法を、現代人が探究するための基礎の一部を築いたのでした。マリー・コレリという神秘家の作品を読み解く鍵について、彼女自身はこう語っています。

 「これらの6冊、『2つの世界のロマンス』、『アーダス:死せる自己の物語』、『リリスの魂』、『バラバ』、『サタンの悲しみ』、『マスター・クリスチャン』は、入念に考え抜かれた計画と意図に基づいて作られた作品であり、ある理論によってすべてが互いに関連しています。これらは、まったくの作り話として書かれたのではありません。筆者である私が出版社から報酬を得て、読者である皆さんが束の間の気晴らしで満足するためだけに書かれたのではないのです。これらは、私が日々の暮らしの中で、大小さまざまな犠牲を払って身をもって知り、実践し実証した事柄から生じた作品なのです」。

 1911年に刊行された『永遠の生:実在のロマンス』(A Romance of Reality)を読んで、私には、この6冊が7冊に変わりました。私は個人として、想像力に富んだこの作品を、『2つの世界のロマンス』に勝るとまではいかなくとも、同じくらい楽しみました。以下の話を皆さんは単なる空想だと思うでしょうか。不思議な光を放つ「妖精船」が、物語のヒロインと多くの人生でソウルメイトだった血気盛んな魂を運んでいます。この魂は自分自身を立ち直らせるということをなし遂げたのです。物語のヒロインは、恋人が精神面でなし遂げた偉大な成果に感銘を受けながらも、それに満足することなく、志願して、師アセルジオン(Aselzion)のもとで厳格で形而上学的な“試験”を受けます。その結果、自分も恋人と同じように偉大であることがわかります。この作品こそは、神秘学的恋愛小説の傑作であり、このヒロインはまさに、さまざまな秘伝的な真理を魅惑的な物語の中に織り込み続ける、円熟したコレリです。

 「私はこの物語のヒロインではありません。しかし、“私は”という文の書き出しを用いて、私はこの物語を(いささか、自分に向けて話すように)語ってきました。その理由は、その方が、容易で直接的な方法に思えたからです。幸せとは何かを完全に理解し、愛も申し分なく兼ね備えているヒロインは、自身が見いだしたものを調べている、たぐいまれなる人のひとりなのです」

 「私が、作家としていかに無力であろうとも、幸せのために役立つ神秘的な力について、何らかのことをあなたに示そうとしているとき、暗闇を通して閃くどんなに小さな光に対しても、軽蔑したり億劫がったりして、自身の目を閉じてはいけません。その光は、あなたが神秘について精通する手助けとなるのかもしれないのですから。」

脚注1.
『永遠の生』(The Life Everlasting, 1911)の序文からの引用

 ※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。

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