投稿日: 2021/12/10
最終更新日: 2024/01/31

by Paulo M Pinto

 

ひも理論、別名弦理論(String theory)は実に奇妙な獣です。それは、あらゆる基本的な素粒子が、振動しているエネルギーからなる微細なひもに過ぎないという信念です。ええ、そうです。これまでのところそれは、物理学を装った単なる哲学的信念でしかありません。

この理論の概要は以下の通りです。現在知られているすべての元素は原子からできていると、私たちは学校で教えられました。原子とは、ある元素を、その特徴が失われないように分割した、最も小さな単位です。たとえば、鉄の原子とは、まだ「鉄」と呼ぶことができる最小の量の鉄です。もしその原子をさらに分割すれば、その結果、それはもう鉄ではなくなり、まったく別な何かになります。私たちはまた、原子が亜原子粒子(原子より小さい粒子)からできていることを知っています。つまり、陽子、中性子、電子です。さらに深く掘り下げていくと、陽子と中性子はクォークと呼ばれる、より小さい粒子からなっていることが分かります。

クォークは、小さなビリヤードの球のような中身の詰まった粒子であると昔は考えられていました。この見解は、物理学者がクォークの挙動について多くの事柄を説明するのに十分なものでしたが、すべての挙動を説明することはできませんでした。そこで、「ひも理論」が登場しました。この理論によれば、クォークは実際には、ビリヤードの球のようなものとはまったく異なる、エネルギーからなる小さなひもです。このひもは、ある状態とある振動数で振動しています。チェロという楽器の弦の一本が、さまざまな振動数で振動して異なる音を出すことができるように、一種類のひものさまざまな振動から、異なった種類の素粒子が生じます

ひも理論は、数学的に評価したり、扱ったりすることだけができる理論モデルの一つです。誰もまだ、実験室でこの理論を確認したり、反証したりする方法を見つけることができていません。しかしこの理論は、クォークが(そして宇宙が)どのように振る舞うかについて、ほとんどすべてのことを説明しています。ひも理論に関して刺激的なことは、それが現在のところ、「万物の理論」(Theory of Everything)の最も有力な候補だということです。万物の理論とは、これまでに知られているすべての物理的な力(電磁気力、重力、弱い核力、強い核力)を統一的に説明することができる理論です。ですから、ビッグ・バンの後の宇宙のふるまいだけではなく、実際のところ、その瞬間やそれ以前のふるまいも説明することができます。

私が最初にひも理論のことを、実際の科学理論ではなく、今もなお哲学的な信念であると言った理由は、それが実験室でまだ検証されていないからです。自身の理論を打ち立てるために、いかに手の込んだ数学を用いたとしても、もしそれが、検証することができる現象の予測を行うことができなければ、それは哲学であって科学ではありません。

この点には、興味深い可能性が残されています。この理論について、世界中の物理学者が何十年もの間研究したとしても、実験室での検証によって、それを否定する証拠が最終的に得られたり、あるいは、この理論を実験によって検証する方法を誰も考え出すことができなかったりして、現実とは関わりがない空論になってしまうこともありえます。

それではなぜ、結局のところ水の泡になってしまう可能性があるにもかかわらず、なぜ多くの物理学者がこの理論を探究することに固執しているのでしょうか。袋小路にたどりつく可能性があるものに、あえてキャリアのすべてをかける価値が本当にあるのでしょうか。自身の研究人生のすべてをある理論に費やしたあげく、世界の反対側の実験室にいるある若者が、あなたの理論の反証を見つける方法を考案して、あなたが人生をかけた仕事を無意味なものにしてしまうことを、まさに臨終のときにベッドで知るなどという想像に耐えられる人がいるでしょうか。

物理学者たちは、この厄介な質問を受けると、口ごもり、答えに迷います。彼らは首をかしげて、答えに悩みながら、(信じられないほど優れた)頭を搔くかもしれません。そしてたいてい最後にはこう言います。この理論の数式とモデルは、誤りであるにしては、あまりにもエレガント過ぎるのだと。そして、この理論の数式が、互いに関連し合って、長い間解けなかった疑問を明快に解決する様子は、あまりにも巧妙で、あまりにも優雅なので、その理論が無意味であるとは思えないのだと語ります。彼らの心の中では、ある理論の構造の中に見ることができる数学的なエレガントさは、その妥当性を判定する暫定的な尺度の一つなのです。

無価値であることや意味がないことや、原因と結果を説明していないことから、美や壮麗さが生み出される可能性があるでしょうか。『エレガントな宇宙』という本を書いた有名な物理学者のブライアン・グリーンはこう述べています。「私はずっと次のように考えている。数えきれないほどの星でいっぱいの暗い夜空を見上げて、その不思議さと荘厳さを感じる時間をときおり持つことをしなくなったり、あるいは全くそうしなくなったりした人たちは、誰もが、自身と宇宙の間の基本的な絆についての感覚を失ってしまうのではないだろうか。」

そして私の疑問はこうです。闘志にあふれる物質の探究者、より具体的に言えば物理学者たちは、宇宙が「エレガントなセンス」を示すということに、なぜ自身の生涯のすべてを賭けるのでしょうか。とらえどころのない、言葉では表すことのできない上質な何か(je ne sais quois)が、奇妙な能力によって、物理学者という知的な人々を、暗やみと混乱の中で導く誘導灯の役割を果たしているのでしょうか。

物質主義者たちが言うように、もし宇宙の中の万物が、質量とエネルギーの相互作用による、単に意味のない偶然の産物であるとしたら、宇宙それ自体もまた、意味がない偶然によるものになるのではないのでしょうか。宇宙というものが、因果律だけに従い、何らかの意志によってコントロールすることができず、無原則で、散らかった、不格好で、醜い、エレガントでないものであるという可能性を、なぜ考えないのでしょうか。物理学者たちは、エレガントさを直観的に必要だと感じ探究しますが、それは何に由来するのでしょうか。

私のつたない見解としては、物質の探求者や物理学者がエレガントさを探究するのは、それぞれの人の心の奥深くにある高度な自己がそれを喜ぶと、かすかに感じているためです。それは、論理的であるという外観や理性的であるという上塗りの厚化粧を通して、ひとりひとりの心に時として輝く、〈宇宙意識〉のぼんやりとした弱々しいきらめきなのでしょう。それは、今はひそやかな囁きですが、いつかある日、それが何であるかが、すなわち、〈第一原因の確固たる声〉であることが明かされます。宇宙の原因である力が優雅でないことはあり得ないので、つまり、宇宙を作っている原理は混乱したものではないので、宇宙自体が優雅でないことはあり得ないと、この声は語っています。あるものは、似たものからしか生じることはできないのです。

伝説的な物理学者であるポール・ディラックは、かつてこう述べました。「神は極めて優れた数学者であり、神は宇宙を構築する際に、極めて高度な数学を用いたと述べることによって、人はおそらく実際の状況を描写することができる」。物質主義という一方の側と、神秘家の純粋知性と直観による認識という他方の側の間の紛争に、この言葉がうまく折り合いを付けていると私は思います。このような言葉を残してはいますが、ディラックは神秘家ではありませんでした。彼は論理と実用主義を重視した不可知論者(訳注)でした。それをはっきりさせるために以下の彼の言葉を付け加えておきましょう。「行動せよ。さもなければ、エレガントではあり得ない。」

訳注:不可知論者(agnostic):神などの超経験的なものの存在や本質は認識することができないとする哲学上の立場。

著者について

パウロ・M・ピントは経済学者で、純粋知性科学(noetic science)と形而上学を独自に研究しており、アマチュアの音楽家でもあります。自身の研究と実践から、学びを体系化することを試みている、バラ十字会AMORCの現役会員です。彼は、妻と2人の小さな男の子、ギター一式と、スヌーピーという名のバグ犬とともにシドニーに住んでいます。

※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。

 

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